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30 突然の訪問

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 ◆◆◆

 久々の休日、ソディエ王国のライハント王子が俺の邸宅にやってきた。
 先触れを出しもしない不遜な振る舞いで、なにを話しに来たのか。

 彼とは今まで接点がなかった。
 直感的にソディエ王国で暮らしていたリシェラの話だと感じる。

 だが彼女は俺に対して一度もライハント王子の名を口にしたことがない。
 彼と会わずに追い払うこともできるが、今後の対応を定めるためにも応接間に通すことにする。

 開口一番、ライハント王子は得意げに言った。

「セレイブ、今日はおまえにとって重大な話をしにきた」

「俺にとって重大……リシェラのことですね」

「その様子だと気づいていたようだな、話が早い。セレイブ、真実を教えてやるから落ち着いて聞け。リシェラは邪悪な獣と話すことができる恐ろしい女だ!」

 この一言で、次は会う必要がないと判断する。
 それを話すために、わざわざ国境を越えてやって来たのだから、よほど暇なのだろう。
 もともとソディエ王家に対して良い印象はなかったが、「このままでは世界の進歩からソディエ王国だけが取り残されてしまうというのに、改革が拒否されて進まない」とネスト公爵が嘆いているのも理解できる。

 ライハント王子は無言であきれている俺を見て、俺が話した内容を理解していないと思ったらしい。
 もう一度同じ言葉を繰り返した。

「信じられないだろうが、リシェラは邪悪な獣と話すことができるんだ!」

「知っている。だからこそ彼女を望んだ」

 手っ取り早く伝えると、ライハント王子は目を白黒させている。
 どうやら俺が知らずに求婚したと思って、彼女の才能について告げ口しに来たらしい。
 彼女が動物と話せると知れば俺がリシェラを手放すと思って……ありえない。

「セレイブは獣と話せる恐ろしい女だと知って、リシェラを選んだというのか?」

「驚くようなことではないだろう。それどころかライハント王子、あなたは残念ながらリシェラの本当の恐ろしさを理解していないようだ」

「なに!?」

「リシェラは恐ろしくかわいい」

 ライハント王子は耳を疑うように俺を見てくる。
 本当に気づいていないのか……愚かだな。

「それにライハント王子も知っているだろうが、動物と話せる才能は過去に一例だけしか確認されていない。信憑性があるものは、三百年ほど前に存在した聖女の記録だけだ」

 聖話教会が信仰する聖女については、王侯諸侯の出自なら子どものころから習う教養だ。

 だがソディエ王家だけは聖女信仰が国王の権威を損なうと露骨に恐れ、百年ほど前から魔獣を恐ろしい存在として語る政策で人心を掌握しようとしていた。
 しかしそれは世界で認識されている事実とは、大きくかけ離れている。

 とはいえソディエ国王夫妻は王位継承権第一位のマイア王女より、弟のライハント王子を次期国王として推しているのだから、そのくらいはさすがに学んでいるだろう。
 だがライハント王子は戸惑うように眉をひそめた。

「聖話教会の聖女の話は嘘だろう。それに聖女など実際は獣を味方につけるふりをして人々を騙した、邪悪な魔女なのだから」

 まさかソディエ王国では成人した王子ですら、世界の知見を学んでいないのか。

「ライハント王子は俺にくだらない話をしに来たくらいだ。リシェラの動物と意思疎通する力が偽りではないと知っているのだろう。つまり聖話教会で語り継がれる聖女の力は騙しなどてはない。それは人ではない存在と対話する力、リシェラの才能のそのものだ」

 世界では動物への興味関心、そして使役獣の必要性が高まっている。
 俺が幼犬だったジンジャーを拾って世界で一頭だけの使役魔獣化に成功したことで、世界中から注目されているのもそのためだ。

「つまりリシェラは聖話教会の聖女伝説をそのまま体現する存在だ。使役獣の需要が増す現在、リシェラの力を知れば聖話教会も他国も彼女を放っておかないだろう」

 だが獣が邪悪だとすり込まれているマリスヒル伯爵やライハント王子は、リシェラの力を話すことすら恐れて隠していた。
 もしその力をソディエ王家に知られていれば、リシェラは王家の威信を揺るがすと危険視され、今ごろどうなっていたかすらわからない。

「だがすでに彼女は俺の妻だ。何者が来ても守る」

 そのことを伝えれば、もう彼と話す価値はない。
 俺が立ち上がると、ライハント王子は慌てたように叫んだ。

「ま。待て! あんたはリシェラが妻だと言うが、俺はあんたよりずっと前からリシェラのことを知っている。リシェラの婚約者候補だった俺の話を聞け!」

 ライハント王子の言葉に、胸の奥がもやっとする。
 なんだこの不愉快な感覚は……。

「俺はリシェラがマリスヒル伯爵の養女になる前、ブリザーイェット侯爵令嬢だったころからずっと付き合いがある……そう、幼なじみというやつだ! そんな俺から話だからこその提案がある!」

「まさか貴様、リシェラに惚れていると言うつもりか?」

「そっ、そんなわけないだろう! 俺は王子だ、愛され尊敬される対象だ! 色素が地味で華やかさが足りない平民に、好意など持つなんてありえない!」

「王子の目は節穴のようだ。あの澄んだ瞳は吸い込まれるように美しく、柔らかな髪は触れずにはいられないほどしなやかなのが見えないらしい」

「リ、リシェラはたいしたことのない女だから離縁した方がいい! せっかく贈った宝石より散歩中に見つけた木の実を喜ぶような、物の価値がわからない女だぞ!」

「いいや彼女はわかっている。王子の選んだくだらない石ころより、木の実のほうがよほど価値が高い。だいたい彼女が食べ物を見つけたあの笑顔に魅了されないほど感性が鈍いのか? なによりの真理は彼女自身がどんな宝石よりも価値があることだが」

「……そ、それに……それに、リシェラはセレイブの妻として……貴族の妻としてふさわしくないだろう? 考えていることがすぐに顔に出るから、」

「あの純真さでほほえまれると、どんなわがままでもいいからその柔らかな声で聞かせて欲しいと願わずにはいられなくなる。彼女に『必要なものはすべてある』と言われても、あらゆる物を与えたいという欲望が疼く。リシェラが青空の下を歩く姿はこの世のなによりも美しいと思うのと同時に、俺の腕の中に閉じ込めて永遠にその幸福を独り占めしたい誘惑に駆られる。あの澄んだ瞳をいつまでも見つめていたいのに、うたた寝する横顔を見れば目をそらせない逆説的な感情に囚われる。あの愛らしく食べる姿を前にして、抱きしめたくなる衝動に抗うのは困難で――」

「ちょっ、待て! おまえはいつまでその甘ったるい溺愛論を喋り続けるつもりだ!?」

「いつまでも話せるがなにか? ライハント王子こそいつまでリシェラへのくだらない非難を喋り続けるつもりだ」

「お、俺はただ……」

 ライハント王子はその先が続かず、敗北感に満ちた表情で俺を見ている。

「まさかここまで話してもリシェラの魅力が理解できないのか……憐れだな」

「俺を侮るな! リシェラがかわいいことくらい知っている! それにおまえの本音もわかっている。これを見ろ!」



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