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2・体質
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冬霧は片腕にキャリーケース、反対側に私を抱え、床板がきしむ通路を進む。
「は、放してよ。逃げないから!」
「そう?」
大声で騒ぐと、冬霧は私をひんやりとした板の間におろして扉を開く。
ふすまに仕切られた古風な居間が現れた。
ひと昔前の時代へ紛れ込んでしまったかのような、いかにもおばあちゃんの家という懐かしい雰囲気で、部屋の隅には色あせた木製の戸棚や年季の入った振り子の壁時計が動いている。
広々というよりはこぢんまりとした居心地のいい感じに、なんだかほっとした。
天井の中央には大きなお椀をひっくり返したような照明がつり下がっていて、その真下に置かれた和食とちゃぶ台を柔らかく照らしている。
ちゃぶ台の上には、ご飯とみそ汁、焼き魚と小鉢にはきんぴらごぼうがそろっていた。
素朴だけど味わい深い見た目の食卓から、ほんのりと温度を帯びた香りが漂ってきた。
飢えた獣のように、私のお腹が鳴る。
恥ずかしさに耐えられずうずくまると、部屋の脇にキャリーケースを置いていた冬霧が驚きを隠さず振り返った。
「うみ、すごい音だね。お腹空いて立てないの?」
デリカシーがなさすぎる。
彼はそうだろうと予想していたけれど、それで羞恥心が軽減されるわけでもなく、私は顔を真っ赤にして言い訳をした。
「だって私、今日はここに来るまでずっと緊張していたんだよ。なにも食べられないくらい……」
だったはずなのに、不覚にも空腹感を覚える。
「それなら一緒に食べよう」
「で、でも私が食べたらあなたの、」
「冬霧だよ」
「冬霧さんの、」
「冬霧だよ」
「……冬霧のぶんが、なくなっちゃうし」
「次の日に残るくらい多めにあったし、気にしなくていいよ。明日の分は明日に任せよう」
冬霧は落ち着いた色味の座布団を持ってきて私の場所を作ってくれると、慣れた様子ですぐ隣の台所へ行く。
私はもうフードをかぶっていない冬霧の頭部を見つめた。
少し長めで赤みのかかった金髪から、同じ色をした毛色の耳が対になってのびている。
視線を落としたけれど、一度だけ腰のあたりではみ出していたしっぽは見えなかった。
さっき私が飛びついて驚かせてしまったことが原因で出てきただけで、普段は隠しているかもしれない。
「……冬霧は、あやかしなの?」
「うん。綾子がそう言ってた」
冬霧はいそいそと食器を出してちゃぶ台の前に座り、手際よくわけはじめた。
「俺のこと、怖い?」
「……驚いてる、かな。だけど他の人よりは、驚いていないと思う。あやかしがいるのは知ってたから」
小さいころから時折、私の心にはなにかの感情が入ってくることがある。
突然襲ってくるその気持ちの理由を、お母さんは私が『あやかし』という不思議な存在の感情が伝わってくる、変わった体質らしいと教えてくれた。
らしいというのは、お母さんは違うけれどそういう人がいることを知っているそうで、それは病院に行ったり薬を飲んだりすれば治るものでもないので、そのまま生きていかなくてはいけないらしい。
その説明で私は納得するしかなかったけれど、すれ違ったり風に乗ってくるのか、唐突に侵入してくるあやかしのものらしい感情が苦手なことに、変わりはなかった。
そのたびに気持ちが引きずられて、どうすればいいのかわからなくなる。
「だけど私、あやかしがいるのは知っていても、ずっと関わらないように生きていたから……。こんな風に話したのも初めてで、緊張してる」
「そっか」
冬霧はごはんを半分移してくれたお茶碗を私に向ける。
「ほら、うみ。突っ立ってないで座らないとお腹が膨れない。食べよう」
私は草花が描かれた青と白の茶碗を受け取ると、冬霧と向かい合って座った。
