上 下
20 / 30

20・残り物

しおりを挟む
 居間に着くと、冬霧はそのまま奥にある台所へ向かう。

「今日は俺も疲れたし、残り物があったからそれにしよう」

 ワンちゃんはもう慣れた様子で、ちゃぶ台の前に三人分の座布団を敷きながら文句を垂れた。

「なんだよ手抜きか!」

「うん、そうだよ。温めなおすだけ。うみ、冷蔵庫に瓶、ふたつあるからお願い」

「はーい」

 冬霧が使いこまれたガスコンロの火をつけて鍋を温め始めた。

 私は小皿やら箸やらの用意を終えると、レトロな2ドア冷蔵庫から蓋つきのガラス瓶をふたつ出してちゃぶ台の上に並べる。

 若草色の中身が透ける瓶を開けると、透明な水分で潤いつやつやと光沢のあるキャベツの浅漬けが現れた。

 目に鮮やかなキャベツの葉の緑、芯の部分は上品な白、細切りにんじんは暖色で、それぞれが彩りを引き立てている。

 見た目にもおいしいそれを小皿に取り分けると、我慢のきかないワンちゃんがさっと取り上げた。

「ぼくは手抜きを味見する、いただきます!」

 箸が苦手なのでフォークで刺して食べるワンちゃんの口元から、いい歯ごたえが鳴った。

 ワンちゃんが浅漬けを噛むたび、心地よい音が私の耳に届いて、気分がみるみる上がっていく。

 ワンちゃんのおしりの辺りのズボンがふかっと盛り上がった。

「ありえない! 手抜きで完璧か!」

 頬を赤々と染めて感激するワンちゃんは、帰り道の姿よりずっと元気になったように見えた。

 その様子に私は少しほっとしつつ、ワンちゃんと同じく味見と言い訳して浅漬けを頬張る。

 口当たりはしっとり柔らかいのに、噛むと軽快な音が鳴って楽しい。

 あっさりとみずみずしい野菜の風味に、いい塩梅の塩加減と野菜そのものの甘みが爽やかだ。

 上機嫌でもう一つの瓶を開けると、柔らかい飴色をした梅干しがみっしり詰まっている。

「ワンちゃん、いいものあげるからね。はい」

 台所から現れた冬霧が、木目のある丸いお盆にお茶碗を持ってきてくれたので、温めなおしたばかりの真っ白なごはんの頂上に、しっとりと艶めく大ぶりの梅干しをのせる。

「俺もすぐ来るから、うみは先に食べていて」

「うん。いただきます!」

 大きな口でご飯と梅干しを頬張るワンちゃんに合わせて、私もいただく。

 口に含むと、覚悟はしていたのにやっぱり強い塩気と酸味に舌が驚いて、二人で一緒に顔をすぼめた。

 だけどよく噛んでいるうちに梅干し自体の甘みも分かるようになり、それがごはんそのものの甘さとなじんでいって、私好みになっていく。

 感極まったのか、ワンちゃんのフォークを持つ手が震えていた。

「酸っぱさの中にほんのりとした甘みのアクセント……相棒のご飯との最強コラボ感がたまらないんだけど……!」

 メイちゃんの家で覚えたのか、うさぎとは思えない比喩を駆使するワンちゃんから、浮き立つような多幸感が流れてくる。

「二人とも、おまたせ」

 冬霧が持ってきた丸盆にのったお皿から、煮込まれた豚肉とたれの甘く濃密な香りがただよってきた。

 問答無用で唾液腺を刺激されて、梅干しと浅漬けに夢中になっていたワンちゃんですら、引き寄せられるように顔を上げる。

「なんだこの匂い!? もはや美味い!」

「確かに、作り置きしておいた角煮はちょうど味がなじんでいて、今が一番いい頃かもね」

 冬霧は角煮の盛られたお皿を配った。

 ネギとショウガのくったりと溶けたたれの風味が、湯気と共に食卓を包みこむ。

「わ、おいしそう」

 四角いのにころんと丸みのある角煮はよく煮込まれていて、表面は濃い茶色の照りたれでつやつやとしていた。

 そのそばに並ぶネギとゆで卵もいい色に染め上がっていて、食欲をかきたてられる。

 柔肌の角煮を箸で割ると素材のきれいな白色が現れて、肉汁とたれがじんわり溢れた。

 そっと口に運ぶと、溶けるような熱い肉の感触と濃厚な甘辛いたれがなんだか色っぽくほどけていく。

 角煮に心を奪われたワンちゃんの、うっとりと目じりを下げるその吐息もどことなく甘い。

「残り物、最高か……」

 ワンちゃんは出された食事をあっという間に平らげた。

 しかしまだ物欲しそうな視線をさまよわせ、良い子のお手本のようによく噛んで食べている冬霧の手元に目を光らせる。

「冬霧、それ余ったらぼくが食べ、」

「いいよ。これは俺の仕事だから。ワンはもう終わったんだろ。はい、ごちそうさまして」

 諦めきれないワンちゃんは、なおも食い下がる。

「ふ、冬霧って、かっこいいよな!」

「うん。よく言われる」

 冬霧はあからさまなおだてに無反応で、当然のようにご飯と梅干しを頬張った。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

こちら夢守市役所あやかしよろず相談課

木原あざみ
キャラ文芸
異動先はまさかのあやかしよろず相談課!? 変人ばかりの職場で始まるほっこりお役所コメディ ✳︎✳︎ 三崎はな。夢守市役所に入庁して三年目。はじめての異動先は「旧館のもじゃおさん」と呼ばれる変人が在籍しているよろず相談課。一度配属されたら最後、二度と異動はないと噂されている夢守市役所の墓場でした。 けれど、このよろず相談課、本当の名称は●●よろず相談課で――。それっていったいどういうこと? みたいな話です。 第7回キャラ文芸大賞奨励賞ありがとうございました。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...