2 / 76
2・私の人生をはじめます!
しおりを挟む
「さてとっ」
私は振り返り、体の中心に意識を集中させた。
胸の奥から祈力が広がり温まっていく。
私の足元で、ほのかなまばゆさが放たれた。
浄化の力が発現する。
そこから広い石床、白亜の壁、高い天井へと、控えめながらも清浄な輝きが空間を磨きあげた。
清らかで心地よい空気に満ちた大聖堂を、私は改めて見回す。
聖女たちがいるというのに、見かけ騙しのような浄化しかさせてもらえなかったのは、焚きしめている妙な香を消さないためだろう。
聖女たちの居住空間はさらに香りが独特で濃い。
そのせいでここへ来た私も他の聖女たちも次第に表情を失って、司教から命じられたことに従う抜け殻のようだった。
「窓を開け放って空気を入れ替えたから、あの変な匂いもほとんど抜けたようね」
大聖堂周辺はすでに、祈りの結界と魔術防壁を張り巡らせてある。
それは不愉快な香が消えたころ──翌朝くらいには解除されて建物内に入れるはずだ。
「もし他の聖女たちが聖堂に戻るつもりなら、それは香の毒素が抜けて、自分の意志で選んだほうがいいからね」
窓から差し込む柔らかな陽を受け、眠気と空腹が同時にやってくる。
だけど心はすっきりしていて、香に包まれて忘れていた自分の感覚が呼び起こされるようだった。
私は風の踊る美しい大聖堂の中心で、両手を広げて大きく伸びをする。
前世を思い出してようやく、私の、レナーテの人生をはじめる準備ができた。
*
前世の私は、その世界でなにが起こるのか知っていた。
自分の行動で登場人物の運命が決まること。
それを避けるには私が『悪役令嬢』を演じて、彼らの悲惨な結末を回避するしかないこと。
だから私はあらゆる手を尽くし、自らの意思で処刑台に立った。
望みを叶えた結末に、心残りはないはずだった。
でも私の罪状が読み上げられ、観衆の罵倒が高まり、いよいよ最期を迎えようとしたそのとき。
私の死を待つ観衆の群れから、一匹の黒猫が飛び出す。
つらいときや悲しいとき、抱きしめるとじっと話を聞いてくれた野良猫が、侵入を止めようとする衛兵たちを次々にすり抜けた。
そして怪我で悪くした後ろ足を懸命に引きずりながら、まっすぐこっちへ向かってくる。
ようやく私は気づいた。
自分がこの結末を迎えることで、悲しむ相手がいたことに。
*
「んん……」
大聖堂に並べられた長椅子に寝そべっていた私は、まだぼんやりとした目をこする。
お腹が空いてきて、なにを食べようかと悩んでいるうちに、眠ってしまったらしい。
そうだよね。
これからは思う存分ごろごろしたり、いつ寝ても怒られない!
好きなものを好きなときに食べてもいいし、作ってもいいんだけど……前世から料理は食べる方が得意だった。
そういう事情もあって、おいしいものを食べるなら出かける方が賢明ともいえる。
でも私の真っ白な長い髪は目立つから、変装でもしよう……って、あれ。
体を起こしてようやく、私は相当な違和感に気づく。
全身を見回すと、私の体が髪の色と同じ、ふわっふわの純白の毛に包まれていた。
どうしよう。
これで人間だったら毛深すぎる。
不安にかられたまま見つめる自分の手には、猫と思われる肉球があった。
し、信じられない……。
なにはともあれ、それを自分の鼻先に押し付けてみる。
ふに、ふに、ふにふに。
最高の感触に、一生こうしていられそう。
いや、こうしてはいられない。
私は解放された窓の縁に飛び乗る。
自動的に明りの灯る大聖堂の内部とは違い、外は夜空に覆われ、きらめく星がちりばめられていた。
昼寝をしすぎて、すっかり日が暮れている。
でも寝ている間に嫌な香の影響もしっかり抜けたらしく、私はさらに空腹になっていた。
人でも猫でも、まずはごはん!
