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第九部『天涯地角なれど、緊密なる心』
三章-1
しおりを挟む三章 さすらう感情、待ち続ける心
1
海竜族の神界は、海の底にある。
外見よりも広大な球状の空間に、竜神の居城と二人の子どもたちの住まい、そして配下の者たちが暮らす小さな町がある。
大きな柱が立ち並ぶ竜神・ラハブの居城に、金髪の青年が訪れていた。
玉座に座ったまま、竜神・ラハブは溜息を漏らした。
「天竜族の瑠胡姫とランド・コールの婚礼――?」
「はい。瑠胡姫たちの婚礼に対し、地竜族が祝いの品を用意しているという話を聞きました」
「地竜族を束ねる竜神・カドゥルーは、瑠胡姫やランドらと面識があるのだろう? つがいとなることも認めておるというし、なんら不思議な話ではあるまい。キングーよ、話は端的にせよ」
キングーと言われた青年は、その端麗な顔に曇りのない笑みを浮かべた。
両膝を床に付けていた姿勢から、優雅な所作で立ち上がると、
「申し訳ありません、父上。つまり、我らも瑠胡姫の婚礼を祝うべきだと思うのです。そこで、我らの神界で祝いの席を設けようと考えております」
「……しかし、キングーよ。おまえは、瑠胡姫とランドがつがいになることに、反対ではないのか?」
「ええ。賛成はしておりません」
はっきりと答えてから、キングーは竜神・ラハブの視線を真っ向から受けた。
「ですが、天竜族と海竜族――ふたつの種が供に歩み、ドラゴン族を繁栄させるためには、必要なことだと考えております」
「ふむ……念のために聞くが、良からぬことを考えておらぬだろうな?」
「なにを言うかと思えば。父上――わたくしが考えているのは、ドラゴン族の繁栄のみでございます」
息子の目を見ていた竜神・ラハブは、玉座に頬杖を突きながら、大きな溜息を吐いた。
*
メイオール村に帰ってきてから三日。俺は手伝い屋の仕事を再開していた。
指輪が手に入ったことで、婚礼の式は教会側の準備を残すのみとなっている。あとは式を執り行う日を待つばかりだ。
今日の仕事は村の広場で、子どもたちへの読み聞かせだ。本来なら教会や村長の奥さんが行う行事である。
それが今回、俺への仕事になった理由は、至極単純だ。
教会のジムさんとシスター・マギーは、俺と瑠胡、セラの婚礼の式の準備で忙しいらしい。村長の奥さんは、熱が出て寝込んでいる。
そういうわけで、俺に依頼が来た――というわけだ。
「おお! 姫を攫いし悪しき魔物は、マンティコア! 獅子の身体に、醜い老人の顔。蝙蝠に似た翼を羽ばたかせ、サソリに似た毒の針を持つ尾。そのおぞましい姿に、従者オリンは恐れおののき、戦意を失ってしまった。
だが、英雄ノーデン! かの英雄は三果敢に、マンティコアへと挑んでいった。毒針をかいくぐり、片刃の魔剣ビクトーで斬りかかる――」
英雄ノーデンは、子どもに人気の物語だ。特にマンティコアが出てくる『砂城の魔物』は、男女に関係無く盛り上がる一作だ。
やがて話が終わると、子どもたちは焼き菓子を貰って解散となる。
俺が本を手に広場を出ると、瑠胡が近寄って来た。
「お仕事、無事に終わってなによりです」
「なんか、恥ずかしいですね。でも冬空の下ですから、寒くなかったですか? 神殿で待っててくれて良かったんですよ」
俺は気を使ったつもりだったけど、瑠胡は少しだけ不満そうに、身体を寄せてきた。
「だって……少しでも側にいたいじゃありませんか。つい三日前まで、数日も離ればなれだったんですから」
瑠胡は俺の胸に手を添えると、神糸の服を軽く握ってきた。
「つがいになるんですから……もっと、側にいる時間が欲しいのです 村での仕事くらいなら我慢できます。ですが、二日や三日の遠出など――ランドと会えないあいだ、わたくしは寂しいんですから」
「瑠胡……」
俺は肩を抱き寄せながら、逆の手で瑠胡の手を優しく握った。
