26 / 76
26・従僕とのひととき
しおりを挟む
「魔帝陛下にふさわしい場所にしました。ご不満がありましたら、なんなりとお申し付けください」
改まった様子で言ってみると、ディルは恭しく私の前に跪き、手を取って自然と口づけた。
「世話は自信がないと言っていたはずだが……一瞬で十室ほどある私室を最高峰の聖域に変えられて、我が主に感服していただけだ。というか、主に自分の世話をさせるなんて従僕失格だな」
「逆だよ。あなたとこうして過ごすのは、私のしたいことなんだから」
私は目の前で跪いている彼の黒髪を撫でる。
「これがレナのしたいことか……」
「羨ましいの?」
私はディルの隣に屈むと、こてんと倒れるように体を預ける。
ディルは私の肩を支えるように片手で抱くと、真っ白な私の髪を幸せそうに指で梳いた。
予想通り、ディルは魂剥離の執着に加えて、白猫を愛でることがお気に入りになっているらしい。
残念ながら今は人の姿のままだけど……。
でも普段の他者を拒むような深く冷たい海色の瞳が、今は見守るようなあたたかさで私を映していた。
「レナの望みはいつも、ささやかだな」
「そう? 世界中を屈服させる魔帝をいいようにするなんて、強欲を尽くしている気がするけれど」
「しかし実感としては、主の役にまったく立てている気がしない」
「じゃあ命じるわ。体調がすぐれないときは無理をしないで、こうやって私のそばにいてね」
私を抱きしめるその腕に、一瞬だけ意味深な力がこもる。
「悔しいが……俺の主は、従僕を飼いならすのが上手いようだ」
私の手を取って立ち上がるディルの表情に、穏やかな笑みが浮かんでいた。
執着とは少し違う自然なその仕草が、私に気を許してくれているようで嬉しくなる。
なにより普段の飄々とした美貌がやわらぐ様子は、かわいすぎた。
*
それから私たちは見た目にも美しい食事が並んだテーブルを挟み、向かい合わせで座った。
目の前に置かれたジャガイモのポタージュは、澄んだバターと緑のハーブが品よく飾られている。
口あたりはさらりとしているのに、今まで食べたことのない上質な素材が味わいに繊細な深みとして溶け込んでいた。
悪役令嬢時代にも、似たようなメニューを食べる機会はある。
でも全くの別物だと断言できた。
「おいしい!」
きれいに盛り付けられたサラダは色とりどりで、鮮やかなエビの食感までみずみずしい。
ビネガードレッシングのほどよい酸味に誘われて、食べれば食べるほど食べたくなる罠に陥っているようだった。
メインの肉厚なステーキにナイフを入れると、透明な肉汁がじゅわっと溢れてくる。
粗く挽かれた黒コショウと岩塩が、ごまかしのない芳醇な旨味を引き立てていて、食べごたえも大満足だ。
「本当においしいね。突然用意したとは思えないようなごちそうなんだもの」
「そうか? レナが気に入っているのならいいが」
これ、ディルには当然なんだ……。
聖女のときは清貧と言われ続けて、自分の食べたい物を選ぶなんて考えられなかったし、妙な香の力で食欲も味覚も麻痺していた。
だけどこれからはお腹が空くし、こんなにおいしい食事を毎日食べられるのだと思うと、またお腹が空いてくる。
デザートには紅茶風味のシフォンケーキまで用意されていた。
綿雲のようなクリームと新鮮なベリー類がたっぷりのっていて、最高に幸せな味がする。
この国は魔帝が失踪しても影武者を立てて平然と国の運営を回していたり、戻ってきても当然のように迎えてくれて、帰宅を知っていたかのように温かい夕食まで出てくるなんて。
「ディルが考えたラグガレド帝国の仕組み、すごすぎる……」
「仲間たちと意見交換をするし、彼らが協力を惜しまないからだ。みな優秀だが、食に関して味にうるさい者が多いせいか、気づけば食事はこうなっていた」
「それを叶えるだけの食材と人材が、この国にはあるんだね」
コリンナのおじいさんが言った通り、これは豊かなラグガレド帝国でなければつくることのできない味だ。
「今日は疲れただろう。ゆっくり身体を休めるといい。望むものがあれば用意するが」
「本当? 実はさっき、ほしいものを見つけたの」
改まった様子で言ってみると、ディルは恭しく私の前に跪き、手を取って自然と口づけた。
「世話は自信がないと言っていたはずだが……一瞬で十室ほどある私室を最高峰の聖域に変えられて、我が主に感服していただけだ。というか、主に自分の世話をさせるなんて従僕失格だな」
「逆だよ。あなたとこうして過ごすのは、私のしたいことなんだから」
私は目の前で跪いている彼の黒髪を撫でる。
「これがレナのしたいことか……」
「羨ましいの?」
私はディルの隣に屈むと、こてんと倒れるように体を預ける。
ディルは私の肩を支えるように片手で抱くと、真っ白な私の髪を幸せそうに指で梳いた。
予想通り、ディルは魂剥離の執着に加えて、白猫を愛でることがお気に入りになっているらしい。
残念ながら今は人の姿のままだけど……。
でも普段の他者を拒むような深く冷たい海色の瞳が、今は見守るようなあたたかさで私を映していた。
「レナの望みはいつも、ささやかだな」
