魔封都市マツリダ

杏西モジコ

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かくれんぼの行方【後編】

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「見つけた」
「え~、ノアちゃん見つけるの早すぎだよ」
「隠れるのが下手なお前らが悪い」
「出た出た、そうやってノア兄ちゃんはいーっつもバカにする」
「へいへい、そうだな」
ったく……。
ノアは溜め息を吐いた。どう見ても、いや誰が見たって隠れ方に問題がある。先ほど文句を言った少年に関しては草むらに隠れたつもりだったようだが、被っている帽子が丸見えだった。
「あとはノイちゃん達だね」
「あぁ、そうだな」
ノアは公園をもう一度見渡す。
あそこにはいなかったし、砂場の方にもいなかった。あと探してない場所は……。
「あ、いたいた……ノアくん」
「ん、あぁ。どうも」
声をかけてきたのは村の住人、楓という人間の女性だった。彼女は身体の弱く、子どもを一人で見るのが難しいため、時折ノアがよく世話を焼いていた。今日は体調が幾分か良く、お散歩がてら外に出てみたと、彼女は言った。
「いつもうちの子達と遊んでくれてありがとう。そうそう、さっきここへ来る途中に、村長さんに会ったの」
体調が良いと言った彼女は咳を一つした。
「子ども達にお菓子を用意したからって」
「本当?やったぁ。みんな、お菓子だって!」
そばにいた子どもが騒ぎ、まだ見つかっていなかった子どももかくれんぼを放棄して集まってきた。砂利の擦れる音と草の揺れる音が八方から聞こえ、呆れるノアの溜息を掻き消した。
「お前らな……」
「ふふふ。村長さんのお家で準備しているみたいよ」
楓はまた咳をした。今度は一度ではなく数回連続だったが、そばにいた子どもの声で殆ど聞き取れないほど小さなものだった。
「よっしゃあ、早く行こうぜ!」
その掛け声を合図に、顔を出した子ども達が一斉に公園を飛び出した。
「こら、走んな。転ぶぞ」
後ろから声をかけるが、はしゃぐ子ども達の耳には届いていない。ノアは仕方なしに渋々と彼らの後ろを歩き出した。
「ったく、これだから食い気ばっかのクソガキは……ん?」
ノアは足を止めた。勢いよく公園を出て行った前方の集団にノイの姿がいない。よく見ると、いつもノイと遊んでいる子ども数人の姿もなかった。散り散りに色んな所から村長の家へ向かったとも、まだ隠れている可能性も考えられる。しかし、いくら公園を見渡しても隠れている子どもの気配がしない。
「……ノアくん、どうしたの?」
難しい顔をしながら公園を見つめるノアに、楓が声をかける。さっきより顔色が悪いように見えた。
「いや……。それより、体調悪いのか?」
楓は首を横に振った。だが、どう見たって顔色は優れているようには見えない。彼女はノアから顔を隠すように下を向いたが、手も震えているように見えた。
「本調子じゃねぇなら家にいれば良かったんじゃ……」
「私が、頼まれたからっ」
楓は下を向いたまま、地面に怒鳴るように答えた。勢いに任せて出した大声のせいで咽せ、大きく咳き込む。急に苦しそうな彼女を見たノアは、慌ててその背中を摩った。
「ったく、何を頼まれたっつーんだよ……」
「……ごめっ……ごめんな、さいっ」
咳き込みながら彼女は掠れる声でそう言った。謝られることなんて何もない。いつも優しくて、ノアやノイに晩ご飯のおかずを分けてくれたり、ノイが破いたズボンの膝にアップリケを付けてくれる。何をどうしてそう必死に謝られるのか、ノアが考えていた時だった。
「えっ……」
楓は咳き込みながらノアの襟首を掴むと、着ていた服のポケットからハンカチを取り出し、ノアの鼻を覆った。
「なっ……!」
つうんとした薬品の香りが鼻を通ると、膝からがくんと力が抜けた。急激に重たくなる瞼と、周囲の音がぼやけて遠くなる耳。最後にはっきりと聞こえたのは、泣きながらノアの顔にハンカチを押さえつけた、楓の「ごめんなさい」という弱々しい声だった。




「……ちゃん!」
「ノア……ちゃん!」
ぼやけたノアの耳に何かが聞こえる。聞き覚えがある声だった。必死になって、叫んでいる。だんだん覚醒してくると、その声がくぐもって、鼻を啜る音も一緒に聞こえた。
早く目を覚まさないと。
ノイが、泣いている……。
「…………ノイ」
「……っ!お兄ちゃんっ!」
カラカラに渇いた口から搾り出した声は、自分でも情けないほどに小さかった。しかし、妹はそれでも良いと、わんわん泣きながらノアの身体に抱きついた。ノイだけではなく、その場にいた子ども三人がノアに抱きついた。こんなに泣く妹達を見たのは赤ん坊の時以来だと思う。ノアはノイ達の頭を宥めるように撫でながら、ゆっくりと身体を起こした。
まだ焦点の合わないぼんやりとした視界のまま、固いコンクリートの床に目を落とすと、背中の痛みが更に増した。ゆっくりと顔を上げ、見覚えのない天井に眉を顰める。ライトが数カ所つけられ、角には監視カメラらしきものが設置されていた。
なんだ、ここは……。気色悪ぃ……。
ノアはカメラを睨みながら視線を移す。目を向けたのは先ほどからずっと気になっていた隙間の狭い鉄格子だった。まだ痛む身体を引き摺りながら近づいてみると、バチバチという嫌な音が微かに聞こえる。触ればきっと、電気が走る、そんなチープな仕掛けに見えた。そのせいで鉄格子外の通路がどこに繋がっているのかも、他の檻の様子も上手く伺えない。眼前に見えるのは、窓のない壁だけだった。
檻……?なんなんだ、一体……。
俺は、何をしていたんだっけ……。
ノアは痛む頭を働かせた。額の奥が重く、こめかみの辺りが外側から誰かに押されているような痛みが続いた。
そうだ、かくれんぼをしていた……。それで、村長がお菓子を用意したとかで……。
ふと、楓の泣き顔が脳裏に浮かぶ。胸の奥がぎゅっと何かに潰されるような痛みが走り、ノアは舌打ちをした。
「なんなんだよ、ここ……」
「わ、わかんないの……。みんなと隠れてたら、村長さんが後ろから声かけてきて、気がついたらここにいたんだもん……」
ノイの言葉に他のニ人が頷いた。
あぁ……そういうことか。
楓が来た時にノイ達の姿が見えなかったのは、彼女と村長がそう仕向けたからだった。来る途中に村長に出会ったと言ったのは嘘。彼女達は最初から魔法使いの子どもを黒服達に引き渡すために動いたのだ。
ノアは奥歯を噛み締め、力強く握った拳を床に叩きつけた。指に走る痛みで夢ではないのは一目瞭然だった。
毎日顔つき合わせて仕事をし、村の中で笑い合っていた。人間と魔法使いは確かに違う。違うからこそ助け合える仲間だと思っていた。
それなのに……っ!
「ねぇ、お兄ちゃん……私たちどうなるの」
「ノア兄ちゃん、ここ、怖いよう。僕たちお家に帰れる?」
「ノアちゃん、早く出ようよ」
三人の子どもが不安そうにノアの顔を見上げる。
「……あぁ、そうだな」
悔しさが募って目頭が熱くなった。本当は泣き出したかった。泣いて、怒りに任せて暴れてやりたかった。鼻の奥が痛むのを堪え、彼らの頭をゆっくり撫でた。
「きっと、すぐに出して貰えるから……」
無責任な言葉がするりとノアの口から溢れる。こんな状態ですぐに帰れる訳もない。自分だってここがどんな場所で何のために連れて来られたのか何の検討もなかったのだ。
こんな所に閉じ込められるまで気がつかないなんて……。
愚かな自分に嫌悪感を抱き、ノアは自分を責めた。
馬鹿だった、その辺のクソガキと同じ程……。いや、きっとそれ以下だ。近所の人間ともうまくやっていたはずだった。そう思っていたのは俺だけだったのかもしれない……。
ノアは怯える子ども達を宥め、その日は出来るだけ鉄格子から子ども達を遠ざけて眠りについた。



冷たいコンクリートの床での生活が数日間過ぎた頃だった。魔法使いであるノア達は一ヶ月程度であれば水や食料を口にせずとも過ごせるが、この閉鎖空間に対する精神的な苦痛はどうにも逃れられない。どういう目的で連れて来られのか分からないストレスに疲弊し、ノイ達は日に日に衰弱し、目が窪んで声もか細くなっている。いくら水や食料がなくても生きていけるとはいえ、ここまで弱ってしまえば魔法使いの生態など飾りと同じだった。
ノアは、せめて何かを与えてくれと監視カメラに訴えてたが、なんの応答もなかった。


やがて一人が死にかけた頃、一人の人間が檻の目の前まで、やってきた。
「その子どもらを助けたいなら、我々の研究に手を貸しなさい」
ガスマスクの様なものをつけた白衣の研究員らしい人間が数人いた。レーザー銃の様なものを腰に装備しているものもいて、抵抗しようものならそこから撃つと言っている様だった。
「それは……俺に言っているのか」
「君以外はもう殆ど死にかけだ。食料や水を必要としない魔法使いでも餓死するとは……非常に興味深いデータがとれた」
淡々と喋る相手の顔はガスマスク越しで全く見えない。ただ、胸糞悪いのだけは理解した。
「……ンだそれ」
「君の態度次第で彼らには水と食料を与えよう」
奥歯を噛みしめ、奴らを睨む。マスクで見えない表情に殺意が込み上げた。
コイツらに従うのは真っ平御免だ……でも、このままだとノイ達が死んじまう。
だけど、俺が離れた先、誰がこいつらを守るんだ…………。
「……お、兄ちゃん……」
ノイがノアの手を握った。いつも以上に冷たくて震えた手だった。
「わ、たし……苦しいのはイヤ……でも、お兄ちゃんが居なくなるのは……もっとイヤ」
力無い声がノアの胸に刺さる。ノアは答える様にぎゅっとその手を握った。この状況ではどんな選択肢を取っても離れてしまうことには違いはない。心臓が破裂しそうなほどに痛かった。喉の奥が熱くなり、ノアは更に力を込めてノイの手を握った。
こんな弱った妹をただ見ているだけならば……。
俺にできることが、まだ……あるのなら……。
「条件を……出していいか」
「……聞こう」
マスクの男が答えた。
「ノア兄ちゃんっ」
「ノアちゃん!」
「やだよ……お兄ちゃん、やめて」
弱々しい力で子ども達がノアの腕や背中、腰にまとわりつく。その身体はいつも遊んでいた時よりも軽くて、身体を軽く揺らせば飛んでいきそうなほどだった。
「……水と食料は絶対だ。人数分、用意しろ。それから、こいつらをここから逃がせ。その条件を飲むなら……協力する」
「お兄ちゃんっ!やだぁああっ!」
弱々しい声が涙と混じって背中にぶつかる。ノアは唇を強く噛み締める。その目は真っ直ぐ、檻の外にいるマスクの男に向けられていた。
「……多少の我儘は仕方ない。すぐに準備しろ」
マスクの男は部下であろう人間にそう命じた。数名が言われた通りに準備に向かうと、レーザー銃を手にした人間が、それを構えながら鉄格子へとジリジリと近づいてくる。一人が小さなリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押すと、鉄格子の扉が開いた。
「出ろ。君だけだ」
マスクの男が顎で使うように言った。ノアはゆっくりと立ち上がり、まとわりつく子ども達を優しく離す。
「やだよ、行かないでっ」
「お兄ちゃん、やだあぁあっ!」
子ども達は最後の足掻きで魔力を使おうとしたが、ノアがそれを制した。
「やめろ。それは逃げる時に取っとけ」
「逃げるなら、ノア兄ちゃんも一緒にっ」
「お前な……俺の足の速さ知ってんだろ。だから大丈夫だ、すぐ追いついてやるから」
そう言ってノアは三人をきつく抱きしめた。しがみついて泣き出す彼らの泣き声に、また胸を締め付けられる。
何が……大丈夫だよ……。
ノアは頭の中で自分を責める。
ここに最初に来た時も同じ様なことを言った。全く根拠もないのに。また繰り返して、こいつらを更に不安にさせる。ロクな兄貴じゃねぇな……。
「絶対迎えに行くから……外で待ってろ」
そう言って半ば無理矢理子ども達を押し退けると俺は檻の中から出て行った。