ここに住むつもりでやってきたけれど、まさかあやかしの先客がいて夕食をごちそうになるとは、夢の中にでもいるような気がしてくる。
「は、放してよ。逃げないから!」
「そう?」
大声で騒ぐと、冬霧は私をひんやりとした板の間におろして扉を開く。
ふすまに仕切られた古風な居間が現れた。
ひと昔前の時代へ紛れ込んでしまったかのような、いかにもおばあちゃんの家という懐かしい雰囲気で、部屋の隅には色あせた木製の戸棚や年季の入った振り子の壁時計が動いている。
広々というよりはこぢんまりとした居心地のいい感じに、なんだかほっとした。
天井の中央には大きなお椀をひっくり返したような照明がつり下がっていて、その真下に置かれた和食とちゃぶ台を柔らかく照らしている。
ちゃぶ台の上には、ご飯とみそ汁、焼き魚と小鉢にはきんぴらごぼうがそろっていた。
素朴だけど味わい深い見た目の食卓から、ほんのりと温度を帯びた香りが漂ってきた。
飢えた獣のように、私のお腹が鳴る。
恥ずかしさに耐えられずうずくまると、部屋の脇にキャリーケースを置いていた冬霧が驚きを隠さず振り返った。
「うみ、すごい音だね。お腹空いて立てないの?」
デリカシーがなさすぎる。
彼はそうだろうと予想していたけれど、それで羞恥心が軽減されるわけでもなく、私は顔を真っ赤にして言い訳をした。
「だって私、今日はここに来るまでずっと緊張していたんだよ。なにも食べられないくらい……」
だったはずなのに、不覚にも空腹感を覚える。
「それなら一緒に食べよう」
「で、でも私が食べたらあなたの、」
「冬霧だよ」
「冬霧さんの、」
「冬霧だよ」
「……冬霧のぶんが、なくなっちゃうし」
「次の日に残るくらい多めにあったし、気にしなくていいよ。明日の分は明日に任せよう」
冬霧は落ち着いた色味の座布団を持ってきて私の場所を作ってくれると、慣れた様子ですぐ隣の台所へ行く。
私はもうフードをかぶっていない冬霧の頭部を見つめた。
少し長めで赤みのかかった金髪から、同じ色をした毛色の耳が対になってのびている。
視線を落としたけれど、一度だけ腰のあたりではみ出していたしっぽは見えなかった。
さっき私が飛びついて驚かせてしまったことが原因で出てきただけで、普段は隠しているかもしれない。
「……冬霧は、あやかしなの?」
「うん。綾子がそう言ってた」
冬霧はいそいそと食器を出してちゃぶ台の前に座り、手際よくわけはじめた。
「俺のこと、怖い?」
「……驚いてる、かな。だけど他の人よりは、驚いていないと思う。あやかしがいるのは知ってたから」
小さいころから時折、私の心にはなにかの感情が入ってくることがある。
突然襲ってくるその気持ちの理由を、お母さんは私が『あやかし』という不思議な存在の感情が伝わってくる、変わった体質らしいと教えてくれた。
らしいというのは、お母さんは違うけれどそういう人がいることを知っているそうで、それは病院に行ったり薬を飲んだりすれば治るものでもないので、そのまま生きていかなくてはいけないらしい。
その説明で私は納得するしかなかったけれど、すれ違ったり風に乗ってくるのか、唐突に侵入してくるあやかしのものらしい感情が苦手なことに、変わりはなかった。
そのたびに気持ちが引きずられて、どうすればいいのかわからなくなる。
「だけど私、あやかしがいるのは知っていても、ずっと関わらないように生きていたから……。こんな風に話したのも初めてで、緊張してる」
「そっか」
冬霧はごはんを半分移してくれたお茶碗を私に向ける。
「ほら、うみ。突っ立ってないで座らないとお腹が膨れない。食べよう」
私は草花が描かれた青と白の茶碗を受け取ると、冬霧と向かい合って座った。
ここに住むつもりでやってきたけれど、まさかあやかしの先客がいて夕食をごちそうになるとは、夢の中にでもいるような気がしてくる。
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