「そう? 世界中を屈服させる魔帝をいいようにするなんて、強欲を尽くしている気がするけれど」
「しかし実感としては、主の役にまったく立てている気がしない」
「じゃあ命じるわ。体調がすぐれないときは無理をしないで、こうやって私のそばにいてね」
私を抱きしめるその腕に、一瞬だけ意味深な力がこもる。
「悔しいが……俺の主は、従僕を飼いならすのが上手いようだ」
私の手を取って立ち上がるディルの表情に、穏やかな笑みが浮かんでいた。
執着とは少し違う自然なその仕草が、私に気を許してくれているようで嬉しくなる。
なにより普段の飄々とした美貌がやわらぐ様子は、かわいすぎた。
*
それから私たちは見た目にも美しい食事が並んだテーブルを挟み、向かい合わせで座った。
目の前に置かれたジャガイモのポタージュは、澄んだバターと緑のハーブが品よく飾られている。
口あたりはさらりとしているのに、今まで食べたことのない上質な素材が味わいに繊細な深みとして溶け込んでいた。
悪役令嬢時代にも、似たようなメニューを食べる機会はある。
でも全くの別物だと断言できた。
「おいしい!」
きれいに盛り付けられたサラダは色とりどりで、鮮やかなエビの食感までみずみずしい。
ビネガードレッシングのほどよい酸味に誘われて、食べれば食べるほど食べたくなる罠に陥っているようだった。
メインの肉厚なステーキにナイフを入れると、透明な肉汁がじゅわっと溢れてくる。
粗く挽かれた黒コショウと岩塩が、ごまかしのない芳醇な旨味を引き立てていて、食べごたえも大満足だ。
「本当においしいね。突然用意したとは思えないようなごちそうなんだもの」
「そうか? レナが気に入っているのならいいが」
これ、ディルには当然なんだ……。
聖女のときは清貧と言われ続けて、自分の食べたい物を選ぶなんて考えられなかったし、妙な香の力で食欲も味覚も麻痺していた。
だけどこれからはお腹が空くし、こんなにおいしい食事を毎日食べられるのだと思うと、またお腹が空いてくる。
デザートには紅茶風味のシフォンケーキまで用意されていた。
綿雲のようなクリームと新鮮なベリー類がたっぷりのっていて、最高に幸せな味がする。
この国は魔帝が失踪しても影武者を立てて平然と国の運営を回していたり、戻ってきても当然のように迎えてくれて、帰宅を知っていたかのように温かい夕食まで出てくるなんて。
「ディルが考えたラグガレド帝国の仕組み、すごすぎる……」
「仲間たちと意見交換をするし、彼らが協力を惜しまないからだ。みな優秀だが、食に関して味にうるさい者が多いせいか、気づけば食事はこうなっていた」
「それを叶えるだけの食材と人材が、この国にはあるんだね」
コリンナのおじいさんが言った通り、これは豊かなラグガレド帝国でなければつくることのできない味だ。
「今日は疲れただろう。ゆっくり身体を休めるといい。望むものがあれば用意するが」
「本当? 実はさっき、ほしいものを見つけたの」
0
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」
行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。
相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。
でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!
それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。
え、「何もしなくていい」?!
じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!
こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?
どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。
二人が歩み寄る日は、来るのか。
得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?
意外とお似合いなのかもしれません。笑
[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで
みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める
婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様
私を愛してくれる人の為にももう自由になります
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい
三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。
そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる