魔封都市マツリダ

杏西モジコ

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人間になりたい魔法使い

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「鯛焼きを十個ください。あ、全部小倉あんで」
仏頂面の店主に青年はにこりと笑って言った。深緑色の髪が風に揺れる。身長はさほど変わりないが、猫背な乃亜は彼を見上げ、店名のプリントされた紙袋に言われた数の鯛焼きを詰め込んだ。
「はいよ」
代金と商品を受け渡しすると、青年はにこにこと楽しそうに笑って、店の奥へと視線を送る。しかし、それもほんの一瞬だけだった。乃亜と視線がぶつかると、軽く会釈をし紙袋から鯛焼きを一つ取り出すとかぶりつきながら店から去って行った。
最近、やたらと来るこの青年は、昨日も鯛焼きを十個ほど購入していった。有り難いことなのだが、実は昨日今日だけではない。ここ一週間、ほとんど毎日やってくる。そりゃ毎日来てくれる常連もいるが、いつも出来立てをおやつに一つ購入してくれる者が多い。この辺で仕事でも始めたばかりなのだろうか。気になっているものの、普段から人間相手に余計な詮索はしない様にと、口酸っぱく紫苑に言われていた事もあって深追いはしなかった。
「ノアくん、やっほー」
青年の後姿をじっと見ていると、反対側からいつもやってくる子供たちが小銭を握り締めて店の前にやってきていた。
「おぅ。今日はどれにするんだ?」
「僕はあんこの」
「わたしはチョコのやつ」
「あたしはクリーム!」
「へいへい、順番な。待ってろ」
子ども達は乃亜に言われた通り順番に小さな列を作る。てきぱきと頼まれた鯛焼きを紙に包み、一人ずつ小銭を受け取った。
「焼き立てだからな、気をつけて食えよ」
「はーい」
「ノアちゃん、バイバイ」
「おー」
全員に受け渡すと、子ども達は近くの公園のある方へ駆けていく。その様子をぼんやりと眺めていると、背中の方で煙管の煙の香りがした。
「今日も繁盛してますねぇ」
「ここで吸うなって何度言えば分かるんだよ」
「ノアくん、少しお願いがありまして」
「話聞け……ったく。で、何」
すんなりと話を聞く体勢を取った乃亜に、紫苑はくすくすと笑い、羽織っていた白衣の内ポケットから小さな小瓶を取り出した。紫の液体がキラキラと光っている。
「悪趣味な色だな……」
店の電球に照らさなくともその液体はハッキリと見える。乃亜はなんとなく危ない薬であることは察した。
「ふふふ。特別配合なんですよ。それで明日、これを届けてほしいんです」
「別に良いけど、また変な地下道の店とかやめろよ」
「あの店はまた一月後に頼みますが…これは『人間用(仮)』ですので変化はせずに向かってください」
乃亜は眉をしかめた。
「は、人間用?なんでお前の客に人間がいるんだよ」
紫苑の客は魔法使いの生き残りが主である。それ以外相手にしたことは今まで一度もない。というか、乃亜は目の当たりにしたことがなかった。人間を毛嫌いしている訳ではないが、人間には人間の医者がいて薬師がいる。この男を頼ってくるのは風の噂を必死に辿ってやってくる魔法使いか、昔馴染みの者だけだった。
「まぁ、正しくは『人間に憧れた魔法使い』です。魔力を持っているのにそれを認めたくないという方……だそうです。私もご本人にはお会いしていないのでなんともなのですが、その『人間』のお世話をされている方からのご依頼なので」
紫苑の歯切れも悪いため、その話は本当なのだろうと乃亜は溜息をついて話を飲み込んだ。



次の日、乃亜は紫苑から渡された地図を片手に朝早くから家を出た。話を聞く限り、今回は近場ではないらしい。店は定休日では無かったため臨時休業の看板を出した。パックに詰めたものを販売しても良いのだが、紫苑に店番はさせたくない。興味のあること以外は大抵大雑把なところもあるし、料理やお菓子作りはてんで駄目なくせしてやりたがる。変な気を起こして鉄板をダメにされても嫌だった。しかし、ここ最近毎日来てくれるあの緑髪の青年には悪いことをした。今度来た時におまけの一つでもくれてやると乃亜は勝手に心の中で彼と約束を取り付け、先を急いだ。

都市マツリダを出て、隣町から路面電車を乗り継いだ。紫苑の書いた地図には行き方も丁寧に記載してある。対魔法使いだからだろう、いつも遠方の配達になると、どんな相手だとしても絶対に帰れるよう人間の通りが多い道を選んで渡してくれていた。
隣町もマツリダと対して変わりがない。変わりあるといったら、特徴的な魔霧が薄く、街並みがはっきりと見える事ぐらいだった。暫く行くと、その路面電車の窓からもはっきりと見える街並みが、山々や田園の広がる風景に変わっていく。乃亜は再び紫苑の地図を開き、次の停留所で間違いないことを確認すると、すぐ近くの手摺りに付いた『次、降ります』のボタンを押した。

