7 / 9
二品目 夏野菜と鰻のジュレ
後編
しおりを挟む
女が最初に手を付けたのは、透明な筒に入ったジュレだった。
透明な琥珀色と薄卵色。琥珀の空には緑の星と色とりどりの雲。半分だけ茶色い鰻が天女の衣のように、たなびいている。
まるで夕暮れの砂漠みたいと思いながら、玲奈はスプーンを刺した。
弾力はさほど無く、スッと切れ目が入る。
具材が多いせいか、取り出したスプーンの上は小さな連峰のようだった。
玲奈の小さな口に、スルリと飲み込まれていく、ジュレ。
彼女の頬が動き、喉が鳴る。思わず持ち上がる口角。
「やばい……めっちゃ美味い。見た目と違って、全然しょっぱくない。えー、なんだろ、あっさりしてるのに、コクがあるって言うか。オクラのシャキシャキ感が楽しい! てか、パプリカとコーン、甘っ。ズッキーニも苦くないし、え、もう、全然いける!」
女が感動する横で、男は無言で食べ続ける。
彼のジュレはもう、三分の一程しか残っていなかった。
「鰻、甘―い! え、なんでこんなに甘いの? タレ? てか、雲でも食べたかなって思うほど、柔らかいんだけど。この鰻で米食べたい! 食べれないけど! あ、ねぇねぇ、その下のやつ、なんだった?」
赤井は手元にある筒を覗き込む。無言。「ちょっと待って」というと、残りを口に放り込んだ。咀嚼をしたのかと不安になるほど、男の喉が素早く鳴る。
「……なんか、しょっぱいプリン?」
「は?」
玲奈の目が点になった。
「え、プリン?」
「いや、プリンじゃないけど……」
二人揃って首を傾げる。
これは、自分で食べてみるしかない。
そう判断した彼女は、スプーンを筒に深く刺し、丁寧に掬い上げてみた。
ジュレよりも柔らかそうで、頼りない小山。
唇をつければ、溶けるように口内へ消えた。
「茶碗蒸しじゃん。なによ、しょっぱいプリンって」
脱力する玲奈。
赤井は不思議そうに、「でも、プリンっぽいだろ?」と呟く。
「もおー、あり得ないんだけど。プリンは、茶碗蒸しとは別物……。あれ、でもどっちも卵で蒸してるから、ある意味似てる?」
「実質プリン」
「違うっつーの! あ、ちょっと、それは半分だからね! パックの蓋に、アタシの分もついで!」
玲奈の視線は、赤井が抱え込んだリゾットに注がれている。
「これ、米だから……」
「お米だから?」
「ツワリ……」
なぞなぞでも出されているのかと思うほどに、足りない言葉。けれども、そこは彼の妻。玲奈には、夫の言いたいことが理解出来たようだった。
「お米の匂いで、あたしが吐きそうにしてたから、心配してくれたの?」
「……あー、うん」
微妙に、曖昧な返答。どうやら違うらしい。
「……もしかして、お米だから、自分が全部食べて良いと思った?」
男の肩がビクリと跳ねる。こちらが、正解だったらしい。
「ダメに決まってんじゃん! アタシにも、食わせろー!」
食器を置いて、両手をブンブンと上下に振る玲奈。
妻が暴動を起こすと恐ろしい。それを身に染みて知っている赤井は、慌てて蓋に四分の一ほどついで渡した。
満足そうに受け取った彼女は、スプーンと箸の前で睨めっこ。
「箸で食べるべき? いや、スプーン? スプーンで、いっか」
一人呟く玲奈。
新雪が降り積もったように少しでこぼこする丘に、銀を埋める。スプーンを持ち上げてみれば、細い糸となったチーズが伸びた。パクッと一口。
「んー、濃厚……! 冷たいからかな、すごい食べやすい。見た目ほどくどくないし、チーズっぽくないのが良い! 結構噛み応えあるから、満足感も高め。こしょうとか掛けて、味変するのもありかも。そう思わん?」
と、横を見れば、男はパックごと、スプーンで口にかっ込んでいた。
「ウソでしょー?!」
「美味い」
「いや、美味いけどさぁ!」
「……足りない」
それが、暗に南蛮を出せと言っているのだと、玲奈は気が付いた。が、敢えて無言の要求を無視する。
「卵焼きも美味しそうだよねぇ。そうそう、お米炊いてあるから、納豆と食べたら最高だと思うなー!」
不満そうな顔をする男。
対するは、こんなに美味しい惣菜を一晩で食べ尽くしたくない、女。
絶対に譲れない戦いが、そこにはあった。が、勝ったのは玲奈だった。
「卵焼きとお米に、納豆だよ? 南蛮は、ちょぉっと合わないと思うなー? ちなみに、お米はめっちゃ炊いたから、大盛りし放題! そうそう、健太の好きなふりかけも買ってきたんだよね。欲しくない?」
言葉巧みな誘導。かどうかは、さておき。男には、有効だったらしい。
男は腰を上げて、食器棚から茶碗を取る。
その隙に、女は卵焼きを三分の一ほど切り分け、リゾットを入れた蓋の横に置いた。
「弾力、やばっ。厚み、えぐっ。見て、健太。やばくない?」
箸の間に挟まれた三センチメートルはありそうな、卵焼き。黄色に白い筋が流れるように入っている。それを、黒い箸がプニプニと押した。
「玲奈のよりも、厚い」
「わかる! さすが、プロだよねー」
渦を巻く黄色は。小さな口へと消えていく。「んー!」と言って、幸せそうに噛みしめる玲奈。彼女の右手が頬を包む。
「ダシが利いてる! じわじわくる。やばい、じわじわ味が出てくるんだけど! うわ、後味に甘みが残るとか。もう芸術じゃん!」
「今日、良く食べるな?」
「だって、久しぶりに、こんなに美味いの食べれたんだもん! ああ、もう幸せ。ありがとう、健太。佐藤さんも、ありがとうございます!」
律儀に礼を言いながら食べる妻に、赤井の頬も緩む。
「あー、美味しかった。ご馳走様!」
箸を置き、手を合わせた彼女は腰を上げた。
「もう、良いのか?」
「うん! 早くシャワーを浴びて、吐く前に寝たい」
「お、おう」
「あ、ふりかけは、いつものとこにあるから、よろしく!」
ささっと風呂場へと消える妻。
呆気に取られるように見送り、茶碗大盛りの白米にふりかけをかけて食べていた男だったが、思い出したように「あっ、梨」と声を溢した。
シャワーの水音が響いている。赤井の声は、もう聞こえないだろう。
「梨、剥いてみるか」
バナナとミカン意外の果物を彼が剥いたことはない。だが、惣菜屋の店員から、ピーラーでも問題ないと教わった男は、試してみたいと思っていた。
夫の頭の中に浮かぶのは、嬉しそうな妻の顔。
彼は急いで残りを食べ終えると、ゆっくりと箸を置いて席を立った。
<二品目『夏野菜と鰻のジュレ』 了>
透明な琥珀色と薄卵色。琥珀の空には緑の星と色とりどりの雲。半分だけ茶色い鰻が天女の衣のように、たなびいている。
まるで夕暮れの砂漠みたいと思いながら、玲奈はスプーンを刺した。
弾力はさほど無く、スッと切れ目が入る。
具材が多いせいか、取り出したスプーンの上は小さな連峰のようだった。
玲奈の小さな口に、スルリと飲み込まれていく、ジュレ。
彼女の頬が動き、喉が鳴る。思わず持ち上がる口角。
「やばい……めっちゃ美味い。見た目と違って、全然しょっぱくない。えー、なんだろ、あっさりしてるのに、コクがあるって言うか。オクラのシャキシャキ感が楽しい! てか、パプリカとコーン、甘っ。ズッキーニも苦くないし、え、もう、全然いける!」
女が感動する横で、男は無言で食べ続ける。
彼のジュレはもう、三分の一程しか残っていなかった。
「鰻、甘―い! え、なんでこんなに甘いの? タレ? てか、雲でも食べたかなって思うほど、柔らかいんだけど。この鰻で米食べたい! 食べれないけど! あ、ねぇねぇ、その下のやつ、なんだった?」
赤井は手元にある筒を覗き込む。無言。「ちょっと待って」というと、残りを口に放り込んだ。咀嚼をしたのかと不安になるほど、男の喉が素早く鳴る。
「……なんか、しょっぱいプリン?」
「は?」
玲奈の目が点になった。
「え、プリン?」
「いや、プリンじゃないけど……」
二人揃って首を傾げる。
これは、自分で食べてみるしかない。
そう判断した彼女は、スプーンを筒に深く刺し、丁寧に掬い上げてみた。
ジュレよりも柔らかそうで、頼りない小山。
唇をつければ、溶けるように口内へ消えた。
「茶碗蒸しじゃん。なによ、しょっぱいプリンって」
脱力する玲奈。
赤井は不思議そうに、「でも、プリンっぽいだろ?」と呟く。
「もおー、あり得ないんだけど。プリンは、茶碗蒸しとは別物……。あれ、でもどっちも卵で蒸してるから、ある意味似てる?」
「実質プリン」
「違うっつーの! あ、ちょっと、それは半分だからね! パックの蓋に、アタシの分もついで!」
玲奈の視線は、赤井が抱え込んだリゾットに注がれている。
「これ、米だから……」
「お米だから?」
「ツワリ……」
なぞなぞでも出されているのかと思うほどに、足りない言葉。けれども、そこは彼の妻。玲奈には、夫の言いたいことが理解出来たようだった。
「お米の匂いで、あたしが吐きそうにしてたから、心配してくれたの?」
「……あー、うん」
微妙に、曖昧な返答。どうやら違うらしい。
「……もしかして、お米だから、自分が全部食べて良いと思った?」
男の肩がビクリと跳ねる。こちらが、正解だったらしい。
「ダメに決まってんじゃん! アタシにも、食わせろー!」
食器を置いて、両手をブンブンと上下に振る玲奈。
妻が暴動を起こすと恐ろしい。それを身に染みて知っている赤井は、慌てて蓋に四分の一ほどついで渡した。
満足そうに受け取った彼女は、スプーンと箸の前で睨めっこ。
「箸で食べるべき? いや、スプーン? スプーンで、いっか」
一人呟く玲奈。
新雪が降り積もったように少しでこぼこする丘に、銀を埋める。スプーンを持ち上げてみれば、細い糸となったチーズが伸びた。パクッと一口。
「んー、濃厚……! 冷たいからかな、すごい食べやすい。見た目ほどくどくないし、チーズっぽくないのが良い! 結構噛み応えあるから、満足感も高め。こしょうとか掛けて、味変するのもありかも。そう思わん?」
と、横を見れば、男はパックごと、スプーンで口にかっ込んでいた。
「ウソでしょー?!」
「美味い」
「いや、美味いけどさぁ!」
「……足りない」
それが、暗に南蛮を出せと言っているのだと、玲奈は気が付いた。が、敢えて無言の要求を無視する。
「卵焼きも美味しそうだよねぇ。そうそう、お米炊いてあるから、納豆と食べたら最高だと思うなー!」
不満そうな顔をする男。
対するは、こんなに美味しい惣菜を一晩で食べ尽くしたくない、女。
絶対に譲れない戦いが、そこにはあった。が、勝ったのは玲奈だった。
「卵焼きとお米に、納豆だよ? 南蛮は、ちょぉっと合わないと思うなー? ちなみに、お米はめっちゃ炊いたから、大盛りし放題! そうそう、健太の好きなふりかけも買ってきたんだよね。欲しくない?」
言葉巧みな誘導。かどうかは、さておき。男には、有効だったらしい。
男は腰を上げて、食器棚から茶碗を取る。
その隙に、女は卵焼きを三分の一ほど切り分け、リゾットを入れた蓋の横に置いた。
「弾力、やばっ。厚み、えぐっ。見て、健太。やばくない?」
箸の間に挟まれた三センチメートルはありそうな、卵焼き。黄色に白い筋が流れるように入っている。それを、黒い箸がプニプニと押した。
「玲奈のよりも、厚い」
「わかる! さすが、プロだよねー」
渦を巻く黄色は。小さな口へと消えていく。「んー!」と言って、幸せそうに噛みしめる玲奈。彼女の右手が頬を包む。
「ダシが利いてる! じわじわくる。やばい、じわじわ味が出てくるんだけど! うわ、後味に甘みが残るとか。もう芸術じゃん!」
「今日、良く食べるな?」
「だって、久しぶりに、こんなに美味いの食べれたんだもん! ああ、もう幸せ。ありがとう、健太。佐藤さんも、ありがとうございます!」
律儀に礼を言いながら食べる妻に、赤井の頬も緩む。
「あー、美味しかった。ご馳走様!」
箸を置き、手を合わせた彼女は腰を上げた。
「もう、良いのか?」
「うん! 早くシャワーを浴びて、吐く前に寝たい」
「お、おう」
「あ、ふりかけは、いつものとこにあるから、よろしく!」
ささっと風呂場へと消える妻。
呆気に取られるように見送り、茶碗大盛りの白米にふりかけをかけて食べていた男だったが、思い出したように「あっ、梨」と声を溢した。
シャワーの水音が響いている。赤井の声は、もう聞こえないだろう。
「梨、剥いてみるか」
バナナとミカン意外の果物を彼が剥いたことはない。だが、惣菜屋の店員から、ピーラーでも問題ないと教わった男は、試してみたいと思っていた。
夫の頭の中に浮かぶのは、嬉しそうな妻の顔。
彼は急いで残りを食べ終えると、ゆっくりと箸を置いて席を立った。
<二品目『夏野菜と鰻のジュレ』 了>
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【完結】ヘンパイマッチ
ぷりん川ぷり之介
大衆娯楽
高知県には、「返杯」という文化があります。一つの杯でお互いに酒を注ぎ合いながら飲むというものです。この小説は、「もしヘンパイマッチという返杯による戦いがあったら楽しいだろうな」と思い、書きました。原稿用紙10枚程度の読みものです。
女性画家と秘密のモデル
矢木羽研
大衆娯楽
女性画家と女性ヌードモデルによる連作です。真面目に絵を書く話で、百合要素はありません(登場人物は全員異性愛者です)。
全3話完結。物語自体は継続の余地があるので「第一部完」としておきます。
徹夜でレポート間に合わせて寝落ちしたら……
紫藤百零
大衆娯楽
トイレに間に合いませんでしたorz
徹夜で書き上げたレポートを提出し、そのまま眠りについた澪理。目覚めた時には尿意が限界ギリギリに。少しでも動けば漏らしてしまう大ピンチ!
望む場所はすぐ側なのになかなか辿り着けないジレンマ。
刻一刻と高まる尿意と戦う澪理の結末はいかに。
7回も浮気を繰り返す男!懲りない女好き夫が自慢げに語りだすので私ははらわた煮えくり返り・・・
白崎アイド
大衆娯楽
7回も浮気を繰り返した夫。
浮気も7回目になると、さすがに怒りではらわたが煮えくり返る私は、あることを考えつく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる