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第九部『天涯地角なれど、緊密なる心』
三章-2
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「予定より、早く来すぎてしまったかな」
異国の服を着た金髪の青年が、森の中からメイオール村を眺めていた。待ち合わせの相手は、まだ到着していない。
日差しを傾き具合から、まだ約束の時間までは随分とある。
「……仕方ない。少し散歩でもするとしよう」
青年はゆっくりと歩き始めたが、村の中へは向かわなかった。森の縁を、のんびりと歩いているだけだ。
その途中で人の気配を察すると、青年は進路を変えた。人の目から逃れるその慎重さは、まるで裏稼業を生業にしている者のようだ。
狩人たちから逃れるため、青年は一度だけ森を出た。
「ん?」
〝どうした、レティシア〟
村の周囲を巡回していたレティシアは、森の中へと入ってく人影に目を細めた。遠目ではあったが、人影が着ていた異国の服には見覚えがあった。
数度だけだが、会って話したことがある。人間の身であるレティシアにとって、彼の言動には良い思い出がない。
そして彼がメイオール村に来た理由として思い浮かぶのは、一つしかない。
(瑠胡姫かランドに用事か?)
そう結論づけると、レティシアはジココエルの馬首を巡らせ、森から遠ざかった。
森の中へ消えた彼のことを思い出すと、腹の奥底から苛々とした感情が吹き上がってきそうだった。
〝森へ行かなくてよいのか。なにか、気になったのだろう?〟
「……気にするな。縁起が悪いから、早めに駐屯地へ戻る」
珍しく不機嫌な声で返事をするレティシアに、ジココエルはブルルッと溜息を吐いた。
*
竜神・カドゥルーの来訪から、二日後。
俺は《白翼騎士団》の駐屯地から、外へ出たところだった。
地竜族からの贈答品は、神殿内にギリギリ収まった――といえば聞こえは良いが、一階や三階だけでなく、生活空間である二階の通路まで荷物で埋め尽くされてしまった。
そこで、レティシアたち《白翼騎士団》やアインたちに、一部をお裾分けすることに決めたのだ。
レティシアには会っていないものの、リリンやクロースたちに絨毯やらを渡してきたばかりだ。俺が駐屯地を囲む塀に沿って歩いていると、どこからか鼻歌が聞こえて来た。
「にゃんにゃかにゃか、にゃかにゃかにゃん。にゃんにゃんにゃかにゃん、にゃかにゃんにゃん」
この声は、ユーキか?
やけに御機嫌だな――と思いながら塀の角から覗いてみると、ユーキが塀の根元に生えている芽に水をやっているところだった。
俺の足音に気付いたのか、慌てて振り返ったユーキと目が合った。次の瞬間、顔を真っ赤にしながら、勢いよく立ち上がった。
「ら、ランドひゃん!? さっきの鼻歌は違うんです! なんていうかその……」
「いや、そこまで慌てることじゃねぇだろ。それより、なにに水やりをしてたんだ?」
俺が普段と変わらぬ口調で質問をしたことで、ユーキも少し冷静になったようだ。深呼吸をしてから、水をやっていた芽を見下ろした。
「あ、あの……ここは、あたしの秘密の花壇なんです。レティシア団長には内緒なんですけど……」
「なんで内緒にしてるんだよ。こんなことくらいで、怒ったりしないだろ。今からでも許可を貰ったらどうだ?」
俺の提案に、ユーキは不安そうな顔をしながら指先をモジモジと動かした。
「そう思うんですけど……でも、今日の団長は少し機嫌が悪くて」
「話がし辛いほど機嫌が悪いっていうのも、珍しいな。なにかあったのか?」
「さあ……? ただ、見たくない人を見たとか――なんとか」
「……見たくない人?」
レティシアがそこまで嫌う人が、メイオール村にいるのか? 村人だって、騎士であるレティシアには、かなり気を使っているはずだ。レティシアを怒らせるようなことは、ないと思うが……。
「そういえば、ランドさん。今日は、お仕事はないんですか?」
俺が首を捻っていると、ユーキは話題を変えてきた。朝から荷物運びなんかしてるから、暇だと思われたらしい。
少し溜息を吐くと、俺は首を左右に振った。
「午前中は、請け負った仕事があるよ。これから行くところだ」
「この前やった、読み聞かせのお仕事……とか?」
「そんなわけないだろ……っていうか、なんで知ってるんだよ。騎士団の連中は、誰も来てなかったろ?」
「村では評判でしたよ? 良い出来映えだったって。今度は騎士団のみんなも行こうって……その、そんな話もしているんです。いっそ、英雄ノーデンの寓話は、全部やっちゃいます?」
「勘弁してくれよ。大体、英雄ノーデンの最後の話は、財宝を目当てに洞窟に住むドラゴンに戦いを挑んだはいいけど、魔剣を失って逃げ帰った――ってのだろ? 子どもたちに聞かせるには、ちょっとな」
英雄の没落まで語るというのは、子どもたちへの催しとしては、盛り上がりに欠けるだろう。俺はそろそろ話を切り上げようと、ユーキに手を振った。
「それじゃあ、そろそろ行くよ。仕事も早めに終わらせないと、昼からは教会で婚礼の式について打ち合わせがあるから……」
「なるほど。その打ち合わせって、なにをするんですか? 誓いの言葉の練習とか、指輪関係とか、誓いの接吻とか――」
ユーキにしては珍しく、ぐいぐいと食いついて来た。そういえば、恋愛を主題とした物語とかを読むのが趣味なんだっけ。
俺は苦笑しながら、それについての返答は勘弁して貰った。
今日の仕事は、薪割りと材木の切り出し――まだまだ寒い日が続くため、竃や暖炉に使う薪は、大量に必要だ。
仕事を終えて神殿に帰ると、紀伊が慌てて外に出てきたところだった。
「ああ、ランド様。丁度良いところに」
「どうかしたんですか?」
呑気な問いかけた俺に、紀伊は珍しく早口で答えた。
「沙羅殿が海竜族を連れてこられたんですが、瑠胡姫様と言い合いをしてしまって――」
「なんだって!?」
海竜族、そして瑠胡と言い合いと聞いて、俺ののんびりとした気分は一気に吹っ飛んだ。
二日前に、海竜族が俺たちの婚礼を祝う準備をしているという話を、竜神・カドゥルーから聞いたばかりだ。
それがどうして、瑠胡と口論なんて状態になるのか。
俺は急いで神殿の中に入ると、階段を駆け上がった。瑠胡たちは何処に――と思っていると、食堂から静かだが怒りを含んだ瑠胡の声が聞こえて来た。
食堂のドアを開けると、瑠胡やセラと睨み合いをする、金髪の青年の姿があった。その青年の横では、沙羅がオロオロと、双方を交互に宥めていた。
俺は食堂に駆け込むと、瑠胡とセラがほぼ同時に振り返った。
「瑠胡っ!」
「ランド? ああ、聞いて下さい。話にならないことを、平然と言ってきたんですよ!?」
怒りのせいで興奮気味なのか、瑠胡にしては大きな声だった。
俺は瑠胡が睨む先を目で追うと、やや眉を寄せた金髪の青年の姿に、思わず舌打ちをしそうになってしまった。
異国の服を着た彼は、確か――海竜族を治める竜神・ラハブの息子という、キングーだ。 俺と瑠胡にとって、このキングーというのは印象が悪すぎた。以前――悪い言い方をすれば――、瑠胡を狙うワイアームを扇動し、俺にクラーケンもけしかけようとした海竜族の眷属神だ。
龍神・恒河様に窘められても反省する素振りもなく、さらに言えば瑠胡に色目を使っていた。
そんな経緯で、瑠胡はもちろん、俺にとっても最悪な印象を持つ相手だった。瑠胡の隣にいたセラも、嫌悪感までは至ってないにしろ、かなりの苛立ちを露わにしていた。
瑠胡とセラを交互に見やってから、俺は二人を庇うような立ち位置へと移動した。
「……なにがあったんです?」
「婚礼の式の祝いをしたいから、付いて来て欲しい――と。わたくしたちは、ランドが来るまで待って欲しいと言ったのですが……キングーは先に向かいましょうの一点張りで」
「わたしたちが急に居なくなれば、ランドも心配するからと、説明はしたんです。そrでも強引に瑠胡姫様を連れて行こうとしましたので、二人で抵抗していました」
瑠胡のあとを継いだセラの説明に、俺はキングーを睨み付けた。
「……どういうつもりか、説明を求めても?」
「他意などありません。あなたがたの婚礼の式を祝うために、海竜族の神界では宴を用意しているのです。あなたは仕事で昼前まで戻らない――と聞いたので、それなら先に行って、先に宴を始めようとしたのですが。あくまでもランド殿が戻らねば、我々の神界に来ないと言われるものですから。ついムキになってしまいました」
「……宴、ですか。俺たちの婚礼の式を祝う、と仰有るわりには、言動がそぐわない気がしますね。祝う気があるのなら、こちらの事情も理解するべきですし、なにより性急すぎませんか?