乃亜が降りた停留所には、錆びれた時刻表と待ち合いのベンチが二つ置いてあるぐらいで、周りには建物も何もない。ただ見渡す限り山で、停留所の向かい側に小さな小屋と畑があった。しかし、地図を見る限り路面電車を降りた後は山道をずっと登り歩くらしい。ベンチの後ろには人が一人通れそうな幅の山道が丁度良く見えた。たぶん、これだろう。



「バス停が目印だそうです。この裏の道をまっすぐいくとすぐ……と聞いています。それで、この場所に着いたらまず『マルコ』という男性を探してください。その方が依頼主です」
「了解。ちなみにどんなやつ」
「そうですねぇ、痩せ細っていて……。栄養が足りているのか心配になりそうな方……ですかねぇ」
「……そうかよ」
目の前にいる男もそうだと言ってやりたいのを我慢した。今朝、玄関でそんなやりとりをしたのをふと思い出す。そのマルコというのがちゃんとした魔法使いなら、自分達の居場所を簡単に見つけさせるなんてヘマはしないだろう。しかし、薬の受取人はそのマルコが世話をしている『人間』の魔法使いだ。もしかしたら、そのせいで住処を隠す事が出来ないのかもしれない。あれこれ考えても仕方ないため、乃亜は停留所の後ろに周り、山道を登り始めた。



山道を歩いて数十分が経った頃だった。本当は動物に変化した方が軽々と、もっと早く進めるのだが、紫苑から言われていたように相手は人間(仮)なのだ。途中で遭遇し正体を知られた場合、混乱をさせてしまう….と言われ、変化を自粛しろと言われていた。だとしても慣れない山道はかなり厳しい。乃亜は久々の山歩きに、喉の渇きさえ感じ始める。
さっさと帰って明日の仕込みもしたい。そういえば紫苑は今日、何でここに同行しなかったんだ……今回ので積み上げていた依頼が終わったと昨日は嬉しそうに話していたはずだった。まぁ、最近また寝ない日々が続いていた様でもあったし、今回は帰っても文句はいつもより少なく終わらせてやろう……。
ぜえぜえと息が上がってくる。山道はだんだんと急勾配になり、足が重くなっていった。
暫く歩き進むと、水音が聞こえてきた。紫苑の地図に書かれていたマルコという男の家は川の付近であるようで、目的地が近い事が分かった乃亜の足は少しばかり軽くなった。目の前の足場の悪いぬかるんだ道を登り切ると、川が視界に現れた。乃亜はゴクリと喉を鳴らす。久しぶりにこんなにも水を欲するとは思ってもいなかった。
川べりに駆け寄り、水の中に手を入れる。ひんやりとした冷たさが、ピリっと指先から頭の天辺まで伝う。両手で水を掬い、そっと口へと流し込む。喉に冷たい水が通り、さっきまでの渇きがみるみるうちに収まっていった。まるで生き返る気分だと、乃亜はほっと一息つくと辺りを見渡した。川の付近だと地図には書かれているものの、小屋ひとつ見当たらない。しかし、相手は魔法使いだ。紫苑のように結界の呪符を使えるものもいる。まぁ、こんな山の中でそれを使う意味はあるのか分からないが……。
様子を見ようと乃亜が立ち上がると、近くの木々がわさわさっと大きく揺れた。
「なんだ?」
上を見上げると、カラスやスズメ、ヒヨドリやキジバトが乃亜の頭上の木々に沢山止まっている。鳴きはしないが、視線はじっと乃亜を見つめていた。その中でも一羽の大きなカラスが一際強く乃亜を見つめている。つぶらな瞳に見えるが、その目力は重く刺さり、乃亜の動きを止めた。
動いたら、向かってくる.…。
確信的ではないが、乃亜も気が抜けない。周囲の木々が風によって揺れても尚、鳥達は一向にその場を動こうとしない。鳥達と乃亜の睨み合いが数秒間続き、そろそろこちらから仕掛けてやろうと思っていた時だった。


「こら、イタズラはダメだぞ」
奥へ続く山道から一人の少年が顔を出し、鳥達に声をかけた。褐色の肌に、ぶかぶかのパーカーと短パン、そして目印にもなりそうな大きな麦わらの帽子を被った彼は、見たところ二桁の年になる頃の少年だった。少年の声に反応した鳥達は一斉に飛び立ち、一羽のカラスだけが少年の肩の上に止まる。
「こんにちは。お兄ちゃん、迷子?」
少年はにこりと笑いながら乃亜に尋ねる。黒く焼けた素肌に白い歯が目立つ。少年の肩に止まっていたカラスは、彼の腕に飛び移ると、目を細めながら彼の頬に頭を摺り寄せていた。
「…マルコという男を探している」
乃亜が口を開くと少年は腕に乗せたカラスと顔を見合わせる。数秒の間、そのまま少年はカラスを見つめていた。乃亜が少年達に声をかけるが、こちらを見ようとはしない。その様子は一人と一羽で何かを相談しているように見えた。
「マルコならこっちだよ」
相談が終わったのか、少年はカラスを腕から放つと乃亜の手を取り、奥へ続く山道の方へと向かう。
「こっちって……川の近くにいるんじゃ」
「今はこっち」
とにかくついて来て、と言われ、乃亜は手を引かれるがまま少年の後についていく。知っているのであれば話が早い。結界が張られていた場合の時短にはなるだろう。そう思い、黙って後をついていくと、少し登った先に小さな煉瓦造りの家が見えてきた。
「マルコ、お客さんだよ。お店の近くにいたから連れてきた」
家の扉を開けるなり、少年はそう言った。お店と言った事に引っかかったが、奥から顔を出した痩せた黒い髪の男性を目にして乃亜は口を噤んだ。分厚い瓶底眼鏡をかけ、無精髭が目立つその男は、乃亜の姿を見て怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「あの…あなたは」
「紫苑の使いで来た、乃亜だ。薬を持って来たんだが……マルコってのはお前か?」
「あ、はいっ。まさか、こんなに早く来てくださるとは思っていなくて……!す、すみません……中へどうぞ」
中へ通されると、ここまで案内をしてくれた少年が近くの椅子を引き、乃亜に座るよう促した。


「これがその薬だ」
テーブルの上に紫色の液体の入った小瓶を置く。するとマルコはぺこりと軽くお辞儀をしてその小瓶を少年の前に置いた。
「アルバ、これを飲みなさい。そうすればまた、鳥達の声が途切れなく聞こえるようになるから……」
アルバと呼ばれた少年は、マルコに手渡された小瓶を不思議そうに眺めている。紫色の液体なんて人でも魔法使いでも好んで飲みたいとは思わないだろう。
「お兄ちゃんも魔法使いなの?」
アルバは小瓶の蓋を開け、恐る恐る匂いを嗅ぐ。
「そう見えたらそうじゃねぇか?」
「不思議な感じはするからそうなんだろうね。マルコ、これ飲めば僕の病気は治るの?」
悪臭はしないのが分かったが、やはり色が受けつけないようでアルバはマルコに尋ねた。病気、という単語に乃亜はピクリと反応する。確かに紫苑の薬は魔法使い専門ではあるが、病気を治すための薬を扱っているところは見たことがない。もしかしたら作ることは可能なのかもしれないが、今回も魔力維持の薬だと聞いていたはずだった。
「あぁ……すぐに良くなるよ」
「ふぅん」
アルバは眉を寄せたまま、小瓶に口をつけると液体を一気に飲み込んだ。
「うぇー……変な味」
「そりゃ薬だからな」
唸る彼の舌が少しだけ紫色に染まっているのが見えた。
「僕ちょっと試してくる。お兄ちゃん、薬ありがとう」
小瓶をテーブルに置くとアルバは乃亜に礼を言って外へ出て行った。
「アンタが飲む薬じゃ無かったのか」
「えぇ……。あの子に飲ませないと、弱っていく一方だったので」
乃亜は椅子の上であぐらをかき直す。
「どっちかっていうと、アンタの方が弱って見えるぞ」
こけた頬をまじまじと見ながら乃亜が言う。紫苑が言っていたことは何となく理解できた。
「あはは、よく言われます」
マルコは力なく笑い、窓から外にいるアルバの様子を見ていた。
「アルバは人間になろうとして、かれこれ数十年経ちます。自分が魔法使いの子どもで、魔力を持つ者だというのに」
「…どんな魔法なんだ?」
「アルバは鳥類と意思疎通ができるんです。でも、それは普通の事だと思っているようで……。確かに懐いている鳥なら人間でも意思疎通は出来なくはないと思いますが……」
乃亜は紫苑の言っていたことを思い出した。人間(仮)というのはどうやらアルバの事らしい。
「なんでそうなったんだ?」
乃亜の問いにマルコは溜息をついた。どう考えても鳥類と話せるだなんて、普通ではない。マルコの言うように懐いた鳥と人間の間で意思疎通は出来るかもしれないが、そんなものは人間の思い込みに過ぎない。鳥達側の本当の気持ちを知ることは不可能だ。
「人間の子どもが、『私もできる』と言ったんですよ」
「は……?あいつ、人間と関わりあったのか?」
乃亜は驚いて思わず気の抜けた返事を返した。こんな山奥に暮らしていながら何があったらそうなる、と乃亜が言うとマルコは罰の悪そうな顔をして口を開いた。
「人の目を気にしすぎた私が悪いんですけどね……彼、アルバを人間の子どもと同じ学校へ行かせたのが間違いでした」
「は、何だそれ」
「ですから、何度も反省はしました…」
「……あいつ、幾つだ?」
「百十です」
「その、人間の子どもと一緒に学校へ通っていたのは?」
「九十年ほど前ですよ……。その時から見た目も変わりないままなので……。まぁ、そろそろ身長ぐらいは伸びて来ると思うんですが」
乾いたような笑いを浮かべ、マルコは話した。



魔法使い狩りがあった今から百年ほど前。マルコの親友夫婦は魔法使い狩りによってアルバを残し、この世から消えた。残された幼いアルバを引き取ったマルコは、以前住んでいた場所から遠くへ逃げ込み、人間に紛れてひっそりと暮らしていたという。当時、まだ幼すぎたアルバには両親の記憶などなく、魔法使いもマルコ以外を目の当たりにしたことはなかった。暫くは働かなくても貯金を切り崩して生きていくことが出来たが、人間と同じく育ち盛りの子がいれば金は尽きていく。食事には困らないが、成長に伴って着るものは小さくなっていくばかり。当時は魔法使いと人間の戦後でもあったため、都市から離れた地区の物価は今の倍以上だった。
程なくして生活が困窮してくると、マルコは外へ仕事にいくようになっていった。家の近くで小さな屋台ラーメンを営む老人の手伝いをしながらなんとか金を稼ぎ、アルバと静かに暮らしていた。
その当時、マルコが仕事へ出ている時間帯はアルバは家にいることが主だった。外には行かないでというマルコの言いつけを守り、家の中で一人で遊び、時々窓辺に止まった鳥とお喋りをして過ごしていた。

ある日の事だった。いつも通り、マルコがアルバを置いて仕事に向かうと、仕事にいつも持っていく手拭いをうっかり家に置き忘れてしまった。取りに戻ろうとしたが、店主が屋台に予備があるから、と言って新しい物をくれたという。しかし、マルコの忘れ物に気がついたアルバは家から手拭いを持ち、彼の仕事場にそれを届けに来てしまった。


「良い話だと思うじゃないですか……でも、違ったんですよね」
「店主に何か言われたのか?」
マルコは首を振った。
「その日、仕込みの関係でお昼過ぎからのお手伝いでした。夕方近くにはもうお客さんも来始める時間帯で……。アルバが来たのはちょうど……お昼をすぎた時です」


すぐにアルバが来たことに気が付けなかったマルコは、屋台の客のケラケラと悪びれもなく笑う声と不審がって探りを入れる様な声が聞こえ、その事態を把握したという。
『この時間はまだ学校だろ?ズル休みか?』
『お母さんは?』
『どこの子?キミ、どっから来たの?』
サーっと全身の血の気が引く様な感覚は今でも覚えている。あの時、適当に言い訳を作ってやれれば良かったものの、人間にバレてはいけないという心配が先走り、勝手にパニックになって客の疑問に何一つ答えられなかった。


「手拭いを見た店主が適当な言い訳をしてくれたんですけど、店仕舞いの時にどんなに貧しくても子どもに教育はさせるべきだと叱られてしまって……。頼んでもないのにお金まで貸してくれたんです。返すのはいつになっても良いからって」
「だから、断れなかったってか」
「はい……。アルバも嬉しそうにしていましたし、その時はバレなきゃ大丈夫だと思っていました。彼には通うかわりに約束として、外で鳥類と話すことも魔法使いについて口にするのもダメだと言い聞かせたもので……」
乃亜も窓の外に視線を投げた。アルバが楽しそうに先程のカラスと会話をしている様子が見える。マルコはあんなに楽しそうにしているのを禁止させたことを今でも悔やんでいる、と言った。
「でも、アンタの言う事は守りそうに見えるけどな」
「えぇ。学校で自分と同じ年頃に見える子達と過ごすのが楽しかった様なんですよ。頑張って守ってくれていたんです。成績も良くて、飲み込みも早いし。先生からも褒められるのが嬉しいってあの時は言ってました。でも……同級生とは見た目は変わりないですけど年はかなり離れているし、聞き分けは良いと思っていたんですが……やはり約束を守り通すのは難しかった」
マルコは乃亜の向かい側の椅子を引き、ゆっくり腰かけると深い溜息をついた。
「ある授業で、『こんな逸話を知っていますか』と先生が魔法使いの話を始めたそうで。まだ魔法使いは自分や私の他にもいると思っていたアルバにとっては衝撃的だったんでしょう。昔話、お伽話のように語られて、箒に跨って空を飛ぶとか、杖を振ったら色んなことが出来てしまうとか。これはまだ良い方で、悪い魔法使いは人間の子どもを連れ去って食べてしまう……とか。そんなおかしな話をされたようでした」


その授業が終わり、納得のいかなかったアルバは難しい顔つきのまま帰宅をした。学校でのことを聞き、世間が魔法使いという存在を徹底的に『存在しない幻想の中の生き物』として教え伝えていく事にマルコは寒気までしたという。マルコ以上にアルバはその話をどう聞けば良かったのか、全く分からなかったのだろう。学校で先生に褒められたことをいつも自慢げに話をしていた彼が、絶対に嘘をつかないと思っていた先生がおかしなことを言ったと、そう言ったのだ。


「それから数日間は塞ぎ込んでました。だからでしょうね、いつだかの帰り道に近くを飛び回っていた鳥と喋りながら帰ってきたんです。たぶん、確かめようとしたんだと思います。先生の話した魔法使いと本当の魔法使いは違う事を。私の力は物の姿を消すぐらいしかできないのですが、彼の魔法は人目についたら不審がられる。だから外で使ってはだめだと約束をしたのに……案の定、その姿を同じ学校の子どもに見られてしまったんです」



鳥と話しながら帰ってくる姿を見て、マルコはもう一度アルバに約束を守るよう言い聞かせた。どうしてダメなのかも、全部話しをしてお願いだからと……。
しかし、アルバはまた約束を守ることができなかった。人目さえなければ大丈夫だと踏んだのだろう。マルコにもバレず、人の目にもつかない場所として思いついたのは人間の子どもと一緒に作った秘密基地だった。古い校舎の裏に作られた秘密基地のある場所は薄暗く、草木が生い茂っているため、学校帰りの薄暗い時間に一人でいくのは危険極まりない。アルバに関しては鳥達を呼んでしまえば、大したことない場所だと感じていた。
いつも家の近くでやっているように、鳥達個々に持つ名前を呼び、近くに呼び寄せる。その日はどこにでもいるようなキジバトやムクドリを呼び寄せて、他愛もない会話をしていた。まるで、相手が人間かの様に話して……。
『アルバくん?』
鳥の話に耳を傾け、夢中になっている時だった。聞き知った声が聞こえ、アルバよりも先に鳥達が反応し、その場にいた半数の鳥が空高く飛んでどこかへ行ってしまったのだ。
何が起きたか分からず、アルバが固まっていると声の主が秘密基地の方へ入ってきた。その子どもは、アルバが学校で一番仲の良い子どもだった。昼間に遊んだ時にハンカチを失くし、それを探しに来たようだった。人が見たら不審がる、と言って禁止させてきた魔法だったために、見られたことでアルバは色んな言い訳を並べただろう。しかし、人間の子どもはにこりと笑って『どうやったらできるの?』と聞いてきたという。
『わからないけど……なんとなく』
苦し紛れに絞り出した答えは曖昧で全く答えになっていなかった。
『アルバくんは分からないのにできるの?』
それ以上、なんと答えて良いか分からないアルバは彼女の問いに頷いた。
『なら、私もきっとできるわ。アルバくんが出来るなら、私もできるもの』
『あ、危ないよ。ほら、嘴とか……』
『大丈夫、優しくするから』
彼女はそう言うと、アルバの周りを飛んでいる鳥に手を伸ばした。警戒心の強い野鳥達はすぐに彼女から離れようとしたが、一羽のキジバトがその手に静かに乗ったのだ。
『ほら、私にもできた』
彼女は嬉しそうにそう言って笑ってキジバトの胸を優しく人差し指で撫でた。

その日、帰宅したアルバは嬉しそうにその話をした。
『もしかしたら僕、今の今まで勘違いしていたのかもしれない。人間は鳥と普通に話せるんだ。僕の力は大したことないんだ』
マルコはもちろん、約束を破ってしまったことを咎めたが、魔法を見た相手は子どもだ。鳥達と話をした、と言ったところで誰も信じやしないと鷹を括って、その時はアルバに魔法を人目のつくところでは使ってはいけないことを再度言い聞かせて終わった。




「でも、人間の親って野鳥より警戒心が凄いんですよね。当時ってまだ魔法使い狩りの嫌な感じがまだ残っていた時期でして……アルバの魔法を見た子の親が異常だと騒ぎ立てたんです」
「……なるほど。それでまた住処を変えたのか?」
一呼吸置いてからマルコは頷いた。
「えぇ……。騒がれて学校にも居づらくなりましたので。私もせめて六回生まではいさせてあげたい一心で、苦し紛れに先生や周りの人達に彼は人間だと言い張るしかなくて……。まぁ、周りの人間にアルバの身体的成長の遅さを指摘されてからはこれ以上は隠し通せないと思って、だいぶ離れたこの山奥に逃げ込んだんですけどね……」
あの時は散々泣かれて大変でした、と頬を掻きながら言った。
「それで。その話を俺に聞かせてどうしたっつーんだ」
なんとなくマルコの話を聞いて乃亜は察した。大方、薬を依頼した時に何か別のことを頼んだのだろう。マルコは背中を丸め、罰の悪そうな顔をしている。
「アルバはあの時から自分は人間だと自ら言い聞かせています。いや、なろうとしてるのかもしれないです。山を勝手に降りたりも頻繁ですし……それに、これ以上このままが続いたら私がいなくなった時に彼が困るでしょう」
ハの字に寄せた眉が寂しそうだった。確かに、先程川べりで出会ったばかりのアルバからは魔力反応が殆どなかった。乃亜にとって、あの至近距離で声をかけられるまで魔法使いが居ることに気がつかない方が異常だった。魔法使いの魔力は基本的に睡眠で補えるが、そもそもそれを維持するという意識の問題もある。魔力を保持するのにも微量の魔力を使うことになるのだが、彼にはその意思がない以上、この先紫苑の薬が手に入らない場合は非常に危険だった。
「紫苑さんにその事も相談したら、適任の助手がいると……」
乃亜はそれを聞いて舌打ちをした。
「助手になんてなった覚えはねぇよ……」
自分よりも子どもの相手が得意だろうとか、そんな理由だろう。乃亜は頭を抱えて溜息をついた。正直こんな遠い場所からはさっさと帰りたい。変化はアルバに見られたらと言われてお預けを喰らっていたため、もう足腰はクタクタだった。
「お願いします。私の魔法ではあまり説得力がない様で….」
「そうだ、アンタの魔法って」
「どんな物でも姿を隠せる魔法です。あなたが先程アルバと会った時、お店の方にいたって言っていたでしょう。川べりには私のラーメン屋台が隠してありまして、夜になるとそれを持って町に行ってます……。魔法使いのお客さんもたまに来てくださっていて、そこで紫苑さんの話を聞きました」
「だけど、こんな山奥でわざわざ隠す必要ねぇだろ」
「あはは……。少しでもアルバに魔法使いの存在を見せておこうという無駄な足掻きです」
苦笑いの様な、下手くそな笑顔が痛々しい。たぶん、マルコは誰にも相談をする事が出来なかったのかもしれない。
「ったく……どうなっても知らねぇからな」
乃亜は面倒くさそうに頭を掻いたが、腰掛けていた椅子からゆっくり立ち上がると家の扉から出て行った。


「あ、お兄ちゃん」
乃亜が扉を閉めると、その音でアルバが振り向いた。彼の周りには数羽の野鳥達が飛んでいる。肩に乗って羽根を休める鳥もいれば、彼の足元を軽く突いている鳥もいた。
「もう帰るの?」
「そうだな。ここはマツリダから遠すぎる」
一羽のスズメが乃亜の頭に止まった。
「飛べないのは不便だね、だって」
「鳥がそう言ったのか?」
「うん。お兄ちゃんの持ってきた薬でよく聞こえるようになったよ、ありがとう」
アルバが嬉しそうに笑い、乃亜はその頭を軽く撫でた。懐かしい感じが乃亜の表情を歪ませる。
「お前、その力のことどう思う?」
アルバの視線に合わせ、乃亜はその場に蹲み込んだ。アルバはその問いに唇を尖らせながら、ウーンと小さく唸ると口を開いた。
「悪くはないと思ってるよ。みんなが僕と話をしてくれるから、寂しくないし」
「……そうか」
「でも、時々こんな力はなくても良かったって思う」
乃亜の頭に乗っていたスズメがアルバに飛び移った。
「寂しくないから良いんじゃないのか」
アルバは首を横に振った。
「僕、『これ』があるから寂しくなることもあるんだ。不思議な力があるから、周りの人から変な目で見られて、マルコが必死に僕を隠そうとしたんだ。まぁ…僕が約束を破ったからこうなっちゃったんだけど。その時のマルコ、すごく大変そうで、毎日疲れてて……一週間眠ったままの時もあった」
乃亜は黙ってアルバの話を聞いた。逃げ隠れしながらもマルコはきっとアルバを他の者から自分の魔法で隠していたのだろう。魔力が尽きれば一週間寝込むなんてザラだ。だが、アルバはそんなことを知る様子すら伺えない。
「マルコが疲れちゃうならこんな力は無くても良い……って、そう思うことが沢山あった。だから僕が人間になれれば、そういう心配はなくなるでしょう?」
ヘラっと笑うと白い綺麗な歯が見えた。乃亜は、蹲んでいた足を伸ばすと家の窓でこちらを心配そうに眺めるマルコの方を見つめる。
「アイツの心配事が増えるだけだろ」
「でも、人間の子が言ったんだ…。鳥と人間は喋れるのものだって。絵本に出てきたお姫様もそうだって。だから僕も人間と同じだって気がついて」
「人間はそんなこと出来ねぇよ」
「でも……」
「どっかで気がついてるのを誤魔化してるぐらいなら、さっさと魔法使いとして生きることを受け入れろ」
「僕、誤魔化してなんか」
「人間になんてなれる訳がない」
「な、なれるよ!」
「どうやって。魔法を捨てるか?知ってんだろ、魔力が尽きたらどうなるかってことぐらい」
「それは…っ」
何かを言いかけたが、アルバは口を噤んだ。「あいつの友人である自分の両親が死んだのも、あいつがお前を何から守っているのかも……分かって言ってんのか」
「それは……」
「ったく…..見た目も餓鬼なら中身も餓鬼だな」
追い討ちをかける様に乃亜が言うと、アルバの目付きが変わった。
「わ、分かってるよ!お兄ちゃんだって僕の気持ちなんか分からないクセに!マルコが僕を隠そうとしてどんどん魔力を使うたびに痩せ細っていくんだよ!僕が魔法使いじゃなければマルコはもっと元気になるのにっ!」
大きな声で怒鳴る様に言うと、感情が昂って胸が熱くなり、アルバの目頭までその熱が昇っていく。乃亜が口を開きかけると、ガサガサと周りの木々が大きく揺れ始めた。その辺りにいた野鳥たちが乃亜の上空を一斉に飛び廻り始め、大きな翼を広げ、鋭い眼で乃亜を睨みつける。その中でも一際大きな体をしたカラスが大きな声で鳴きだすと、山の奥から更に数羽のカラスが飛んで来た。
「ど、どうしたのみんなっ」
野鳥の様子に驚いたアルバが大声を出すが、カラス達の鳴き声が響き、その声は霞消える。外の様子を見ていたマルコも家の中から飛び出してきた。
「アルバっ!鳥達を止めるんだっ」
「でもっ」
「早く!ノアさんがっ!」
マルコが乃亜の名前を叫ぶと同時に鳥達が一斉に乃亜へと向かって急降下した。鋭い嘴が光り、真っ直ぐに乃亜目掛けていく。
「あ、危ないっ」
「ダメーーっ!」
アルバの声でも鳥達は止まらない。思わず鳥と乃亜の間に飛び込もうとするアルバをマルコが強く抱きしめ引き留めた。
「お兄ちゃんがっ!」


