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王は月夜に優しく囁く2
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「ダメね。やり直し」
マイヤはウルの淹れた紅茶を一口飲んで下げるように言った。
「この間も言ったけど、茶葉が多すぎるわ。きちんと計りなさい」
ウルはぺこぺこと頭を下げ、すみませんとひたすら謝り倒した。
先日から国王の側近給仕に任命されたウルは連日作法の勉強と給仕仕事に追われていた。仕事を一日中することに関しては苦ではないが、身体の弱いことを理由にフレン自ら他の給仕にもあまり激務はさせないように言い渡してくれた。しかし、そのせいなのか細々とした作業が多く舞い込んできて今にも根を上げてしまいそうだった。今までは近所のおばさんに頼んでやってもらっていた裁縫や、飲んだことの無い紅茶の淹れ方、洗濯後のアイロン……。苦手というよりも、やったことのない作業が多く手間取ってしまう。
「初めてやるのなら、きちんと覚えれば良いの。ただ貴方はこの国の王様を相手にしているってことを」
くどくどと毎日同じようなことを言われてうんざりだった。頭ではわかってはいるものの、身体や本心が生活に慣れるので精一杯だという現状があからさまに出てしまう。マイヤも初日の口調よりも厳しくなっているのは、フレン国王に失礼のないようと全力で指導に当たってくれているからだというのも理解していたが、ついて行くのが難しかった。
ウルは言われた通り下げようとティーカップを手に取ると、手を滑らせて床に落としてしまった。食器の割れる大きな音が部屋中に響いた。
「ご、ごごめんなさいっ!」
慌てて破片を拾い集めようとしゃがむこむと、マイヤがそれを制した。
「落ち着きなさい」
青ざめながらわたわたと狼狽るウルを見てマイヤは口を一度閉じ、小さなため息を漏らした。
「まぁ、今日はこんなものでしょう。フレン様も貴方のドジっぷりには飽きないとおっしゃってましたし」
「すみません……すぐに片付けます」
もう一度ぺこりと頭を下げる。悔しさでウルの目頭が熱くなった。
「ここは私がやるわ。そろそろお茶の時間だし、丁度いいからフレン様のお茶を用意して。いい、必ず茶葉は計るのよ」
頭を優しく撫でられ、ウルは情けない声で返事を返すと鼻を啜りながらその部屋を出て、紅茶と茶請けの焼き菓子を取りに部屋を出て行った。
真っ赤になった目を擦り、鼻を啜る。兄弟が戦死した知らせを知った以来泣くことも無かったが、自分の出来なさ具合に涙が溢れた。城内を足早に歩き、厨房へ向かう。もう城内の地図は頭に入れた。時々迷うが、最上階の自分の部屋にさえ戻れば時間をかけても一人で言われた部屋にたどり着くことは出来るようになっていた。
厨房でポットと茶葉の準備をし、トレーごとキッチンワゴンに乗せる。慌てるとまた食器を大破しかねないが、遅れて叱られるのはまた別だ。しかも相手は王様で、待たせるなんて失礼は言語道断である。ウルは神経を研ぎ踏ませ、早歩きで廊下を渡った。
途中、中庭を覗くとフレンが兵士や他の使用人と談笑をしているのが見えた。なんだ、今戻ったところで彼はいないのか。ほっとして立ち止まった。焦らなくてもあそこでまだ話をしているだろう、そう思ってゆっくり慎重に足を運ぶ。
「ウルっ!」
中庭の方から大きな声で名前を呼ばれた。その大きさに驚き、びくんと思わず背筋を伸ばす。ゆっくり視線を中庭に戻すと、兵士と使用人に囲まれたフレンがウルに向かって大きく手を振っていた。
慌ててウルは中庭に向かって一礼する。
「作法の稽古は終わったのか?」
大きな声で問われたが、城内で大声を出すのは忍びないため、ウルは両手で大きな丸を作ってこくこくと頷いた。
「そうか!なら俺も部屋に戻るとしよう」
フレンは周りに居た使用人たちに声をかけ始めた。
「えっ、そんなっ……良いのにっ」
ウルが慌ててワゴンに手をかけ直すのを中庭の使用人がくすくすと笑ってみていた。
「ウル、ゆっくりで良いぞ」
フレンもそれに気がついてあははと笑いながらそう言った。ゆっくりで良いと聞いてほっとしたウルは再びフレンに会釈をすると、大きな声で返事を返した。
ある眠れない夜のことだった。
ウルは寝る前に窓辺に座り、その長い髪を梳かしていた。フレンの言いつけでこの広くて地上よりも高い部屋を貰い、最初は落ち着くこともできなかったが、最近では月を見上げるこの時間が好きだった。
「ウル、入るぞ」
奥の部屋から寝巻き姿のフレンが入ってきた。寝室が真横なのも考えものである。窓辺に座っていたウルが立ち上がろうとするのを見て、フレンはそのままで良いと言った。
「眠れないのか」
「そういう訳では無いのですが。なんとなく眠れなくて」
そう言ってウルは窓の外へ視線を戻した。まん丸の満月が大きく見える。
「綺麗だな」
「はい」
「いや、月もそうだが……お前の髪だ」
フレンはウルの横に腰掛け、髪を掬った。サラサラと流れるように指に絡む長い髪は確かにウルの自慢だった。
「あ、ありがとう……ございます」
思わず赤面して下を向く。男がこんなことで喜ぶのはおかしいと思われてしまう。
「どうした」
「あ、いや、その……変ですよね…男で長い髪なんて。女の人でもないのに」
「……俺は別に変だとは思わない。綺麗なものを綺麗と言っただけだ」
フレンはふっと笑ってウルの持っていた櫛を貸せと言った。渋ったウルから半ば無理やり櫛を取り上げると、今度は後ろを向くように言った。
「あの、フレン様……一体何を」
「良いから、黙って月を眺めてろ」
フレンはそう言うと、ゆっくりと櫛を通してウルの髪を梳かし始めた。
「ちょ、何して」
「お前の兄は弟は綺麗な髪を持っていると言っていたぞ」
フレンから櫛を取り返そうとしたウルの動きが止まった。
「お前のことだから、褒められた髪を切らずにいたのだろう。この櫛もセイルから貰ったのか?」
髪を梳かしながら、フレンはウルの頭を撫でる。
「……なんですかそれ」
「国王は国民の考えることが手に取るようにわかるという話だ」
「……当てずっぽうです」
「素直なやつだな」
くすくすと二人の笑い声が静かな部屋に響く。
「それで、フレン様は寝られないのねですか?」
「そうだな、悪いが俺が寝るまで何か話をしてほしい」
「話って……」
フレンは櫛をウルの手に返すと、今度は細っこい彼を横抱きにした。
「えっ!」
「なんでも良い。退屈しのぎだ。百姓の話でも兄の話でも良い」
「だからって」
おろせと暴れるウルを抱えたまま、フレンは自分の寝室へと向かう。バタバタと足を揺らしてもがくが、戦場にも赴く国王である。力の差は歴然でどんなに暴れてもウルの抵抗をものともしない。
「眠くなったらそのまま寝ても良いぞ」
貧血で倒れたきり入ることのなかったフレンのベッドに下ろされる。
「なら自分のベッドで寝ますっ」
「良いから。ここにいろ」
押し倒されるように寝かされて、布団をかぶせられる。何を言っても無駄だと分かったウルは観念して、百姓話を話して聞かせた。特にその中でもフレンは兄セイルの話を聞きたがった。
「道具の配置まで煩いのかあいつは」
「えぇ。少しでも違うものなら次の日の朝まではくどくど言われました」
「まぁ、確かに几帳面ではあったな。セイルは野営の準備の際は何人も怒鳴っていた。国王でもある俺にもだ、テントの張りがおかしい、やり直せってな」
「フレン様にも……って、フレン様がテント張りを?」
ウルが驚いて起き上がると笑いながらフレンが「落ち着け」と言い、ウルに布団をかぶせた。
「同い年で俺を叱った唯一の奴だからな。むしろ気に入った」
フレンは嬉しそうに続けた。
「どんな状況でも前向きに考えられる奴だった。尊敬している」
「王様が尊敬……ですか」
「あぁ。お前も自慢の兄だろう。それにな、家族の写真を肌身離さず持ち歩いていた」
その写真はウルにも覚えのある写真だった。両親がまだ元気だった時に一度だけ撮った家族写真があったのだ。
「弟は髪が綺麗だと、この俺に自慢していたからな。俺の姉上は鬼より怖いと教えてやったわ」
「あははっ」
布団の中でウルが笑うと、フレンは横から腕を伸ばしその頭を優しく撫でた。
「そうやって楽しそうな顔をしていろ。セイルが心配する」
「……はい」
