14 / 30
14・キーホルダー
しおりを挟む
部屋の空気が張り詰めたように、静寂の存在感が増した。
冬霧は足音もなくワンちゃんの傍らに来て座り込むと、その白い髪を撫でているのか手を動かしている。
意外とかわいがってくれているのかもしれない。
だから妙な緊迫感は気のせいなのかと思ったとき、鋭い声がぽつりと落ちた。
「俺、嫌だな」
その響きの重さに、まどろみかけていた私の意識が覚める。
「どうしたの?」
「俺は嫌なんだよ。うみがワンの苦しい感情を無理して、そばにいるの」
私は横になったまま、ワンちゃんと私の間に座る冬霧の背中を見上げる。
「心は、どうしようもないよ」
ワンちゃんは捨てられたって自覚しているし、うさぎの姿に戻ることもできていない。
だから会えてもメイちゃんに気づいてすらもらえないし、帰れない事情が突きつけられるかもしれない。
でも私と違って、可能性はゼロじゃない。
「それにワンちゃんは自分が悲しいこと以上に、メイちゃんのことをずっと心配してるの、私にはわかるから。メイちゃんに会って、元気な様子を見たいんだよ。それにもし帰れそうなら、ウサギに戻れる方法を探せばいいし。と言うか冬霧、あやかしから元に戻る方法、知ってるなら教えてあげてよ」
部屋はしんと静まった。
相変わらず冬霧の感情は伝わってこないし言葉もないので、なにを考えているのかわらなくて不安になる。
「俺は嫌なんだよ」
はねつけるような言い方だった。
「だってそうだろ。うみはワンの影響を受けてごはんを食べているときしか元気ないから。そこまでうみが背負い込むことないのに。それにうみはワンのことばっかりで、俺にかまってくれないからつまらないし。俺の雑草を抜く速さもいまいちになるし。退屈だし」
「冬霧……」
「俺はうみが心配なんだ、ずっと。おしまい」
ふてくされた口ぶりで話を切り上げた冬霧から、彼の言う心配な気持ちは流れてこない。
あの溺れるような悲しみにあった夜から、冬霧の気持ちは一切わからなくなった。
「私だって嫌だよ。私のせいで、冬霧が苦しい感情隠して無理しているの」
そう言い返すと、冬霧は聞いているのか聞いていないのか、黙ったまま振り返りもしなかった。
翌日。
ワンちゃんのにぎやかな悲鳴で、私は目を覚ます。
和室のふすまと障子がかたかたと揺れるほどの声量だった。
「冬霧ぃいいいっ!」
真っ赤な顔のワンちゃんは目をつり上げ、勢いよく障子やガラス戸を開け放って庭先に飛び降りると、砂埃を巻き上げながら、じょうろで水やりをしている冬霧に向かっていく。
「冬霧! ぼくになにをした!」
「ワンに? 別になにも……」
「とぼけるのか! こんな血も涙もないようなことができるのは、冬霧しかいないだろ!」
私も慌てて庭に出ると、ワンちゃんがふわふわの髪の毛をかき上げるのが見えた。
下ろしているとわからなかったけれど、そこには丸く剃り上げられている跡がある。
ワンちゃんは悲痛な声で叫んだ。
「ぼくの至宝の髪が一か所ハゲてるだろが!」
ワンちゃんの怒声とその哀れな剃り跡を見て、私が小さく息をのむと、冬霧は思い当たったのか顔をぱっと明るくさせる。
「ああ、俺だよ」
「気軽に認めるな!」
ワンちゃんは肩を怒らせながら、自分の身長よりも高い位置にある冬霧の胸倉をつかみ、激しく揺さぶる。
冬霧はされるがままになりながらも、笑顔でワンちゃんをなだめた。
「そんなに怒らなくてもだいじょうぶだって。ワンが自分の毛を随分気に入っていたみたいだから、俺、いいこと思いついたんだ。ほらワン、プレゼントがあるから両手を出して」
冬霧はポケットに手を突っ込みながら促すと、ワンちゃんはまだ怒りが収まらない様子のまま冬霧を離し、両手をおわん型にして差し出す。
のせられたのは、キーホルダーだった。
うさぎさんの毛を思わせる、ふわふわの白いファー飾りがついている。
冬霧が昨夜、寝ているワンちゃんを撫でていたように見えたのは、そういうことだったのか。
結構器用なんだなと私が感心していると、ワンちゃんはキーホルダーに加工された自慢の毛を握りしめながら、わなわなと肩を震わせていた。
「大切にしてね」
冬霧は悪びれた様子もなく言い放つと、再び水やりに精を出し始める。
ワンちゃんは無言でポケットにキーホルダーをしまい込んだ。
気に入っているのか、あきらめたのか。
その後ろ姿から、どちらなのか判断することはできなかった。
「うみ……」
「は、はい」
「メイに会いに行くとき、冬霧は絶対連れて行かないからな」
「は、はい」
「絶対だ! 絶対連れて行かない! でも冬霧にはお昼ご飯を作ってもらう! うまいから!」
ワンちゃんが地団駄を踏みながら宣言したので、私たちは昼食を食べてから、二人で出かけることになった。
冬霧は足音もなくワンちゃんの傍らに来て座り込むと、その白い髪を撫でているのか手を動かしている。
意外とかわいがってくれているのかもしれない。
だから妙な緊迫感は気のせいなのかと思ったとき、鋭い声がぽつりと落ちた。
「俺、嫌だな」
その響きの重さに、まどろみかけていた私の意識が覚める。
「どうしたの?」
「俺は嫌なんだよ。うみがワンの苦しい感情を無理して、そばにいるの」
私は横になったまま、ワンちゃんと私の間に座る冬霧の背中を見上げる。
「心は、どうしようもないよ」
ワンちゃんは捨てられたって自覚しているし、うさぎの姿に戻ることもできていない。
だから会えてもメイちゃんに気づいてすらもらえないし、帰れない事情が突きつけられるかもしれない。
でも私と違って、可能性はゼロじゃない。
「それにワンちゃんは自分が悲しいこと以上に、メイちゃんのことをずっと心配してるの、私にはわかるから。メイちゃんに会って、元気な様子を見たいんだよ。それにもし帰れそうなら、ウサギに戻れる方法を探せばいいし。と言うか冬霧、あやかしから元に戻る方法、知ってるなら教えてあげてよ」
部屋はしんと静まった。
相変わらず冬霧の感情は伝わってこないし言葉もないので、なにを考えているのかわらなくて不安になる。
「俺は嫌なんだよ」
はねつけるような言い方だった。
「だってそうだろ。うみはワンの影響を受けてごはんを食べているときしか元気ないから。そこまでうみが背負い込むことないのに。それにうみはワンのことばっかりで、俺にかまってくれないからつまらないし。俺の雑草を抜く速さもいまいちになるし。退屈だし」
「冬霧……」
「俺はうみが心配なんだ、ずっと。おしまい」
ふてくされた口ぶりで話を切り上げた冬霧から、彼の言う心配な気持ちは流れてこない。
あの溺れるような悲しみにあった夜から、冬霧の気持ちは一切わからなくなった。
「私だって嫌だよ。私のせいで、冬霧が苦しい感情隠して無理しているの」
そう言い返すと、冬霧は聞いているのか聞いていないのか、黙ったまま振り返りもしなかった。
翌日。
ワンちゃんのにぎやかな悲鳴で、私は目を覚ます。
和室のふすまと障子がかたかたと揺れるほどの声量だった。
「冬霧ぃいいいっ!」
真っ赤な顔のワンちゃんは目をつり上げ、勢いよく障子やガラス戸を開け放って庭先に飛び降りると、砂埃を巻き上げながら、じょうろで水やりをしている冬霧に向かっていく。
「冬霧! ぼくになにをした!」
「ワンに? 別になにも……」
「とぼけるのか! こんな血も涙もないようなことができるのは、冬霧しかいないだろ!」
私も慌てて庭に出ると、ワンちゃんがふわふわの髪の毛をかき上げるのが見えた。
下ろしているとわからなかったけれど、そこには丸く剃り上げられている跡がある。
ワンちゃんは悲痛な声で叫んだ。
「ぼくの至宝の髪が一か所ハゲてるだろが!」
ワンちゃんの怒声とその哀れな剃り跡を見て、私が小さく息をのむと、冬霧は思い当たったのか顔をぱっと明るくさせる。
「ああ、俺だよ」
「気軽に認めるな!」
ワンちゃんは肩を怒らせながら、自分の身長よりも高い位置にある冬霧の胸倉をつかみ、激しく揺さぶる。
冬霧はされるがままになりながらも、笑顔でワンちゃんをなだめた。
「そんなに怒らなくてもだいじょうぶだって。ワンが自分の毛を随分気に入っていたみたいだから、俺、いいこと思いついたんだ。ほらワン、プレゼントがあるから両手を出して」
冬霧はポケットに手を突っ込みながら促すと、ワンちゃんはまだ怒りが収まらない様子のまま冬霧を離し、両手をおわん型にして差し出す。
のせられたのは、キーホルダーだった。
うさぎさんの毛を思わせる、ふわふわの白いファー飾りがついている。
冬霧が昨夜、寝ているワンちゃんを撫でていたように見えたのは、そういうことだったのか。
結構器用なんだなと私が感心していると、ワンちゃんはキーホルダーに加工された自慢の毛を握りしめながら、わなわなと肩を震わせていた。
「大切にしてね」
冬霧は悪びれた様子もなく言い放つと、再び水やりに精を出し始める。
ワンちゃんは無言でポケットにキーホルダーをしまい込んだ。
気に入っているのか、あきらめたのか。
その後ろ姿から、どちらなのか判断することはできなかった。
「うみ……」
「は、はい」
「メイに会いに行くとき、冬霧は絶対連れて行かないからな」
「は、はい」
「絶対だ! 絶対連れて行かない! でも冬霧にはお昼ご飯を作ってもらう! うまいから!」
ワンちゃんが地団駄を踏みながら宣言したので、私たちは昼食を食べてから、二人で出かけることになった。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
ニンジャマスター・ダイヤ
竹井ゴールド
キャラ文芸
沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。
大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。
沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
こちら夢守市役所あやかしよろず相談課
木原あざみ
キャラ文芸
異動先はまさかのあやかしよろず相談課!? 変人ばかりの職場で始まるほっこりお役所コメディ
✳︎✳︎
三崎はな。夢守市役所に入庁して三年目。はじめての異動先は「旧館のもじゃおさん」と呼ばれる変人が在籍しているよろず相談課。一度配属されたら最後、二度と異動はないと噂されている夢守市役所の墓場でした。 けれど、このよろず相談課、本当の名称は●●よろず相談課で――。それっていったいどういうこと? みたいな話です。
第7回キャラ文芸大賞奨励賞ありがとうございました。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる