【本編完結】長し夜に、ひらく窓<天神一の日常推理 呪われた女>

ユト

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長し夜に、ひらく窓

第38話 謎解き(一)

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   三

 十一月も終わりが近付く、土曜日午後一時五十八分のレトロ・アヴェ。
 先日に比べて随分と閑散とした店内は、見慣れた店主に天神と藤枝、それから二人組の女性客が居ただけだった。

 天神の要望に添ってデザート一つ分以上の腹を空かせた俺は、店内に入ってすぐに、いつものホットコーヒーブレンドを頼む。

「悪い、遅れたか?」
「大丈夫だよ。僕が、少し早く来すぎてしまっただけさ」

 それが嘘ではないことは、天神が手に持つティーカップの中身が証明していた。
 カップ三分の二以上を埋める、既に白濁はくだくした液体と化した紅茶には相変わらず同情をきんじ得ない。藤枝の前に置かれた透明度の高い紅茶が、とても神聖な物にすら見える。
 以前よりも更に顔色が悪くなった藤枝は、俺を見ると深々と頭を下げた。

「ちゃんとお腹に空きをつくってきてくれたかい?」
「言われたからな」

 俺は天神の隣の椅子を引いて座った。音もなく、スッと出されたコーヒーカップでだんをとる。秋の風で冷たくなった手には、丁度良かった。

「さて、藤枝穂乃香くん。お待たせして申し訳ない。先日、早川から連絡があったと思うが、まずは僕たちの好奇心の答え合わせからお願い出来るかな?」
「売店の写真について、ですよね?」
「ああ。僕たちは、あれを心理学科が行った実験の一環だと考えているのだけれども、実際はどうだったのだろうか?」
「天神さんのおっしゃるとおりです。あれは、視嗅覚しきゅうかくクロスモーダル効果が及ぼす購買意欲の変化を実験したものだったそうです」

 天神は、「やはりか」とうなずいているが、俺にはさっぱり分からない。

「クロスモダールって、なんだ?」
「『クロスモーダル』だよ、早川。別個の知覚が互いに影響を及ぼし合う、感覚間の相互作用のことさ。おや、ピンと来ていない様子だね。では君は、かき氷を食べたことはあるかい?」
「そりゃ、まあ」
「好きな味は?」
「ブルーハワイ」

 舌が青くなることを除けば、ブルーハワイが一番さっぱりしていて、好きだ。逆に、イチゴは甘ったるい感じがして得意ではない。だが、一体それが何だというのか。

「そのブルーハワイも、メロンやイチゴと言った味のシロップも、全て同じ味だと言ったら、君はどう思う?」
「は? 本当に?」
「全ての店がそうだとは限らないとは思うけれども、屋台なんかで売られているものの大半が、感覚間の相互作用を利用したものだろうね。
 青い液体のかかったかき氷をブルーハワイだと言われた君は、それをブルーハワイの味だと錯覚を起こしてしまう。それが、クロスモーダル効果さ」

 知りたくなかった、タネ明かしをされているようだった。サンタクロースが父親だったと教えられた時ほどじゃないが、なんとなく世間の裏を知ってしまったような気持ち。一度、事実を知ればくつがえることのない、つまらなさ。

 「大人って汚いな」と言えば、天神が笑う。自分でも子どもっぽいとは思ったが、がっかりしたのだから仕方がない。
 目の前に座る藤枝が、貼り付けたような笑みを浮かべているものの、からかう様子がないことは幸いだった。

「さて、これで僕たちの好奇心は満たされた。本題に入る前に、ティーブレイクといこうじゃないか!」

 意気揚々と天神は、メニュー表を広げてみせる。先日と代わり映えのない、ラインナップ。それも当然だろう。
 それよりも入店して十分も経っていない、これまでの会話自体がティーブレイクと言っても過言ではないというのに、彼は何を言っているのか。
 飲み物だって、ほとんど手を付けていない。それでも、天神には思惑おもわくがあるのだろうと、俺は異議を飲み込んだ。

「僕のオススメは、『林檎りんごと紅茶のパウンドケーキ』だね。二人とも、それで良いかな?」

 えっ? と思った俺に、天神は小さくウィンクをする。黙っていろということなのだろう。藤枝が、りんごを食べないことを忘れているわけではないのは、その素振りからすぐに察することが出来た。
 案の定、藤枝は断ってくる。

「私には、バニラアイスをお願い出来ますでしょうか?」
「おや、貴女はりんごが好きだと聞いていたけれども、違ったのかな?」
「たしかに以前は、好んで食べていたのですが、」
「今は違うと?」
「はい」

 うつむきがちに、弱々しい微笑みを浮かべる藤枝。
 天神は、にこりと笑った。

「それは、愛犬のルティーがりんごを詰まらせたから、かな?」

 藤枝がバッと勢いよく顔を上げる。青ざめているのに、頬は紅潮していた。
 見ているこちらが苦しくなるような、怒りと悲しみと、何かが混ざった表情。
 だが、薄らと三日月を乗せた天神の口は、止まらない。

「単刀直入に聞こう、藤枝穂乃香くん。貴女が『狐の窓』で見たかったのは、ルティーだね?」
「どうして、それを……」

 ぱっちりと見開かれた目には、三本指を立てる天神が映り込んでいる。

「糸口は三つ。
 一つ目は、シミュラクラ現象に対する反応。普通の人は恐怖心を抱くという現象だというのに、貴女にはそれが全くと言って良いほどなかった。
 二つ目は、鉄砲穴。シミュラクラ現象を引き起こした、シラカシに出来た鉄砲穴の場所は、地面から約三十センチメートルにあった。この位置にあって、不思議ではないもの。人間であれば、腹ばいになった状態だろう。しかし、そんなものを見れば恐怖を覚えるのが普通だ。
 では、恐怖を感じにくいものは何か。たとえば、犬やたぬきなどの動物を見たのだと考えると納得がいく。
 三つ目は、『狐の窓』は魔の物、この世のものではないものを見る方法。つまり、生きていないものだね。わざわざそれで、見るものは何か。
 そうやって紐解いていけば、貴女が見たかったものは、天にかえったと耳にした愛犬、ルティーに辿り着いたというわけさ」

 藤枝の視線が下がり、彼女は静かに肯定した。テーブルに組んだ両手を置いた天神は、定規のように真っ直ぐに背筋を伸ばす。

「結論から言おう。貴女はたしかに、呪いを掛けられている。しかも、二つもね」
「二つ?」

 わずかに嬉しそうな顔をした彼女は、すぐに眉をひそめた。

「さて、藤枝穂乃香くん。貴女は、その呪いを解きたいかな?」
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