【完結】偽王女を称える婚約者に裏切られたので賭けに出たら~敵国の冷酷な皇太子殿下が「君しか愛することはない」と求婚してくるのですが!?~

入魚ひえん

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40 元婚約者との決別

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「ミスティナ、待ってくれ!」

 背後から呼びかけられ、レイナルトの待つホールへ向かうミスティナの足が止まった。
 人気のない通路を振り返り、小さく息をのむ。
 ヴィートン公爵夫妻が来ることは想定済みだが、彼がいるとは思いもしなかった。

「リレット……どうしてここへ?」

「ヴィートン公爵夫人の後をつけたんだ」

 元婚約者は平然と言う。
 彼はヴィートン公爵夫人が騒ぎを起こしている間は、自分の身を隠してうまく忍び込んだのだろう。
 人の力をこそこそ利用しているのが、彼らしかった。

「ミスティナ、俺が迎えに来てあげたよ。だからもう安心だ」

「安心? あの……なんの話かしら。あなたが私をクルーラの代わりに帝国へ送れと提案したのよね? 『もう諦めよう』って」

「その話はやめてくれ、俺は悪くないんだ! そう、本当ならミスティナではなく、役に立たないクルーラを追放するべきだったのに……すべてはヴィートン公爵のせいだ! だから今のローレット王国はひどい状況になっている!」

 久々に会ったリレットは、相変わらずに思える。
 権威にへつらい、口を開けば言い訳と他者をおとしめることばかりだ。

「でもミスティナ、ヴィートン公爵はローレット王国を見捨てるつもりらしい。だから君が一緒に戻ってくれれば、俺たちの王国を再興させることができる!」

「俺たちの?」

「そうだろう? ミスティナの気持ちはわかっている。何度も俺の夢にやってきてくれたんだから」

 ミスティナには彼の理屈がよくわからない。
 ただ言いようのない薄気味悪さを感じた。

「……なんのこと?」

「俺たちはヴィートン公爵に虐げられていたけれど、一緒に耐えて支え合ってきたじゃないか。だからこれからは、ふたりでローレット王国を支配することができるはずだ!」

 リレットはまだミスティナの婚約者のつもりでいるらしい。
 しかも王国のことを考えているのではなく、権威ある立場になりたいという彼の欲望が、言葉の端々に滲んでいた。
 なによりミスティナには、リレットと支え合うどころか、おとしめられた記憶しかない。

「リレットの望んだ通り、私たちの婚約は破棄されているわ。それにあなたは私が浮気をしていると嘘をついてまで、クルーラの身代わりにしようとしたじゃない」

「ヴィートン公爵とクルーラの機嫌を損ねれば、君の命が危険にさらされていたんだ! だからあの嘘は最善の判断だった。俺たちは諦めるしかなかったんだ!」

(そうだったわ。彼は私を守るというよくわからない理屈で、私をクルーラと比較しておとしめ続けてきた……)

 しかしそれは、リレットの保身からの言い訳でしかなかった。

「俺はミスティナを救いに来たんだ! 危険で冷酷な皇太子なんて君にふさわしくない!」

「……ふさわしくない?」

「だってそうじゃないか。彼は皇太子という立場を利用して、君を密書で呼びつけた卑怯なやつだ! 恐ろしく残忍だと、世界中が恐れている男といて幸せになれるはずがない!」

 リレットの無知な決めつけに、ミスティナの気持ちは冷えびえとしていく。

「あなたにはわからないでしょうね」

 リレットに対して特別な感情を持ったことはない。
 望んで婚約したわけでもない。
 婚約していたときは彼と協力していきたいと思っていたが、今ではその気持ちすら消え失せている。

「レイは私に求婚してから、誠実に歩み寄ってくれたわ。だから私も彼が私にふさわしいかではなくて、私が彼にふさわしくありたいの」

 彼と過ごしたひとつひとつを思うと、温かな気持ちになる。

(私たちの婚約は、ふたりで選び取ったもの。一方的に婚約破棄をするなんて……私を大切にしてくれる彼の気持ちを踏みにじるようなこと、絶対にしないわ)

「なにより今の私の婚約者はリレットではありません。私が心から尊敬するレイナルト殿下よ」

 リレットはその事実を否定するように、顔を赤くして怒り出す。

「いいから早く来るんだ! あいつは噂通りのひどい男に決まっている! 君は俺に会えなかったつらさで、おかしくなっているだけだ!」

「つらかったのはむしろ、お父様を失ってから王国にいたあの日々よ!」

 なにより苦しかったのはアランが行方不明となり、フレデリカが悲しみに暮れていたころ。
 ミスティナは毎日のように膨大な仕事をリレットに押し付けられ、クルーラと比較されてはおとしめられた。
 そしてヴィートン公爵に媚を売るためだけに、密書で呼ばれたミスティナをクルーラの身代わりとして送ろうと言い出したのだ。

「あなたは今まで、ヴィートン公爵の権威にしがみつくことしか考えていなかった」

(だから私の大切な人たちを傷つけても、なにも感じなかった)

「さようなら。もうあなたに会うつもりはありません」

「待てミスティナ! 話を、」

「いいえ。私のことはもう諦めてください」

 背を向けたミスティナに、しかしリレットは詰め寄ろうとする。
 そのとき一陣の風が突き抜けた。
 ミスティナを守るように、リレットの前に黒髪の美丈夫が立ちはだかる。

「答えは出ただろう」

 ミスティナに届きかけた元婚約者の腕を、レイナルトはすでに捕らえていた。

「汚らわしい考えで俺の婚約者に触れるな。ティナは無粋なことを言わないが、おまえのしてきた卑屈な傲慢はアランから聞いている」

 レイナルトの眼差しと低く酷薄な声に、殺意とも憎悪ともつかぬ怒りが不吉に揺れていた。 

「俺を誰だか知っているだろう? 許されるとは思うなよ」

 容赦のない迫力に射抜かれ、リレットは冷や汗を吹き出し震え上がる。

「な、なにを……ひっ!!」

 リレットの顔中に、呪わしい魔術陣がシミのように浮かんだ。

「うわあああっ!!」

 おぞましい魔術の風が吹き荒れ、リレットは壁まで吹き飛ばされる。
 冷酷な皇太子は床にうずくまる弱者を見下ろしながら、抑揚のない声色で宣告した。

「おまえはもう、彼女だけは見ることができない。声も聞こえない。永遠にな」

「……なに?」

 リレットは顔をあげる。
 しかし彼の瞳に、そこにいるはずの人は映らなかった。
 こつ然と消えたミスティナの姿に、リレットはみるみるうちに青ざめて叫んだ。

「ミスティナ、どこだ!? 俺の話を聞いてくれ! 俺が王族になるためには、父のような破滅から助けられるのは、もう君しかいないんだ!!」

「ティナ、行くぞ」

 レイナルトは同行させていた衛兵に、その場を任せる。
 ミスティナは一度だけ、まだ虚しくわめいているリレットを振り返った。
 彼は衛兵に引きずられ、ヴィートン公爵夫人と同じく地下へと連行されていく。

「リレットにはもう、私の姿や声が見えないの?」

「ああ。もうティナはあいつにつきまとわれることもないから安心しろ。なにより俺が、あんなやつにティナの姿を見られたり声を聞かれたくない」

(たしかにあの様子は、他の人から見ても見苦しかったわよね)

 もう二度とリレットに絡まれることがなくなったと思うと、安堵が込み上げてくる。

「レイ、助けてくれてありがとう。それにごめんなさい、戻るのが遅くなってしまって」

「気にすることはない。ただティナが早く戻ると言っていたから、なにかあったのかと思って来たが……」

「聞きたくもない話だったでしょう」

「あいつの見苦しい言い訳と思い込みには辟易したが。……ティナはさっき、嬉しいことを言ってくれたな」

「あ、言ったわね! 『レイが意外とかわいいこと、わかってないわね!』って」

 きっぱりと告げると、ふたりの会話に間が空く。

「……言ったか?」

「あら。言わなかったかしら」

 ミスティナはわからなくなって首を傾げた
 その仕草も愛おしいというように、レイナルトは表情を緩める。

「ふたつほど言っておくが。かわいいのは俺ではなく君だ。それとこの先ああいうやつが来たとしても、俺はティナを放すつもりはない」

 レイナルトはそう宣言すると、彼女の手を取り微笑んだ。



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