【完結】僻地がいざなう聖女の末裔

入魚ひえん

文字の大きさ
上 下
30 / 31

30・既視感

しおりを挟む
 セレルのてのひらに守護獣の痙攣が伝わる。

 漆黒の霧が抜けてから、体色はほとんど白くなっていた。

 正常な色に近づいているはずだが、喉元からは妙に苦しげな唸りが漏れていて、次第にその巨体は蝕まれているように縮まりはじめる。

 セレルは不安に揺さぶられて叫んだ。

「ロラッド、どうしよう! このこ、すごく苦しそう……。それにどんどん小さくなってる!」

 ロラッドは黒霧の一角獣から目をそらさず、冷静に答える。

「病の部分が抜けて、その急激な変化が刺激になっているんだ。こっちは俺が世話するから、そっち頼むな」

「だけど……」

 セレルはどうすればいいのかわからずなおも迷っていると、会話が隙だと判断したのか、黒霧の一角獣がセレルに向かって跳びかかる。

 ロラッドはそれを許さず間合いを詰めると、腕を広げて黒霧の一角獣を抱きしめた。

 唸り声をあげた漆黒の牙がロラッドの首に食いつき、そのまま押し倒す。

 セレルから血の気が引いた。

「……ロラッド!」

 ロラッドは両腕で獣の首を抱きとめると、慣れた様子で笑う。

「元気なのはいいけどな。甘え方が乱暴すぎるんだよ。でも安心しろ。おまえの扱い方は、ちゃんと勉強しておいたからな」

 ロラッドが余裕の口ぶりで言いながら撫でると、黒霧のシルエットが揺らいだ。

 一角獣の形が砂のように崩れて降り注ぐと、それを吸収するかのようにロラッドの身体は漆黒に染まった。

 病を取り込んだとしか思えない姿に、セレルは目を見開いて息を止める。

 死が確定したような衝撃を受けていると、仰向けに倒れたロラッドが声を張った。

「助けるんだろ!」

 セレルは打たれたように思考をとり戻す。

 ロラッドの身の内でなにが起こっているのかは、うかがい知れない。

 しかし横たわったまま顔だけを向けてくるロラッドは、身の内に渦巻いているはずの苦しさをわずかにも見せず、いつものように笑いかけてくれた。

「言わなかったか? 英雄は勝利を収めるまで、死ねない呪いにかかってるんだよ」

 冗談で励ましてくれていることが伝わり、セレルははち切れそうな恐怖を無理やり押し込めて頷いた。

 守護獣にずっと触れていたので、今も微弱な力を送り続けていたが、再び精神を集中させてほのかに量を増やしてみる。

 しかし小さくなったその身体にはやはり強すぎるのか、わずかな力の加減ですら痙攣が起こって幾度も断念した。

 守護獣にかけた薬の影響をセレルも受けはじめている。

 すでに指先はしびれるように感覚を失い、意識も薄れていた。

 そうしている間も徐々に伝わってくる。

 守護獣の生命の弱りが。

 セレルの額に嫌な汗がにじんだ。

 力が入らない。

「負けるな」

 後ろで声がする。

 セレルが無理すればいつも心配してばかりだった声が、もう一度繰り返した。

「セレル、負けるな!」

 直後、大気を震撼させる轟音が響く。

 セレルが顔を上げると、涸れ森の木々に囲まれたその先の遠い青空に、噴水のように葉を茂らせた巨大なモモイモの葉が伸びていく。

 その生命力の勢いが波状するかのように、地面から振動が伝わってきた。

 大樹のようにそびえる植物を目に映しながら、セレルの脳裏にミリムとカーシェスの顔が浮かぶ。

 あの栄養剤の効果は一時的なものだったが、セレルは知っている。

 モモイモがある間なら、守護獣は本当に元気だった。

 今なら耐えられるはず。

 セレルは大きく息を吸うと、守護獣の腹に向けて再び意識を研ぎ澄ませる。

 先ほどまでのうかがうような力の込め方ではなかった。

 様子を見ながら徐々に、しかし確実に、手のひらが熱を持つほどに強く力をこめていく。

 思考はとっくに吹き飛んでいた。

 ただ手触りが変わっていく感覚はわかる。

 覚えがあった。

 ロラッドの怪我を治したとき、白亜空間転移のホールが出たときとよく似ている。

 セレルの全身が白い光に包まれた。

 意識が蒸発する。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...