ノアが研究員に連れて行かれた先は、真っ白い壁で覆われた研究室だった。長く連なった机の上には、何を表示しているのか分からないモニターがずらりと並び、部屋の中央には管が何本も繋がったベッドが一台設置されている。そのベッドは大きなガラスで囲われていた。色んな器具もそこかしこに置かれている。ノアをここへ連れてきた者が腰に装備しているようなレーザー銃から、バーナーのような物。いつだかテレビで見た脳波を調べる道具だったり、電気ショックを与える道具だったり。ナイフも見えるように置かれていた。
ノアは眉間に眉を寄せ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
……俺がされるのは実験。おそらく対魔法使いの何かを開発しようという魂胆だな……。
「喋れるうちに何か言いたいことが有れば」
そう言われながら中央のベッドに寝かされた。先ほどノアを連れ出しに来たマスクの男とは声が変わっていることに気がついたが、こんな状況下ではどこの誰でも大した問題ではない。
「……俺の他にもいるのか」
「……あぁ。研究対象は多い方が良いからね」
「悪趣味だな」
「ごめんね、僕はこれが……生きていくための仕事なんだよ……」
そう言ってマスクをした研究員はノアの腕に注射を打ち込んだ。
色々と覚悟をして来たのに、麻酔をかけられたことには拍子抜けだった。部分麻酔のようで、喋ることは出来ないが意識はあった。捕まえた魔法使いで被験者になり得る者は少なかったのだろうか。こうやって生かされながら身体を弄られると分かると、ノアはさっさと殺された方がマシだと思った。


実験が終わると、ベッドだけが置かれた白い壁の部屋に入れられた。そこは妹達と一緒に入れられた鉄格子の檻と同じように監視カメラが設置されている。違うのはベッドの有る無しだけだった。
胸糞悪ぃ……。
協力すると言ったところで、あの監獄のような檻と状況下は変わらない。ノアはカメラを強く睨んだ。大方、脱出を目論んでも無駄だと言い張りたいのだろう。
そんなこと、させる気はないというのに。
ノアの脳裏にノイ達が浮かぶ。
今ここで自分が逃げたら……真っ先に狙われるのは俺じゃない……ノイ達だ……。
握り拳に力を入れると、実験で開かれた身体が疼いた。今日の実験で負った傷は、人間の手によって綺麗に縫合されている。どんなに暴れようと、血の一滴すら噴き出ない。それはまるで魔法だと、ノアは思った。
こんな技術があるっていうのに……!
ノアは行き場の失った拳を壁に叩きつけた。本当なら、今ここで暴れてしまいたかった。この部屋のベッドを壊して、ドアを壊して、外にいる監視にだって噛み付いて、自分の出せる力全てを尽くして……!
鈍い音が、ベッドの中央でなった。悔しさをベッドに打ち付け、ノアは叫んだ。
「絶対に……許さねぇ!」



それからノアは連日、休みなく実験室に連れて行かれた。痛覚の殆どは強力な麻酔のせいで全くわからなかったが、麻酔投与の連続で気分は最悪だった。酷い頭痛や嘔吐感が数時間続く日もあれば、焦点の合わない時間も続いた。この施設の協力者に魔法薬学に精通しているものが居ないのだろう。人間の作った薬が魔法使いに合わないことは、こんな実験をやる以前に、世間でも知られていたはずだった。
「生きてるかぃ?」
実験の終了時、ノアは毎度このセリフによって起こされた。頭は割れるように痛くて、聴覚すら鈍っている。実際には研究員の声なんて殆ど聞こえていない。大して残っていない力を使って薄目を開ければ「あぁ、良かった。生きてるよ」と、また明日以降も実験が続けられるという無慈悲な声をかけられた。そんな日が続いていた中、とある日の実験から担当の研究員が変わった。姿形はガスマスクやみんな同じ白衣で変わりはしないが、声で分かった。
「研究も佳境に迫った。君は運が良いことに四肢を残すことになったよ」
その研究員は淡々とそう言った。
運が良い……?何を言っているんだ、コイツは……。
こんな所に連れ込まれた時点で、そんな訳がねぇ……!
そう言い返したかったが、マスクを被されそこから気体状になった薬を嗅がされた。ふわっと脳が浮くような感覚に落ち入る。力を入れようにも全身が痺れて動かない。おまけに意識もなくなっていった。



