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部屋風呂で
しおりを挟む夕食を終えた後、部屋に戻った真由美と健一は、温泉宿の静かな空気に包まれながらくつろいでいた。二人ともそれぞれ別々に大浴場を楽しんできたが、どこか物足りなさを感じていた。
「なんだかんだで、あっちじゃ気を遣うことも多かったな。」健一が畳に寝転がりながらつぶやく。
「確かに。私も大浴場は悪くなかったけど、やっぱり気楽さには欠けるわね。」真由美は自分の肩を回しながら答えた。
しばらく沈黙が続いた後、真由美がふと視線を浴室の方に向ける。
「そういえば、この部屋にもお風呂があるわよね。」彼女は新しく低くなった声にまだ慣れない様子で言った。「どうせなら、せっかくだし一緒に入らない?」
「一緒に?」健一は驚いたように目を見開く。「それって…大丈夫なのか?」
「だって今の私たち、見た目は完全に性別が逆なんだから、変に遠慮する必要もないでしょ。」真由美は少し冗談っぽく笑った。
健一は少し戸惑いながらも、肩をすくめて立ち上がった。「まあ…そうかもな。いいよ、入ろう。」
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浴室はこぢんまりとしていたが、窓からは露天風呂のように外の景色が楽しめる造りになっていた。湯船に張られたお湯からは湯気が立ち上り、どこか家庭的な安心感が漂っている。
真由美はタオルを巻きながら鏡の前で体を見つめた。「やっぱり、この体にはまだ慣れないわね。筋肉がつきすぎてて、私じゃないみたい。」
「俺も同じだよ。」健一は、自分の細くなった肩や柔らかいラインの体を見ながら苦笑いした。「でも、こうやって客観的に見ると、意外と似合ってるんじゃないか?」
「何よそれ、慰めてるの?」真由美は笑いながら湯船に足を浸けた。「ほら、あんたも早く入りなさい。」
健一も続いて湯船に体を沈めた。二人の間には不思議な静けさが広がったが、それはぎこちないものではなく、どこか心地よいものだった。
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「こうやって一緒に入るの、昔を思い出すわね。」真由美がぽつりとつぶやいた。
「昔って…新婚旅行のときか?」健一は湯に浸かったまま、窓の外に広がる紅葉を眺めながら答えた。
「そう。あのときも、あんたと一緒にお風呂に入ったわよね。今思うと、あの頃は何もかも普通だったのに。」
「確かにな。でも、こういうのも悪くないだろ?性別が変わっても、こうやって一緒にいられるのは、なんだか新しい意味で楽しいよ。」
「そうね。」真由美は深く息を吐きながら、肩までお湯に浸かった。「最初はただ戸惑うばかりだったけど、今は…あんたがそう言うなら、それもいい気がしてきた。」
二人はしばらく無言で湯の温かさを感じながら、お互いを見つめ合った。言葉にしなくても、互いの心に流れる想いが通じ合っているようだった。
「なあ、真由美。」健一が突然口を開いた。「もし、俺たちが元に戻らなくても、このままでやっていけると思うか?」
真由美は少し考えてから、ふっと笑った。「やっていけるかどうかじゃなくて、やっていくのよ。あんたも私も、こうやって同じ方向を向いていれば大丈夫でしょ?」
健一も笑い返した。「そっか。そうだな。」
二人は湯船の中で肩を寄せ合い、体の温もりと共に心の距離を縮めていった。性別が変わったことで起きた戸惑いは、むしろ二人をより深く結びつけるきっかけになったのかもしれない。
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その夜、二人はこれまで以上に穏やかで安心感に満ちた時間を過ごした。彼らにとって、この温泉旅行は自分たちの新しい姿を受け入れる第一歩となる大切な出来事となった。
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