13 / 26
紅い影と黄色い暴君
しおりを挟む
地下道で足音が響く。その足音は道に迷う事なく一定のタイミングで踵を鳴らしていた。薄暗いオレンジ色のぼんやりとした灯りが続く中、一際明るく青白く光るライトの下を通り過ぎると、木製の大きな扉が見えてくる。足音はそこでピタリと止まった。扉の側には『準備中』という看板を嘴で咥えた木彫りの梟がいたのだが、構わずその扉をノックする。
「誰ダ!オマエ!誰ダ!オマエ!」
ノックの振動で目を覚ました木彫りの梟が、頭上を木製の羽根を使い、飛び回った。
「相変わらず、煩い鳥ね」
「カエレ!カエレ!」
「私は客よ。サンを出しなさい」
「マダ、準備中!マダ、入レナイ!」
梟は彼女から扉を遠ざけようと間に入り、ドアノブを触らせまいとそこに爪をつかって器用に留まった。
「融通が効かないのね。いい加減にして頂戴。退かないと燃やすわよ」
女は黒い長い髪を払うと、パチンと鳴らした指先から小さな紅い炎を出した。その炎を灯した指先を梟の嘴へと持って行き、ゆっくりと手を開く。同時に蝋燭ほどの小さな炎が、彼女の手のひらサイズへと大きさを変えた。自分の置かれている状況がわかった梟は騒ぐのをやめ、羽根を静かに畳む。
「良い子ね。そこでじっとしていなさい」
彼女が手をゆっくり握りしめると、揺らめいていた炎は消えた。ドアノブから梟が離れ、先程眠っていた扉の壁板へ戻ると、彼女は扉を開いた。
「やぁ、ご機嫌よう!久しぶりだねぇ!君が来る時期としては些か早い気がするのだが?」
「ノックが聞こえたら出てきてよ。余計な魔力を使ったじゃない」
溜息をつき、店主であるサンを押し退けて中に入って行く。
「それは失敬!シュシュ、仕事だ。彼女にお茶を用意してくれ。オーナー兼店長兼従業員兼飼い主の命令だ!」
「お気遣いなく。用が済んだらさっさと帰るわ」
「良いじゃないか!ボクはこれでも結構退屈な毎日を過ごしているんだ、キミの様な魅力溢れる女性と少しのティータイムぐらい許して欲しいねぇ!」
サンはくるくると踊る様に移動しながら、彼女のために椅子を引いた。
「ありがと」
静かに腰を下ろすと、先程扉で騒いだ梟が、お茶入ったポットとカップを乗せたワゴンを必死に押しながらやってきた。
「それで、今日はどういった用件かな!占星術でキミの未来を見つめ直す?それとも呪術を使って誰かを呪い殺すかい?あぁ、もしかして」
「これについて聞きたいの」
着ていた服の胸ポケットから取り出したのはこの店の名前が書かれた小さな葉巻の箱だった。
「キミの嗜好品だ。お口に合わなかったのかい?」
「オーダーと違うでしょ。いつ、私が『記憶』を寄越せと言ったのかしら?」
眉間にシワを寄せ、サンに詰め寄った。しかし、彼は彼女へ目もくれず箱に手を伸ばし中身を確認する。
「おや……おやおやおやおや!なるほど、混ざってしまったようだねぇ!あははは!これは失敬!」
サンは高笑いをしながら、中に入っていた数本の葉巻を取り出して、その辺に投げ捨てると、埃の被った食器棚の引き出しから投げ捨てた分と同じ本数の葉巻を彼女の持っていた箱に戻した。
「さぁ、これで大丈夫だ!」
訝しげな顔をしながら、女はサンから箱を受け取る。
「吸ってしまった記憶はオマケにしておこう。交換代も必要ないさ、ボクの失態だからねぇ!」
「当たり前でしょ……ったく。第一、どこで手に入れたのよ。わざとでしょ、私に『あの子』の記憶なんて!」
舌打ちをして、サンを睨む。彼女の強い視線を笑いながらかわし、サンは綺麗な装飾が施されたティーポットから紅茶をカップに注ぎ込む。怪しく甘い紅茶の香りが部屋中を囲んだ。
「これもまた、手違いでねぇ。ボクのもとに偶然……いや、必然的に落ちてきたんだ!」
「偶然、ねぇ…」
「キミこそ、目星が付いたんだろう」
ティーカップを彼女の前に置き、サンは綺麗なお辞儀をする。
「そうね。アンタの手違いで、偶然にもね」
嫌味ったらしくそう答えながら、出された紅茶を一口飲んだ。
「良かったじゃないか!キミはボクの葉巻で欲しい手掛かりを見つけた上に、魔力の供給もできた……!本当なら倍の値を請求しても良いはずだねぇ!」
「あら、サービスなんでしょ。この葉巻に使ってるのも、どっかの薬師が作った薬品が頼りだったってことも、全部見せてもらったんだから」
女はくすりと笑ってカップをソーサーに戻す。
「ふふふ!これはまた失態だねぇ!」
「本当……。そろそろ信用できなくなるわ」
「それは困るねぇ!魔法使いの知り合いは多い方が良い!ボクはみんなの味方でみんなが欲しいものをあげたいだけなのさ!」
くるりと回ってターンを決めると、サンは彼女に向かってウィンクをした。
「紅茶、ご馳走様。また来るわ」
椅子を引き、長い髪を払いながら立ち上がると彼女は言った。
「もう帰るのかい?もっといても構わないんだよ!人間と一緒に働くキミの話を聞きたいのさ!なんなら、その記憶を売ってくれても構わないねぇ!」
カツカツと音を鳴らしながら、扉へと向かう。
「私の記憶は安くないの。それから……彼らに近づく様なことはしないで頂戴」
足を止め、サンに指を刺して念を押した。
「あははは!これは珍しいねぇ!キミが人間を庇うのかい?」
「いいえ。庇ってる訳じゃないわ。彼らは私が見つけたこの社会での道具。それに……魔法使いを信じて憧れる青年なんて、可愛いじゃない?」
ふふふ、と笑って彼女は扉のノブを掴む。
「なるほど。実に興味が湧いたよ!また来た時に沢山話を聞きたいねぇ!」
「そうね。アンタからも聞きたいことが出来たし……リストでも作っておくわ」
「そうかい?なら美味しい焼き菓子を用意しよう!」
「超高級品ぐらい用意しなさいよ」
「もちろんさ!その日までどうか元気で……クレア」
扉が開く音と軋む様な高い音が響く。サンは彼女に向かってゆっくりとまた丁寧なお辞儀をした。
「えぇ……また」
黒い長い髪を揺らし、クレアと呼ばれた女は、暗く怪しい地下道の中に足音だけを響かせ、その姿を消した。
その日、目が覚めた乃亜がベッドから抜け出して居間へ向かうと、奥の風呂場から上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。シャワー音に混ざったその歌は、何の曲かは分からない。どこかで聞いた事がありそうだが、曲名は全く浮かんでこなかった。
ここ最近、殆ど缶詰めに近い状態で薬の調合をしていた紫苑だったが、漸く落ち着いたらしい。顔を洗いに洗面所へ向かうと、裾が黒ずんだ白衣が洗濯カゴに投げ入れられていたのが見え、思わず眉を寄せる。乃亜は新しいタオルを取り出して首に掛けると、水道の蛇口を捻った。もう冷たい水で顔を洗いたいと思うほど暑い季節ではない。お湯になってから手を出そうと、ぼうっと蛇口から出てくる水を眺めていると、風呂場の戸が開く音がした。
「あぁノアくん、おはようございます」
「……あぁ」
ふわっと湯気が脱衣所を纏う。じっとりと、熱い空気が乃亜の頬を触った。髪をかき揚げながら手探りでバスタオルを取った紫苑は、風呂場で軽く身体を拭くと、タオルを巻付けて出てきた。
