【完結】あやかしの隠れ家はおいしい裏庭つき

入魚ひえん

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5・悲しみ

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 どのくらいたったのか。

 眠りこけていたところに突然、震えるほどの苦しい感情に襲われて、私は目を覚まさずにはいられなかった。

 なにが起こっているのかもよくわからず、声も出せずに身をよじって恐怖に溺れる。

 悲しい。

 胸が炙られているかのように悲しい。

 暴力的な感情に引きずられて、涙があふれて止まらなくなった。

 私は嗚咽を漏らしながら枕に顔をうずめると、胸の前で両手を握りしめて息を殺す。

 そうしてようやく、なにが起こっているのかわかってきた。

 冬霧だ。

 あやかしである冬霧の気持ちが、近くにいる私に向かって奔流のように注ぎ込まれている。

 でもどうして、こんなにひどい気持ちなのか。

 不安すら感じて、私は涙も拭わず隣のふすまを見つめた。

 しんとしている。

 それがかえって怖く思えて、私は激情に震えながら身を起こすと、ふとんの上に座ったまま声をかけた。

「冬霧……」

 抑えようとしても、声はかすれて嗚咽が漏れる。

「うみ、どうしたの?」

 ふすまが開かれることはなかったが、すぐ返事がくる。

「だって、冬霧が……」

 落ち着いた冬霧の声を聞いて、私はこの気持ちが別のあやかしから流れてきたものか、または本当の私の気持ちなのかとわからなくなる。

 すこし考えたような間が空いてから、ふすまの奥で冬霧がちいさく声をあげた。

「あっ、そうか。うみも綾子と同じでわかるのか」

「お、おばあちゃんも……? あやかしの感情が、わかったの?」

「その様子だと、綾子よりうみのほうが強いかも」

 そう聞いて、お母さんがこの変わった私の体質のことを、あんなに自然に受け入れてくれた理由を知った気がした。

 次第に、私へ押し寄せていた感情が引いていく。

 隣の部屋で冬霧の動く気配がして、私たちを隔てるふすまが揺れたけれど、開くことはなかった。

 ふすま越しに張り付いている、冬霧の心細そうな声が届く。

「うみ、まだつらい?」

「ううん。だいじょうぶ」

 先ほどまでの激情はおさまってきたけれど、まだ胸の奥がじくじくしている。

 私は深呼吸をした。

「だけど冬霧は今、さっきの気持ちをすごく我慢してるんでしょ? 冬霧こそだいじょうぶなの?」

「俺は平気だよ。まさかうみのこと驚かせるとは思わなくて……ごめん。狐は月を見ていると感傷的になるんだ」

「そうなの?」

「だって月は、手を伸ばしても届かないだろ」

「……うん」

 私が思っているより、狐は切なくも風流なことに心を馳せているらしい。

「狐って、そんなこと考えるんだ」

「うん。目の前の月に手が届けばいいのにな、とか」

「どうして?」

「だって食べたら、だんごのような味がするかもしれないだろ。それともまんじゅうかな? だったらこしあんかな、つぶあんかな。俺はどっちも好き。おしまい」

「……また、作り話?」

 しかもオチを言われるまで、なかなか優雅な気持ちに浸っていた。

「うみのためだけに作った、聞いた後はぐっすり眠れるお話だよ。おやすみ」

 私は自分と冬霧の両方に呆れながら、再び横になる。

 まだ悲しみは心の端にしつこくこびりついていたけれど、先ほどまでの身をよじるような思いをしなくてすむのなら助かる。

 だけど冬霧はいつもひとり、あんな気持ちでこの家にいるのだろうか。

 私は冬霧が心配になった。

 一体、どうして。

 真っ先に、冬霧がおばあちゃんのことを話しているときの嬉しそうな顔が浮かんだ。

 やっぱり、おばあちゃんに会いたいのかもしれない。

 でもそれは私には叶えてあげられないし、それだと少し変なことにも気づいた。

 さきほど流れ込んできた悲しみは、いつか帰って来るかもしれない人に対するさびしさというよりは、今すぐにでも手に入れたいのにそれを果たせない苦しみのような、切実なものだった。

 そういう気持ちを、私は知っている。

 お母さんと一緒に住んでいた古くて小さなアパートの玄関に立ちつくしながら眺めた、全て片付けたあとのがらんどうな景色を前にしたとき。

 もうここには永遠に帰ることができない。

 そう思い知らされたあのときのことがよぎると、今でも胸がかき乱されてしまいそうになり、私は考えるのをやめる。

 ぽつりと思った。

 冬霧は狐の世界に帰りたいのかもしれない。

 作り話と言っていたけれど、狐に戻る努力をしているというのは嘘ではない気がした。

 少し考えれば、その不便な生活は私にだって想像できるから。

 冬霧は今、あやかしになって狐に戻りたいと努力しながらも戻れず、人の世界の片隅で正体を知られないように細々と暮らしているのだろう。

 帰りたいに決まってる。

 誰だって。

 再び目の奥が熱くなってきて、私は静かに目を閉じた。

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