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44 再会と変装

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 ◇

 それはミュナが人酔いしていたこともあり、私がセレイブ様を待ちながらベンチで休憩していたときのことです。
 夏祭りの人波から物腰の柔らかそうな黒髪の男性が現れて、こちらに近づいてきました。

「もしかして、リシェラ様ではありませんか?」

 私の名前を聞いて、黒髪の男性と一緒にいた上品そうな青年が驚いたように私を見ています。
 ふたりとも、私のことを知っているのでしょうか。

 でもすでに、彼らの前には黄金色の犬と白猫が立ちはだかっていました。
 ジンジャーとオモチはいつもと違う、鋭い声でけん制します。

「警告だよ。これ以上リシェラに近づいたら、僕は君たちを攻撃するからね」

「用があるのなら、まずは名乗りなさい」

「使役魔獣……ということは、やはりセレイブ・ロアフ卿の奥様になっていたのですね。お久しぶりです、リシェラ様! 私です、ドーナツ紳士です!」

「自己紹介が怪しすぎるよ!」

「不審者だわ!」

 ジンジャーとオモチは背を低くして臨戦態勢を取りました。
 私は慌てて立ち上がります。

「ふたりとも、安心してください。ドーナツ紳士はすばらしい方です!」

「「えっ?」」

 私がまだ幼いブリザーイェット侯爵令嬢だったころ、ドーナツ紳士は父の代理として邸宅に届く荷物や書類の管理、来客の応接などをしていました。
 いつも忙しそうでしたが、彼は時間を見つけては私の顔を見に来てくれたのです。
 そして陽気に「リシェラお嬢様に、ドーナツ紳士からの届けものですよ!」と、必ずドーナツを差し入れてくれました。

「本名はトマスと申します」

 ドーナツ紳士改めトマスさんは、そして彼の背後にいる私と同じ髪色の青年に視線を向けました。

「今はリシェラ様の弟君、フレディ・ブリザーイェット侯爵家の家令です」

 ということは、トマスさんの背後にいる上品な顔立ちの青年は……。

「もしかしてフレディですか!? あんなに小さかったのに、今は私より背が高いなんて……!」

「姉上、本当に姉上なの?」

 私たち姉弟は十六年ぶりの再会を果たしたました。




 ◇

 それから私たちはベンチに座って、久しぶりに話すことができました。

 ミュナも人酔いが落ち着いたようです。
 今はフレディからイチゴ飴をもらって、嬉しそうに食べながら私の隣で話を聞いていました。
 その足元にはジンジャーとオモチが青いシロップのかかったかき氷を抱えて、すっかりいつも通りの様子になっていました。

「だけどトマスが姉上にドーナツを贈っていたなんて、ぜんぜん知らなかったよ。どうして僕には一度もドーナツ紳士がやってこなかったの?」

「すみません。あのときはフレディ様の母君……ハリエット夫人が心身の調子を崩されていたので、気軽にフレディ様と関わるのをためらっていました。それがまさか、今のハリエット夫人はとても元気になられて……」

「それはきっと、姉上が白亜鳥に渡した手紙のおかげだよ」

 マリスヒル元伯爵が私への支援金を不正使用していた話は、契約を悪用されていたハリエット夫人に届いたそうです。

「母上は姉上の手紙が届いたころから、支援金を勝手に使ったマリスヒル元伯爵を絶対に訴えるって怒るくらい元気になったんだ」

 長年不調だったハリエット夫人の体調は、安定してきているそうです。
 侍医からもこのまま快方に向かうだろうと判断され、ふたりはほっとした様子でした。

「母上は気持ちも明るくなってきて笑うようになったし、手紙をもらってから姉上がどんな目に遭っていたのか、今はどうしているのかと心配していたよ。それは僕もだけど……。でも母上もあんなに取り乱すくらいなら、はじめから姉上のことを守ってくれればよかったんだ」

 フレディは大好きなイチゴ飴を口元に運びながら、はっきりと言いました。
 もしかすると彼は、私を養女にすることを止めなかったハリエット夫人に対して強いわだかまりを抱え、ずっと良い関係を築けていないのかもしれません。

「フレディ、ありがとう。でも私はマリスヒル元伯爵の養女になったことを、不幸なだけだとは思いません。動物たちと友だちになったので孤独ではありませんでしたから。なによりあのタイミングで家を出て、ミュナに会えました!」

「あえたね!」

 私とミュナはぎゅっと手をつなぐとなんだか楽しくなってきて、声を出して笑いました。

「……姉上は本当にやさしいな。今もまっすぐ前を向いて笑っている、僕の大好きな姉上のままなんだね」

 フレディは少しホッとしてくれたように見えましたが、すぐに気づかわしげに聞いてきます。

「でも姉上、あの相手が世界中から畏怖されるセレイブ・ロアフ卿の妻になったんだよね? 無理してない?」

「無理……?」

 確かに少しお腹が苦しくてもおいしいものを拒めず、がんばりすぎているときがあるかもしれません。

「冷淡なロアフ卿から、聖女だからと安全面を優先し過ぎて軟禁とかされてない?」

「ピクニックに行ったり裏庭のお世話をしたり、のびのび暮らしています。こうして夏祭りにも連れてきてもらえました」

「それなら、忙しいからって避けられたり無視をされたりは?」

「私に会わないと調子が悪くなるからと、忙しいのに一緒に過ごす時間を取ってくれます」

「一番心配だったのが、食事でひもじい思いをしているんじゃないかって、」

「いま露店でおいしものを買ってきてくれています。……あっセレイブ様!」

 フレディたちに気づいたセレイブ様は、はじめ硬い表情をしていました。
 でも私が駆け寄って事情を話すと、驚いた様子でフレディたちのところへ来て、挨拶までしてくれました。

「お久しぶりです、ブリザーイェット侯爵。いつものメガネをされていないので別人かと思いました」

「ああ、これはダテメガネなんですよ」

 フレディは胸元から黒縁のメガネを取り出しました。

「僕は童顔なので……若い領主だと見くびる人もいますから。眼鏡があったほうが少し落ち着いて見えるので、気休めに使っているんです」

「なるほど。視覚的印象で相手の態度を変化させるとは興味深い手法ですね」

 セレイブ様の持っている露店のごちそうから、食欲のそそる香りがします。
 特にこの風船のような膨らみがなんなのか……想像もつかなくて目が離せません。

「リシェラ、わたあめが気になるのか?」

「わたあめ……素敵な響きです!」

「よかった。そのかわいい顔を見せてもらえただけで、買ってきたかいがある」

 セレイブ様はほほえんで、私の頭をやさしく撫でてくれます。

「……」

 私たちのやり取りを見たトマスさんは瞬きしながら言葉を失っています。
 フレディは「なぁんだ。心配して損したなぁ」とニコニコしていました。

「そうだ、今度はみんなでブリザーイェット領に遊びに来てください。冬なら雪ですべり台もつくれますし、そり遊びも楽しいですよ。タイミングが合えばオーロラも見れます」

「ミュナいく! すべり台でそり! オーロラ!」

「では約束の証に、これをどうぞ」

 フレディはミュナに黒縁のダテメガネを渡します。

「ありがとね! フレディ、ドーナツしんし、ありがとね!」

 ミュナはしっぽをピンと上げて、フレディとトマスさんに手を振ってお別れしていました。

『これでミュナ、へんそうできるね』

 ミュナは黒縁のメガネを自分の小さい顔にかけましたが、サイズが違いすぎてうまくいかなかったようです。
 それから私、ジンジャーやオモチと次々にメガネをかけていき、最後にセレイブ様の背中を木の幹のように駆け上がって着けました。

「にあうね!」

 確かにセレイブ様、もともと知的な美形ですが、その黒縁のメガネをするとシャープな印象が強まります。
 なんだか別の方のように思えるほどです。

 セレイブ様はメガネをかけたままミュナをベンチに座らせました。
 そして買ってきた露店のごちそうを渡し、その隣に足を組んで座ります。

「リシェもおいで」

「は、はい」

 私はうつむいたまま、メガネをかけたセレイブ様の隣に腰を下ろします。
 でも彼が別人のように思えてしまって、その顔を見つめることができそうにありません。
 それなのに心はおいしいものへの期待を抑えきれず、胸を高鳴らせているのです。

「リシェ、どれから食べる?」

「で、では。みなさんが選んだ後に、ありがたくいただきます」

「……お腹でも痛いのか?」

 セレイブ様がメガネ越しに私の顔を覗き込んできたので、思わず視線を反らしてしまいます。
 いつも見ている美貌のはずですが、今は顔が熱くなってしまうのです。

「リシェ?」

 セレイブ様の顔が近づいてきて、私たちの額が重なりました。
 視線を伏せても、彼の端正な顔が私を心配するように見つめてくるのを感じます。

「少し熱っぽいな」

「へ、平気です。人波で少し疲れたのかもしれません」

「楽にするといいよ。おいで」

 セレイブ様は隣に座る私を片腕で抱き寄せてくれます。
 視界の端でその見知らぬ美貌をとらえてしまうと、心臓がさらに音を立てはじめました。

 メガネをかけていても、セレイブ様はセレイブ様なのです。
 いつものように、おいしく食べさせてくれるはずです。
 でも別人のように感じる彼から食べさせてもらうことに背徳感があって、どうすればいいのかわからなくなってきました。

 戸惑う私の顔のすぐそばで、セレイブ様が微笑を浮かべます。

「もしかして、リシェ。今日は食べ物より俺のことを意識してる?」

「そ、そうかもしれません」

「このメガネ、そんなに変だろうか?」

「変ではありません。でもセレイブ様がそのメガネをすると、私の知らない人みたいで……。見つめることも恥ずかしくなって、目も合わせられそうにありません。それに別人のようなセレイブ様に食べさせてもらったら悪いことをしているような、そんな不思議な気持ちになるのです」

 私の口元に白いモコモコの雲のようなものが触れました。

「食べてごらん、リシェ」

「でも」

「リシェの笑顔が見たい。いい子だから、ほら」

 そのささやきに、はじめてのわたあめはふわっとした食感とともに、私の口の中で甘く溶けました。
 な、なんて!
 なんて魅惑的な食感なのでしょうか!

「それに別人に思えても、俺は俺だ。リシェにだけは甘えて欲しい」

 なるほど……!

「ほら、まだあるよ。リシェ」

 私のためらいがなくなると、セレイブ様は私が食べやすいように、一口ごとに角度を変えて食べさせてくれます。

「どうしてだろうな。リシェにそんな顔をされると、ずっと見つめていたくなる」

 人の顔よりずっと大きなわたあめも、私がついばむように頬張っていくうちに、少しずつ形を変えて小さくなっていきます。

「今日は特別かわいいな、リシェ」

 セレイブ様がそう言って私の頭を撫でてくれると、胸のドキドキが強まりました。
 でも今は悪いことをしたという気持ちより、まだまだ食べさせて欲しくなっています。
 それにセレイブ様が教えてくれました。

 私はメガネをかけている旦那様から、おいしいものをいただいているだけですから。
 冷静に考えれば、悪いことをしていないのは明らかです。

 だからこれからも、遠慮なくいただきたいと思います!
 私は心のおもむくまま、わたあめをまるまるひとつ食べ尽くしました。

 そのときです。
 夜空を揺らすような音が大気を震わせました。
 私は身体を揺さぶるような振動に驚いて、気づけばセレイブ様の胸元に飛び込んでいました。

 セレイブ様は安心させるように、私をやさしく抱きしめてくれます。

「セレイブ様、この音は……?」

「そうか、リシェは知らないのか。見てごらん」




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