「終わったのか、仕事」
「はい。お陰様で……。すみません、起してしまいましたよね」
「いや、丁度目が覚めたところだ」
乃亜は洗面台の棚に置かれていた紫苑の眼鏡を手に取った。
「えらく機嫌が良かったみたいだな」
「ふふふ。気になりますか?」
差し出された眼鏡を受け取りながら紫苑は答えた。
「別に」
乃亜がいつもの仏頂面を見せると、クスクス笑いながらもう一枚タオルを取り出して長い髪の毛を巻き上げた。ふわりと香った石鹸の匂いが脱衣所を包む。その様子を半ば寝ぼけ眼で見ていると、紫苑と視線がぶつかった。
「あの……あんまり見られていると、着替え辛いのですが」
「気色悪ぃ。誰が見るかっ」
そう言ってとっくにお湯に変わっていた洗面台で顔を雑に洗うと、乃亜は脱衣所から大股で歩きながら出て行った。
数分後、紫苑は濡れた頭をタオルで拭きながら台所に立つ乃亜の元にやってきた。相変わらず何の曲か分からない鼻歌を歌い、上機嫌である。
「久しぶりに何か摘みたいです」
「……そう言うと思ったから今作ってる」
まな板で玉葱を切り、火にかけた鍋に入れ込む。冷蔵庫から卵を二つ取り出し、手早く片手で殻を割ると、お椀で卵を溶いた。
「味噌……。あぁ、さんきゅ」
取り出そうと冷蔵庫の方に身体を向けると、紫苑が味噌の入った容器を手渡した。
「ふふふ。お願いしますね」
容器の蓋を開けると、乃亜が仕込んだ自家製味噌の香りが鼻を掠めた。
「とりあえず、髪乾かして来い」
「あ、そうですね。遅くなってしまいますし」
「遅くなるって……お前どうせ味噌汁食ったら寝るんだろ?」
おたまで味噌を掬い、鍋に入れ、少しずつ菜箸で溶き落とす。自然と乃亜の口調もゆっくりだった。
「はい。少し仮眠を取ったら出かけます」
「配達か?」
菜箸を動かす手を止めず、視線を鍋に向けたまま乃亜が言った。
「いえ、デートです」
「そうか、デートか………………は?」
ぼちゃん、と音を立てておたまが鍋底に沈んだ。顔を上げて紫苑の方を見ると、彼はいつもの何事もなかった様な笑顔を向けて、もう一度はっきりと答えた。
「デートです」
乃亜が作った玉葱と卵の味噌汁を飲み、仮眠を一時間ばかり取ると、体力と気力を回復させた紫苑は、藍色の中華服に着替え、黒い羽織に袖を通して玄関を出た。食卓に着いた際、そわそわと落ち着きのない乃亜が何か言いたげではあったが、聞かれない以上、紫苑は何も言わずにただ「ご馳走様でした」と、いつもの様に笑顔で伝えただけで、特に行く場所も会う相手も話さなかった。
正午前だけあって、街行く人の数は多い。途中、見知った商店街の人間に会うと軽く挨拶を交わした。紫苑は足を止める事なく、待ち合わせ場所へと向かう。放流祭前後にサボってしまった仕事が数件あったが、この日のために手元の依頼分をなんとか終わらせた。どうしても会いたい人物がいて、早いうちに話をしておきたいと思ったのだ。
商店街を抜け、紫苑は路面電車の駅を目指す。待ち合わせはその駅だった。チリンチリン、と鐘を鳴らす電車の音が聞こえると同時に、紫苑の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「紫苑さん、こっちです」
おーい、と呼ぶその声は結斗のものだった。
「すみません、お待たせして」
紫苑は駆け寄ってぺこりと頭を下げた。
「いやいや。俺も今、来たところです」
結斗は準備していたセリフを満足そうに返すと、にこりと笑って手を差し出した。
「では、行きましょう。今日は美味しい物をご馳走して頂けるんでしたね」
出された手をさらりとかわし、紫苑は歩き始める。その後ろを結斗は何故か余裕の表情で追いかけた。結斗はほんの少しだけ首を傾け、身長の高い紫苑に答えた。
「ええ、もちろん。紫苑さんの今日のお姿にもぴったりな中華料理屋で!あそこの餃子はこの辺で一番の大きさなんですよ」
「ふふふ。それは楽しみです」
肩を並べた二人は、結斗の案内でその中華料理店へと向かった。
道中は大した会話も無かったのだが、時折結斗は紫苑に微笑みかけた。何度も同性であることは以前にも、来太からも伝えた筈だったのだが、彼の態度は一向に変わる気配がない。歩いている最中も、隙あらば手を握ろうとしてくるため、紫苑は両手を後ろで組んで隣りを歩いた。
店に着くと、結斗は先にまわってドアを開けた。中へ促された紫苑は軽くお礼を言って足を入れる。店内は大衆食堂さながらの賑わいで、多くの客が席を埋めている。胡麻油の香りと、にんにくや香辛料の匂い。床は少し滑りやすく、紫苑は思わずカウンター席に手をついた。
「オヤジさん、空いてる席どこでも良い?」
紫苑が店内を見渡していると、結斗が厨房に立つ男性に声をかけた。
「奥の席使え。なんだ、今日は美人と一緒か?」
「そう、デートなんだよ。だからサービスしてね」
「胸糞悪いからお前にはしねぇかもな」
ニヤっと笑いながら男性が返した。結斗は面白くなさそうな顔をしながらも、紫苑を手招きして奥の席に向かった。
「賑やかなお店ですねぇ」
「苦手だったりします?」
「いいえ。うちもなんだかんだで賑やかですから」
にこりと笑い、店員が持ってきたグラスに口を付ける。
「あはは。確かに乃亜さん、声大きいですもんね」
結斗はそう答えると、近くにいた店員を呼び止めてメニュー表を見ずに料理を注文した。相変わらず、テーブルに乗り切らない量を頼んでいたため、紫苑も苦笑いを浮かべた。
「あの、そんなに頼んで大丈夫ですか?」
「まぁまぁ、今日は俺が持ちますから」
どん、と胸を叩き答える結斗だったが、紫苑の心配は財布事情では無いことは誰が見ても分かる。にこにこと能天気に笑いながら、紫苑の顔を見つめるため、紫苑もそれ以上を話す気は失せてしまった。
「いやぁ、しっかし……驚きましたよ。まさか紫苑さんからお誘い頂けるなんて。俺から誘う口実、ずっと探してたんですよね」
「ふふふ。それは良いタイミングでしたね。お祭りが終わってやっとのお休みの日に、わざわざすみません」
紫苑がぺこりと軽く頭を下げる。
「あはは。良いんですよ、どうせ休みは爺さん達と釣りか銭湯に行くぐらいなんで。紫苑さんみたいな美人とランチなんて、俺にとっては最高の休日です」
少しだけ頬を赤らめて結斗は言った。照れ隠しなのか、テーブルに設置されている爪楊枝の入った容器に手を伸ばす。
「でも、『美人さん』ならあなたの近くにも居るんじゃないですか?」
「え?」
「ほら、黒い綺麗な髪の方が。放流祭でお見かけしましたよ、ご一緒にいらっしゃる所を」
一瞬、結斗の動きが止まる。手で弄んでいた爪楊枝が数歩、テーブルに落ちた。
「もしかして、クレアの事ですか?確かにあいつは美人ですけど……俺には当たりが強い、ただの部下としか。やっぱりこう、紫苑さんの様に優しくて可憐さがなければ」
「その割には仲良さそうでしたけどねぇ」
紫苑はくすくすと笑い、テーブルの上に散らばった爪楊枝をまとめ、紙ナプキンの上に置く。
「紫苑さん」
「はい?」
紫苑が返事をしたタイミングでいくつかの料理が運ばれてきたが、結斗は続けた。
「それって、妬いてくれたって勘違いしても良いんでしょうか?」
斜め上の返答に紫苑は思わず目を丸くした。目の前に座る結斗は先程頬を染めた時とは全く雰囲気の違う、真剣な目をしている。
また、これは……とんでもない勘違いをされてしまったのでは……。
少々頭痛を感じながら、紫苑が口を開こうとすると、結斗は手元に運ばれたレンゲを手に取り、運ばれた麻婆豆腐を取皿によそいながら先に口を開いた。
「冗談ですよ」
「困った人ですねぇ……」
「気になる人は困らせたいって言うじゃないですか」
へらりとした顔に戻り、麻婆豆腐の入った取皿を紫苑に手渡すと、結斗は続けて話す。
「でも……あながち間違いではないんじゃないですか?」
いつもの調子でふざけた様に、意味深な事を言う。自分のペースが崩された気がして、紫苑はピクリと小さく眉を動かした。
「それは……どういった意味でしょうか?」
麻婆豆腐の入った取皿をテーブルに置き、紫苑は足を組み直す。
突っ込んだ事を言いすぎてしまったのだろうか。或いは目の前の男も来太と同じく近しい魔法使いを庇っているのかもしれない。だとしたらさっさと聞き出してこの男からは離れた方が良い……。ついでに、このマツリダからも……。
色々な憶測が頭の上に浮かび上がる。彼を呼び出したのは紫苑自身だった。クレアと呼ばれるあの人物について、話を聞くために。
周囲の雑談が急に静かになった様に感じた。その間にも結斗が頼んだ料理がどんどん運び込まれてくる。店に来る前に結斗が言っていた、大きな餃子が届いた時にはテーブルはもうパンパンだった。
「それで。クレアさんとはどこでお知り合いに?」
先に沈黙を破ったのは紫苑だった。
「そりゃあ採用面接の会場に決まってるじゃないですか。あいつ、黙ってればめちゃくちゃ目を引くスタイル抜群の美人ですからねぇ」
「まさか、それが理由で採用したんですか?」
「あ、もしかして紫苑さん本当に嫉妬ですか?」
結斗は嬉しそうにニコニコと笑みを返す。しかし、紫苑は微笑むだけで何も言わなかった。適当にかわすかと思えば真面目なんだかふざけているのか分からない回答をされ、正直紫苑もお手上げ状態だった。
これじゃあ、危険も何も把握すらできない。彼女が本当に人間と暮らす方を選んでいるなら今度こそは協力できたというのに……。
結斗は紫苑の笑顔にほんの少し頬を染めると、今度は酢豚を取皿に盛り、紫苑に手渡す。手際良く取皿に分けて大皿を通りすがりの店員に渡していった。
「とりあえず食べましょう。腹が減ってはなんとやらですからね」
「随分と勝手ですねぇ。私の質問は空腹に負けてしまいますか……」
「すみません、お腹ぺこぺこで」
結斗は手を合わせ、いただきますと言うと料理を口に運んでいく。それに倣うように紫苑も手を合わせた。
紫苑が出かけてから、暇を持て余した乃亜は定休日だというのに店を開いていた。隣近所の店主達に「また気まぐれかい?」と声をかけられ、鬱陶しさも感じたのだが、適当に受け答えた。気まぐれには変わりない。何かをしていないと、嫌に胸騒ぎがして苛立つばかりだった。それに仲見世通りにも冷たい風が差し込むようになり、あれほど暑いと感じていた鉄板の前に立つのが億劫ではなくなっていたし、行き交う人が店の前を通るたびに足を止める季節になっていた事もあって、告知無しの臨時開店にしては上々な売上だった。
「ったく……この辺ごちゃごちゃしてて昔から歩きずれぇなァ!」
ある程度商品を作り終えたあたりだった。大きな声で文句を言いながら歩いてくる男の声が聞こえてきた。通りすがりの余所者だと踏んだ乃亜は、聞こえないフリをして店の椅子に座り、今朝の新聞に目を通していた。先日の放流祭についての記事が多い。昨日の記事には来太が地下から水路に飛び出した写真がどでかく載せられていたのを見た。機械トラブルにより発生した事故とされていたが、後に原因を知った乃亜は、当日来太と一切関わらなくて良かったと、胸を撫で下ろす。新聞を軽く畳み、その辺に適当に投げる。手持ち無沙汰になり、古新聞をついでに纏めておこうと腰を上げた時だった。
「よォ。オニーサン。やってるか?」
暖簾を片手で上げたその男は、先程少し遠くから文句を言って歩いていた声と似ていた。目立つような金髪に、鋭い目付き。整ったギザギザな歯が特徴の大きな男だった。しっかりとした黒いスーツを着ているが、ネクタイはだらしなく緩めている。
「まぁ、やってるが」
「マジか!丁度よかった、歩き回ってくたびれてよぉ。ものすごく腹減っちまって!んじゃ、ラーメン一つ!よろしくなっ」
にこやかに話しかけてきた大男は、悪びれもなく乃亜にそう言い、どかりと店先の椅子に座った。
「冷やかしかよ。ラーメン屋ならこの通り抜けた所にあるぞ」
しっしっと手を払いながら乃亜は言った。
「あ?俺は客だぞっ」
「うるせぇな。ちゃんと看板読みやがれ」
乃亜は『鯛焼き』と書かれた店の看板を指さした。
「…………すいまぁ」
「その上だよ、鯛焼き屋って書いてあるだろ」
大きな溜息をついて言い返すと、その態度に苛立った男は大きな声を出した。
「んだと、俺が字読めないっつーのを知ってて馬鹿にしてんのかっ!」
男が握った拳が店の何処かに落ち、ダン、と大きな音が響く。隣近所の店主達が心配そうに遠くから視線を送ってくるのを感じ、乃亜は小さく舌打ちをすると、静かに反論した。
「見ず知らずの俺が、お前の識字能力知る訳ねぇだろうがっ!」
「……確かに、それもそうだな。悪かったなっ」
驚くことにその男は、乃亜の反論にすんなりと納得した様子で腕を組み、椅子に座り直した。
「潔すぎだろ」
「いや、何も知らない俺が悪かったよ」
眉を寄せ、下唇を突き出す仕草はまるで子供のようだった。怒る気も失せた乃亜は「別に良い」と軽く流し、鯛焼きを包み紙に入れて差し出した。
「とりあえず食え」
「良いのか?」
「あぁ」
「うっしゃあ!ラッキィ!オメー、いい奴だな!」
嬉しそうに鯛焼きを受け取り、椅子から飛び降りる。
「そのかわり、それ食ったら帰れよ。んで、二度と来るな」
「はぁ?何だでだよっ」
また大きな声を出す目の前の男に、乃亜は溜息をついた。
「てめぇのせいで店開けれねぇ奴らいんだろ。どこの取立てヤクザか知らねぇが、営業妨害だ」
乃亜にそう言われ、男はあたりをキョロキョロと見渡した。仲見世通りで店を構える店主達が、乃亜の様子を伺っていたが、男と目を合わすまいと、次々に店の奥へ引っ込んでいく。
「フン。相変わらず胸糞悪い奴らだぜ」
「あ?」
「なんだよ、オメーだってそう思うだろ」
男は乃亜の鋭く刺すような目を見つめながら、鯛焼きを一口頬張った。
「うめぇな、これ」
もぐもぐと口を動かし、残りを一気に口の中へ放り込む。
「……てめぇ、魔法使いか」
乃亜が小さな声でそう言うと、男はニヤリと笑った。
「知っててここに来たのか?」
「いンや。人探ししてて偶然だなァ。ここいらは昔、地下道ばっかりだったろ。潜って歩いてたら、道に迷っちまって……ようやく地上に出たら魔力の匂いがぷんぷんとするじゃねぇか。久しぶりに同胞がいるって分かったらつい足が伸びてたんだよなァ」
男はニヤニヤと笑い、前髪をかき上げると席を立った。
「辿ってきたっつー訳か、俺の魔力を」
「んまぁ、そんなとこだ。勘が当たったようなもんだな。で、こんな狭っちい人間クセェとこで何してんだ?」
「見てわかんだろ、鯛焼き売ってんだよ」
「人間相手に?物好きめ」
「人間だけじゃねぇ。たまにお前みたいなのも来る」
「……へぇ。まぁ、オメー以外の魔力も……ありそうだしな」
男は鼻をスン、と鳴らしながら乃亜に背を向けた。やっと出て行くのかと、他の店からは安堵の声が漏れ始める。
「……クソっ」
周囲の態度に男は舌打ちをし、スラックスのポケットに両手を突っ込んだ。立ち姿や言動からして人が寄り付く訳がない。
「自業自得だろ」
「オメー、優しいのか優しくねぇのかハッキリしろよ」
「してんじゃねぇかっ」
乃亜が言い返すと、男は笑った。
「オメー名前は?俺はハルジだ」
「……ノアだ」
「そうか、ノア。残念だよ、オメーが人間の味方で」
ハルジが白いギザギザの歯を見せて笑うと声色が急に変わった。つい数秒前のふざけた様な話し方が一変し、目付きも鋭くなって瞳孔が開いていた。
「……人間が俺達にした仕打ち、分かってんだろ?こんな仇だらけの場所でよく店なんかやってられるな……」
「だからなんだ。コイツらは確かに人間だが、あの時の人間じゃねぇ」
すると、ハルジは拳を店の壁に思いっきり打ちつけた。大きな鈍い音が通り一帯に響く。ハルジが拳を引っ込めるとパラパラと砕けた破片が地面に落ちた。
「あーあ。やっちまった……騒ぎは起こすなって言われてたんだよなァ。悪ぃな。カッとなると俺、力加減分からなくなっちまってよ」
乃亜はハルジを睨み、足を一歩後ろへ下げた。
「てめぇ……」
覚悟を決めるしかないと、乃亜が身を屈めた時だった。ハルジの胸の方から、電子音が流れ始めた。
「な……」
「んだよ、もうタイムアップかよ」
すると、ハルジは胸ポケットから古いタイプの携帯電話を取り出した。バイブで振動音も鳴り、先程から聞こえている電子音は次第に大きくなっている。小さな画面に表示された名前を目にすると、ハルジは眉を寄せ、不機嫌極まりない声で通話に応答した。
「へいへい、もしもーし。なんだよボスかよ。……あー、はいはい。戻りゃあ良いんだろ。ったく……」
ハルジは電話を乱暴に切ると、その場から立ち去ろうとした。
「おい、人の店壊してタダで帰る気じゃねぇだろうな……っ」
「悪いな、ノア。また来た時はちゃんと金払うぜ」
「二度と来るなっつっただろ」
「固いこと言うなよ、オメーの鯛焼きは好きだぜ」
「話の通じねぇ野郎だなっ!」
ハルジはニヤリと口角を上げると、少し下品に笑い声をあげ、乃亜に背を向けて片手をひらひらと振りながら仲見世通りの奥へと消えて行った。
「……クッソ、なんなんだよあのヤクザはっ!」
「今日はご馳走様でした」
「いえいえ。俺も紫苑さんが一緒でいつも以上に満足しましたよ!」
店を出るなり、紫苑は結斗にぺこりと頭を下げた。いつもなら食事の途中で相手の胃袋の弱さを笑っていた結斗だが、今日は休む事なく黙々と自分のペースについてきてくれた美人に、ただ目を奪われただけだった。
「相変わらず、お上手な方ですね」
「あはは、紫苑さんだけにですけどね」
本心で言っているのか、ただのお世辞なのかと言われたら前者であるのがわかってしまい、紫苑はまた苦笑いを浮かべる。
「あぁ、でも……」
結斗は何かを言いかけ、続きを言うのを躊躇った。視線が揺れる。結斗は顎に指を引っ掛け、小さく唸った。
「なんでしょう?」
促すように紫苑がにこりと笑いかけると、結斗は重たい荷を下ろしたように目尻を細めた。
「……やっぱり、紫苑さんでもダメです。クレアは渡せません」
「ふふふ。おかしなことを言いますねぇ。私がいつ、クレアさんを欲しいなんて言いました?」
「あはは。もしかして勘違いでしたか?おかしいなぁ……それに」
結斗のにこりと笑っていた顔が、静かに真顔に変わった。
「気になる人は困らせたいって言ったじゃないですか」
「ふふふ。脅し文句としては零点ですね、結斗さん」
生温い風が二人の間をすり抜ける。互いに意味深な笑みを送り合うこの数秒間は異様に長く感じられた。先に足を動かしたのは紫苑だったが、結斗は何かを思い出したという間抜けな声を上げ、その足を止めた。
「あぁ、そうだ。来太に伝言を頼みます。全然連絡が付かなくて、もしお店に顔を出したらで良いんですけど」
「……何でしょう?」
締まりの悪い相手に、苦笑いをしながら紫苑は承諾する。
「なるべく早く連絡を寄越してほしいって伝えてください。また俺一人じゃちょっと片付かない仕事があって……」
「おや、それこそ大事なクレアさんの出番なのでは?」
「あはは。いやぁ、そうなんですけどね。実はあいつ、溜まってた有休使ってどっか行ってしまったんですよ」
あははは、と大して困っていなさそうに結斗は言った。
「わかりました。来太くんが来たらお伝えしておきます」
「すみません、助かります」
「それでは、この辺で」
紫苑は今度こそ、と、念を押すようにそう言うと、軽くお辞儀をして結斗に背を向ける。
「紫苑さん、今度は俺から誘いますね」
「ふふふ。是非」
二人は顔を見合わせず、別れの挨拶を交わした。
「誰ダ!オマエ!誰ダ!オマエ!」
ノックの振動で目を覚ました木彫りの梟が、頭上を木製の羽根を使い、飛び回った。
「相変わらず、煩い鳥ね」
「カエレ!カエレ!」
「私は客よ。サンを出しなさい」
「マダ、準備中!マダ、入レナイ!」
梟は彼女から扉を遠ざけようと間に入り、ドアノブを触らせまいとそこに爪をつかって器用に留まった。
「融通が効かないのね。いい加減にして頂戴。退かないと燃やすわよ」
女は黒い長い髪を払うと、パチンと鳴らした指先から小さな紅い炎を出した。その炎を灯した指先を梟の嘴へと持って行き、ゆっくりと手を開く。同時に蝋燭ほどの小さな炎が、彼女の手のひらサイズへと大きさを変えた。自分の置かれている状況がわかった梟は騒ぐのをやめ、羽根を静かに畳む。
「良い子ね。そこでじっとしていなさい」
彼女が手をゆっくり握りしめると、揺らめいていた炎は消えた。ドアノブから梟が離れ、先程眠っていた扉の壁板へ戻ると、彼女は扉を開いた。
「やぁ、ご機嫌よう!久しぶりだねぇ!君が来る時期としては些か早い気がするのだが?」
「ノックが聞こえたら出てきてよ。余計な魔力を使ったじゃない」
溜息をつき、店主であるサンを押し退けて中に入って行く。
「それは失敬!シュシュ、仕事だ。彼女にお茶を用意してくれ。オーナー兼店長兼従業員兼飼い主の命令だ!」
「お気遣いなく。用が済んだらさっさと帰るわ」
「良いじゃないか!ボクはこれでも結構退屈な毎日を過ごしているんだ、キミの様な魅力溢れる女性と少しのティータイムぐらい許して欲しいねぇ!」
サンはくるくると踊る様に移動しながら、彼女のために椅子を引いた。
「ありがと」
静かに腰を下ろすと、先程扉で騒いだ梟が、お茶入ったポットとカップを乗せたワゴンを必死に押しながらやってきた。
「それで、今日はどういった用件かな!占星術でキミの未来を見つめ直す?それとも呪術を使って誰かを呪い殺すかい?あぁ、もしかして」
「これについて聞きたいの」
着ていた服の胸ポケットから取り出したのはこの店の名前が書かれた小さな葉巻の箱だった。
「キミの嗜好品だ。お口に合わなかったのかい?」
「オーダーと違うでしょ。いつ、私が『記憶』を寄越せと言ったのかしら?」
眉間にシワを寄せ、サンに詰め寄った。しかし、彼は彼女へ目もくれず箱に手を伸ばし中身を確認する。
「おや……おやおやおやおや!なるほど、混ざってしまったようだねぇ!あははは!これは失敬!」
サンは高笑いをしながら、中に入っていた数本の葉巻を取り出して、その辺に投げ捨てると、埃の被った食器棚の引き出しから投げ捨てた分と同じ本数の葉巻を彼女の持っていた箱に戻した。
「さぁ、これで大丈夫だ!」
訝しげな顔をしながら、女はサンから箱を受け取る。
「吸ってしまった記憶はオマケにしておこう。交換代も必要ないさ、ボクの失態だからねぇ!」
「当たり前でしょ……ったく。第一、どこで手に入れたのよ。わざとでしょ、私に『あの子』の記憶なんて!」
舌打ちをして、サンを睨む。彼女の強い視線を笑いながらかわし、サンは綺麗な装飾が施されたティーポットから紅茶をカップに注ぎ込む。怪しく甘い紅茶の香りが部屋中を囲んだ。
「これもまた、手違いでねぇ。ボクのもとに偶然……いや、必然的に落ちてきたんだ!」
「偶然、ねぇ…」
「キミこそ、目星が付いたんだろう」
ティーカップを彼女の前に置き、サンは綺麗なお辞儀をする。
「そうね。アンタの手違いで、偶然にもね」
嫌味ったらしくそう答えながら、出された紅茶を一口飲んだ。
「良かったじゃないか!キミはボクの葉巻で欲しい手掛かりを見つけた上に、魔力の供給もできた……!本当なら倍の値を請求しても良いはずだねぇ!」
「あら、サービスなんでしょ。この葉巻に使ってるのも、どっかの薬師が作った薬品が頼りだったってことも、全部見せてもらったんだから」
女はくすりと笑ってカップをソーサーに戻す。
「ふふふ!これはまた失態だねぇ!」
「本当……。そろそろ信用できなくなるわ」
「それは困るねぇ!魔法使いの知り合いは多い方が良い!ボクはみんなの味方でみんなが欲しいものをあげたいだけなのさ!」
くるりと回ってターンを決めると、サンは彼女に向かってウィンクをした。
「紅茶、ご馳走様。また来るわ」
椅子を引き、長い髪を払いながら立ち上がると彼女は言った。
「もう帰るのかい?もっといても構わないんだよ!人間と一緒に働くキミの話を聞きたいのさ!なんなら、その記憶を売ってくれても構わないねぇ!」
カツカツと音を鳴らしながら、扉へと向かう。
「私の記憶は安くないの。それから……彼らに近づく様なことはしないで頂戴」
足を止め、サンに指を刺して念を押した。
「あははは!これは珍しいねぇ!キミが人間を庇うのかい?」
「いいえ。庇ってる訳じゃないわ。彼らは私が見つけたこの社会での道具。それに……魔法使いを信じて憧れる青年なんて、可愛いじゃない?」
ふふふ、と笑って彼女は扉のノブを掴む。
「なるほど。実に興味が湧いたよ!また来た時に沢山話を聞きたいねぇ!」
「そうね。アンタからも聞きたいことが出来たし……リストでも作っておくわ」
「そうかい?なら美味しい焼き菓子を用意しよう!」
「超高級品ぐらい用意しなさいよ」
「もちろんさ!その日までどうか元気で……クレア」
扉が開く音と軋む様な高い音が響く。サンは彼女に向かってゆっくりとまた丁寧なお辞儀をした。
「えぇ……また」
黒い長い髪を揺らし、クレアと呼ばれた女は、暗く怪しい地下道の中に足音だけを響かせ、その姿を消した。
その日、目が覚めた乃亜がベッドから抜け出して居間へ向かうと、奥の風呂場から上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。シャワー音に混ざったその歌は、何の曲かは分からない。どこかで聞いた事がありそうだが、曲名は全く浮かんでこなかった。
ここ最近、殆ど缶詰めに近い状態で薬の調合をしていた紫苑だったが、漸く落ち着いたらしい。顔を洗いに洗面所へ向かうと、裾が黒ずんだ白衣が洗濯カゴに投げ入れられていたのが見え、思わず眉を寄せる。乃亜は新しいタオルを取り出して首に掛けると、水道の蛇口を捻った。もう冷たい水で顔を洗いたいと思うほど暑い季節ではない。お湯になってから手を出そうと、ぼうっと蛇口から出てくる水を眺めていると、風呂場の戸が開く音がした。
「あぁノアくん、おはようございます」
「……あぁ」
ふわっと湯気が脱衣所を纏う。じっとりと、熱い空気が乃亜の頬を触った。髪をかき揚げながら手探りでバスタオルを取った紫苑は、風呂場で軽く身体を拭くと、タオルを巻付けて出てきた。
「終わったのか、仕事」
「はい。お陰様で……。すみません、起してしまいましたよね」
「いや、丁度目が覚めたところだ」
乃亜は洗面台の棚に置かれていた紫苑の眼鏡を手に取った。
「えらく機嫌が良かったみたいだな」
「ふふふ。気になりますか?」
差し出された眼鏡を受け取りながら紫苑は答えた。
「別に」
乃亜がいつもの仏頂面を見せると、クスクス笑いながらもう一枚タオルを取り出して長い髪の毛を巻き上げた。ふわりと香った石鹸の匂いが脱衣所を包む。その様子を半ば寝ぼけ眼で見ていると、紫苑と視線がぶつかった。
「あの……あんまり見られていると、着替え辛いのですが」
「気色悪ぃ。誰が見るかっ」
そう言ってとっくにお湯に変わっていた洗面台で顔を雑に洗うと、乃亜は脱衣所から大股で歩きながら出て行った。
数分後、紫苑は濡れた頭をタオルで拭きながら台所に立つ乃亜の元にやってきた。相変わらず何の曲か分からない鼻歌を歌い、上機嫌である。
「久しぶりに何か摘みたいです」
「……そう言うと思ったから今作ってる」
まな板で玉葱を切り、火にかけた鍋に入れ込む。冷蔵庫から卵を二つ取り出し、手早く片手で殻を割ると、お椀で卵を溶いた。
「味噌……。あぁ、さんきゅ」
取り出そうと冷蔵庫の方に身体を向けると、紫苑が味噌の入った容器を手渡した。
「ふふふ。お願いしますね」
容器の蓋を開けると、乃亜が仕込んだ自家製味噌の香りが鼻を掠めた。
「とりあえず、髪乾かして来い」
「あ、そうですね。遅くなってしまいますし」
「遅くなるって……お前どうせ味噌汁食ったら寝るんだろ?」
おたまで味噌を掬い、鍋に入れ、少しずつ菜箸で溶き落とす。自然と乃亜の口調もゆっくりだった。
「はい。少し仮眠を取ったら出かけます」
「配達か?」
菜箸を動かす手を止めず、視線を鍋に向けたまま乃亜が言った。
「いえ、デートです」
「そうか、デートか………………は?」
ぼちゃん、と音を立てておたまが鍋底に沈んだ。顔を上げて紫苑の方を見ると、彼はいつもの何事もなかった様な笑顔を向けて、もう一度はっきりと答えた。
