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6・主人の共感能力は壊滅的である
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エアは口をあんぐり開けたまま固まる。
その見た目を裏切らない、悪魔のような冷酷な微笑みを浮かべる主人にも、ついに思いやりが宿ったのだろうか。
彼が生まれてから今まで、エアは献身的な愛情をこめて世話をしてきた。
それがついに実を結び、主人は温かい心を持ち始めたのかもしれないと、胸をときめかせる。
もしかするといずれ恋をして、将来を誓い合い、家族が増え……そうなれば子育てのお手伝いなど頼まれるかもしれないと想像力を未来へ飛ばし、エアは歓喜に瞳を潤ませた。
「小さかったレルトラス様も、今はこんなに大きく頼もしい方に育って……私も色々なことを学ばせてもらいましたね」
エアが共に成長してきた思い出を胸に刻んでいると、主人が酷薄な微笑を向けてくる。
「この館の前でマイフがサヒーマを飼いはじめたからね。見ていたら俺も何か面白そうなものをかわいがってみたくなったんだ。ちょうど良かったよ」
「ええ、ええ、素敵ですね! さっ、さっそくサヒーマのようにかわいがって……ん?」
「そうだね。イリーネは気を失っているから寝かせようと思うのだけど、ずいぶん汚れているし洗ったほうがいいのかな」
少々戸惑うエアに気づく様子もなく、主人は上等なソファにイリーネを横たえると、さっそくローブを脱がせはじめた。
「へぇ……体中に大量の革のベルトを巻き付けてる。驚いたな」
知恵の輪でも楽しむように恩人のベルトに手を伸ばした主人を見て、エアは慌ててその顔の前に飛びこみ、自分に注意を向けさせる。
「驚いているのは私の方です! レルトラス様、イリーネ様は女性なのですよね!」
「そうだったはずだけれど……それが?」
「それがではありません。人間の、特に女性に対し、勝手に衣類をはぎ取ってはいけません!」
「ああ。脱がされるのが嫌な女もいるのか」
なるほどと言った様子で頷く主人を見て、エアは以前暮らした領地で彼に付きまとってきた亜人好きの若い女が、主人をひとけのない場所に誘導して服を脱がせてとせがんだとき、煩わしさのあまり焼き払われたというささやかな事件を思い出す。
「イリーネなら、俺は嫌でもないけど」
「あなたの希望は問題ではありません!」
「……なぜだい?」
「レルトラス様、イリーネ様をかわいがりたいのでしょう!」
「そうだよ」
「どうしてですか?」
主人は神妙な顔をして黙り込む。
いつも自分が思ったまま行動しても後悔しない主人は、その理由をよく考えることがあまりないらしい。
エアは物わかりの悪い子に根気よく教える気持ちで、ゆっくりと言い聞かせる。
「仲良くなりたいのですよね?」
言われてようやく、主人は合点がいったという様子で頷いた。
「なるほどね。かわいがっているのに懐かなかったら燃やしてしまいそうだしね」
「そんなことをすればイリーネ様の心も体も傷つきますよ!」
「俺がすっきりする代償だからね。些末なことは気にしない」
主人の共感能力は壊滅的である。
「それでは仲良くなれません。相手が嫌がることをしては嫌われます」
「それは確かに……そうか。嫌われたくないから、嫌がることをしない。なるほど、理に適っているね」
主人のこの様子では、相手に対する思いやりの話をしても全く理解できなさそうなので、エアはとりあえず理に適っているで妥協して話を進める。
「レルトラス様。女性であるイリーネ様のお世話は私にお任せ下さい。もう一度お伝えしますが、女性の衣類を勝手にはぎ取ってはいけません」
エアは念を押してからふわりと飛び立ち、自分の身体ほども大きさのあるドアノブを両腕で引いて客間の扉を開いた。
「ではどうぞ、イリーネ様をこちらへ!」
「わかったよ。エアにもイリーネの世話を頼むことにする」
主人は恩人をソファから抱き上げると客間へ向かい、ふと途中で立ち止まる。
「懐かれるためには、何をすればいいのかな」
主人が珍しく自分以外の人に興味を示していると気づき、エアははっとした。
これは主人に人との関わりを学んでもらう、またとないチャンスだ。
「そうですね。女性は特に、気持ちを大切にする方が多いので……心のこもった贈り物などを直接渡すと、喜ばれるかもしれません。きらきらした装飾品などでしたら、私が欲しいくらいです!」
エアがはしゃいでいるのを聞いていたのかいないのか、主人は真剣に考えこんだ様子のまま再び客間へと歩き始める。
その様子を見て、エアに笑みが浮かんだ。
突拍子もなく凶悪なことをしでかす主人とはいえ、生まれてからずっと彼の世話をし続けてきたエアとしては、常に退屈そうな彼のいつになく健気な姿を見られることはとても嬉しい。