私は窓の縁から跳ねると、浮遊魔術を使って夜空を飛ぶ白猫になった。
私は振り返り、体の中心に意識を集中させた。
胸の奥から祈力が広がり温まっていく。
私の足元で、ほのかなまばゆさが放たれた。
浄化の力が発現する。
そこから広い石床、白亜の壁、高い天井へと、控えめながらも清浄な輝きが空間を磨きあげた。
清らかで心地よい空気に満ちた大聖堂を、私は改めて見回す。
聖女たちがいるというのに、見かけ騙しのような浄化しかさせてもらえなかったのは、焚きしめている妙な香を消さないためだろう。
聖女たちの居住空間はさらに香りが独特で濃い。
そのせいでここへ来た私も他の聖女たちも次第に表情を失って、司教から命じられたことに従う抜け殻のようだった。
「窓を開け放って空気を入れ替えたから、あの変な匂いもほとんど抜けたようね」
大聖堂周辺はすでに、祈りの結界と魔術防壁を張り巡らせてある。
それは不愉快な香が消えたころ──翌朝くらいには解除されて建物内に入れるはずだ。
「もし他の聖女たちが聖堂に戻るつもりなら、それは香の毒素が抜けて、自分の意志で選んだほうがいいからね」
窓から差し込む柔らかな陽を受け、眠気と空腹が同時にやってくる。
だけど心はすっきりしていて、香に包まれて忘れていた自分の感覚が呼び起こされるようだった。
私は風の踊る美しい大聖堂の中心で、両手を広げて大きく伸びをする。
前世を思い出してようやく、私の、レナーテの人生をはじめる準備ができた。
*
前世の私は、その世界でなにが起こるのか知っていた。
自分の行動で登場人物の運命が決まること。
それを避けるには私が『悪役令嬢』を演じて、彼らの悲惨な結末を回避するしかないこと。
だから私はあらゆる手を尽くし、自らの意思で処刑台に立った。
望みを叶えた結末に、心残りはないはずだった。
でも私の罪状が読み上げられ、観衆の罵倒が高まり、いよいよ最期を迎えようとしたそのとき。
私の死を待つ観衆の群れから、一匹の黒猫が飛び出す。
つらいときや悲しいとき、抱きしめるとじっと話を聞いてくれた野良猫が、侵入を止めようとする衛兵たちを次々にすり抜けた。
そして怪我で悪くした後ろ足を懸命に引きずりながら、まっすぐこっちへ向かってくる。
ようやく私は気づいた。
自分がこの結末を迎えることで、悲しむ相手がいたことに。
*
「んん……」
大聖堂に並べられた長椅子に寝そべっていた私は、まだぼんやりとした目をこする。
お腹が空いてきて、なにを食べようかと悩んでいるうちに、眠ってしまったらしい。
そうだよね。
これからは思う存分ごろごろしたり、いつ寝ても怒られない!
好きなものを好きなときに食べてもいいし、作ってもいいんだけど……前世から料理は食べる方が得意だった。
そういう事情もあって、おいしいものを食べるなら出かける方が賢明ともいえる。
でも私の真っ白な長い髪は目立つから、変装でもしよう……って、あれ。
体を起こしてようやく、私は相当な違和感に気づく。
全身を見回すと、私の体が髪の色と同じ、ふわっふわの純白の毛に包まれていた。
どうしよう。
これで人間だったら毛深すぎる。
不安にかられたまま見つめる自分の手には、猫と思われる肉球があった。
し、信じられない……。
なにはともあれ、それを自分の鼻先に押し付けてみる。
ふに、ふに、ふにふに。
最高の感触に、一生こうしていられそう。
いや、こうしてはいられない。
私は解放された窓の縁に飛び乗る。
自動的に明りの灯る大聖堂の内部とは違い、外は夜空に覆われ、きらめく星がちりばめられていた。
昼寝をしすぎて、すっかり日が暮れている。
でも寝ている間に嫌な香の影響もしっかり抜けたらしく、私はさらに空腹になっていた。
人でも猫でも、まずはごはん!
私は窓の縁から跳ねると、浮遊魔術を使って夜空を飛ぶ白猫になった。
0
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」
行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。
相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。
でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!
それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。
え、「何もしなくていい」?!
じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!
こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?
どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。
二人が歩み寄る日は、来るのか。
得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?
意外とお似合いなのかもしれません。笑
【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい
三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。
そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。
【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中
【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました
八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」
子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。
失意のどん底に突き落とされたソフィ。
しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに!
一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。
エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。
なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。
焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──
【完結】いいえ。チートなのは旦那様です
仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。
自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい!
ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!!
という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑)
※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる