お人好し魔女に恋をした人喰い魔獣

杏西モジコ

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魔女と弟子

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 西の国にはある言い伝えがあった。それは「嵐の日に生まれた子どもは魔女である」という言い伝えだった。
 とある村で何百年も前、酷い嵐の日に娘が生まれた。その娘は素直な良い子に育ち、やがて自分の足で歩き、言葉を交わすようになるとその不思議な力が目覚めたという。動物と言葉を交わしたり、庭の箒に跨ったと思えば空を飛んだ。別の日は、森から持ち帰った薬草で不治の病の薬を作ったり、次の日の天気をぴたりと言い当てた。人の運勢も占ったりと、とにかく普通ではできないようなことをやってのけるという。不思議な力を使うそんな娘は家族からも、また村中、そして国中からも大層可愛がられた。その娘の噂はたちまち他の国へも広まった。勿論、皆が恐れる魔王の耳にも伝わった。
「そんな不思議な力を使える娘は、魔王の妃に相応しい。娘を寄越せ、さもなくばその国ごと全て焼き払ってやる」
 魔王の言葉に恐れを成した国王と村人は、娘を家族から引き離し、魔王の元へと差し出した。魔王は大層喜んで、娘を連れ帰った。しかし、無理矢理連れ帰られた娘は酷く落ち込み、塞ぎ込んでしまった。このままでは自分のために力を使わずして死んでしまうと思った魔王は、娘に言った。
「お前はあの国に捨てられた。助けられた恩など奴らは微塵も感じていない。明日の我が身が一番可愛いのだ」
「なら、一体私はどうしたら良いんです?」
 すると魔王は言った。
「あの国一つ呪ってしまえ。そうすれば、何もかもなくなり、お前の気持ちも晴れるだろう」
 それならばと、娘は魔王の言う通り、その国を自分の力で呪ってしまった。娘の呪いは強力で、その国には疫病が流行り、たちまちたくさんの人が倒れ、命を落としたという…………。
 娘の気持ちは晴れたのか、そんなことはその娘しか知ることはない。ただ、その言い伝えが事実であり、西の国のとある村で何百年も前に起きた大きな出来事だった。

 
「来たわ、あの子……」
 村の婦人が顔を顰めた。その視線の先に居たのは一人の少女。年齢は十五、六といったところで、背丈は年頃相応に伸びていた。黒いガウンから見える細い腕に、古くて傷んだバスケットを下げている。体型は華奢なのは一目瞭然だったが、フードを目深に被ったその表情ははっきりと窺えない。
「ほら、目を合わせちゃダメよ」
 別の婦人は足に引っ付いた子どもを自分の背後に追いやると、威嚇するように少女を睨みつける。彼女達だけではない。その村を歩けば少女に優しく声をかける者は誰もいなかった。
 野次や暴言が飛び交う中、少女は露店商の並ぶ村の中心へと進んで行く。その間もフードは一度も下ろすことは無かった。
「魔王の隠し子め、何しに来た」
 少女を見るなり店主は煙たい顔をし、眉を寄せた。少女は店主に構わず、黙ったまま屋台に並んだ商品を数種類指差した。買った物は小麦粉や砂糖、それから果物を少し。
「魔女のくせに人間と同じ物を食べるのか。腹立たしい」
 店主は乱暴な手つきで紙袋に商品を入れると、少女から代金を引ったくるように受け取った。その拍子に少女は紙袋を腕から落とし、果物を地面に落としてしまった。少女は慌てて果物を拾い、表面についた土を払う。クスクスと小さく笑う声がし、指先の動きが一瞬止まった。下唇を噛み、小さな顎が震える。再び野次や暴言が彼女の頭上を飛び交った。少女はフードを抑えて、落ちた果物をそそくさと拾い上げると、紙袋とバスケットを抱き抱えながら一目散に村から出て行った。
 こんなところ……! 
 悔しさに鼻の奥がつうんと痛む。紛らわせるために力を入れて啜ると、冷たい風が勢いよく入り込み、別の痛みが込み上げた。足を止めることなく村を走り抜け、小さな獣道から村外れの森の中へと入り込む。暫く進んで走る足をだんだんと緩めると、少女は被っていたフードを脱いだ。竜胆色の頭が顔を出し、少女は手櫛で二の腕まで伸びた髪を乱暴に直す。しかし、くるんと跳ねた癖っ毛はすんなり直ってくれる様子はない。はちみつ色の瞳を細め、そばかすのある鼻を小さくフン、と鳴らすと少女はゆっくりと歩き出した。慣れた足取りで森を進む。空はもう夕陽が沈み、オレンジ色に染まり始めていた。
「もうこんな時間だわ……」
 少女は空を見上げて溜息を吐いた。本来ならもっと陽の高いうちに買い物に出掛けて、今頃は夕食の準備をしたいのだが、そうはいかない。森の中にある少女の家から村までは結構距離もあったし、更に言えばあの有様である。人の出入りの減る時間に行く方が幾分かマシだと踏んで、敢えてこの時間帯なのだ。少女はもう一度溜息を吐くと、足早に森の奥へと進んでいった。

「ただいま」
 森の奥深く、人里離れたところに彼女の家はあった。木製のこぢんまりとした赤い屋根の家で、煉瓦で作られた煙突からもくもくと煙が暗くなった空へと向かって昇っていく。ドアを開けると、部屋の暖かい空気が少女の身体をじわりと温めた。
「おかえり、ビスカ。遅かったね」
 出迎えたのは喋る黒猫だった。黄色のスカーフを首に巻き、金色の瞳を嬉しそうに細め、少女の名前を呼んだ。
「ごめんなさい、ランプ。買う物が多くていつもより時間がかかっちゃったの」
 ビスカはバスケットと紙袋をテーブルに置きながら答えた。ランプは椅子の上にピョンと飛び乗ると、前足をテーブルにつけて首を振る。
「良いの良いの。どうせあの村はイジワルな人間しかいないもんね」
 ランプはくんくんと鼻を揺らし、バスケットの中へと顔を寄せる。中には二本の瓶が横たわっており、ランプの様子を見たビスカは小さく笑った。
「鼻がきく猫だこと」
 そう言ってビスカは一本の瓶を取り出した。ラベルにアルファベットで大きくミルクと書かれたその瓶にランプの視線は釘付けだ。
「晩御飯にしましょうか」
「そうだね。ボクもうお腹ぺこぺこなんだ。パンならさっき焼き終えたところだよ。胡桃の殻割りが大変だったんだから!」
「ふふふ。ありがとう」
 ランプの小さな黒い手が所々白くなっているのが見えて、思わずビスカの頬が緩む。ついさっきまで浴びせられた野次や暴言を、ほんの一瞬忘れられた気がした。

 その日の夜だった。食事を終えたビスカとランプが寝室のベッドに潜り込んだほんの数秒後。外で大きな爆発音が響いたのだ。そしてその数秒後に、爆風が森の奥へと駆け抜けて、ビスカの部屋の窓を勢いよく揺らした。あまりの音の大きさにランプは耳をペシャンと垂れさせ、布団の中に逃げ込んだ。
「何かしら……」
 ビスカは窓を開け、外を見る。深い森に住んでいるため、音の方向は分かっても様子は分からない。爆風を受けた名残で、森の木々が揺れ、葉の擦れる音が不気味にこだました。
「ビスカ、なんだか焦げ臭いよ。ううん、それだけじゃない……嫌な魔法の匂いがする」
 ランプは布団から小さな鼻を出し、ひくひくと動かした。嫌な魔法と聞いて、ビスカは眉を寄せた。
「……ランプ、様子を見に行きましょう」
「ええっ、本気?」
 ランプは布団から頭を出し、金色の大きな目を見開いた。ビスカは頷き、クローゼットからローブを取り出すと、部屋の明かりを消した。玄関のドアを開け、そばに立てかけていた箒を手に取った。
「さぁ、ランプも」
 暗がりで不安げに彼女を見つめるランプに声をかける。 
「仕方ないなぁ……」
 やれやれと、小さく溜息を吐いたランプは、ビスカの腕に飛び乗って、自身の姿をランタンへと変えた。家のドアを閉め、ビスカはランタンを箒の柄に引っ掛ける。
「良い子ね」
「ベリージャムのパンケーキが食べたいな」
「ふふふ。分かった、明日作るから」
 ビスカは箒に跨がると、地面を蹴り上げ宙に浮く。こうして一人と一匹は深い森の夜空に消えていった。




 空腹で今にも死にそうだ……。
 魔獣がそう思ったのはもう何百年振りだろうか。暗くて寒いじめっとした洞窟で小さく唸った声は、岩壁に反響して禍々しく響いた。青黒い鱗に包まれた大きな身体に、二本の太い角とギョロリとした緑の目。大きな口に鋭い牙と鋭い爪。そして太くて長い尻尾。魔獣は所謂ドラゴンだったが、ドラゴンはドラゴンでも、陸で生まれた彼に飛行能力はない。その代わり、走る足は速い。更に他のドラゴンと同様火を吹くことも可能だ。そして水の中でも泳ぐことができ、動物や人に化けることも出来る。ドラゴンの中でも極めて珍しい陸ドラゴンだった。
 最近(人間的に言えば何十年も前のことだが)、森を抜ける道が整備されたというのを小鬼達から聞いた。おかげでこの洞窟を抜け、隣の国へ行く者は減り、魔獣達の獲物となる人間の往来はほぼゼロになったのだ。そうなると、ここに暮らす魔獣達は洞窟から出て狩りをしなければならない。特に人間を好んで食べる種族はそれが一番困難だった。
 魔獣もそれに悩んでいた。人里を襲うことは容易いが、リスクしかない。最近の人間は知恵をつけ、色んな武器を作り魔獣へ対抗するようになった。空腹に負け、たった一頭で村を襲った同胞が人間の知恵に負けた時、皮や鱗に角や爪、牙に瞳を綺麗に切り取られ様々な素材として使われたらしい。空腹で本来の力も使えなければ、その同胞と同じ末路を辿るだろう。
 洞窟に足を踏み入れる人間さえいれば、奴らを騙してひと飲みにしてやるのに……。
 大きな腹の音が再び鳴る。さっきよりも大きくて、自分でも嫌気がさした。これでは人間が洞窟に迷い込んでも勝てる気がしない。魔獣は渋々立ち上がった。
 仕方ない、何か別の物で腹を満たそう。冬の今なら森で冬眠したクマ一頭ぐらい見つけられるはずだ……。
 魔獣は残りの魔力を使い、自分の姿を変えた。それは人間の子どもの姿だった。歳は十、あるいはそこから二、三年は経ったと見える、まだ幼さが残る風貌だった。近くの森は村を一つ越えたところにあるため、仕方ない。こうやって人に姿を変え、旅の途中親から逸れて道に迷った健気な子どもを演じ、気の緩んだ人間を騙して生きていたのだ。
 運が良ければ、通りすがりに人間の一人ぐらい……攫う事は可能だろう。
 小さな少年は不敵に笑い、舌舐めずりをした。


 村についた少年、いや、魔獣は目を見張った。村は既に誰かの手によって火が放たれた後だったのだ。あたりは火の海、そして人間は慌てふためき逃げていく。村の中心に建っていた教会も炎にすっぽり覆われていた。
「魔王だ!魔王がきた!」
 通りすがりの人間達は口々にそう言い、とにかくと村の外へ逃げていく。魔獣は空を見上げた。黒煙と真っ赤に燃える炎の隙間に、飛行ドラゴンの姿を確認した。深い紫色の鱗がギラリと光った。ギョロギョロとした赤い目が上空から逃げる人々を見下げている。確かにあれは魔王に仕えるドラゴンだ。邪悪な闇の魔法を使う者に忠誠を誓う、ドラゴンの種族の中でも一番厄介な奴らだった。
 しかし、なぜこんな小さな村に魔王様が……?
 逃げ遅れた者の泣き叫ぶ声を背に、魔獣は空を見上げて首を傾げた。魔王が襲うにはこの村は小さすぎるのではないだろうか。人間と魔王の間に起きたことなど、自分には関係のない話だがどうも気になってしまう。
「君、ここにいては焼け死ぬぞ!」
 業火の中、佇んで空を見上げる魔獣に人間が声をかけた。
「僕、母さんと逸れて……!」
 振り返った魔獣はふにゃりと頬を緩め、少年の目から涙をこぼした。
「君の母さんもきっと無事だ!さぁ、急いで村から出よう」
 男は魔獣の腕を引くと走り出す。しかし、彼の行く方全てが瓦礫に塞がれ、村の外へと出れる様子は微塵もない。悔しさに魔獣の腕を握る力が強くなるが、こんなもの魔獣にとってはなんてことない。そのまま振り切れば彼を置いて一人村の外に出ることだって可能だ。だが、魔獣はこれはしめたと流れに身を任せる。
 クマよりも良い獲物がすっぽり手の中だ……!疲れ果てたところをがぶりといただいてしまえ……!
 魔獣の口の中で唾液が溢れた。
 さっさと諦めて、生にしがみつくのをやめてしまえ。目の前の少年はお前を恨むどころか、そんなお前のおかげで生き延びられるんだ。最期に人助けが出来て本望だろう!
 その時だった。
 ドン、という凄まじく強い爆発音が響いて目の前の瓦礫が強い熱風と共に辺り一面に吹っ飛んだ。
「うわぁっ!」
 男は咄嗟に魔獣の手を離し、熱風に攫われると、そのまま業火の中に飲まれてしまった。魔獣も同じく別方向に吹き飛ばされ、燃え盛る炎の中心地に身体を思いきり叩きつけられた。
「うっ……、あっ……」
 痛みで視界が霞む。炎が轟々と燃え上がり、どんどん迫ってきた。頭がぼうっとし、視界がどんどん狭まっていく。人間の身体のまま不意に叩きつけられたせいで背中から全身が痺れ、まともに動けない。
 最悪だ……。先に天へ行った同胞に顔向けも出来ないじゃないか……。こんな死に方、陸ドラゴンの名が廃る……。あぁ、でも……もうだめだ…………。
 熱風が再び魔獣を纏う。自分はここで間抜けにも焼け死ぬのか、と死を覚悟した。その時、ぼやりと霞む視界の奥で黒い何かが揺らめた。同時に声が聞こえた気がするが、魔獣にはもうそんな力は残っておらず、そのまま意識を手放した。





「あーあ。そんなもの拾ってどうするのさ。ボクのご飯が減ったらどうするの」
「大丈夫よ。きっと良い子だもの、仲良くできるわ」
「イジワルな村の人間が良い子なわけないよ」
「あら、ランプまでイジワルね」
「ビスカなんて分からずやじゃないか」
「少し様子を見ていてくれる?私、お鍋を見てこなきゃ」
 頭上で誰かと誰かの声がした。柔らかい優しい声と、幼さの残る不安げな声。優しい声の主はどこかへ離れ、不安げな声の主が「早く見て戻ってきて」と、呟いたのが聞こえた。それと同時に自分と同じ魔法の匂いと焼きたてのパンの匂いが鼻腔をくすぐり、なんだかむず痒い。