なにより、今日の主人はとてもかわいらしかった。
その見た目を裏切らない、悪魔のような冷酷な微笑みを浮かべる主人にも、ついに思いやりが宿ったのだろうか。
彼が生まれてから今まで、エアは献身的な愛情をこめて世話をしてきた。
それがついに実を結び、主人は温かい心を持ち始めたのかもしれないと、胸をときめかせる。
もしかするといずれ恋をして、将来を誓い合い、家族が増え……そうなれば子育てのお手伝いなど頼まれるかもしれないと想像力を未来へ飛ばし、エアは歓喜に瞳を潤ませた。
「小さかったレルトラス様も、今はこんなに大きく頼もしい方に育って……私も色々なことを学ばせてもらいましたね」
エアが共に成長してきた思い出を胸に刻んでいると、主人が酷薄な微笑を向けてくる。
「この館の前でマイフがサヒーマを飼いはじめたからね。見ていたら俺も何か面白そうなものをかわいがってみたくなったんだ。ちょうど良かったよ」
「ええ、ええ、素敵ですね! さっ、さっそくサヒーマのようにかわいがって……ん?」
「そうだね。イリーネは気を失っているから寝かせようと思うのだけど、ずいぶん汚れているし洗ったほうがいいのかな」
少々戸惑うエアに気づく様子もなく、主人は上等なソファにイリーネを横たえると、さっそくローブを脱がせはじめた。
「へぇ……体中に大量の革のベルトを巻き付けてる。驚いたな」
知恵の輪でも楽しむように恩人のベルトに手を伸ばした主人を見て、エアは慌ててその顔の前に飛びこみ、自分に注意を向けさせる。
「驚いているのは私の方です! レルトラス様、イリーネ様は女性なのですよね!」
「そうだったはずだけれど……それが?」
「それがではありません。人間の、特に女性に対し、勝手に衣類をはぎ取ってはいけません!」
「ああ。脱がされるのが嫌な女もいるのか」
なるほどと言った様子で頷く主人を見て、エアは以前暮らした領地で彼に付きまとってきた亜人好きの若い女が、主人をひとけのない場所に誘導して服を脱がせてとせがんだとき、煩わしさのあまり焼き払われたというささやかな事件を思い出す。
「イリーネなら、俺は嫌でもないけど」
「あなたの希望は問題ではありません!」
「……なぜだい?」
「レルトラス様、イリーネ様をかわいがりたいのでしょう!」
「そうだよ」
「どうしてですか?」
主人は神妙な顔をして黙り込む。
いつも自分が思ったまま行動しても後悔しない主人は、その理由をよく考えることがあまりないらしい。
エアは物わかりの悪い子に根気よく教える気持ちで、ゆっくりと言い聞かせる。
「仲良くなりたいのですよね?」
言われてようやく、主人は合点がいったという様子で頷いた。
「なるほどね。かわいがっているのに懐かなかったら燃やしてしまいそうだしね」
「そんなことをすればイリーネ様の心も体も傷つきますよ!」
「俺がすっきりする代償だからね。些末なことは気にしない」
主人の共感能力は壊滅的である。
「それでは仲良くなれません。相手が嫌がることをしては嫌われます」
「それは確かに……そうか。嫌われたくないから、嫌がることをしない。なるほど、理に適っているね」
主人のこの様子では、相手に対する思いやりの話をしても全く理解できなさそうなので、エアはとりあえず理に適っているで妥協して話を進める。
「レルトラス様。女性であるイリーネ様のお世話は私にお任せ下さい。もう一度お伝えしますが、女性の衣類を勝手にはぎ取ってはいけません」
エアは念を押してからふわりと飛び立ち、自分の身体ほども大きさのあるドアノブを両腕で引いて客間の扉を開いた。
「ではどうぞ、イリーネ様をこちらへ!」
「わかったよ。エアにもイリーネの世話を頼むことにする」
主人は恩人をソファから抱き上げると客間へ向かい、ふと途中で立ち止まる。
「懐かれるためには、何をすればいいのかな」
主人が珍しく自分以外の人に興味を示していると気づき、エアははっとした。
これは主人に人との関わりを学んでもらう、またとないチャンスだ。
「そうですね。女性は特に、気持ちを大切にする方が多いので……心のこもった贈り物などを直接渡すと、喜ばれるかもしれません。きらきらした装飾品などでしたら、私が欲しいくらいです!」
エアがはしゃいでいるのを聞いていたのかいないのか、主人は真剣に考えこんだ様子のまま再び客間へと歩き始める。
その様子を見て、エアに笑みが浮かんだ。
突拍子もなく凶悪なことをしでかす主人とはいえ、生まれてからずっと彼の世話をし続けてきたエアとしては、常に退屈そうな彼のいつになく健気な姿を見られることはとても嬉しい。
なにより、今日の主人はとてもかわいらしかった。
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