フレンの優しい囁きが心地よくて、ウルはその声を子守唄に眠りに落ちた。
マイヤはウルの淹れた紅茶を一口飲んで下げるように言った。
「この間も言ったけど、茶葉が多すぎるわ。きちんと計りなさい」
ウルはぺこぺこと頭を下げ、すみませんとひたすら謝り倒した。
先日から国王の側近給仕に任命されたウルは連日作法の勉強と給仕仕事に追われていた。仕事を一日中することに関しては苦ではないが、身体の弱いことを理由にフレン自ら他の給仕にもあまり激務はさせないように言い渡してくれた。しかし、そのせいなのか細々とした作業が多く舞い込んできて今にも根を上げてしまいそうだった。今までは近所のおばさんに頼んでやってもらっていた裁縫や、飲んだことの無い紅茶の淹れ方、洗濯後のアイロン……。苦手というよりも、やったことのない作業が多く手間取ってしまう。
「初めてやるのなら、きちんと覚えれば良いの。ただ貴方はこの国の王様を相手にしているってことを」
くどくどと毎日同じようなことを言われてうんざりだった。頭ではわかってはいるものの、身体や本心が生活に慣れるので精一杯だという現状があからさまに出てしまう。マイヤも初日の口調よりも厳しくなっているのは、フレン国王に失礼のないようと全力で指導に当たってくれているからだというのも理解していたが、ついて行くのが難しかった。
ウルは言われた通り下げようとティーカップを手に取ると、手を滑らせて床に落としてしまった。食器の割れる大きな音が部屋中に響いた。
「ご、ごごめんなさいっ!」
慌てて破片を拾い集めようとしゃがむこむと、マイヤがそれを制した。
「落ち着きなさい」
青ざめながらわたわたと狼狽るウルを見てマイヤは口を一度閉じ、小さなため息を漏らした。
「まぁ、今日はこんなものでしょう。フレン様も貴方のドジっぷりには飽きないとおっしゃってましたし」
「すみません……すぐに片付けます」
もう一度ぺこりと頭を下げる。悔しさでウルの目頭が熱くなった。
「ここは私がやるわ。そろそろお茶の時間だし、丁度いいからフレン様のお茶を用意して。いい、必ず茶葉は計るのよ」
頭を優しく撫でられ、ウルは情けない声で返事を返すと鼻を啜りながらその部屋を出て、紅茶と茶請けの焼き菓子を取りに部屋を出て行った。
真っ赤になった目を擦り、鼻を啜る。兄弟が戦死した知らせを知った以来泣くことも無かったが、自分の出来なさ具合に涙が溢れた。城内を足早に歩き、厨房へ向かう。もう城内の地図は頭に入れた。時々迷うが、最上階の自分の部屋にさえ戻れば時間をかけても一人で言われた部屋にたどり着くことは出来るようになっていた。
厨房でポットと茶葉の準備をし、トレーごとキッチンワゴンに乗せる。慌てるとまた食器を大破しかねないが、遅れて叱られるのはまた別だ。しかも相手は王様で、待たせるなんて失礼は言語道断である。ウルは神経を研ぎ踏ませ、早歩きで廊下を渡った。
途中、中庭を覗くとフレンが兵士や他の使用人と談笑をしているのが見えた。なんだ、今戻ったところで彼はいないのか。ほっとして立ち止まった。焦らなくてもあそこでまだ話をしているだろう、そう思ってゆっくり慎重に足を運ぶ。
「ウルっ!」
中庭の方から大きな声で名前を呼ばれた。その大きさに驚き、びくんと思わず背筋を伸ばす。ゆっくり視線を中庭に戻すと、兵士と使用人に囲まれたフレンがウルに向かって大きく手を振っていた。
慌ててウルは中庭に向かって一礼する。
「作法の稽古は終わったのか?」
大きな声で問われたが、城内で大声を出すのは忍びないため、ウルは両手で大きな丸を作ってこくこくと頷いた。
「そうか!なら俺も部屋に戻るとしよう」
フレンは周りに居た使用人たちに声をかけ始めた。
「えっ、そんなっ……良いのにっ」
ウルが慌ててワゴンに手をかけ直すのを中庭の使用人がくすくすと笑ってみていた。
「ウル、ゆっくりで良いぞ」
フレンもそれに気がついてあははと笑いながらそう言った。ゆっくりで良いと聞いてほっとしたウルは再びフレンに会釈をすると、大きな声で返事を返した。
ある眠れない夜のことだった。