二人が目を瞑ったその時だった。ほんの一瞬の出来事で、アルバとマルコは開いた口が塞がらなかった。目の前にいたはずの乃亜の姿が黒い毛並みの犬の姿に変わり、大きな唸り声をあげたかと思うと、狼のような低い声でひと吠上げた。思わずアルバとマルコの足が竦む。鳥達は一瞬怯んだが乃亜を取り囲み、嘴で襲いかかる。向かってくる鳥達に鋭い牙を剥き出しにしながら乃亜も応戦するが、噛み付いたりする様子はない。しかし、グルルルと鳴る喉の音は全くと言って良いほど穏やかではなく、今にも鳥達に飛びかかりそうな勢いがあった。
「ま、待って!お兄ちゃんっ。何もしないで!」
マルコの腕の中をすり抜け、アルバが鳥の前で大きく手を広げ乃亜の前に立ち塞がる。乃亜のグルルルという唸り声はまだ収まらない。
「僕、みんなにちゃんと話すから……。お兄ちゃんの言ってる事、間違いじゃないって……ちゃんと自分が何なのか分かってるって言えるからっ。だから、みんなを怒らないで……っ」
奥歯を噛みしめながら話すため、上手く喋れていない。身体が震え、冷や汗も酷い。いくら乃亜だと分かっていても、唸り声をさせ牙を剥き出しにした犬に恐怖心を抱かない訳がなかった。
数秒程、乃亜とアルバの小さな睨めっこが続いた。先に折れたのは乃亜だった。犬の姿から人型に戻った。腕や足、頬に切り傷のような跡が数カ所みえ、所々血が滲んでいる。乃亜はアルバの目の前にしゃがみ込むと彼の頭を優しく撫でた。
「煽って悪かったな……」
乃亜の声を聞き、力の抜けたアルバはその場に崩れ落ち、目にためていた涙を一気に流し始めた。その様子を近くで見ているカラス達がまた大きな鳴き声を上げる。
「ノアさん、怪我はっ」
マルコが真っ青な顔色をして駆け寄ってくる。乃亜よりもフラフラとしていて危なっかしい。
「大したことない。アイツらもアルバがちゃんと説明して分らせてくれるってよ」
マルコは乃亜のその言葉に安堵の表情を浮かべた。



「僕、ちゃんと魔法使いとして生きるよ」
鳥達を宥めたアルバが川辺で隠れていたラーメン屋台の準備をしながら言った。彼の発言に驚いたマルコが寸胴鍋を足元に落として騒いでいる。
「鳥になんか言われたのか?」
乃亜は川辺にあった大きな石に座り、静かに笑う。アルバは首を横に振りながら話した。
「僕、自分の事しか考えてなかったんだ。本当は人間になれないって前から分かってたし。お兄ちゃんの言う通り」
ガシャガシャと背後で雪崩落とした寸胴鍋を積み上げる音が響く。
「魔法使いが死ぬ時は消えてなくなるって……僕より先にマルコがいなくなったらって考えたら苦しかった。マルコがいなくなった世界で生きていく自信がなかったから、同じ様に魔力を減らしてしまえば….…って。最初はただ、友達と同じが良かっただけだったんだ。一緒に遊んで、一緒に大きくなりたかった。僕より先に大きくなって、みんないなくなっちゃうなんて悲しかったんだ。だから人間になりたいって……思ってた」
アルバの肩に一羽のカラスが降りた。
「クソ餓鬼の考える事だな」
乃亜の悪態にカラスが大きな声で鳴く。煩いという返しの替わりに乃亜がまた舌打ちをした。
「ちゃんと自分と向き合えば良い。そんで気の済むまで一緒にいろよ。お前はマルコよりも、俺よりも若いから不安定になればなるだけ魔力が消える。話し相手が欲しいなら俺を呼んでくれても良い。丁度お前ぐらいの身長で暇してる魔法使いも知ってるしな」
「えっ。本当?」
「おー。毎日たらふく食べるくせに運動不足だから山登りの相手してやってくれ。あぁ、運動不足解消ならもっと必要なひょろっとした胡散臭い眼鏡野郎もいるから」
「あはは。仲良いんだね」
「まぁ、腐れ縁だからな。お前の鳥と一緒」
アルバはそれを聞いて肩に乗っていたカラスに微笑んだ。
「アルバ、薬ぐらいなら運んでやる。いつでも呼べ。だけどな、簡単に消えたいとか魔法使いである事を放棄すんなよ。俺もお前も納得いくまで生きろ」
「うん、分かったよ、お兄ちゃん」



マルコの『隠す魔法』を解かれると、彼らの住処までの山道は来た時よりも短い事が分かり、乃亜が大きなため息をついた。
「本当にありがとうございました。お代は紫苑さんへ必ずお支払いします」
「あぁ。取り立てすんのにまたここに行ってこいは御免だからな」
マルコが苦笑いを浮かべ、ラーメン屋台の車輪に引っ掛けていたストッパーを外しゆっくりと屋台を引き始めた。
「お兄ちゃん、ラーメン食べてくの?」
「いや。帰って明日の仕込みと……寝不足の魔法使いの様子を見ないといけないからな。また改める」
仕込みと口に出して言うと、あの緑髪の青年がふと乃亜の頭に浮かんだ。
「その時は是非、紫苑さんと来てください」
「あのなぁ……。運動不足の薬師を簡単に連れてこれるんだったら明日にでも来てやるっつーの」
乃亜は二人に別れを告げ、いつもの黒猫姿に変化すると、来た時よりも軽やかに家路へと足を進めていった。




「お帰りなさい。お風呂にしますか?それともお夕飯にしますか?それとも……」
「全部自分でやる」
「んもー。連れないですねぇ」
玄関を開けるなり、いつもの羽織っている白衣姿ではなくどこから引っ張り出したのか、割烹着を被った紫苑が正座をして現れた。にこにことしたその笑顔と、目の下のクマがすっかり消えているのを見て、乃亜は寝不足はなんとかなったと一息ついた。
「どうでしたか、『人間』さんは」
「人間の事をまるで知らないクソ餓鬼だったよ」
風呂場へと向かう乃亜の後ろをついて回り、そうでしたかぁ。となんとも呑気な返事をする。乃亜は風呂場の戸を引き、給湯機のスイッチを押すと蛇口を捻って湯船にお湯を溜め始めた。風呂場から一旦出ようとすると、紫苑がそれを邪魔してくる。
「なんだよ、ウゼェ」
「ノアくん……すみませんでした」
「はぁ?気色悪ぃ……急に謝るなよ。留守中に何壊したんだ?」
紫苑が顔を顰めると、乃亜は溜息をつく。
「……勝手に助手にすんな」
「そんな事ではありません」
「最初から変化しても支障無かった」
「分かっているくせに」
お湯が溜まり始めた湯船から湯気が出て、紫苑の眼鏡が曇り始める。
「あなたの妹達と同じくらいの子だったんじゃないんですか.…」
「だからなんだ」
「デリケートな部分を刺激してしまったと反省を」
乃亜は紫苑を睨み、彼の胸ぐらを掴んだ。勢いがついたせいで紫苑の眼鏡が床に落ちる。二つの同じ色の瞳がぶつかった。
「舐めんじゃねぇよ」
「…………っ」
「アルバと妹は状況が違う。同じにするな」
押し除ける様に紫苑から手を離す。鋭い眼孔は突き刺す様に目の前の男を捕らえて離さない。
「すみません……」
紫苑はしおらしく頭を下げ、眼鏡を拾った。
「くだらない事気にしてんなら、風呂の溜め方ぐらい覚えろよ」
「……覚えたら、一緒に入ってくれますか」
「次はマジで泣かすぞてめぇ」
「ふふふ、それはどっちの意味でしょうか」
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