謎の生物

咲良から咲人へ

それから数日が過ぎ、咲良は普段の生活に戻りつつあった。謎の呪いが解けたように見え、翔太もようやく安心できるようになっていた。咲良の体は元に戻り、彼女の笑顔も少しずつ戻ってきていた。しかし、どこかで不安が拭えないまま、日常は続いていた。

ある朝、翔太が目を覚ますと、家の中が静かだった。いつもならキッチンで朝食を用意している咲良の声や物音が聞こえるはずなのに、その日だけは異様な静けさが漂っていた。

「姉ちゃん、起きてるのか？」

翔太は不安になり、咲良の部屋へ向かった。ノックをしても応答がない。思い切ってドアを開けると、部屋の中には咲良が鏡の前に座り、じっと自分の姿を見つめていた。彼女の表情は険しく、まるで何かを受け入れようとしているような決意が感じられた。

「姉ちゃん、どうしたの？」

翔太が声をかけると、咲良はゆっくりと振り向いた。その瞬間、翔太は言葉を失った。咲良の顔は以前と異なり、より骨ばった男性的な顔立ちになっていた。腕や肩も筋肉質になっており、胸も平らになりつつあった。

「また……」

翔太は衝撃を受けた。あの呪いは解けたはずだったのに、再び咲良の体に変化が起きている。それは以前よりも顕著で、彼女の体ははっきりと男性化していた。

「翔太、落ち着いて聞いてほしい。」

咲良は深く息を吸い込み、鏡の前から立ち上がった。背丈も少し伸び、声もさらに低くなっていた。その姿は、もはや姉というより兄に近いものだった。

「何が起きてるんだ？　また体が……」

「うん、もうわかってる。これは一時的なものじゃない。呪いじゃなくて、私の体が本当はこうなりたいんだと思う。」

翔太は咲良の言葉を理解できず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。咲良は近づき、優しく彼の肩に手を置いた。

「翔太、私はこれから男として生きていく。」

その言葉に、翔太はさらに驚きを隠せなかった。「え？　どういうことだよ？　姉ちゃんは……元に戻るんじゃなかったのか？」

「ううん、もう戻らない。私は感じていたんだ、この変化が起こる前から。あの生物が私に何をしたのか、ただ体が変わっただけじゃないの。あの時から、私は自分の中にあった何かをずっと抑えていた。でももう抑えきれない。」

咲良は翔太に真剣な表情で語り始めた。

「実は、ずっと自分が女性であることに違和感を感じていたの。幼い頃からなんとなく思っていたけど、周りに合わせて自分を抑えてきた。でも、あの生物に血を吸われたとき、体が変わり始めたことで、その感覚がはっきりしたの。私は、本当は男として生きたいんだって。」

翔太は混乱しながらも、咲良の言葉に耳を傾けた。彼女の顔には、これまで見たことのない決意が宿っていた。

「姉ちゃんは……ずっとそんなことを考えてたのか？」

「そう。けど、どうしても自分に向き合うのが怖かった。だけど、体がこうして変わったことで、もう逃げられないって気づいたんだ。この変化は、あの生物が無理やり起こしたものだと思ったけど、実は私の本当の姿が表に出ただけだったんだと思う。」

咲良は少し微笑んで続けた。「翔太、私はこれから男として生きる。それが私にとって自然なことだと分かったの。」

翔太はしばらく黙っていたが、咲良の覚悟を目の当たりにして、次第に気持ちを整理し始めた。

「……でも、俺は姉ちゃんのことをずっと姉ちゃんだと思ってきたんだよ。男になるなんて……」

「そうだよね。でも、私はこれが私自身だと思ってるんだ。君にとっては驚きかもしれないけど、私はようやく自分を受け入れられた。これからは、名前も変えるつもりだし、社会でも男として生きていく。」

翔太はその言葉に胸が苦しくなった。今までの姉が消えてしまうような感覚に襲われ、寂しさがこみ上げてきた。

「でも、俺にとってはいつまでも姉ちゃんだよ……」

咲良は優しく微笑んだ。「ありがとう、翔太。でも、今の私は『姉』ではない。兄として君を守るつもりだ。新しい名前も考えているんだ。」

「名前？」

「うん。これからは、『咲良』じゃなくて『咲人（さきと）』って名乗ろうと思ってる。どうかな？」

「咲人……」

翔太はその名前を口にしてみた。まだ慣れない響きだったが、咲良――いや、咲人の決意を感じた。

「そうか……咲人か。なんか、かっこいい名前だな。」

咲人は翔太の言葉に嬉しそうに笑った。

「ありがとう、翔太。これからも変わらず仲良くやっていこうね。」

翔太は深く息をついて、「うん」と頷いた。まだ心の中では混乱している部分もあったが、何よりも大切なのは、咲良――咲人が自分を受け入れ、前向きに生きていこうとしていることだと感じた。

その日から、翔太は「咲人」として生きる新しい兄を受け入れ始めた。咲人は少しずつ変わっていく体と心に向き合いながら、これからの新しい生活を歩んでいく準備をしていた。翔太もまた、そんな咲人を見守りながら、自分たちの絆がこれからも変わらず続いていくことを信じていた。

そして、二人は新たな一歩を踏み出した。家族としての形が変わっても、翔太と咲人の間には変わらない強い絆が存在していた。それは、これからの人生でもお互いを支え合う大切なものになるだろう。

「これからは、俺が君を守るよ。」

咲人の低くなった声が、翔太の心に響いた。