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3・傷が治っても
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男はセレルの片手を乱暴に掴んで、自分の胸から手を離させた。
強い握力が食い込んだが、セレルは無表情で相手を見下ろす。
感情を人前で出さないことは慣れていた。
「意地張ってないで、触らせて」
「嫌だ」
「あ、同じだね。私、触るのも触られるのも嫌いなの。疲れるから。だけど悪いことばかりでもないんだよ。ほら」
握られていないほうの片手を傷口にあて、力をこめ続ける。
その時間がとてつもなく長く感じたが、やがて、男の表情が少し変わった。
「どう? 少し、楽になった?」
男はセレルを掴む手の力をゆるめると、小さく息を吐く。
「悪いけど、たとえ傷が治っても無駄なんだ。俺は呪われている」
「え?」
男の胸部を押さえるセレルの手の甲を、血に染まった大きな手がおおう。
死の淵にいるように、冷えていた。
「この奥に、呪いが撃ち込まれているらしい。そのせいで俺は、突然発作が起こると衝動のまま破壊して、狂ったように行動が制御できなくなる。いつ、何がきっかけで起こるかわからない。だから触るのはやめろ。急いで遠くへ行け」
そっけない言い方だったが、彼が語る内容はすべて、セレルを危険から守ろうとする配慮だけだった。
会ったばかりの自分を当然のように思いやってくれる人が、こんなにひどい怪我を負わされ、呪われているなんて。
事情はわからないが、理不尽なものを感じて、セレルは唇を噛んだ。
助けたい一心で、力をこめ続ける。
「どうして、こんなことに……」
「邪魔なんだろ。ヴェラニナ王妃は自分の息子にこの国を任せたいらしいから」
それは妹のネーチェリアから聞いたことのある、貴族たちの社交の場での噂として、人気のある話だった。
ヴェラニナ第二王妃は息子の第二王子を溺愛するあまり、亡くなった第一王妃の息子である第一王子を、国の外れにある領地へ追いやって王室から退けたり、明らかに不利だと言われる戦地に赴かせたり、常に嫌がらせをしているらしい。
しかし第一王子は辺境で磨いた剣技の才と、麗しい見かけによらない豪胆さが評判で、いつも勝利をおさめて帰ってくる。
その瞳の色から、緋の英雄と呼ばれるほど人気もあった。
「もしかして……ロラッド王子、なの?」
「もう王子じゃない。ただのロラッドだ」
男はすっきりとした表情で笑った。
このひどい有様でなければ、数多の令嬢たちが強く穏やかな自由人だと憧れているのも頷ける、凛とした笑顔だった。
「あんたの名前は?」
「セレル」
「短くて、飾り気がなくて、いいな。気に入ったよ。セレル」
「よかったね」
「他人事みたいだな。セレルの力、本当に効いているみたいで、結構楽になった。もういい。行ってくれ」
「うん」
セレルは適当に返事をして、力をこめ続ける。
ロラッドから笑顔が消えた。
「聞いてるのか。いつ暴れ出す発作が起こるかわからないんだ。早く行けよ」
「うん。私、上手くいけば、解毒薬を作れるときもあるの。もしかしたら、呪いだって……」
「おい、俺の話聞いてないだろ」
「うん」
「早く行け」
「うん」
「セレルの名前、なんだっけ」
「うん」
「俺の名前、呼んで」
「王子じゃないロラッド」
「聞いてるのかよ……呪いが仮に解けたとしても、そのうちやってくる追手につかまれば、セレルだって処分される。俺といるところは見られないほうがいい」
「なんだ。どっちにしろ同じじゃない。この森に捨てられて、死んでいくだけなんだから」
「捨てられたのか」
「あ」
うっかり余計なことを口走ったが、ロラッドの気が紛れるかもしれないと、思い直す。
「見ての通り、私……貧弱で。この力を使って一日中、石や葉に力をこめるんだけど、時間ががかかるし、作っている間に一日が終わってしまうの。義母と妹には仕事が遅いって色々されたけど、泣いたり怒ったりしたら喜ばせる気がして、絶対態度には出さないって決めてたけどね」
「そこは意地張るところなのか」
「まあね。それに私が力を付与した物は、私と血のつながっているお父さんとお母さんがはじめたお店で売っていて、効果もあるのに安いし助かるって、町の人は喜んで利用してくれていたんだよ」
セレルはそのことについて、幸せだとも思っていた。
「だけどね、そのうち疲れが抜けなくなったのかな。最近は気を失うようになっていてね。で、倒れてばかりで仕事もできないし、邪魔になったからここに来たの」
「すごいな。『今からあなたを惑いの森に捨てるから、ついてきなさい』って従ったのか?」
「そんなわけないでしょ。気を失ってる間に、連れてこられたんだよ……エドルフに」
「誰だそれ」
「幼なじみ。ずっと味方だと思ってたんだけど」
感情を込めずに言ったが、セレルの頬を涙が伝った。
慌てて息をのんだが、一度こぼれた感情は決壊したかのように、大粒の液体がほろほろと落ちていく。
ロラッドの指先が、セレルの頬をぬぐった。
「そいつのこと、好きだったんだな」