「デートです」
乃亜が作った玉葱と卵の味噌汁を飲み、仮眠を一時間ばかり取ると、体力と気力を回復させた紫苑は、藍色の中華服に着替え、黒い羽織に袖を通して玄関を出た。食卓に着いた際、そわそわと落ち着きのない乃亜が何か言いたげではあったが、聞かれない以上、紫苑は何も言わずにただ「ご馳走様でした」と、いつもの様に笑顔で伝えただけで、特に行く場所も会う相手も話さなかった。
正午前だけあって、街行く人の数は多い。途中、見知った商店街の人間に会うと軽く挨拶を交わした。紫苑は足を止める事なく、待ち合わせ場所へと向かう。放流祭前後にサボってしまった仕事が数件あったが、この日のために手元の依頼分をなんとか終わらせた。どうしても会いたい人物がいて、早いうちに話をしておきたいと思ったのだ。
商店街を抜け、紫苑は路面電車の駅を目指す。待ち合わせはその駅だった。チリンチリン、と鐘を鳴らす電車の音が聞こえると同時に、紫苑の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「紫苑さん、こっちです」
おーい、と呼ぶその声は結斗のものだった。
「すみません、お待たせして」
紫苑は駆け寄ってぺこりと頭を下げた。
「いやいや。俺も今、来たところです」
結斗は準備していたセリフを満足そうに返すと、にこりと笑って手を差し出した。
「では、行きましょう。今日は美味しい物をご馳走して頂けるんでしたね」
出された手をさらりとかわし、紫苑は歩き始める。その後ろを結斗は何故か余裕の表情で追いかけた。結斗はほんの少しだけ首を傾け、身長の高い紫苑に答えた。
「ええ、もちろん。紫苑さんの今日のお姿にもぴったりな中華料理屋で!あそこの餃子はこの辺で一番の大きさなんですよ」
「ふふふ。それは楽しみです」
肩を並べた二人は、結斗の案内でその中華料理店へと向かった。
道中は大した会話も無かったのだが、時折結斗は紫苑に微笑みかけた。何度も同性であることは以前にも、来太からも伝えた筈だったのだが、彼の態度は一向に変わる気配がない。歩いている最中も、隙あらば手を握ろうとしてくるため、紫苑は両手を後ろで組んで隣りを歩いた。
店に着くと、結斗は先にまわってドアを開けた。中へ促された紫苑は軽くお礼を言って足を入れる。店内は大衆食堂さながらの賑わいで、多くの客が席を埋めている。胡麻油の香りと、にんにくや香辛料の匂い。床は少し滑りやすく、紫苑は思わずカウンター席に手をついた。
「オヤジさん、空いてる席どこでも良い?」
紫苑が店内を見渡していると、結斗が厨房に立つ男性に声をかけた。
「奥の席使え。なんだ、今日は美人と一緒か?」
「そう、デートなんだよ。だからサービスしてね」
「胸糞悪いからお前にはしねぇかもな」
ニヤっと笑いながら男性が返した。結斗は面白くなさそうな顔をしながらも、紫苑を手招きして奥の席に向かった。
「賑やかなお店ですねぇ」
「苦手だったりします?」
「いいえ。うちもなんだかんだで賑やかですから」
にこりと笑い、店員が持ってきたグラスに口を付ける。
「あはは。確かに乃亜さん、声大きいですもんね」
結斗はそう答えると、近くにいた店員を呼び止めてメニュー表を見ずに料理を注文した。相変わらず、テーブルに乗り切らない量を頼んでいたため、紫苑も苦笑いを浮かべた。
「あの、そんなに頼んで大丈夫ですか?」
「まぁまぁ、今日は俺が持ちますから」
どん、と胸を叩き答える結斗だったが、紫苑の心配は財布事情では無いことは誰が見ても分かる。にこにこと能天気に笑いながら、紫苑の顔を見つめるため、紫苑もそれ以上を話す気は失せてしまった。
「いやぁ、しっかし……驚きましたよ。まさか紫苑さんからお誘い頂けるなんて。俺から誘う口実、ずっと探してたんですよね」
「ふふふ。それは良いタイミングでしたね。お祭りが終わってやっとのお休みの日に、わざわざすみません」
紫苑がぺこりと軽く頭を下げる。
「あはは。良いんですよ、どうせ休みは爺さん達と釣りか銭湯に行くぐらいなんで。紫苑さんみたいな美人とランチなんて、俺にとっては最高の休日です」
少しだけ頬を赤らめて結斗は言った。照れ隠しなのか、テーブルに設置されている爪楊枝の入った容器に手を伸ばす。
「でも、『美人さん』ならあなたの近くにも居るんじゃないですか?」
「え?」
「ほら、黒い綺麗な髪の方が。放流祭でお見かけしましたよ、ご一緒にいらっしゃる所を」
一瞬、結斗の動きが止まる。手で弄んでいた爪楊枝が数歩、テーブルに落ちた。
「もしかして、クレアの事ですか?確かにあいつは美人ですけど……俺には当たりが強い、ただの部下としか。やっぱりこう、紫苑さんの様に優しくて可憐さがなければ」
「その割には仲良さそうでしたけどねぇ」
紫苑はくすくすと笑い、テーブルの上に散らばった爪楊枝をまとめ、紙ナプキンの上に置く。
「紫苑さん」
「はい?」
紫苑が返事をしたタイミングでいくつかの料理が運ばれてきたが、結斗は続けた。
「それって、妬いてくれたって勘違いしても良いんでしょうか?」
斜め上の返答に紫苑は思わず目を丸くした。目の前に座る結斗は先程頬を染めた時とは全く雰囲気の違う、真剣な目をしている。
また、これは……とんでもない勘違いをされてしまったのでは……。
少々頭痛を感じながら、紫苑が口を開こうとすると、結斗は手元に運ばれたレンゲを手に取り、運ばれた麻婆豆腐を取皿によそいながら先に口を開いた。
「冗談ですよ」
「困った人ですねぇ……」
「気になる人は困らせたいって言うじゃないですか」
へらりとした顔に戻り、麻婆豆腐の入った取皿を紫苑に手渡すと、結斗は続けて話す。
「でも……あながち間違いではないんじゃないですか?」
いつもの調子でふざけた様に、意味深な事を言う。自分のペースが崩された気がして、紫苑はピクリと小さく眉を動かした。
「それは……どういった意味でしょうか?」
麻婆豆腐の入った取皿をテーブルに置き、紫苑は足を組み直す。
突っ込んだ事を言いすぎてしまったのだろうか。或いは目の前の男も来太と同じく近しい魔法使いを庇っているのかもしれない。だとしたらさっさと聞き出してこの男からは離れた方が良い……。ついでに、このマツリダからも……。
色々な憶測が頭の上に浮かび上がる。彼を呼び出したのは紫苑自身だった。クレアと呼ばれるあの人物について、話を聞くために。
周囲の雑談が急に静かになった様に感じた。その間にも結斗が頼んだ料理がどんどん運び込まれてくる。店に来る前に結斗が言っていた、大きな餃子が届いた時にはテーブルはもうパンパンだった。
「それで。クレアさんとはどこでお知り合いに?」
先に沈黙を破ったのは紫苑だった。
「そりゃあ採用面接の会場に決まってるじゃないですか。あいつ、黙ってればめちゃくちゃ目を引くスタイル抜群の美人ですからねぇ」
「まさか、それが理由で採用したんですか?」
「あ、もしかして紫苑さん本当に嫉妬ですか?」
結斗は嬉しそうにニコニコと笑みを返す。しかし、紫苑は微笑むだけで何も言わなかった。適当にかわすかと思えば真面目なんだかふざけているのか分からない回答をされ、正直紫苑もお手上げ状態だった。
これじゃあ、危険も何も把握すらできない。彼女が本当に人間と暮らす方を選んでいるなら今度こそは協力できたというのに……。
結斗は紫苑の笑顔にほんの少し頬を染めると、今度は酢豚を取皿に盛り、紫苑に手渡す。手際良く取皿に分けて大皿を通りすがりの店員に渡していった。
「とりあえず食べましょう。腹が減ってはなんとやらですからね」
「随分と勝手ですねぇ。私の質問は空腹に負けてしまいますか……」
「すみません、お腹ぺこぺこで」
結斗は手を合わせ、いただきますと言うと料理を口に運んでいく。それに倣うように紫苑も手を合わせた。
紫苑が出かけてから、暇を持て余した乃亜は定休日だというのに店を開いていた。隣近所の店主達に「また気まぐれかい?」と声をかけられ、鬱陶しさも感じたのだが、適当に受け答えた。気まぐれには変わりない。何かをしていないと、嫌に胸騒ぎがして苛立つばかりだった。それに仲見世通りにも冷たい風が差し込むようになり、あれほど暑いと感じていた鉄板の前に立つのが億劫ではなくなっていたし、行き交う人が店の前を通るたびに足を止める季節になっていた事もあって、告知無しの臨時開店にしては上々な売上だった。
「ったく……この辺ごちゃごちゃしてて昔から歩きずれぇなァ!」
ある程度商品を作り終えたあたりだった。大きな声で文句を言いながら歩いてくる男の声が聞こえてきた。通りすがりの余所者だと踏んだ乃亜は、聞こえないフリをして店の椅子に座り、今朝の新聞に目を通していた。先日の放流祭についての記事が多い。昨日の記事には来太が地下から水路に飛び出した写真がどでかく載せられていたのを見た。機械トラブルにより発生した事故とされていたが、後に原因を知った乃亜は、当日来太と一切関わらなくて良かったと、胸を撫で下ろす。新聞を軽く畳み、その辺に適当に投げる。手持ち無沙汰になり、古新聞をついでに纏めておこうと腰を上げた時だった。
「よォ。オニーサン。やってるか?」
暖簾を片手で上げたその男は、先程少し遠くから文句を言って歩いていた声と似ていた。目立つような金髪に、鋭い目付き。整ったギザギザな歯が特徴の大きな男だった。しっかりとした黒いスーツを着ているが、ネクタイはだらしなく緩めている。
「まぁ、やってるが」
「マジか!丁度よかった、歩き回ってくたびれてよぉ。ものすごく腹減っちまって!んじゃ、ラーメン一つ!よろしくなっ」
にこやかに話しかけてきた大男は、悪びれもなく乃亜にそう言い、どかりと店先の椅子に座った。
「冷やかしかよ。ラーメン屋ならこの通り抜けた所にあるぞ」
しっしっと手を払いながら乃亜は言った。
「あ?俺は客だぞっ」
「うるせぇな。ちゃんと看板読みやがれ」
乃亜は『鯛焼き』と書かれた店の看板を指さした。
「…………すいまぁ」
「その上だよ、鯛焼き屋って書いてあるだろ」
大きな溜息をついて言い返すと、その態度に苛立った男は大きな声を出した。
「んだと、俺が字読めないっつーのを知ってて馬鹿にしてんのかっ!」
男が握った拳が店の何処かに落ち、ダン、と大きな音が響く。隣近所の店主達が心配そうに遠くから視線を送ってくるのを感じ、乃亜は小さく舌打ちをすると、静かに反論した。
「見ず知らずの俺が、お前の識字能力知る訳ねぇだろうがっ!」
「……確かに、それもそうだな。悪かったなっ」
驚くことにその男は、乃亜の反論にすんなりと納得した様子で腕を組み、椅子に座り直した。
「潔すぎだろ」
「いや、何も知らない俺が悪かったよ」
眉を寄せ、下唇を突き出す仕草はまるで子供のようだった。怒る気も失せた乃亜は「別に良い」と軽く流し、鯛焼きを包み紙に入れて差し出した。
「とりあえず食え」
「良いのか?」
「あぁ」
「うっしゃあ!ラッキィ!オメー、いい奴だな!」
嬉しそうに鯛焼きを受け取り、椅子から飛び降りる。
「そのかわり、それ食ったら帰れよ。んで、二度と来るな」
「はぁ?何だでだよっ」
また大きな声を出す目の前の男に、乃亜は溜息をついた。
「てめぇのせいで店開けれねぇ奴らいんだろ。どこの取立てヤクザか知らねぇが、営業妨害だ」
乃亜にそう言われ、男はあたりをキョロキョロと見渡した。仲見世通りで店を構える店主達が、乃亜の様子を伺っていたが、男と目を合わすまいと、次々に店の奥へ引っ込んでいく。
「フン。相変わらず胸糞悪い奴らだぜ」
「あ?」
「なんだよ、オメーだってそう思うだろ」
男は乃亜の鋭く刺すような目を見つめながら、鯛焼きを一口頬張った。
「うめぇな、これ」
もぐもぐと口を動かし、残りを一気に口の中へ放り込む。
「……てめぇ、魔法使いか」
乃亜が小さな声でそう言うと、男はニヤリと笑った。
「知っててここに来たのか?」
「いンや。人探ししてて偶然だなァ。ここいらは昔、地下道ばっかりだったろ。潜って歩いてたら、道に迷っちまって……ようやく地上に出たら魔力の匂いがぷんぷんとするじゃねぇか。久しぶりに同胞がいるって分かったらつい足が伸びてたんだよなァ」
男はニヤニヤと笑い、前髪をかき上げると席を立った。
「辿ってきたっつー訳か、俺の魔力を」
「んまぁ、そんなとこだ。勘が当たったようなもんだな。で、こんな狭っちい人間クセェとこで何してんだ?」
「見てわかんだろ、鯛焼き売ってんだよ」
「人間相手に?物好きめ」
「人間だけじゃねぇ。たまにお前みたいなのも来る」
「……へぇ。まぁ、オメー以外の魔力も……ありそうだしな」
男は鼻をスン、と鳴らしながら乃亜に背を向けた。やっと出て行くのかと、他の店からは安堵の声が漏れ始める。
「……クソっ」
周囲の態度に男は舌打ちをし、スラックスのポケットに両手を突っ込んだ。立ち姿や言動からして人が寄り付く訳がない。
「自業自得だろ」
「オメー、優しいのか優しくねぇのかハッキリしろよ」
「してんじゃねぇかっ」
乃亜が言い返すと、男は笑った。
「オメー名前は?俺はハルジだ」
「……ノアだ」
「そうか、ノア。残念だよ、オメーが人間の味方で」
ハルジが白いギザギザの歯を見せて笑うと声色が急に変わった。つい数秒前のふざけた様な話し方が一変し、目付きも鋭くなって瞳孔が開いていた。
「……人間が俺達にした仕打ち、分かってんだろ?こんな仇だらけの場所でよく店なんかやってられるな……」
「だからなんだ。コイツらは確かに人間だが、あの時の人間じゃねぇ」
すると、ハルジは拳を店の壁に思いっきり打ちつけた。大きな鈍い音が通り一帯に響く。ハルジが拳を引っ込めるとパラパラと砕けた破片が地面に落ちた。
「あーあ。やっちまった……騒ぎは起こすなって言われてたんだよなァ。悪ぃな。カッとなると俺、力加減分からなくなっちまってよ」
乃亜はハルジを睨み、足を一歩後ろへ下げた。
「てめぇ……」
覚悟を決めるしかないと、乃亜が身を屈めた時だった。ハルジの胸の方から、電子音が流れ始めた。
「な……」
「んだよ、もうタイムアップかよ」
すると、ハルジは胸ポケットから古いタイプの携帯電話を取り出した。バイブで振動音も鳴り、先程から聞こえている電子音は次第に大きくなっている。小さな画面に表示された名前を目にすると、ハルジは眉を寄せ、不機嫌極まりない声で通話に応答した。
「へいへい、もしもーし。なんだよボスかよ。……あー、はいはい。戻りゃあ良いんだろ。ったく……」
ハルジは電話を乱暴に切ると、その場から立ち去ろうとした。
「おい、人の店壊してタダで帰る気じゃねぇだろうな……っ」
「悪いな、ノア。また来た時はちゃんと金払うぜ」
「二度と来るなっつっただろ」
「固いこと言うなよ、オメーの鯛焼きは好きだぜ」
「話の通じねぇ野郎だなっ!」
ハルジはニヤリと口角を上げると、少し下品に笑い声をあげ、乃亜に背を向けて片手をひらひらと振りながら仲見世通りの奥へと消えて行った。
「……クッソ、なんなんだよあのヤクザはっ!」
「今日はご馳走様でした」
「いえいえ。俺も紫苑さんが一緒でいつも以上に満足しましたよ!」
店を出るなり、紫苑は結斗にぺこりと頭を下げた。いつもなら食事の途中で相手の胃袋の弱さを笑っていた結斗だが、今日は休む事なく黙々と自分のペースについてきてくれた美人に、ただ目を奪われただけだった。
「相変わらず、お上手な方ですね」
「あはは、紫苑さんだけにですけどね」
本心で言っているのか、ただのお世辞なのかと言われたら前者であるのがわかってしまい、紫苑はまた苦笑いを浮かべる。
「あぁ、でも……」
結斗は何かを言いかけ、続きを言うのを躊躇った。視線が揺れる。結斗は顎に指を引っ掛け、小さく唸った。
「なんでしょう?」
促すように紫苑がにこりと笑いかけると、結斗は重たい荷を下ろしたように目尻を細めた。
「……やっぱり、紫苑さんでもダメです。クレアは渡せません」
「ふふふ。おかしなことを言いますねぇ。私がいつ、クレアさんを欲しいなんて言いました?」
「あはは。もしかして勘違いでしたか?おかしいなぁ……それに」
結斗のにこりと笑っていた顔が、静かに真顔に変わった。
「気になる人は困らせたいって言ったじゃないですか」
「ふふふ。脅し文句としては零点ですね、結斗さん」
生温い風が二人の間をすり抜ける。互いに意味深な笑みを送り合うこの数秒間は異様に長く感じられた。先に足を動かしたのは紫苑だったが、結斗は何かを思い出したという間抜けな声を上げ、その足を止めた。
「あぁ、そうだ。来太に伝言を頼みます。全然連絡が付かなくて、もしお店に顔を出したらで良いんですけど」
「……何でしょう?」
締まりの悪い相手に、苦笑いをしながら紫苑は承諾する。
「なるべく早く連絡を寄越してほしいって伝えてください。また俺一人じゃちょっと片付かない仕事があって……」
「おや、それこそ大事なクレアさんの出番なのでは?」
「あはは。いやぁ、そうなんですけどね。実はあいつ、溜まってた有休使ってどっか行ってしまったんですよ」
あははは、と大して困っていなさそうに結斗は言った。
「わかりました。来太くんが来たらお伝えしておきます」
「すみません、助かります」
「それでは、この辺で」
紫苑は今度こそ、と、念を押すようにそう言うと、軽くお辞儀をして結斗に背を向ける。
「紫苑さん、今度は俺から誘いますね」
「ふふふ。是非」
二人は顔を見合わせず、別れの挨拶を交わした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大国に囲まれた小国の「魔素無し第四王子」戦記(最強部隊を率いて新王国樹立へ)
たぬころまんじゅう
ファンタジー
小国の第四王子アルス。魔素による身体強化が当たり前の時代に、王族で唯一魔素が無い王子として生まれた彼は、蔑まれる毎日だった。
しかしある日、ひょんなことから無限に湧き出る魔素を身体に取り込んでしまった。その日を境に彼の人生は劇的に変わっていく。
士官学校に入り「戦略」「戦術」「武術」を学び、仲間を集めたアルスは隊を結成。アルス隊が功績を挙げ、軍の中で大きな存在になっていくと様々なことに巻き込まれていく。
領地経営、隣国との戦争、反乱、策略、ガーネット教や3大ギルドによる陰謀にちらつく大国の影。様々な経験を経て「最強部隊」と呼ばれたアルス隊は遂に新王国樹立へ。
異能バトル×神算鬼謀の戦略・戦術バトル!
☆史実に基づいた戦史、宗教史、過去から現代の政治や思想、経済を取り入れて書いた大河ドラマをお楽しみください☆

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~
杵築しゅん
ファンタジー
戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。
3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。
家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。
そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。
こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。
身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~
雪月夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
他作品の詳細はこちら:
『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】
『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】
『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
女神様の使い、5歳からやってます
めのめむし
ファンタジー
小桜美羽は5歳の幼女。辛い境遇の中でも、最愛の母親と妹と共に明るく生きていたが、ある日母を事故で失い、父親に放置されてしまう。絶望の淵で餓死寸前だった美羽は、異世界の女神レスフィーナに救われる。
「あなたには私の世界で生きる力を身につけやすくするから、それを使って楽しく生きなさい。それで……私のお友達になってちょうだい」
女神から神気の力を授かった美羽は、女神と同じ色の桜色の髪と瞳を手に入れ、魔法生物のきんちゃんと共に新たな世界での冒険に旅立つ。しかし、転移先で男性が襲われているのを目の当たりにし、街がゴブリンの集団に襲われていることに気づく。「大人の男……怖い」と呟きながらも、ゴブリンと戦うか、逃げるか——。いきなり厳しい世界に送られた美羽の運命はいかに?
優しさと試練が待ち受ける、幼い少女の異世界ファンタジー、開幕!
基本、ほのぼの系ですので進行は遅いですが、着実に進んでいきます。
戦闘描写ばかり望む方はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる