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「セレイブ様、私はジンジャーとの魔力調整をしてきます! その間ミュナをお願いします!」

 私は腕の中で眠るミュナをセレイブ様に抱いてもらうと、草原で寝そべるジンジャーの元へ向かいました。

 ジンジャーと魔力契約をしている私ですが、なにもしなければ魔力の伝わりが鈍ってしまいます。
 そのため定期的に、魔力の持ち主であるジンジャーに触れる必要があるのです。

「ジンジャー、魔力調整をしますね」

「わーい! リシェラに撫でてもらうの、僕大好き!」

 まだ触れてもいないのに、ジンジャーはすでに尻尾を振っています。
 私は彼のそばにかがむと、その青い魔石のある額を中心に黄金色の毛なみに手を伸ばしました。
 するとジンジャーは突然起き上がり、雄大な山脈を見つめます。

「なんだろう、この気配……」

 言われてみると山の東側から、やけに熱のこもった空気が流れてくるような気がします。

「ジンジャー! リシェラを連れて馬車に避難しろ!」

 セレイブ様が叫んだ直後、茂った山脈のすそから巨大な炎の塊が飛び出しました。
 現れたのはごうごうと燃え盛る、馬ほどにも肥大化した山猫です。
 額にある火属性の魔石からは沸騰するような激しさで魔力があふれ、白い体毛を赤々と揺らしながら灼熱の熱気を撒き散らしています。

「その山猫は魔力が乱れて肥大化した魔獣だ!」

 セレイブ様は俊敏に身を翻すと、護身用の剣の柄を握りました。
 しかし腕の中のミュナを置き去りにするわけにもいかず、その場で山猫の様子を静観しています。

「セレイブ様、ミュナをお願いします!」

「リシェラ? 一体なにをする気だ」

「ちょっと気になることがあるので、あの魔獣の山猫さんとお話してきます! 私のことは心配いりません。信じてください!」

 私はサンドイッチの入っているバスケットを抱えました。

「ジンジャー、行きましょう!」

「ええっ!?」

 ジンジャーは尾を内側に丸めたまま跳びはねます。

「僕、あんなヤバそうなヤツに接近するなんてしたくないよぉ!」

「あれはヤバそうなヤツではありません。猫窯です」

「猫窯!? なにそれ、はじめて聞いたよ!」

 そうだと思います。
 私がたった今作ったばかりの言葉ですから!

 私は持っているバスケットを軽く叩きました。

「ここにはサンドイッチがあります。山ヤギさんのミルクでつくったチーズをはさんだものです」

 その中に入っているサンドイッチを食べることを楽しみにしていたジンジャーは、期待に満ちた目で私を見上げました。

「えっ、こんな状況なのに食べていいの?」

「そうする前に、ひと手間加えることができます。このサンドイッチをあの猫窯で炙ると、どんなおいしい出来事が起こると思いますか?」

「外はパリッと香ばしく焼けたパン、中はとろとろチーズ……」

「そうです! さぁ、ホットチーズサンドを得るために、猫窯の元へ行きましょう!」

「行くー!」

 私はジンジャーの額の魔石に口づけて私たちの魔力の結び付きを強めてから、その背に飛び乗ります。

「『巨大化』!」

 私が単発詠唱を唱えると、魔力契約を結ぶジンジャーは駆けるごとに大きくなり、すぐに山猫と同等の巨体になりました。
 私たちは紅蓮に燃え盛る魔獣へと、迷いのない矢のように進んでいきます。

 山猫は向かっていく私たちに気づき、紅蓮の瞳をつり上げて忌々しそうに唸ります。
 そしてその身から炎の魔法をほとばしらせました。

「『右回避』! 『跳躍』! 『直進』!」
 
 私は契約しているジンジャーの言語で指示を出し、猛然と飛び込んでくる火の玉を避け、足元から付き上がる火柱をかわしていきます。

「『水流』!」

 暴走する火の魔法を水の魔法で流すと、水蒸気が大気に満ちて視界がかすみました。
 それでも私たちは魔獣猫へと距離を詰めていき、その姿をとらえます。

 今こそ、子どものころ特訓した鳥の餌やりの成果が試されるときです!

「山猫さん、食べてください!」

 私は腕を振りかぶります。
 飛んでいったサンドイッチは放物線を描き、山猫の口の中に着地しました。

『……こ、これは!?』

 山猫は口に入ったものを確認するように、よくよく噛んでいます。
 その赤い瞳がキラリと輝きました。

『これはなにかしら!? この表面のカリッとした香ばしい生地の食感と、中でとろける芳醇な味わい……!』

「えっ、まさか僕は見てるだけなの?」

 ジンジャーは戸惑っていますが、まずは消火活動です。
 私は山猫の口の中に、サンドイッチを次々に投げ入れていきます。
 山猫は抵抗することもなくやってくる食べ物を食べていき、その全身を包む炎が徐々に鎮まっていきました。
 ジンジャーはその様子を羨ましそうに見つめています。

「そっか。山猫は魔力が暴走して錯乱状態だったから。魔力を整えるサンドイッチの具材の成分で、魔力を安定させて落ち着かせたんだね。でも熱々の猫窯がなくなっちゃったら、僕のホットチーズサンドは……」

『オモチ!』

 そのときセレイブ様の腕の中で目覚めたミュナが、あの謎の言葉を叫びました。

『リシェラ、オモチたべないで!』

 ミュナはセレイブ様に抱き抱えられたまま、真剣に訴えます。
 私とセレイブ様は思わず顔を見合わせました。

 そういえば、ミュナの話すオモチとは……。

 木のあるところにあって、白く、ふわふわで、温かい。
 火で焼くというのは、火属性の魔法のことだったようです。
 ミュナがここに来て真っ先にオモチを呼んでいたのは、声が届けば会えると思ったのでしょう。

「オモチは東の地の食品ではなく、その魔獣猫の名だったのか」

「だから私がオモチはおいしいのかと聞いたとき、ミュナが困惑していたのですね」

 思わず笑ってしまう私にセレイブ様は駆け寄って、無事を確かめるように抱きしめてくれました。

「驚いたよ。リシェラがジンジャーにまたがって、荒ぶる魔獣に向かっていくときの気迫は本物だったから。騎士として尊敬する」

 騎士として世界中で誉れ高いセレイブ様から、私は最上級の賛辞をいただいてしまいました。
 でもセレイブ様がミュナを守ってくれたから、おもいきり動けたのだと思います。
 私は彼からミュナを預かり、抱きしめました。

「ミュナ、安心してください。私に食べ物の好き嫌いはありませんが、オモチを食べたりしませんよ」



 ◇

 山猫のオモチの魔力が落ち着くと、ネイランダー山脈の麓に穏やかな気配が戻ってきました。

 彼女の純白の体毛はそのままですが、魔力暴走で巨大化していた体は元に戻ったようです。
 今はイエネコのように、だっこできるほどの大きさになりました。
 その額にある魔獣の証、火属性を表す真紅の魔石も静けさを取り戻しています。

 オモチはサンドイッチが気に入ったようでした。
 こちらを警戒して少し距離を取りつつも、与えられた物はしっかり食べています。
 
 ジンジャーがそれを羨ましそうに見ているので、サンドイッチをひとつ上げると嬉しそうに食べはじめました。

 でもジンジャーと約束した猫窯を諦めるのは、まだ早いと思います。
 私はオモチがいるうちに猫窯の代わりを作るため、石を寄せ集めることにしました。
 ミュナも積み木だと思ったのか、私のまねをして手伝ってくれます。

 オモチはぺろりと口の周りを舐めました。
 サンドイッチの味を気に入ってくれたようです。

「リシェラ……と言ったわね、あなたのおかげで助かったわ。毎年春先になると魔力が乱れて苦しくなるの。でもあなたは私の体調を一瞬で見抜いて、この食べ物を与えてくれた。おかげで魔力の暴走が収まったみたい」

「体調が戻ってよかったです。あの、オモチとミュナは……」

「私たちは二年ほど、この山の奥地で一緒に暮らしていたのよ」

 セレイブ様は倒木に腰掛けたまま、私が気になっていることをオモチに聞いてくれました。

「ミュナは人の言葉を話さないのに、オモチは人の言葉を話すんだな」

「ええ。ミュナが人の声を恐れるから、あの子との会話はずっと猫の言葉だったの。でもあなたたちと過ごして成長したようね」

 オモチはセレイブ様の兄でミュナの父親のオスカー様から、人の言葉を覚えたそうです。
 今から十年ほど前、彼はネイランダー山脈の奥地へ訪れるようになったといいます。

「そのころはシャーロット王女が亡くなられて、兄が一番落ち込んでいた時期だ。彼がふらりとどこかへ消えては帰ってくることが続いて、家族はみんな心配していた」

「そうだったの……。でも私は人と関わりたくないし、縄張りを侵害されるのも不快だったわ。だからオスカーに向かって牙を向いて唸りながら、火魔法を放って威嚇したの。でも彼は私を見てニコニコ笑ってね。『オモチ』『オモチ』って謎の言葉で私を呼びかけながら、干し肉をくれたのよ」

 そういえばオスカー様の婚約者だったシャーロット王女は、東の地の食品が好きでした。
 しろくて、ふわふわで、あったかそうな山猫を見たとき、オスカー様の中でオモチという言葉が浮かんだのかもしれません。

 なんだかお腹が空いてきました。
 私はやる気になって、次は寄せ集めた石で囲むように中心部に空間を作り、そこに木の枝を集めていきます。

「それからオスカーは、よく私の元へ来るようになったの。私は人間が好きではなかったけど、彼は毎回食べ物をくれるから、それで……」

 オスカー様の持参するおみやげでオモチが順調に餌付けされていく心に、私はとても共感しました。
 そしてオモチはいつの間にか、オスカー様の婚約者が愛した「オモチ」という名前にも慣れ、人の言葉も覚えていったそうです。

「兄は五年前に失踪していたんだ。オモチはその理由を知っているか?」

「……いいえ。わからないわ」

 オモチもオスカー様が突然姿を見せなくなったことを気にかけていたそうですが、失踪したことは知らなかったといいます。
 そのため二年前に彼が前触れもなく現れたとき、とても驚いたそうです。

――オスカー、あなた今までどうしていたの!? それにその匂いは!?

「びっくりしたわ。彼の全身から猫にとっては特別な、ケルゲオの実の匂いがしていたんだもの」

 セレイブ様は鋭く聞き返しました。

「ケルゲオの実が猫にとって特別? どういう意味だ?」

「あれは猫だけが嗅ぎ分けられる、微弱な毒を持つ植物なのよ。ケルゲオの実を毎日食べれば毒にしかならない。でも使い方をわきまえれば、ここぞというときに使える希少で貴重な薬にもなるの」

「それははじめて聞いた。俺の母は一流の薬師だが、ケルゲオの実に関しては不明なことが多いと話していた。猫にしか嗅ぎ分けられないその実には、いったいどんな薬の効果があるんだ?」

「……リシェラ、ちょっとこっちに来て」

「はい、なんでしょうか」

 私はちょうど木の枝を集め終えて準備を整えたところでしたが、大切な話のようです。
 すぐオモチの側の草地に座りました。

「リシェラには感謝しているの。だからあなたにだけ、猫だけが知り得るケルゲオ特有の効果について伝えるわ。リシェラが望むなら使い方を教えることもできるし」

「? はい、ありがとうございます!」

 とても貴重な情報のようです。
 どんなものか想像もつきませんが、それを使って野菜の成長や味が良くなったりすると嬉しいです。

 オモチはなぜかセレイブ様に意味深な眼差しを送りました。
 それから私の膝の上に乗り、耳元でささやきます。


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