「そうですよね。俺だって、できれば瑠胡の側に居たいですから。レティシアたちにも、村から遠出をするような依頼は控えるよう、ちゃんと言っておきますよ」
「レティシアたちのことだけを言ってませんから」
「……わかってます。少し大袈裟かもしれませんけど……もし不慮のことから離ればなれになることがあったとしても、一秒でも早く瑠胡の元へ帰るって――約束しますから」
約束――いや、誓いの言葉を口にしながら、俺は瑠胡の頬に手を添えた。
瑠胡の目に浮かんでいた不安の色が、薄くなっていく。そして僅かに顔を上げながら、身体を預けてきた。
完全に、甘えてきている。
瑠胡を軽く抱きしめた格好になりながら、俺は苦笑交じりに微笑んだ。
「……少しは、安心できました?」
「ええ。ランドは約束を破りませんから。これで、もう安心です」
俺と瑠胡が微笑み合っていると、横から咳払いが聞こえて来た。
振り向けば、大柄な男が困った顔をしていた。村の用心棒として雇われている、元傭兵のアインだ。
「おまえら……こんな村のど真ん中で、イチャつくなよ」
「え――あ」
周囲を見回せば、俺と瑠胡はまだ村の広場にいた。
周囲にいた、そして道行く村人たち――子どもたちも含む――は皆、好奇の目を俺と瑠胡に向けている。
「あ、ヤバッ」
慌てる俺とは正反対に、瑠胡は落ちついたものだ。
「あら。いいじゃありませんか。婚礼の式を執り行う二人ですもの。今さら、隠し立てするようなことではありませんでしょ?」
「いや……瑠胡。ちょっとその、道徳的に拙いというかですね? 本来、こういったことは人目のないところでやるのが……この地域での習慣なんです」
「しかたないですわね……でも、面倒なこと」
瑠胡は俺の腕に手を絡ませながらも、不満そうな顔をしていた。
アインと別れた俺たちが人目を避けるように神殿に戻る途中、上空から沙羅が降りてきた。ドラゴン化はしていないものの、陽光を反射する白銀の鎧と、真っ赤なドラゴンの翼は目立ちすぎる。
「瑠胡姫様っ!」
少し慌てた素振りの沙羅に、瑠胡は柳眉を寄せた。
「沙羅。飛んでくるなと言うておろうに。大事なときなのだから、厄介ごとを増やすでない」
「すいません、瑠胡姫様。急ぎの言伝がございます。婚礼の式を執り行うと知った地竜族が、祝いの品を姫様に届ける旨の報せが入りまして御座います」
「地竜族……」
久しぶりに聞く名に、俺と瑠胡は顔を見合わせた。
地竜族は天竜族と同様に、竜神・カドゥルーの眷属だ。少し前に、彼らの神界に呼ばれたこともあって、そこそこに親しい間柄である。
俺と瑠胡の夫婦――つがいになることにも好意的だ。
瑠胡は沙羅に向き直ると、少し呆れた顔をした。
「沙羅や。話は理解したが……さほど慌てる内容ではない気がするのう」
「瑠胡姫様は、ご存知ありませんか? 地竜族の祝いは、扱いに困るほどの量が届くそうです。用心はされたほうがよろしいかと」
片膝をついた姿勢の沙羅の説明に、瑠胡は扇子で口元を隠しながら、僅かに視線を上方へと向けた。
「ふむ……話は承知した。神殿の中を少し片付けておくとしよう。御主も急いできて、疲れてはおるだろう。神殿で休んでから、神界へと戻るがよいぞ」
「はい。お心遣い、感謝致します」
そんなわけで、沙羅を伴って神殿へと戻ることになったんだけど……時折伝わって来る殺気に似た気配で、なんとなく居心地が悪い。
神殿に戻ると一階にある篝火の前で、紀伊が老婆と喋っていた。
俺たちが神殿に入ると、紀伊が畏まった顔を向けてきた。
「瑠胡姫様、実は――」
「皆様、ご無沙汰しております」
紀伊の言葉に被さるように、こちらへ向き直った老婆――タキさんが俺たちに微笑んだ。
このタキという老婆は、先ほど沙羅との会話で出た、竜神・カドゥルーが人に化けた姿である。
俺と瑠胡は、揃って一礼した。
「竜神・カドゥルー様。ご無沙汰しております」
「御自ら、妾の神殿へお越し下さり、恐悦でございます」
