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1・念願の抱き枕
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「あなたに会いたかったの、ずっと」
秘め続けていた思いを告げ、リセの胸は高鳴っていた。
(夢みたい)
いつものベッドの中、いつもの毛布にくるまり、いつもの枕に頭をのせているが、いつもと違い一人ではない。
(ドキドキしてるの、聞こえているかも……こんなにくっついていたら)
リセは自分の腕に包み込んでいる、ふわふわと見事な手触りにうっとりとした。
抱きしめているその相手は、野獣のごとく毛深い人というわけではなく。
リセよりも大きい、銀狼のような姿をした精霊獣だった。
見た目は狼によく似ていても、先ほどリセがその身体を拭いたり傷口に薬を塗ったりした時、しなやかな銀の毛先が角度によって虹色に輝くと、文字とも紋様ともつかない不思議な色彩が浮かび上がるのを確認している。
(私の地味な黒髪と不健康に青白い肌も、こんなに綺麗だったらよかったのに)
自分をそう評価しているリセにとって、その自然の力を宿す神秘の生物は、今まで見たどんなものよりも美しい存在に思えた。
「私、ずっと探していたんだよ。あなたのこと」
『ふーん』
(ふーん? あれ、こんなに神秘的な雰囲気なのに、私の思いを込めた一大告白にそんな残念な言葉遣いなんて……。きっと『ふむ』とか『うむ』だったのかも。だって精霊獣がふーんはないよね。ふーんは)
「幸せすぎて、聞き間違ったのかな」
『聞き間違いじゃない。お前、精霊の言葉がわかるのか』
「あっ、うん……あれ? なんだか、喋り方が……」
『離れろよ、わずらわしい』
リセが精霊獣を探し続けている間に築き上げた、神格化するほどの妄想が見事に打ち砕かれていく。
(話し方とか、もっと優しくて厳かなイメージだったのに)
と思いつつも、長年求め続けていた腕の中の感触を手にするとどうでもよくなり、ともかくそのもふもふを満喫した。
『話を聞け。離れろ。俺を連れ込んでどういうつもりだ』
精霊獣は嫌がっているようだが逃げないので、やはり傷つけられ疲労した身体が思うように動かないらしい。
それを良いことに、リセはふわふわの胸に顔をうずめる。
「私、散歩をしていたら、溺れ森の前に怪我をしたあなたが倒れているのを見つけたんだよ」
『いいから、くっつくな』
「あなたに会えて本当に驚いたけど、どうにか誘拐……助けたくて。こっそり寝室に運んで、抱き枕にするという夢をようやく叶えることが……ううん、今もあなたの怪我を治そうとしてるからね」
精霊獣は薄暗く広々とした寝室をぐるりと見回して、すぐリセの身分におおよその検討をつける。
『お前、随分ぶっ飛んだ令嬢だな。しかも俺を背負えるほど怪力の』
「もちろん、こんな時のために鍛えていたから!」
『……暑苦しい、離れろ』
「そう? 冷たい無表情とか言われてるのに」
『どこが……いや、いいから離れろ。わずらわしい』
「ねぇ、私はリセ。あなたの名前は?」
嫌がる相手の話を聞かず、リセがのんきにもふもふしていると、精霊獣の眼差しが鋭く光る。
『朝、侍女が入ってきてお前の食いちぎられた頭を見つけたら、どんな悲鳴を上げるだろうな』
リセは早速、首と銅が離れた自分と、それを見た哀れな侍女が白目をむいて卒倒するのを想像する。
(どっちもホラーだ)
怖かったのでリセはそっとベッドから抜け出し、そばで精霊獣の言葉を待っていた。
精霊獣はしばらくじっとしていたが、短く命令する。
『抱け』
リセは遠慮なく温かいベッドの中にもぐりこみ、再び魅力的な銀狼の抱き枕を堪能した。
リセの耳元をため息がかすめる。
『一体どういうことだ。お前に抱きしめられていると、俺の体の痛みが引いていくってのは』
「どうしてでしょう?」
『……俺も、はじめて見たけどな。触れることで精霊を回復させる力を持つ奴なんて』
「正解。人自体が少ないし、みんな隠すから。お父様にも口止めされているの。でもあなたは特別な精霊獣だから」
『俺のこと、怖くないのか』
「怖い? 元気になれば強そうだと思うけど。素敵だよ、かっこいい」
『お前、おかしいだろ。精霊獣は力を暴走させて人に危害を加えることもある。この国では精霊を恐れるように教育してるはずだ』
精霊獣が妙にこだわるので、リセは首を傾げた。
「覚えてる? 五年前、あなたが溺れ森から出られなくなって泣いていた私を背中にのせて、ここまで連れてきてくれたこと。あれから私の人生は変わったの。精霊獣はもっと好きになったし、その中でもあなたは特別。あなたの怪我もきっと、危険だって決めつけられて人に襲われたんでしょ? 私は人の方が、よっぽど怖い……」
先ほどの浮かれた様子から一転、リセの精霊獣を抱きしめる力に、張り詰めたものが込められる。
精霊獣は、リセの頬をそっと舐めた。
『思い出した。お前、溺れ森で泣いていた泥だらけのチビだな。ずいぶん酷い目に遭ったみたいだったけど……元気になったんだな』
「うん。だから次は、私があなたを助ける番だよ」
薄がりの中、柔らかな笑顔を浮かべたリセは精霊獣と見つめ合う。
しばらくの間沈黙が落ちた。
『……どっちにしろ、とんでもない奴に捕まった気がするけど。だけど助かった』
「ね、あなたの名前を教えて。名前、呼びたいの」
『ジェイル』
「ジェイル、おやすみ」
『……気づかないのか』
「何のこと? ジェイル、あの時助けてくれてありがとう」
『そんな昔のことはいい。さっさと寝ろよ。俺に触れて治癒してる間は、多少疲れるんだろ』
「でもこのもふもふをゆっくり楽しみたいし」
『寝ろ』
「ジェイルって短気?」
『まぁ、割とそうかもな。そんなことよりさっさと寝ろ』
精霊獣はぶっきらぼうに告げると、さっさと安らかな寝息を立てはじめる。
ほっとしたリセは、じんわりと巡る疲労感に目を閉じた。
(想像していた精霊獣とは違う気がするけど。でもやっぱり好き)
ひとりで寝るには広すぎると感じていたベッドに抱き枕を迎え、リセは心置きなく眠りこける。
そして眠りすぎて、目覚めたとき後悔することになった。
秘め続けていた思いを告げ、リセの胸は高鳴っていた。
(夢みたい)
いつものベッドの中、いつもの毛布にくるまり、いつもの枕に頭をのせているが、いつもと違い一人ではない。
(ドキドキしてるの、聞こえているかも……こんなにくっついていたら)
リセは自分の腕に包み込んでいる、ふわふわと見事な手触りにうっとりとした。
抱きしめているその相手は、野獣のごとく毛深い人というわけではなく。
リセよりも大きい、銀狼のような姿をした精霊獣だった。
見た目は狼によく似ていても、先ほどリセがその身体を拭いたり傷口に薬を塗ったりした時、しなやかな銀の毛先が角度によって虹色に輝くと、文字とも紋様ともつかない不思議な色彩が浮かび上がるのを確認している。
(私の地味な黒髪と不健康に青白い肌も、こんなに綺麗だったらよかったのに)
自分をそう評価しているリセにとって、その自然の力を宿す神秘の生物は、今まで見たどんなものよりも美しい存在に思えた。
「私、ずっと探していたんだよ。あなたのこと」
『ふーん』
(ふーん? あれ、こんなに神秘的な雰囲気なのに、私の思いを込めた一大告白にそんな残念な言葉遣いなんて……。きっと『ふむ』とか『うむ』だったのかも。だって精霊獣がふーんはないよね。ふーんは)
「幸せすぎて、聞き間違ったのかな」
『聞き間違いじゃない。お前、精霊の言葉がわかるのか』
「あっ、うん……あれ? なんだか、喋り方が……」
『離れろよ、わずらわしい』
リセが精霊獣を探し続けている間に築き上げた、神格化するほどの妄想が見事に打ち砕かれていく。
(話し方とか、もっと優しくて厳かなイメージだったのに)
と思いつつも、長年求め続けていた腕の中の感触を手にするとどうでもよくなり、ともかくそのもふもふを満喫した。
『話を聞け。離れろ。俺を連れ込んでどういうつもりだ』
精霊獣は嫌がっているようだが逃げないので、やはり傷つけられ疲労した身体が思うように動かないらしい。
それを良いことに、リセはふわふわの胸に顔をうずめる。
「私、散歩をしていたら、溺れ森の前に怪我をしたあなたが倒れているのを見つけたんだよ」
『いいから、くっつくな』
「あなたに会えて本当に驚いたけど、どうにか誘拐……助けたくて。こっそり寝室に運んで、抱き枕にするという夢をようやく叶えることが……ううん、今もあなたの怪我を治そうとしてるからね」
精霊獣は薄暗く広々とした寝室をぐるりと見回して、すぐリセの身分におおよその検討をつける。
『お前、随分ぶっ飛んだ令嬢だな。しかも俺を背負えるほど怪力の』
「もちろん、こんな時のために鍛えていたから!」
『……暑苦しい、離れろ』
「そう? 冷たい無表情とか言われてるのに」
『どこが……いや、いいから離れろ。わずらわしい』
「ねぇ、私はリセ。あなたの名前は?」
嫌がる相手の話を聞かず、リセがのんきにもふもふしていると、精霊獣の眼差しが鋭く光る。
『朝、侍女が入ってきてお前の食いちぎられた頭を見つけたら、どんな悲鳴を上げるだろうな』
リセは早速、首と銅が離れた自分と、それを見た哀れな侍女が白目をむいて卒倒するのを想像する。
(どっちもホラーだ)
怖かったのでリセはそっとベッドから抜け出し、そばで精霊獣の言葉を待っていた。
精霊獣はしばらくじっとしていたが、短く命令する。
『抱け』
リセは遠慮なく温かいベッドの中にもぐりこみ、再び魅力的な銀狼の抱き枕を堪能した。
リセの耳元をため息がかすめる。
『一体どういうことだ。お前に抱きしめられていると、俺の体の痛みが引いていくってのは』
「どうしてでしょう?」
『……俺も、はじめて見たけどな。触れることで精霊を回復させる力を持つ奴なんて』
「正解。人自体が少ないし、みんな隠すから。お父様にも口止めされているの。でもあなたは特別な精霊獣だから」
『俺のこと、怖くないのか』
「怖い? 元気になれば強そうだと思うけど。素敵だよ、かっこいい」
『お前、おかしいだろ。精霊獣は力を暴走させて人に危害を加えることもある。この国では精霊を恐れるように教育してるはずだ』
精霊獣が妙にこだわるので、リセは首を傾げた。
「覚えてる? 五年前、あなたが溺れ森から出られなくなって泣いていた私を背中にのせて、ここまで連れてきてくれたこと。あれから私の人生は変わったの。精霊獣はもっと好きになったし、その中でもあなたは特別。あなたの怪我もきっと、危険だって決めつけられて人に襲われたんでしょ? 私は人の方が、よっぽど怖い……」
先ほどの浮かれた様子から一転、リセの精霊獣を抱きしめる力に、張り詰めたものが込められる。
精霊獣は、リセの頬をそっと舐めた。
『思い出した。お前、溺れ森で泣いていた泥だらけのチビだな。ずいぶん酷い目に遭ったみたいだったけど……元気になったんだな』
「うん。だから次は、私があなたを助ける番だよ」
薄がりの中、柔らかな笑顔を浮かべたリセは精霊獣と見つめ合う。
しばらくの間沈黙が落ちた。
『……どっちにしろ、とんでもない奴に捕まった気がするけど。だけど助かった』
「ね、あなたの名前を教えて。名前、呼びたいの」
『ジェイル』
「ジェイル、おやすみ」
『……気づかないのか』
「何のこと? ジェイル、あの時助けてくれてありがとう」
『そんな昔のことはいい。さっさと寝ろよ。俺に触れて治癒してる間は、多少疲れるんだろ』
「でもこのもふもふをゆっくり楽しみたいし」
『寝ろ』
「ジェイルって短気?」
『まぁ、割とそうかもな。そんなことよりさっさと寝ろ』
精霊獣はぶっきらぼうに告げると、さっさと安らかな寝息を立てはじめる。
ほっとしたリセは、じんわりと巡る疲労感に目を閉じた。
(想像していた精霊獣とは違う気がするけど。でもやっぱり好き)
ひとりで寝るには広すぎると感じていたベッドに抱き枕を迎え、リセは心置きなく眠りこける。
そして眠りすぎて、目覚めたとき後悔することになった。
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