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ボーイ・ミーツ・ガール

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 忠弥はその音がしてきた方向へ顔を向け耳を澄ませる。

「どうしたんです?」

「しっ」

 声を掛けてきた子供達を静かにさせ、音のした方向を見る。
 藪の向こうの森から確かにその音はしてきた。

「!」

 間違いないことを確信すると忠弥は駆け出した。
 音のした方角へ迷いも無く藪を突き抜け森を駆け抜け一直線に。
 猪も獣道を通るというのに忠弥は気にせず駆け抜けた。
 途中から音がしなくなったが、それでも音が響いてきた方角へ駆け抜ける。
 そして忠弥は出会った。

「自動車だ」

 森の中の道の上に車が止まっていた。
 Tフォードの様な角張った車体、曲線の無い板ガラスのフロント、スポークの付いた四本のタイヤ。
 だが、間違いなくガソリンエンジンを搭載した車に間違いなかった。
 ボンネットのカバーを開けてハンチング帽を被った男性が手を突っ込んでいる先は間違いなくガソリンエンジンだった。
 シリンダーの上から電気のケーブルが伸びている。恐らくプラグとそのケーブルだ。
 久方ぶりの再会に忠弥は感動した。

「一寸! 何時になったら直るのよ!」

 近寄ろうとしたとき、少女の怒鳴り声が響いて忠弥は足を止めた。
 自動車の脇で運転手らしきハンチング帽を被った男性を叱っている水色のドレスを着た少女がいた。
 腰まである長い黒髪に大きな切れ長の瞳。
 ただ、怒っているため目が吊り上がり、眉は急角度を描いている。
 身体は年相応の育ちだが、スラリとしていて姿勢が良く将来美人になるのは間違いない。
 年は忠弥と同じくらいだが、舶来品らしくフリル付きの水色のドレスを着て綺麗な赤い靴を履いている所を見るとお嬢様のようだ。
 しかも胸元には小さいが銀の装飾にサファイアが嵌め込まれたネックレスをしている。
 単体では煌びやかだが、少女の美しさを引き立てる役目を果たしていた。
 腰に両手を当てて叱りつける事をしなければ、お淑やかに湖の近くの建物で本でも読んでいれば深窓のご令嬢として通りそうだ。

「何時までも修理二時間を掛けているんじゃないわよ。御父様の元に行けないじゃ無いの! そもそもなんでここで壊れるのよ。田舎のど真ん中で止まったら何も出来ないでしょう!」

 しかし使用人らしき運転手に怒鳴っている姿、両手を腰に当てて眉を吊り上げていたら我が儘なお嬢様でしかない。
 美人なので一部の層からは需要がありそうだが、出来れば近づきたくない。

「何見てんのよ!」

 忠弥に気が付いた少女は振り向いて言う。
 そして忠弥の姿、藪を抜け森を抜けてきたため体中、蜘蛛の糸や葉っぱや木の枝を付けたままの忠弥を見て笑う。

「オホホホホ、なんて姿なの。どうせ車が珍しくて駆け寄ってきたのでしょう」

 事実なので忠弥は反論せず、小さく頷いた。

「そうでしょう。これはこの辺りでは一台しか無い車ですもの。これは私、島津昴の父、島津義彦が経営する島津産業が、新大陸の会社からライセンスを受け取って製作した自動車なのですから」

 何も尋ねていないのに昴と名乗った女の子は忠弥に説明を始めた。

「この最新型の自動車は素晴らしく非常に高性能ですのよ。馬よりも早く、長く走れるのよ。これを扱えるのは皇国広しといえど我が島津産業以外にありませんわ。貴方には想像できないほど高額なライセンス料が必要で買い取れるのは、この国では島津産業しかありません」

 当然だな、と忠弥は思った。
 碌に内燃機関を作れないこの国が、一から車を作ることなど出来ない。
 外国からライセンス生産、恐らく製造機械と場合によっては素材を購入してこの国で加工、組み立てないと作れないはずだ。
 そのためには多大な費用が掛かることが想像される。
 それだけの人材と機械を購入できるのは大金持ち、実業家しかいない。

「でなければこの先の海岸に別荘を建てられませんし、そこへ行くための脚として使う事もできません。貴方が自動車を見れるのはこの機会しか無く、見に来るのも致し方ないでしょう」

 少し高い声で少女は説明を終えた。

「でも壊れているようですね」

 忠弥が何気なく指摘すると少女は顔を真っ赤にして反論した。

「す、すこし調子が悪いだけです。この最新型の自動車は故障しても直ぐに直せます。ほら、早く直しなさい!」

 運転手に改めて怒鳴ると再び視線を運転手に向けて怠けないように監視した。
 しかし少女の言葉とは裏腹に中々、自動車は直らなかった。
 運転手はプラグを外し、ケーブルを取り付けて火花が出るか確認している。
 火花が出るという事は、問題なし。他に原因があるという事だ。
 他にも色々と調べているようだが、原因が見つからないようだ

「どうして直せないのよ!」

 痺れを切らした昴は運転手に向かって怒鳴った。
 出会ってからほんの数分しか経っていなかったが、その程度の時間すら待てない性分のようだ。
 その時忠弥が少女に提案した。

「あの、良ければ僕が直しましょうか」
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