宴をやるから、すぐに来いっていうのは、さすがに身勝手ですよね。こちらの都合なんかも無視した、ただの自己満足なんじゃないですか?」
少し言葉に棘がある気がするけど、こればかりは仕方が無い。瑠胡やセラを強引に連れ去ろうと――俺にとっては、そういう行いだ――したんだ。印象は最悪という段階を、遙かに通り越している。
慇懃に頭を僅かに下げていたキングーは、俺ではなく瑠胡へと目を向けた。
「そうかもしれません。少し性急過ぎたことは認めましょう。ですが本来、ドラゴン種にとって予定や都合といった概念は希薄なはず。人の世に順応されておられるようですが、今日はどのような都合があったというのでしょうか?」
「婚礼の式について、教会との話し合いを執り行う予定であった。今日の午後からという約束であるから、宴への参加はちと難しいやもしれぬ」
瑠胡が返答をすると、キングーの横に佇んでいた沙羅が、表情を伺うような顔をした。
「あの……瑠胡姫様。教会へは、わたしから話をしておきますので。瑠胡姫様がたは、宴へと向かわれて下さい」
「沙羅……御主は、キングーの肩を持つというのか」
「い、いえ、瑠胡姫様。ドラゴン種同士での無用な争いは、避けるべきだと存じ上げます。それに、お互いに竜神を主とする種ですから。神々の眷属同士の諍いとなれば、ほかへの影響が甚大となるでしょう。それは、避けなければなりません」
沙羅の言い分を聞いても、瑠胡は納得のいかない顔をしていた。だけど一定の理解はしたようで、小さな溜息を吐いたあとは、もう反論を口にしなかった。
瑠胡は俺の腕、そしてセラの手を取ると、キングーへと向き直った。
「ランドも来た故、宴とやらに参るとしよう。それで、御主も満足なのであろう?」
「……ええ。それは、もちろん」
受け答えをする態度は上品で丁寧だが、声にはやや固さが残っていた。
俺たちから視線を僅かに逸らしたキングーは、小声で何かを呟きながら、小さく手を叩いた。
その途端、俺たちの目の前で空間が歪み始めた。
空間の歪みを前に、キングーは俺たちを促すような素振りをした。
「この先が、海竜族――竜神・ラハブの神界です。どうぞ、お入り下さい」
「……左様か。なら、皆で入るとしよう」
瑠胡は俺の腕やセラの手を引いたが、キングーは片腕を横に広げて、行く手を阻んだ。
「お待ち下さい。この神界への道は、一人ずつしか通れません。何人も同時に通りますと、どこへ飛ばされるかわかりませんから」
「……不便なものよのう。そんな神界への通り道など、聞いたこともない」
「お恥ずかしい話ですが、わたくしの修練不足によるものです。ご不便をおかけしますが、お一方ずつ、お入り下さい」
キングーが深々と頭を下げた。
神界への通り道について詳しくないから、俺にはキングーの話がどこまで正しいか、判断ができない。
ただ瑠胡が不信感を露わにしているから、あまり信用してはいない。
俺は瑠胡を後ろに下がらせると、一歩前に出た。
「先ずは、俺から入ります。瑠胡とセラは、そのあとで」
二人にそう告げた途端、キングーが俺の肩を掴んできた。
「それはなりません。こういった場合、眷属神である瑠胡姫から順に入るのが礼儀でしょう。瑠胡姫のつがいとはえ、我々ドラゴン種にとって、あなたは新参でしかないのです」
なんだろう。ドラゴン種にとって正論を述べているだけかもしれないが、キングーの発言や態度、表情のすべてが気に入らない。
俺とキングーが睨み合っている横で、沙羅がまた不安げな顔をしていた。
そんな中、瑠胡が俺の背中に手を添えてきた。
「ランド……仕方がありません。わたくしから入りましょう」
「ですが、瑠胡……」
「沙羅も心配しておりますし。ここで揉めても、なにも進展しそうにありませんから」
譲歩――というか、半ば諦めに近いんだろう。瑠胡は空間の歪みに近づくと、キングーに問い掛けた。
「次はランド――で、構わぬのだろう?」
「……はい」
キングーが頷くのを見てから、瑠胡は空間の歪みへと入って行った。
俺はセラに頷いてから、瑠胡に続いた。空間に指先が触れるところまで近寄ったとき、俺の前に数個の青い玉が現れた。
なんだ――と思った直後、青い玉はいきなり爆発した。
「ランド!?」
セラの悲鳴じみた声が、食堂内に響いた。爆発自体は大きくなかったが、衝撃はそこそこ強かった。
前に奪ってしまった〈魔力障壁〉のお陰で、爆発による負傷はない。恐らく魔術か《スキル》によるものらしいが――これは、キングーによるものか?
爆発による黒煙が晴れたあとで食堂内を見回したが――空間の歪みはおろか、キングーの姿も消えていた。
しばらく俺は、呆然と室内を見回すことしかできなかった。数秒かけて、瑠胡がキングーに連れ去られたのだと理解した。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
アップするときに気付いたのですが……お気に入りの数が、三桁に突入しておりました。
ありがとうございます! 感涙です。
中の人の作品で、初の三桁です。素直に嬉しいと思う反面、今まで読んで頂いていた方々に加え、新たにお気に入り登録して頂いた方々にも、楽しんで頂けるよう頑張らないとな……と、襟を正す思いです。
なんか、ドキドキしますね。
あと余談なんですが。「どきどき」を変換しようとしたところ、変換の候補に「女王様」と出てきんですが、うちのIME(日本語変換ソフト)は異常なんでしょうか?
前に、こんな変換登録をした記憶もないし……。
……謎です。
そして本編の話ですが。
良くある話といえば、良くある話な展開ですね。ランド君の奮闘に、乞うご期待――と言ってしまっていいのやら(汗
こんな状態で書いてしまっていいか悩むところですが……少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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