「う…………」
 瞼を開こうとすると、頭に鈍痛が響き顔を顰めた。身体はまだ痺れて思うように動かない。どうにか瞼をゆっくり開くと、視界に光りが入り込み、眩しさで目を細めた。
「こ、……ここは……?」
「ビスカ、子どもが目を開けたよ」
 すぐそばで何かが跳ね、ベッドが揺れる。
 子ども……?そうだ、姿を変えたまま気絶したんだ。
 魔獣は額を抑えながら起き上がろうとしたが、右腕に何かがぴたりとくっついていて、上手く身体を起こせない。よく見ると首から白い布を引っ掛けられ、右腕が固定されていた。数回起き上がるのを試みたが、力が入らないこの身体ではだめだった。諦めてもう一度寝転ぶと、腹の上が急にズンと重くなる。
「そんなに乱暴に動くと治るものも治らないよ」
 自分の腹の方で声がした。金色の瞳をした黒猫が魔獣の顔を覗き込みながら喋ったのだ。
「気分はどうかしら?」
 魔獣は顔を上げた。見知らぬ少女がにこりと笑って立っていた。少女は手に持っていたトレーをベッドのサイドテーブルに置くと、魔獣の顔を覗き込む。さっき鼻をくすぐった魔法とパン、そして甘いミルクの香りが強まった。
「ランプの言う通り、無理に動いちゃダメ。骨折は安静にしないと良くならないのよ」   
 骨折と聞いて腑に落ちる。身体中の痛みの中で右腕が一番痛み、力が上手く入らなかったのだ。固定されているのはそのせいだと分かり、内心ホッとする。だが、こんな怪我は魔力さえ復活すれば再生可能だ。
 少女は熱はないかと言いながら、魔獣の額に手を当てる。魔獣の顔に少女のピンクの頬が近付き、思わず胸がぐんと弾み、甘い香りが鼻を覆う。
 ……これは、なんて美味しそうな娘だ。
 ゴクリと生唾を飲み、魔獣は誤魔化すために口を一文字に結ぶ。すると、何かを勘違いをした少女がまたにこりと微笑んだ。
「お腹、空いてない?食べられる物を持ってきたのだけど、食べる元気はあるかしら?」
 死ぬほど空いている、とはとても答えられないが、魔獣はゆっくり頷いた。
「あの……」
 すると、返事をするよりも早く魔獣の腹がぐうとなった。あまりの大きな音に、少女と黒猫は目を丸くしたがすぐにくすりと笑って見せる。少女は魔獣の背中を支えて抱き起こすと持って来たトレーを魔獣の膝の上に置いた。
「さぁ、暖かいうちにどうぞ」
 少女はにこりと微笑み、サイドチェアーに腰掛ける。その膝上に黒猫がぴょんと飛び乗った。
「このパン、ボクが捏ねたんだ。胡桃をたくさん入れたから甘くてコリコリするんだよ」
 黒猫は小さな手でパンを指す。しかし、魔獣が反応したのは彼女の持ってきたホットミルクでも、黒猫が焼いたパンでもない。目の前の彼女なのだ。だがそんなことはまだ言い出せない。魔力の香りがするこの少女のことだ、何かあれば呪文を唱えて魔獣を石にしてしまうことだって可能だろう。
 しかし、考えていることとは裏腹に魔獣の腹が再び鳴った。ホットミルクの甘い香いも、香ばしい焼きたてのパンも、空腹の人食い魔獣にはご馳走なのだ。
「……いただきます」
 魔獣は人間の作法に則ってそう言うと、マグカップを手に取った。ごくんと一口ミルクを飲めば、たちまち身体中がじんわりと温まった。カップを置いて、パンを一口齧れば、口いっぱいにその香ばしい香りが広がった。
 ……美味しい……。
 少女と黒猫が見つめる中、魔獣は久々の食べ物を黙々と味わった。



「ごちそうさまでした」
 魔獣は最後のカップのミルクを飲み干すと、少女にお礼を言った。たった少しの食事だったが、人間の子どもの身体では十分な量だった。だが、魔力の足しにはなるわけもなく、この右腕は治せそうにない。
「良いのよ、困った時はお互い様ですもの。それより、聞きたいのだけれど」
 少女はトレーを魔獣の膝から取り上げてサイドテーブルに置き直すと、座り直して魔獣に尋ねた。
「あの村に何が起きたの?」
「え……」
 魔獣は一瞬答えに迷った。着いた時には村はもう襲われていたのだ。こっちのセリフだと言わんばかりの質問に、魔獣は困惑する。きっと魔獣のことを彼女は村の子どもだと思っているのだろう。
 魔獣が答えあぐねていると、黒猫がくわっと大きな欠伸をした。
「もしかして、気絶した時に全部忘れちゃったんじゃない?」
 呑気な声が沈黙を破る。
「えぇっ、そうなの?」
 心配そうに少女が魔獣の顔を覗き込んだ。
 これは良いパスをくれたじゃないか!
 魔獣はしめたとばかりにゆっくりと頷いた。
「ごめんなさい……。その、何も覚えていなくて……」
 魔獣は猫撫で声で答えた。少女はかける言葉が見つからないのか、悲しそうな顔をする。
「かわいそうに……。さぞ怖かったでしょう」
「……それも、あまり覚えていません……」
 魔獣はまたぼそりと嘘をつく。記憶の中では、はっきりと宙を舞うドラゴンが火を吹いていた。
 すると、少女がふぅと静かに息を吐いた。
「こんな時にこんな酷なことは言いたくないのだけれど、私が様子を見に行った時には殆ど焼け野原だったの。あなた以外、息をしている人はいなかった……。逃げ切れた人がいるのかは、ちょっと分からないけれど、あの様子じゃ……」
 少女が残念そうに肩を落とした。それはそうだろう、何せあの火を放ったのはあの魔王なのだ。村民を残さず消すのは造作もないだろう。
 まぁ、イレギュラーを除いてはだが……。しかし、何故あの村だったのだろう。襲うなら他にもっと栄えた町があるはずだ。あんな何もない村にわざわざ魔王がやって来る意味は……。
 魔獣が黙って考え込んでいると、あまりのショックで言葉を失ったと勘違いした少女は、魔獣の左手をそっと握った。
「でも、安心して」
「え……?」
 魔獣は握られた手をまじまじと見る。ほわっとまた甘い香りがし、ゴクリと喉を鳴らした。
「行くところがないなら、好きなだけここに居て良いから……」
 更に左手を強く握られ、今度は頭も撫でられた。驚いて目を丸くしている魔獣をよそに、すぐ近くでは黒猫が騒ぎ出す。
「また勝手に決めた!ボクのご飯が減るって昨日も言ったじゃないかっ」
「ランプ、彼は行く場所もなくて困っているのよ」
「困ってるなんて一言も言ってないじゃないか!」
 そりゃ確かにそうだ、と魔獣は思ったが魔力も殆ど底を尽き、怪我までしているこの状態で洞窟まで戻るのはかなり厳しい。ここは少女に便乗するのが一番良い。それに、潮時が来たらこの娘もこの黒猫も食べてしまえば良いのだ。魔獣はそんな美味しい話はないと考えた。
「あの……」
 魔獣が口を開いた。黒猫がキッと鋭い目を向ける。
「ここに……置いてもらっても、良いでしょうか。お手伝いもちゃんとします、どうか……」
 おずおずと尋ねると、黒猫は口をへの字に曲げて少女の顔を見上げた。その表情から魔獣は何も読み取れなかったが、少女はくすりと笑って黒猫の頭をそっと撫でた。そして顔を上げ、魔獣の方を見ると優しく微笑んだ。
「えぇ。好きなだけ居てちょうだい」
「……よろしく、お願いします……」
 魔獣はぺこりと頭を下げる。すると少女は魔獣の頭を再び撫でた。
「よろしく。そしたら……まずは名前を教えなきゃ。私はビスカ。この森で暮らす魔女よ。そしてこっちはランプ。黒猫だけど私の弟子で魔法使いなの。それであなたは……」
 魔女に魔法使いの猫……通りで魔力の香りがするわけだ。
 魔獣は納得しながらビスカの問いに首を振る。そもそも魔獣は魔獣として生きてきた。区分される種類はあるものの、名前を付ける親もいなければ、自分で考えた名前もない。
覚えていない、という振りをしてビスカの顔を見ると、彼女は何を思ったのか「そうだわ」と両手をパチンと合わせて嬉しそうな声を出した。
「また変なこと思いついたんだ」
 ランプがジト目でビスカを見上げる。すると、ビスカはふふふ、と笑うと魔獣の手をもう一度握った。
「あなた、魔法に興味はあるかしら?
「へ?」
 突然の問いに魔獣はぽかんと口を開けた。
「私があなたに名前をあげます。その代わり、あなたは私の弟子になるの。どうかしら」
「どうかしらって……え、弟子?」
 困惑して魔獣は聞き返す。呆れ顔のランプは、自分はもう知らんと言わんばかりにベッドの上で丸くなった。
「えぇ、そう。魔女の弟子よ。魔女が名前を与えられるのは弟子だけなの」
 ビスカはにこりと笑って続けた。
「一緒に住むのだもの。呼び合う名前がある方がきっと双方幸せだわ。ねぇ、どうかしら。魔法はとても楽しいのよ。怖いものもあるけれど要は使い方次第なの」
 キラキラとした瞳が魔獣に向けられる。チラリとランプの方を見たが、助け舟は出さないと決めたようだ。これはもう、彼女に従ってしまった方が順当にことが進むのだろう。いつか食べると決めたご馳走を、そう易々と逃してはならない。魔獣は覚悟を決め、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました。ご指導、よろしくお願いします……お師匠様」
「まぁ!」
 余程お師匠様と呼ばれたのが嬉しかったのだろう、ビスカは寝ているランプを抱き上げると、両手腕を掴んで踊り出した。その笑顔に魔獣の胸がキュッと締め付けられ、内臓部にも怪我をしたのかと不安になった。
 こうして、魔獣は魔女の弟子となり彼女の家に住むことになったのだった。


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