言われた言葉で、セレルは今まで抱えていた自分に対する嫌悪感が、ようやくわかった。
「そうだったら、まだよかったのに」
強い握力が食い込んだが、セレルは無表情で相手を見下ろす。
感情を人前で出さないことは慣れていた。
「意地張ってないで、触らせて」
「嫌だ」
「あ、同じだね。私、触るのも触られるのも嫌いなの。疲れるから。だけど悪いことばかりでもないんだよ。ほら」
握られていないほうの片手を傷口にあて、力をこめ続ける。
その時間がとてつもなく長く感じたが、やがて、男の表情が少し変わった。
「どう? 少し、楽になった?」
男はセレルを掴む手の力をゆるめると、小さく息を吐く。
「悪いけど、たとえ傷が治っても無駄なんだ。俺は呪われている」
「え?」
男の胸部を押さえるセレルの手の甲を、血に染まった大きな手がおおう。
死の淵にいるように、冷えていた。
「この奥に、呪いが撃ち込まれているらしい。そのせいで俺は、突然発作が起こると衝動のまま破壊して、狂ったように行動が制御できなくなる。いつ、何がきっかけで起こるかわからない。だから触るのはやめろ。急いで遠くへ行け」
そっけない言い方だったが、彼が語る内容はすべて、セレルを危険から守ろうとする配慮だけだった。
会ったばかりの自分を当然のように思いやってくれる人が、こんなにひどい怪我を負わされ、呪われているなんて。
事情はわからないが、理不尽なものを感じて、セレルは唇を噛んだ。
助けたい一心で、力をこめ続ける。
「どうして、こんなことに……」
「邪魔なんだろ。ヴェラニナ王妃は自分の息子にこの国を任せたいらしいから」
それは妹のネーチェリアから聞いたことのある、貴族たちの社交の場での噂として、人気のある話だった。
ヴェラニナ第二王妃は息子の第二王子を溺愛するあまり、亡くなった第一王妃の息子である第一王子を、国の外れにある領地へ追いやって王室から退けたり、明らかに不利だと言われる戦地に赴かせたり、常に嫌がらせをしているらしい。
しかし第一王子は辺境で磨いた剣技の才と、麗しい見かけによらない豪胆さが評判で、いつも勝利をおさめて帰ってくる。
その瞳の色から、緋の英雄と呼ばれるほど人気もあった。
「もしかして……ロラッド王子、なの?」
「もう王子じゃない。ただのロラッドだ」
男はすっきりとした表情で笑った。
このひどい有様でなければ、数多の令嬢たちが強く穏やかな自由人だと憧れているのも頷ける、凛とした笑顔だった。
「あんたの名前は?」
「セレル」
「短くて、飾り気がなくて、いいな。気に入ったよ。セレル」
「よかったね」
「他人事みたいだな。セレルの力、本当に効いているみたいで、結構楽になった。もういい。行ってくれ」
「うん」
セレルは適当に返事をして、力をこめ続ける。
ロラッドから笑顔が消えた。
「聞いてるのか。いつ暴れ出す発作が起こるかわからないんだ。早く行けよ」
「うん。私、上手くいけば、解毒薬を作れるときもあるの。もしかしたら、呪いだって……」
「おい、俺の話聞いてないだろ」
「うん」
「早く行け」
「うん」
「セレルの名前、なんだっけ」
「うん」
「俺の名前、呼んで」
「王子じゃないロラッド」
「聞いてるのかよ……呪いが仮に解けたとしても、そのうちやってくる追手につかまれば、セレルだって処分される。俺といるところは見られないほうがいい」
「なんだ。どっちにしろ同じじゃない。この森に捨てられて、死んでいくだけなんだから」
「捨てられたのか」
「あ」
うっかり余計なことを口走ったが、ロラッドの気が紛れるかもしれないと、思い直す。
「見ての通り、私……貧弱で。この力を使って一日中、石や葉に力をこめるんだけど、時間ががかかるし、作っている間に一日が終わってしまうの。義母と妹には仕事が遅いって色々されたけど、泣いたり怒ったりしたら喜ばせる気がして、絶対態度には出さないって決めてたけどね」
「そこは意地張るところなのか」
「まあね。それに私が力を付与した物は、私と血のつながっているお父さんとお母さんがはじめたお店で売っていて、効果もあるのに安いし助かるって、町の人は喜んで利用してくれていたんだよ」
セレルはそのことについて、幸せだとも思っていた。
「だけどね、そのうち疲れが抜けなくなったのかな。最近は気を失うようになっていてね。で、倒れてばかりで仕事もできないし、邪魔になったからここに来たの」
「すごいな。『今からあなたを惑いの森に捨てるから、ついてきなさい』って従ったのか?」
「そんなわけないでしょ。気を失ってる間に、連れてこられたんだよ……エドルフに」
「誰だそれ」
「幼なじみ。ずっと味方だと思ってたんだけど」
感情を込めずに言ったが、セレルの頬を涙が伝った。
慌てて息をのんだが、一度こぼれた感情は決壊したかのように、大粒の液体がほろほろと落ちていく。
ロラッドの指先が、セレルの頬をぬぐった。
「そいつのこと、好きだったんだな」
言われた言葉で、セレルは今まで抱えていた自分に対する嫌悪感が、ようやくわかった。
「そうだったら、まだよかったのに」
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