【完結】とある義賊は婚約という名の呪いの指輪がとれません

入魚ひえん

文字の大きさ
上 下
52 / 55

52・地の底から

しおりを挟む
「もしこの穴に誰かを突き落として母さんが戻ってきたら、私は義賊でいられなくなる」

「イリーネ……」

「母さんが教えてくれたから。奪うんじゃなくて、必要な相手に分け与えるお手伝いをするんだって。まだ全然、分け与えるどころか、もらってばっかりだけど。いつかなりたいんだ。それにね」

 イリーネは横たわっているレルトラスの赤い髪を撫でた。

「今の私は、こんな風にレルトラスを失うなんてできない」

 ユヴィの瞳が光を失う。

 ァァアアアァ……

 巨大な穴の底から身の毛のよだつ高音が轟くと、ユヴィは寂しそうに笑った。

「母さんがイリーネに会えて喜んでる。イリーネが悪魔と仲良く迎えに行ってくれたら、母さんは帰って来てくれるかな」

「ユヴィ……」

「母さんを連れてきてよ、イリーネ」

 ユヴィはイリーネに手を伸ばす。

 肌に触れる直前で、幾何学模様が円のように浮かび上がると、接触を阻んで弾いた。

 レルトラスの禍々しさが、神聖な空間を制圧する。

「害虫がイリーネに触るな」

 衰弱が偽りと思えるほどの邪悪さに、ユヴィは一瞬で捕縛された。

「……嘘だろ。この清浄な空間で悪魔が魔術を使えるなんて」

 ギァァアアア……

 穴の底で、飢えを満たそうと供物を渇望する声が醜く反響する。

 ァァァアアアアアア!

 地の底から迫るそのおぞましい気配に動けないイリーネを、レルトラスが振り払った。

 吹っ飛ばされたイリーネの目の前で、巨大な手の形をした漆黒が穴の底から突き上がり、レルトラスとユヴィを軽々とわしづかみにして引きずり込む。

「レルトラス! ユヴィ!」

 混乱のまま悲鳴を上げるイリーネの側で、エールが訴えるように鳴き始めた。

 それに気づいてイリーネがわずかに冷静さを取り戻すと、エールは穴へと一歩足を向けて鳴く。

(まさか……)

 エールの助けに行く意思を感じ取ったが、イリーネは首を横に振った。

「行ったらダメなんだよ、エール。その下には、連れていけない。待っていて、私が……」

 イリーネが震える足で歩き始めると、エールが堂々とした様子で立ちはだかり、長い尾を高らかに上げて鳴く。

(エール……もしかして気づいてる? 私がひとりで行っても戻って来れる可能性、ほとんどないこと)

 見上げてくる気高い聖獣の態度に胸を打たれ、イリーネは自分よりずっと頼もしいエールを抱きしめた。

「私のこと、助けてくれようとしてるんだね」

 エールは返事として恐れも見せずに気丈に鳴き、ひとりで向かうつもりだったイリーネは別の覚悟を決める。

(エールがいてくれるなら……できるよ)

「ありがとう。私たちの大切な人、迎えに行こう」

 イリーネは片手に抱いたエールと共に、黒く塗りつぶされた果ての見えない地の底へ飛び込んだ。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

あなたが「消えてくれたらいいのに」と言ったから

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
「消えてくれたらいいのに」 結婚式を終えたばかりの新郎の呟きに妻となった王女は…… 短いお話です。 新郎→のち王女に視点を変えての数話予定。 4/16 一話目訂正しました。『一人娘』→『第一王女』

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

処理中です...