「二人とも、そんなに畏まらないで下さいまし。今日はお二人――いえ、三人ですね。婚礼の式をするあなたがたへ、お祝いを届けに来たのですから」
にこやかなタキさん――いや、竜神・カドゥルーは、横に並んでいる俺と瑠胡の肩に手をかけた。
「やっと……つがいになる日が来るのですね。地竜族を代表して、祝福いたします」
「勿体ない御言葉を頂き、心より感謝申し上げます」
「ええ、瑠胡姫様。我ら地竜族から、贈り物がありますの。受け取って下さいまし」
竜神・カドゥルーは俺たちに、三つのペンダントを差し出してきた。飾り石は丸い翡翠らしく、金属の飾り台に填め込まれていた。
「これを持っていれば、地竜族の神界へと自由に入れます。また、遊びに来て下さいね」
「ありがとうございます。色々と落ちついたら、伺わせて頂きます」
セラの分も含めてペンダントを受け取った俺は、少し安堵していた。沙羅からの話を聞いて、大量の贈り物が届くことを用心していたから、少し拍子抜けだ。
ところが。
「さて、それでは残りの品もお持ちするとしましょう。少しよろしいかしら」
竜神・カドゥルーは神殿の外に出ると、小さく指笛を吹いた。
それから数秒経つと、ザッザッザ……と、まるで軍隊の行軍のような足音が聞こえて来た。
イヤな予感――というのは、こういうときに限って外れてくれない。
俺が外に出ると、森のほうから黒い列が向かってくるのが見えた。防寒のマントらしいを羽織った、百名以上の一団は、それぞれに壺や木箱を抱え、または手分けをして運んでいた。
流石の瑠胡も、若干だけど引き気味に老婆の姿となっている竜神へと問い掛けた。
「竜神・カドゥルー様、あれは一体……?」
「もちろん、贈り物ですわ。絨毯に絹、香辛料に果物、硝子の器――などです。総勢で、二〇〇点ほど」
……流石に、多すぎる。小さい物ならいいが、一抱え以上もある品が二〇〇個ともなると、神殿には収まりきれないだろう。
瑠胡は躊躇いがちに、だが慇懃に頭を下げた。
「竜神・カドゥルー様。あれだけの品が、神殿に入るとお思いでしょうか?」
「そんな心配しなくても、きっとなんとかなりますよ」
ザルのような根拠を口にした竜神・カドゥルーは、なにかを思い出したようにポンと手を打った。
「そういえば、海竜族の方々も皆様への祝いを用意している――という噂を聞きました」
「海竜族……で御座いますか」
瑠胡は露骨に、怪訝な顔をした。
海竜族、竜神・ラハブや息子のキングーは、俺と瑠胡の婚姻に反対している。そんな彼らが、俺たちを祝う準備をしている?
にわかには信じ難い話を信じていいものなのか――俺と瑠胡が量りかねていると、竜神・カドゥルーは苦笑した。
「お二人の気持ちは、よくわかります。ですが、わたくしたち同様に、海竜族も竜神を主とする種。敵意を持つのは、感心できません。警戒はしておいていいと思いますけれど」
竜神・カドゥルーの言うことは、もっともだ。
だが俺の中では、形容し難い不安が渦巻いていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
子どもたちへの読み聞かせ――というのは史実だと、なかった気もするんですが。
書物が高価で価値のある物、識字率の低さを踏まえると、子どもたちに物語を話すのは、かなり貴重な機会なんじゃなかろうか……と思った次第です。
きっと、戦後の紙芝居みたいなものですね。
そして久しぶりのタキ――竜神・カドゥルー再登場。タキの姿で来ているのは、人間の世では神としての姿では降臨できない……という誓約のせいです。
ラハブは一度、その戒律を超えて出てきたわけですが。
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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