「大丈夫ですかっ」
思いっきり身体を揺さぶられてノアは目を覚ました。身体が重く、倦怠感が強い。いつもの実験終了時同様に酷い頭痛がし、手足も痺れ、起き上がることもままならない。ノアはぼやけた視界で、自分を呼び起こす人物を見上げた。視界の中で揺れるピントをなんとか合わせると、ガスマスクもしていなければ白衣も着ていないことが分かる。
誰だ、お前…………。
一瞬で捉えた視界が急に真っ暗に変わった。さっきまでぼんやり見えていたものが完全に消えた。
暗い………。何も、見えない……。
誰かがノアを支えながら抱き起こす。腕や足に刺さっていただろう管が数本抜けるのを感じた。
「貴方、目を……」
「……誰だ……お前、どこから……」
「安心してください。私は貴方と同じ魔族です。ここに囚われている方々を救うように命じられてきました」
魔族……ってことは、魔法使いか……。
ここにいた人間達は、どうなった……?
ノアは辿々しく口を動かす。まだ麻酔が効いていて、上手く喋ることができない。瞼は開いている感覚が確かにあるのに、視界は全く開けていかない。
「なん……」
ゆっくりと首を振り、強く目を瞑る。瞼を閉じると、更に真っ暗だった。
なんで……何も、見えないんだ……?
するとノアを支えていた手が、頬へと移った。
「動かないで」
何をされるのか分からず、言われた通りじっとしていると、両瞼を触られ、直ぐに右瞼を抑えられた。
「じっとしててください」
瞼にぼわっと熱いものが当てられる。じわじわとした暖かいものがノアの右目の上から奥の方に伝わった。
「ゆっくり、右目を開けてください」
ノアは言われた通りにゆっくりと目を開けた。すると、ノアの顔を覗き込む藤色の長い髪を束ねた長身の男と目が合った。
「私のことが見えますか?」
ゆっくりと頷くと、にこやかな表情を一緒にして変える。次第に手足の痺れが治まり始めた。
「申し訳ないですが、左目はここから出るまで我慢してください。無事に出れたら、私の治癒魔法で治してあげますから……」
そう言われて左目を触ると、眼球そのものが無いのが分かった。男はその変にあった医療機器の棚からガーゼとゴム紐を探し出し、即席の眼帯を作ってノアの左瞼を覆い隠した。
「さぁ、行きましょう」
「行くって、どこに」
「逃げるんですよ、安全な所へ」
腕を掴まれベッドから下ろされた。足元にはガラス片や瓦礫が散らばっている。細身のこの男にそれほどの力があるのかは定かではないが、よく見ればこの部屋は半壊状態だった。
男は「不便ですねぇ」と言うと、近くの倒れた人間の靴を脱がし、ノアに向かって投げた。
「無いよりマシです」
「……悪い」
「私はシオンです。貴方は」
「……ノアだ」
「それではノアくん、一緒に逃げましょう」
シオンは研究室の外の様子を伺いに行く。その隙にノアは渡された靴を履いた。少し大きいが走るには充分だった。
「……今のうちみたいですね」
シオンがノアを手招きする。
「……なぁ、ここに来る前に監禁部屋なんか、見てないか?」
「……監禁部屋ですか?」
シオンはぴくんと眉を動かした。
「あぁ……そこに、子ども達がいたんだ。人間共が俺との約束さえ守っていれば、今頃は逃げているはずなんだが……」
「確認している時間はありません」
シオンはぴしゃりと言った。
「なんでだよっ」
「ずっと囚われていたから知らないんでしょうけど、外の状況は最悪になっています……一刻も早くここから離れないと」
「だったら余計に放っておけねぇっ!てめぇは先に出て行け。俺が見てくるっ」
「ノアくんっ!」
ノアは研究室から飛び出すと黒犬に変化した。初めて研究室へ連れ込まれた時、あの鉄格子の部屋からだいぶ上の階へ登らされたのを思い出すと、出せる全速力で血の匂いが立ち込める非常階段を駆け下りた。何度も自分を呼ぶシオンの声が後ろから聞こえるが、振り向いている暇はない。微量の魔力反応を鼻先で感知しながらノアは足を止めずに走った。
あぁ、クッソ……色んな匂いが混じってあいつらの魔力が見つからねぇ……!
殆ど薬漬けの毎日でその感覚すら鈍ったのだろう。最早、自分の本能に従って突き進むしかなかった。



見覚えのある階につくと、ノアは体当たりで非常階段のドアを突き破った。そのフロアはノアが閉じ込められていた時よりも霧のようなもやが立ち込めている。クンクンと鼻を鳴らすと、微かな硝煙の香りに混じって魔力を感じた。
ノイ…………っ!
ノアは獣特有の喉音を鳴らし、鉄格子が連なるフロアを経過しながら進んでいく。歩くたびに砂利の擦れる音がしたが、シオン達が暴れた跡だろうとそう思っていた。

「確か……この辺り……」
看守の役割を担っていたであろうガスマスクをつけた人間が倒れているところを跨ぎ、自分のいた檻の前へと立った。霧が階段付近よりも濃く、片目になったせいもあって中がよく見えない。鉄格子近くに、小さな砂が歪に山になっているのが見えた。
「…………………」
変化の魔法を解いて鉄格子に近づくと、背後から砂利を踏む音が聞こえた。
「……おまえ、あの時の助かった奴……だなっ」
ノアが振り向くと、倒れていると思ったガスマスクの人間が這いつくばったままレーザー銃をこちらに向けていた。
「…………助かった……?お前、ここにいた子ども達は」
「ハハっ、魔法使いっつってもガキはガキだな…………んなもん助かる訳ないだろっ」
「……………は?」
「やっと捉えた魔法使いに、易々と食料や水を渡すわけ無ぇだろ」
「………なら、ここにいたやつらは……」
「あぁ、やつらなら……そこにあるだろ?」
ある……?あるのは、小さな砂の山が…………………っ!
ノアの右目が大きく開かれた。
「これも実験結果の一つだってよ……。良かったなぁ、全員揃って人間のために死ねて」
「……んっだと……てめぇ!」
人間はヘラヘラと笑いながらノアにレーザー銃を向けた。
「ノアくん伏せてっ!」
大きな鋭い光が非常階段の方から思い切り放たれた。次の瞬間、勢いよく飛び出したシオンが人間に向かって体当たりすると、人間は鈍い音を立てて、レーザー銃と共に壁に叩きつけられた。
「だ、大丈夫ですかっ!」
駆け寄って来たのはシオンだった。わざわざあの最上階付近からほぼ地下のこの部屋まで走って来たのだろう。荒い息を整えるながら、ノアの顔を覗き込む。
「…………なぁ……お前さ」
「…………はい」
鼻の奥がじんと痛んだ。同時に頭痛も酷く感じる。目頭が熱くなり、ノアの右目だけがじんわりと熱くなる。
「……魔法使いが死ぬと、どうなるか………知ってるか……」
レーザー銃の人間を突飛ばしてできた小さな風が、緩やかに鉄格子付近を纏っていた霧を緩和させる。ノアは顔を上げ、はっきりと確認した。砂が所々に散り、それぞれ小さな山を作っている光景がはっきりとこの目に映っった。
「…………クッソォオオ!!」
ノアは膝から崩れ落ち、熱くなった目頭から止めどなく溢れた涙。嗚咽が込み上げ、押し殺そうとした声を出した。
あの日ノアと一緒に隠れんぼをした子どもらは姿形を変え、見つけられることなく、この世界から消えてしまった。


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