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25 辺境伯の事情
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ミスティナが顔を上げると、レイナルトは見惚れるように目尻を下げている。
「うん。よく似合ってる」
「あ、レイ。髪飾りを取ってきてくれてありがとう……って今ね、それどころじゃないというか。私がファオネア辺境伯に言い寄っていると誤解を受けていて」
「ミスティナがサミュエルに言い寄る?」
レイナルトは緩んでいた美貌に眉を寄せる。
そして無言でミスティナの腰を抱き寄せると、赤ずくめの婦人に鋭い一瞥を投げかけた。
「俺の婚約者になにか?」
威圧的な声に問われ、赤ずくめの婦人から血の気が引いた。
「い、いえ。わたくしはただ、サミュエル様が気の毒なだけで……」
「君の感情論は聞いていない。俺の婚約者がなにかしたのか? それなら事実を明らかにした上で、謝罪する必要があるだろうな」
謝罪するのがどちらなのか明言せずとも、彼の冷ややかな不快感には凄みがある。
赤ずくめの婦人は心臓を握られているかのように表情を強張らせた。
「い、いえ。彼女はなにも。わたくしの勘違いです。失礼しました」
「そう思うのなら、今すぐ俺の婚約者のそばから立ち去れ」
忠告通り、赤ずくめの婦人は逃げるようにその場を離れた。
彼女が去っても、レイナルトはミスティナを抱き寄せたまま離さず、去った婦人の背に鋭い視線を向けている。
ファオネア辺境伯は耐えられないという風に笑った。
「レイナルト殿下、ミスティナ様の婚約者ぶりたかったんですね」
「婚約者だ」
ミスティナは「まだ違う」と言いかけて、今はその設定だからいいのかと思い直す。
「ティナがサミュエルの後妻候補だと誤解されるつもりはない」
「ふふ、そうですね。ミスティナ様、私を庇ってくださってありがとうございます。とても冷静に反論してくださるので驚きましたよ。それに娘ほど年の離れたミスティナ様が、私の後妻候補に見えたこともね」
レイナルトが言い返すより早く、ミスティナは口を開いた。
「ファオネア辺境伯、ご無礼を承知していますが質問させてください。あなたが新たに家族を迎えないのは、なぜですか?」
(先ほどの婦人の様子からも、ファオネア辺境伯への縁談は困るほど来ているようだったわ。でも彼は、それでも独身を貫いている……)
「もちろんファオネア辺境伯の個人的なお話ですから、無理強いをするつもりはありません。遠慮せずお断りください」
ファオネア辺境伯はさすっていた胃の辺りから手を離す。
「聞いてくださいますか? つまらない昔話ですが……あの婦人の言った半分は本当です」
そう前置きすると、彼は複雑な自分の思いを整理するかのように語りはじめた。
「私がまだ辺境伯ではなく、貧しい騎士だった若いころのことですが。親同士の取り決めで婚姻を結んだ妻がいました。しかし妻は娘を連れて私の元を去ったきり……今は婚姻も失効しています」
その妻が、領民からも評判の悪い前妻だった。
「娘はまだ一歳を迎える前でした。手を尽くして捜しましたが、どうしているのか……」
その年ごろで会えなくなったのなら、娘は父の存在すら覚えていないだろう。
ファオネア辺境伯はわずかな思い出を愛おしむように、静かな笑みを浮かべた。
「先ほどの婦人に誤解を受けていましたが、私は前妻に未練などありません。私にとってすでに過去のことですから。でも娘は……彼女がどうか幸せであってほしいと、私は今も願っています」
たとえ娘が別の地で暮らしていても、もう二度と会えなくても。
それが父となった彼の、祈るような思いだった。
「ファオネア辺境伯、私はあなたの娘様の気持ちがわかります」
娘と同じ年ごろのミスティナの言葉に、ファオネア辺境伯ははっとした様子で目を見開いた。
「たとえ娘様があなたのことを知らなくても、彼女はあなたに会いたいはずです」
「ミスティナ様……」
「あなたも本当は、娘様との再会を願っていますよね? だから彼女が戻って来やすいようにと考えて、新たな家族を迎える気になれないのではありませんか?」
ファオネア辺境伯の瞳に、今まで見せずにいた惑いが浮かんでいる。
娘との再会を諦めていたはずの彼は、胸を打たれたようにしばらく立ち尽くしていたが、やがて恥ずかしそうに視線を落とした。
「ミスティナ様にはなにもかも見抜かれているようですね。私は娘と別れてから十六年、そばにいれなくても父として恥じないようにと願い、心がけてきましたから。あなたから『娘も私に会いたいはずだ』と言ってもらえただけで、報われる気がします」
「でも諦めるには早いと思いませんか?」
「それは……」
「ファオネア辺境伯に、私からお願いがあります」
ミスティナは帝国へ来てから考えていたこと、婚約パーティーの挙行について相談する。
「今は話がまとまっていないので、あまり詳しいことはお伝えできません。レイや他の方たちと話し合いを進めてから、改めて相談してもいいですか?」
「……ミスティナ様は、ご両親が早逝されていましたね」
婚約パーティーを開く場合、女性側の家が主体となることが一般的だ。
両親のいないミスティナが婚約パーティーの主催を頼む理由について、ファオネア辺境伯は察したように頷く。
「もちろんです。レイナルト殿下の婚約者であるミスティナ様にお会いできて、まるで娘が婚約したかのように嬉しく思っていました。婚約パーティーに関して話がまとまった際はぜひ、私にお任せください」
ミスティナの申し出に、ファオネア辺境伯は娘の幸せを願う父親のような笑顔で答えた。
「うん。よく似合ってる」
「あ、レイ。髪飾りを取ってきてくれてありがとう……って今ね、それどころじゃないというか。私がファオネア辺境伯に言い寄っていると誤解を受けていて」
「ミスティナがサミュエルに言い寄る?」
レイナルトは緩んでいた美貌に眉を寄せる。
そして無言でミスティナの腰を抱き寄せると、赤ずくめの婦人に鋭い一瞥を投げかけた。
「俺の婚約者になにか?」
威圧的な声に問われ、赤ずくめの婦人から血の気が引いた。
「い、いえ。わたくしはただ、サミュエル様が気の毒なだけで……」
「君の感情論は聞いていない。俺の婚約者がなにかしたのか? それなら事実を明らかにした上で、謝罪する必要があるだろうな」
謝罪するのがどちらなのか明言せずとも、彼の冷ややかな不快感には凄みがある。
赤ずくめの婦人は心臓を握られているかのように表情を強張らせた。
「い、いえ。彼女はなにも。わたくしの勘違いです。失礼しました」
「そう思うのなら、今すぐ俺の婚約者のそばから立ち去れ」
忠告通り、赤ずくめの婦人は逃げるようにその場を離れた。
彼女が去っても、レイナルトはミスティナを抱き寄せたまま離さず、去った婦人の背に鋭い視線を向けている。
ファオネア辺境伯は耐えられないという風に笑った。
「レイナルト殿下、ミスティナ様の婚約者ぶりたかったんですね」
「婚約者だ」
ミスティナは「まだ違う」と言いかけて、今はその設定だからいいのかと思い直す。
「ティナがサミュエルの後妻候補だと誤解されるつもりはない」
「ふふ、そうですね。ミスティナ様、私を庇ってくださってありがとうございます。とても冷静に反論してくださるので驚きましたよ。それに娘ほど年の離れたミスティナ様が、私の後妻候補に見えたこともね」
レイナルトが言い返すより早く、ミスティナは口を開いた。
「ファオネア辺境伯、ご無礼を承知していますが質問させてください。あなたが新たに家族を迎えないのは、なぜですか?」
(先ほどの婦人の様子からも、ファオネア辺境伯への縁談は困るほど来ているようだったわ。でも彼は、それでも独身を貫いている……)
「もちろんファオネア辺境伯の個人的なお話ですから、無理強いをするつもりはありません。遠慮せずお断りください」
ファオネア辺境伯はさすっていた胃の辺りから手を離す。
「聞いてくださいますか? つまらない昔話ですが……あの婦人の言った半分は本当です」
そう前置きすると、彼は複雑な自分の思いを整理するかのように語りはじめた。
「私がまだ辺境伯ではなく、貧しい騎士だった若いころのことですが。親同士の取り決めで婚姻を結んだ妻がいました。しかし妻は娘を連れて私の元を去ったきり……今は婚姻も失効しています」
その妻が、領民からも評判の悪い前妻だった。
「娘はまだ一歳を迎える前でした。手を尽くして捜しましたが、どうしているのか……」
その年ごろで会えなくなったのなら、娘は父の存在すら覚えていないだろう。
ファオネア辺境伯はわずかな思い出を愛おしむように、静かな笑みを浮かべた。
「先ほどの婦人に誤解を受けていましたが、私は前妻に未練などありません。私にとってすでに過去のことですから。でも娘は……彼女がどうか幸せであってほしいと、私は今も願っています」
たとえ娘が別の地で暮らしていても、もう二度と会えなくても。
それが父となった彼の、祈るような思いだった。
「ファオネア辺境伯、私はあなたの娘様の気持ちがわかります」
娘と同じ年ごろのミスティナの言葉に、ファオネア辺境伯ははっとした様子で目を見開いた。
「たとえ娘様があなたのことを知らなくても、彼女はあなたに会いたいはずです」
「ミスティナ様……」
「あなたも本当は、娘様との再会を願っていますよね? だから彼女が戻って来やすいようにと考えて、新たな家族を迎える気になれないのではありませんか?」
ファオネア辺境伯の瞳に、今まで見せずにいた惑いが浮かんでいる。
娘との再会を諦めていたはずの彼は、胸を打たれたようにしばらく立ち尽くしていたが、やがて恥ずかしそうに視線を落とした。
「ミスティナ様にはなにもかも見抜かれているようですね。私は娘と別れてから十六年、そばにいれなくても父として恥じないようにと願い、心がけてきましたから。あなたから『娘も私に会いたいはずだ』と言ってもらえただけで、報われる気がします」
「でも諦めるには早いと思いませんか?」
「それは……」
「ファオネア辺境伯に、私からお願いがあります」
ミスティナは帝国へ来てから考えていたこと、婚約パーティーの挙行について相談する。
「今は話がまとまっていないので、あまり詳しいことはお伝えできません。レイや他の方たちと話し合いを進めてから、改めて相談してもいいですか?」
「……ミスティナ様は、ご両親が早逝されていましたね」
婚約パーティーを開く場合、女性側の家が主体となることが一般的だ。
両親のいないミスティナが婚約パーティーの主催を頼む理由について、ファオネア辺境伯は察したように頷く。
「もちろんです。レイナルト殿下の婚約者であるミスティナ様にお会いできて、まるで娘が婚約したかのように嬉しく思っていました。婚約パーティーに関して話がまとまった際はぜひ、私にお任せください」
ミスティナの申し出に、ファオネア辺境伯は娘の幸せを願う父親のような笑顔で答えた。
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