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第三艦隊参謀としての佐久田
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42年のミッドウェーの敗北は海軍内に大きな衝撃をもたらした。
その中には作戦の批判もあったが、機動部隊指揮官である南雲への批判が集中した。
だが、そのなかで佐久田は南雲への批判に同調せず、より的確、そして先鋭的な批判、山本長官が出撃したことを声高に批判した。
「指揮官の役目は指揮であり、命令を下せないのは無能である。にも関わらず出撃し無線封止をして通信途絶、指揮不能になったのは指揮官職務の放棄であり、作戦の敗北に繋がった。また作戦目的目標も不明確であり多重の任務を機動部隊に押しつけている。敗北の原因は山本長官にある」
痛烈な批判を浴びせた上、三田事件を起こした佐久田だったが、むしろ山本に興味を持たれ、連合艦隊参謀に抜擢された。
それまでの作戦を立案していた黒島の才能の限界を山本が痛感していたこともあって、佐久田を後任に据えようとした。
佐久田は早速、参謀として機動部隊再建に入り遺憾なく力量を発揮した。
次期作戦としてインド洋が計画されていたこともあり、インド洋作戦を進言し、幾度も上申していた佐久田本人も力を入れた。
しかし、ガダルカナル島への上陸が始まると、急遽中止となった。
佐久田はすぐにラバウルに飛び第八艦隊に乗り込み作戦指導を行い、第一次ソロモン海戦で敵艦隊の撃破と輸送船団撃滅を果たす。
その後、南雲は残留したが幕僚が一新された第三艦隊の参謀に任命され、ガダルカナルへの攻撃は第一一航空艦隊に任せ、ひたすら洋上を哨戒。
出撃してきた米機動部隊を発見すると攻撃を加え撃滅。
更に第二艦隊をガダルカナルへ突入させ、敵艦隊を撃滅した。
最終的に一木支隊が投入され米海兵師団を降伏させソロモンを安定させた。
全てを終えると第三艦隊をそのまま、インド洋へ派遣、第二次インド洋作戦を行い、インド各地の港湾を破壊し商船団を撃沈あるいは撃破した。
しかし、それは一ヶ月間だけだった。
イギリスの生命線であるインド洋攻撃されたイギリスは慌ててアメリカに泣きを入れてウォッチタワー作戦の再開を要請。
アメリカはこれを受諾。
四二年十月に入り米軍はガダルカナルへ再上陸を果たした。
第三艦隊は急遽呼び戻され、ガダルカナルを攻撃する事になった。だが、そこで佐久田が新たな作戦案を出した。
後方支援基地になっているエスピリシスサットへの奇襲攻撃を立案した。
米軍の補給線を撃破し混乱させなければ撃退しても再度上陸される。
だから根本となる補給基地を撃破しようと提案した。
司令部は懐疑的な雰囲気だったが、それまでの作戦成功もあり、佐久田の提案は通った。
第三艦隊は見事奇襲に成功。エスピリシスサットは機能不能になった。
ガダルカナルへ出撃していた米機動部隊は根拠地を失い補給が行われず撤退。
上陸した部隊も孤立し結局撤退。
そこを帰還中の第三艦隊に捕捉され、米機動部隊、退却中の上陸部隊双方が撃滅された。
「ミッドウェーの仇をとれた」
海戦勝利後、南雲は佐久田に感謝の声をかけた程だった。
第三艦隊司令長官が南雲から小沢に交代した後も佐久田は第三艦隊司令部に残留し、第三次インド洋作戦を計画し実行。
42年末からインド洋を暴れ回り、43年の年始にはスリランカ島を攻略。
更にソコトラ島を占領し、インド洋を完全に制圧した。
イギリスは生命線を封じられ、脱落するかと思われた。
だが、米はレンドリースを強化。
米本土から英国への物資援助を増やした。
さらに四三年に入りソロモン方面で米軍の本格的反攻が始まり、日本軍はその対応に追われる。
機動部隊も引き戻され佐久田が山本に噛みついたのもこのときだ。
結局消耗戦の責任を取らされた山本は古賀と交代した。
古賀の元でソロモンの後始末、段階的な撤退を行った佐久田は第三艦隊に航空隊を戻すとインド洋に戻し四三年中頃には再び通商破壊を行った。
だが、四三年後半に米軍の反攻が本格化、外南洋、ギルバード諸島へ攻撃を行った。
これに反応して古賀が外南洋での迎撃作戦Z計画を発動。連合艦隊を出撃させたが米軍は即座に撤退、日本は燃料を無駄にしただけに終わった。
結果、翌年初頭のクウェゼリン侵攻に連合艦隊は燃料不足によって出撃できず、外南洋は失陥した。
急遽インド洋より戻ってきた第三艦隊からやってきた佐久田は、雄作戦――米軍が新たな根拠地にしたウォッゼへの攻撃を立案、実行に移そうとした。
しかし古賀が外南洋失陥の責任を取らされて山本と交代。
再び連合艦隊司令長官となった山本は実施中の雄作戦を許可した。
トラックから囮の基地航空隊を出した瞬間、北方から迂回してきた第三艦隊がウォッゼへ襲撃を行った。
空襲は成功し、丸一日の波状攻撃によりウォッゼの役務部隊は全滅した。
しかし、翌々日米軍機動部隊がトラックを襲撃。
前日までに攻撃部隊はマリアナまで撤退していて被害は少なかったが、トラックの基地機能は消失。
日本軍はソロモン方面を捨てマリアナの絶対国防圏まで撤退した。
米軍はマリアナに来襲するのは、ほぼ確実な情勢となった。
来たるべきマリアナ沖海戦、あ号作戦にそなえて第二艦隊、第三艦隊を纏めた第一機動艦隊を編成。
山口多聞を司令長官とし佐久田も参謀として加わった。
小沢は二〇〇〇機を越える基地航空部隊、第一航空艦隊司令長官へ異動し、マリアナ防衛に万全の布陣を敷いたはずだった。
その中には作戦の批判もあったが、機動部隊指揮官である南雲への批判が集中した。
だが、そのなかで佐久田は南雲への批判に同調せず、より的確、そして先鋭的な批判、山本長官が出撃したことを声高に批判した。
「指揮官の役目は指揮であり、命令を下せないのは無能である。にも関わらず出撃し無線封止をして通信途絶、指揮不能になったのは指揮官職務の放棄であり、作戦の敗北に繋がった。また作戦目的目標も不明確であり多重の任務を機動部隊に押しつけている。敗北の原因は山本長官にある」
痛烈な批判を浴びせた上、三田事件を起こした佐久田だったが、むしろ山本に興味を持たれ、連合艦隊参謀に抜擢された。
それまでの作戦を立案していた黒島の才能の限界を山本が痛感していたこともあって、佐久田を後任に据えようとした。
佐久田は早速、参謀として機動部隊再建に入り遺憾なく力量を発揮した。
次期作戦としてインド洋が計画されていたこともあり、インド洋作戦を進言し、幾度も上申していた佐久田本人も力を入れた。
しかし、ガダルカナル島への上陸が始まると、急遽中止となった。
佐久田はすぐにラバウルに飛び第八艦隊に乗り込み作戦指導を行い、第一次ソロモン海戦で敵艦隊の撃破と輸送船団撃滅を果たす。
その後、南雲は残留したが幕僚が一新された第三艦隊の参謀に任命され、ガダルカナルへの攻撃は第一一航空艦隊に任せ、ひたすら洋上を哨戒。
出撃してきた米機動部隊を発見すると攻撃を加え撃滅。
更に第二艦隊をガダルカナルへ突入させ、敵艦隊を撃滅した。
最終的に一木支隊が投入され米海兵師団を降伏させソロモンを安定させた。
全てを終えると第三艦隊をそのまま、インド洋へ派遣、第二次インド洋作戦を行い、インド各地の港湾を破壊し商船団を撃沈あるいは撃破した。
しかし、それは一ヶ月間だけだった。
イギリスの生命線であるインド洋攻撃されたイギリスは慌ててアメリカに泣きを入れてウォッチタワー作戦の再開を要請。
アメリカはこれを受諾。
四二年十月に入り米軍はガダルカナルへ再上陸を果たした。
第三艦隊は急遽呼び戻され、ガダルカナルを攻撃する事になった。だが、そこで佐久田が新たな作戦案を出した。
後方支援基地になっているエスピリシスサットへの奇襲攻撃を立案した。
米軍の補給線を撃破し混乱させなければ撃退しても再度上陸される。
だから根本となる補給基地を撃破しようと提案した。
司令部は懐疑的な雰囲気だったが、それまでの作戦成功もあり、佐久田の提案は通った。
第三艦隊は見事奇襲に成功。エスピリシスサットは機能不能になった。
ガダルカナルへ出撃していた米機動部隊は根拠地を失い補給が行われず撤退。
上陸した部隊も孤立し結局撤退。
そこを帰還中の第三艦隊に捕捉され、米機動部隊、退却中の上陸部隊双方が撃滅された。
「ミッドウェーの仇をとれた」
海戦勝利後、南雲は佐久田に感謝の声をかけた程だった。
第三艦隊司令長官が南雲から小沢に交代した後も佐久田は第三艦隊司令部に残留し、第三次インド洋作戦を計画し実行。
42年末からインド洋を暴れ回り、43年の年始にはスリランカ島を攻略。
更にソコトラ島を占領し、インド洋を完全に制圧した。
イギリスは生命線を封じられ、脱落するかと思われた。
だが、米はレンドリースを強化。
米本土から英国への物資援助を増やした。
さらに四三年に入りソロモン方面で米軍の本格的反攻が始まり、日本軍はその対応に追われる。
機動部隊も引き戻され佐久田が山本に噛みついたのもこのときだ。
結局消耗戦の責任を取らされた山本は古賀と交代した。
古賀の元でソロモンの後始末、段階的な撤退を行った佐久田は第三艦隊に航空隊を戻すとインド洋に戻し四三年中頃には再び通商破壊を行った。
だが、四三年後半に米軍の反攻が本格化、外南洋、ギルバード諸島へ攻撃を行った。
これに反応して古賀が外南洋での迎撃作戦Z計画を発動。連合艦隊を出撃させたが米軍は即座に撤退、日本は燃料を無駄にしただけに終わった。
結果、翌年初頭のクウェゼリン侵攻に連合艦隊は燃料不足によって出撃できず、外南洋は失陥した。
急遽インド洋より戻ってきた第三艦隊からやってきた佐久田は、雄作戦――米軍が新たな根拠地にしたウォッゼへの攻撃を立案、実行に移そうとした。
しかし古賀が外南洋失陥の責任を取らされて山本と交代。
再び連合艦隊司令長官となった山本は実施中の雄作戦を許可した。
トラックから囮の基地航空隊を出した瞬間、北方から迂回してきた第三艦隊がウォッゼへ襲撃を行った。
空襲は成功し、丸一日の波状攻撃によりウォッゼの役務部隊は全滅した。
しかし、翌々日米軍機動部隊がトラックを襲撃。
前日までに攻撃部隊はマリアナまで撤退していて被害は少なかったが、トラックの基地機能は消失。
日本軍はソロモン方面を捨てマリアナの絶対国防圏まで撤退した。
米軍はマリアナに来襲するのは、ほぼ確実な情勢となった。
来たるべきマリアナ沖海戦、あ号作戦にそなえて第二艦隊、第三艦隊を纏めた第一機動艦隊を編成。
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小沢は二〇〇〇機を越える基地航空部隊、第一航空艦隊司令長官へ異動し、マリアナ防衛に万全の布陣を敷いたはずだった。
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