ウルは寝る前に窓辺に座り、その長い髪を梳かしていた。フレンの言いつけでこの広くて地上よりも高い部屋を貰い、最初は落ち着くこともできなかったが、最近では月を見上げるこの時間が好きだった。
「ウル、入るぞ」
奥の部屋から寝巻き姿のフレンが入ってきた。寝室が真横なのも考えものである。窓辺に座っていたウルが立ち上がろうとするのを見て、フレンはそのままで良いと言った。
「眠れないのか」
「そういう訳では無いのですが。なんとなく眠れなくて」
そう言ってウルは窓の外へ視線を戻した。まん丸の満月が大きく見える。
「綺麗だな」
「はい」
「いや、月もそうだが……お前の髪だ」
フレンはウルの横に腰掛け、髪を掬った。サラサラと流れるように指に絡む長い髪は確かにウルの自慢だった。
「あ、ありがとう……ございます」
思わず赤面して下を向く。男がこんなことで喜ぶのはおかしいと思われてしまう。
「どうした」
「あ、いや、その……変ですよね…男で長い髪なんて。女の人でもないのに」
「……俺は別に変だとは思わない。綺麗なものを綺麗と言っただけだ」
フレンはふっと笑ってウルの持っていた櫛を貸せと言った。渋ったウルから半ば無理やり櫛を取り上げると、今度は後ろを向くように言った。
「あの、フレン様……一体何を」
「良いから、黙って月を眺めてろ」
フレンはそう言うと、ゆっくりと櫛を通してウルの髪を梳かし始めた。
「ちょ、何して」
「お前の兄は弟は綺麗な髪を持っていると言っていたぞ」
フレンから櫛を取り返そうとしたウルの動きが止まった。
「お前のことだから、褒められた髪を切らずにいたのだろう。この櫛もセイルから貰ったのか?」
髪を梳かしながら、フレンはウルの頭を撫でる。
「……なんですかそれ」
「国王は国民の考えることが手に取るようにわかるという話だ」
「……当てずっぽうです」
「素直なやつだな」
くすくすと二人の笑い声が静かな部屋に響く。
「それで、フレン様は寝られないのねですか?」
「そうだな、悪いが俺が寝るまで何か話をしてほしい」
「話って……」
フレンは櫛をウルの手に返すと、今度は細っこい彼を横抱きにした。
「えっ!」
「なんでも良い。退屈しのぎだ。百姓の話でも兄の話でも良い」
「だからって」
おろせと暴れるウルを抱えたまま、フレンは自分の寝室へと向かう。バタバタと足を揺らしてもがくが、戦場にも赴く国王である。力の差は歴然でどんなに暴れてもウルの抵抗をものともしない。
「眠くなったらそのまま寝ても良いぞ」
貧血で倒れたきり入ることのなかったフレンのベッドに下ろされる。
「なら自分のベッドで寝ますっ」
「良いから。ここにいろ」
押し倒されるように寝かされて、布団をかぶせられる。何を言っても無駄だと分かったウルは観念して、百姓話を話して聞かせた。特にその中でもフレンは兄セイルの話を聞きたがった。
「道具の配置まで煩いのかあいつは」
「えぇ。少しでも違うものなら次の日の朝まではくどくど言われました」
「まぁ、確かに几帳面ではあったな。セイルは野営の準備の際は何人も怒鳴っていた。国王でもある俺にもだ、テントの張りがおかしい、やり直せってな」
「フレン様にも……って、フレン様がテント張りを?」
ウルが驚いて起き上がると笑いながらフレンが「落ち着け」と言い、ウルに布団をかぶせた。
「同い年で俺を叱った唯一の奴だからな。むしろ気に入った」
フレンは嬉しそうに続けた。
「どんな状況でも前向きに考えられる奴だった。尊敬している」
「王様が尊敬……ですか」
「あぁ。お前も自慢の兄だろう。それにな、家族の写真を肌身離さず持ち歩いていた」
その写真はウルにも覚えのある写真だった。両親がまだ元気だった時に一度だけ撮った家族写真があったのだ。
「弟は髪が綺麗だと、この俺に自慢していたからな。俺の姉上は鬼より怖いと教えてやったわ」
「あははっ」
布団の中でウルが笑うと、フレンは横から腕を伸ばしその頭を優しく撫でた。
「そうやって楽しそうな顔をしていろ。セイルが心配する」
「……はい」
フレンの優しい囁きが心地よくて、ウルはその声を子守唄に眠りに落ちた。
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