王は月夜に優しく囁く

杏西モジコ

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王は月夜に優しく囁く3

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 数ヶ月が経つ頃にはウルも仕事にもフレンにも慣れてきて、出来ないことが減ってきた。唯一直らないというのが朝の低血圧で、フレンの声で起こされることが多かった。
 この間の様にベッドに連れ込まれることにも慣れ、今朝もウルはフレンのベッドで目を覚ました。
「医者にかかるか?貧血も度々起こしてるだろ。いや、そもそもちゃんとした食事を摂っているのかすら怪しいな」
 朝の湯浴み中、ウルがフレン頭を洗っているとウーンと唸りながらフレンが言った。
「大丈夫です。貧血なのは生まれつきですから。食事だって僕には十分すぎるくらいです」
「……そうは見えないが」
 フレンが振り向いたので、ウルの手が止まった。泡が舞い、シャボン玉がふわりと浮かぶ。フレンに腕をじっと見られてウルは苦笑いをした。
「十分に食べている奴らはこんなに細くないだろ」
「ですから、食も細いって言ってるんですよ。もともとそんなに食べれる家でもなかったですし、沢山食べないでも生きてきましたから」
「俺の側近がこんなに細いのはおかしいだろ。虐待とか思われたらどうする」
「そんな事実はないと僕が言い張りますよ。ほら、流しますから目を閉じてください」
 桶いっぱいのお湯をかぶせて泡を流すと、尽かさずタオルで髪を念入りに拭く。
「ウル、今夜は肉を食おう。お前のためになる」
「何言ってるんですか、今夜は隣国のお姫様にお会いなるため夕刻より出立と聞いておりますよ」
「行かんわそんなもの。姉上が無理矢理押し付けてきた話だ。俺には関係ない」
「僕に言われても困ります」
 ウルは黙々とフレンの髪を拭く。もう間も無く成人の誕生日を迎える国王はそろそろ身を固めろという他の大臣達に口煩く言われた末、是非にと声をかけてきた国の姫君と会う約束を取り付けられていたのだ。
「ならばこうしよう。セイルとの約束があるから行かない」
「兄は戦死したと聞いてますけど」
 溜息をつきながらウルが答えると、フレンがウルの腕を急に掴んだ。バスタオルがはらりと床に落ちる。
「俺が隣国の姫を迎え入れたらお前の面倒は誰が見るんだ。セイルは俺に遺言で弟を頼むと言ったんだぞ」
 強く握られた腕は少しばかり痛い。じっと見つめられて思わず目を逸らした。一介の国民であれば、国王にこんな目を向けられると卒倒してしまうのだろう。ウルも慣れるまでは卒倒しかけてはいたが、最近はこの攻撃も効かない。
「それに、部屋も無くなる」
 後ろで纏めたウルの長い毛先を空いた手で弄ぶ。フレンは何かを頼む時や甘える時は大抵ウルの髪を弄った。
「……そりゃ、僕が住むこと自体がおかしな部屋ですから。それに僕は貴方の面倒を見る側です」
「ウル、俺は」
 フレンが何か言いかけたが、ウルは思いっきりバスタオルをかぶせて彼の顔を拭いた。
「ほら、風邪をひいてしまいますよ」
「無礼者っ!」
「ではご自身で身体をお拭きください」
 タオルをそのままフレンに被せ、ウルは一礼すると浴室から出て行った。
「ウル、着替えがまだだぞっ!」
 扉を閉めると浴室から大きな声が聞こえる。浴室のすぐ横にある王族専用の食堂で朝食の準備をしていたマイヤがフレンの声が聞こえるたび、クスクスと笑っていた。
「ウル、早く行って差し上げなさいな。フレン様、濡れたまま出てくるわよ」
 それを聞いてまさか、と鼻で笑ったが、あの国王はやり兼ねないと思ったウルは大きな溜息をついて再び踵を返した。
 浴室に戻ると、案の定フレンは腰にタオルを巻くだけで仁王立ちで待っていた。
「遅い。呼んだら来るのがお前の仕事だろう!」
「……失礼しました」
 ウルは軽く一礼し、新しいタオルを持つと身体を拭きながら服を着せていった。
「なぁ、ウル。お前が良いなら俺はずっとお前に……ここに居てほしい。妃より俺はお前の方が欲しいと切に思うぞ」
 ピタリとウルの動きが止まった。フレンからそんな言葉を聞けるとは思ってもいなかったのだ。
 確かに特別扱いはされてきた。それは側近故の権利だと周りが言っていたこともあり、有り難く受け入れていた。だからといってこんなハッキリと言われる事が有って良いのだろうか。
「……命令とあればいくらでもお応えします」
 ウルは下を向いたままフレンの足を拭いた。小さなその手は若干震え、何時もよりも動きが鈍い。頭に手を乗せられ、髪を触られた。
 いつものフレンが甘える際に見せる表情とその仕草だった。
「命令ではない。ウル」
「……フレン様、今朝の朝食は美味しそうな香りのクロワッサンでしたよ」
「……そうか」
 今朝の浴室での会話は、フレンの相槌で終了してしまった。



[newpage]
「ウル、貴方ほんっとうに酷い人ね」
使用人の食堂で夕食を食べている時、ウルの目の前に座っていたライナは言った。彼女はフレンが王子の時からここで働く使用人だった。
「なんの…話ですか」
今朝の話は自分とフレンだけでのやり取りだったはず。他言はしていない。
「フレン様、馬車にお乗りの時もの凄い寂しそうな顔をしてらしたから」
ウルの横で苦笑いをしながらパンを口に運ぶマイヤ。
「そうよ。貴方が見送りにすら出ないって嘆いてらしたわ!」
掴みかかるような勢いでいうライナに圧倒されながらウルは首を横に振った。
「まさか」
「そのまさかだったんだから」
マイヤがそう言うとウルの顔はだんだんと青くなっていく。
「一体何があったのっ」
ライナの噛みつく様な言い方にたじろぎ、ウルは口の中に手に持っていたパンを詰め込んだ。
言えるわけがない。
あの傲慢で自信家のフレン国王が妃もお迎えする気もなく、それよりも自分を望んでくれているなんて。ましてや一緒のベッドで眠ることもあるなんて、口が裂けても言うことなどできる訳がない。
「私たちが何も知らないと思ってるの?」
一切答えようとしないライナは眉間に一層深いシワを寄せて言った。頬張った挙句喉に詰まらせかけたウルは、マイヤに背中をさすられて咽せてしまう。
「あはは…何もって、僕とフレン様は何も」
ウルは落ち着かせるために水を一口飲んだ。
「フレン様が仰ってたわ。ウルと眠る日はいつもより夢見が良いって」
「ごほっ」
鼻がつうんと痛む。飲んだ水がどこかおかしなところへ入ってしまい、ウルは再び盛大に咽せてしまった。
「ほら、観念なさい」
「観念って言われましても」
マイヤとライナ以外の使用人も集まってしまい、ウルはその場にいる全員から視線を投げられてしまった。
「いや、あの」
「ことによってはただ事じゃ済まないぞ」
「そうよ、大臣様達に知られたら大変なんだから」
「さっさと吐いた方が身のためだぞ」
口々にそんなことを言われ、ウルは言い返すことも出来なくなる。自分が下手をしたらフレンが国王としてなんだとか言われかねない。そう思って口を噤むが、周りは黙ることなく彼から何か聞き出そうと躍起になって言葉を投げかける。
どうしよう、どうしよう。でも否定した所でフレンが言っていた事ならば使用人はそれを信じると言うだろう。どうしようっ…。
ぱちん、とウルの眼前で何かが弾けた。
ウルは焦りすぎて、呼吸が上手くできなくなり、たった一瞬で目眩を起こしてしまい、そのままその場に倒れ込んでしまった。
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