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第八部『聖者の陰を知る者は』
四章-6
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ランドたちがゴブリンの軍勢を討伐した翌朝、ユピエルたちが軟禁されている修練場にヘラが通された。
レティシアとキャットに挟まれる形で、ヘラは手練場に入った。
昨晩の服装のまま、しかし両手に手枷をかけられたヘラを見て、ユピエルは顔を青くしながら立ち上がった。
「へ――ヘラ! ああ、なんということ」
「……法王猊下。聖なる審判によるランド・コールの聖殺は成りませんでした。この不始末――いかような罰も受け入れる所存に御座います」
「そのことで、責任を感じる必要はありません。しかし、レティシア殿――このヘラへの仕打ちは、あまりにも酷いものです。手枷だけでも解くべきではありませんか?」
「……失礼ながら、法王様。彼女は、ランドの暗殺未遂で捕らえております。審判や聖殺などという言葉で、許される類いの罪ではありません。よって逃走や暴力を防ぐため、手枷は外せません」
レティシアの返答にユピエルは反論をしようとしたが、ヘラが静かに首を振ったことで口を閉ざした。
レティシアの許可を得てユピエルに近づいたヘラは、落ち込んだ表情で俯いていた。
「ランド・コールは……それほどまでに手強かったのですか?」
「……はい。ランドとともに、ゴブリンの軍勢と戦いましたが……我々では斃せないでしょう」
「そ、それほどまでの強さが――?」
「はい。わたしは無手の彼に勝てませんでした。ですが……負けてもおりません」
ヘラは顔を上げると、ユピエルを真っ直ぐに見た。
「わたしは取り調べで、これまでの聖殺の数などを、答えるように言われております。現在のところは黙秘しておりますが……これはアムラダ様の教義にある〝誠実であれ〟に反しているのでしょうか?」
「それは……」
不意の問いに絶句するユピエルに、ヘラは僅かに顔を上げた。
父でもあるユピエルの表情に、納得できるものが見られなかった――ヘラは再び俯くと、抑揚のない声で告げた。
「わたしは、ランドとの果たし合いを申し込むつもりです」
「しかし、ランドには勝てぬと――」
「ですが、まだ負けておりません。この勝負に勝てば、わたしは黙秘を続けます。ですが負けた場合……敗者の責務として、尋問には正直に答えようと思います」
ヘラの問いに、ユピエルは絶句した。
そしてヘラを止めようとしたが、足音も無く近づいて来たキャットが声をかけたことで、ユピエルは説得を断念せざるを得なかった。
「時間よ、ヘラ。悪いけど」
「……わかりました」
キャットに従って、ヘラは修練場をあとにした。
左右に位置するレティシアやキャットに連れられたヘラは、廊下の先にいるリリンやクロースを一瞥した。
レティシアたちは、ランドに協力をしてヘラを捕らえようとしていた。そして自分の姉だと告げたセラは、ランドの元に嫁いだ――。
ヘラは視線を戻すと、ゴブリンの大軍と戦っていたランドの姿を思い出した。
(わたしは、他者から奪うことしかしなかった。だが、ランドは皆を助け続けてきたのだろう。だから、あれほどまでに横の繋がりが強いのか)
ゴブリンの軍勢と戦っていたときのランドは、ヘラに対しても気を配っていた。奪うのでは無く、護るために戦うことに慣れていた。
その差を目の当たりにしたヘラは、胸の中から暗い想いが湧き上がるのを感じていた。
(どちらが……アムラダ様の教義に即しているのか、考えなくてもわかる。わたしは……もう取り返しがつかないだろう)
――ランドとの果たし合いで、すべてを精算する。それしか、己の信仰を護る手段は存在しない。
その想いを胸に、ヘラは独房の中へと入っていった。
*
紀伊が神殿の三階にいた俺や瑠胡、セラを呼びに来たのは、まだ昼前のことだった。
怪文書の差出人について話し合っていたんだが、紀伊の発した言葉で一斉に黙ってしまった。
「皆様。王都よりいらした、教会の使いという者たちが参っておりますが。お会いになられますでしょうか?」
「……教会」
露骨にイヤそうな顔をした瑠胡は、しかし溜息を吐きながら立ち上がった。
「……会おう。ただし、その者らを神殿内には入れぬ。外に出る故、しばし待つように伝えよ」
「仰せのままに」
紀伊が先に退室すると、瑠胡は俺たちを振り返った。
「わたくしが話を聞いて参ります。ランドたちは――」
「俺も行きますよ。なにがあるか、わかりませんから」
「わたくしもです、瑠胡姫様。三人でいれば、大半の事態には対処もできるでしょう」
俺とセラが立ち上がると、瑠胡は微笑みながら頷いた。
「わかりました。それでは、三人で行きましょう」
三人で神殿の外に出ると、そこにいたのは痩せこけた修道士だった。包みを大事そうに抱えた彼は、四〇歳前後に見える。温和そうで、とても戦える人間じゃない。
他の者たちは、数十マーロン(一マーロンは約一メートル二五センチ)ほど離れていた。
その修道士は俺たちに会釈をしてから、静かに口を開いた。
「……瑠胡姫様にランド・コール様、そしてセラ様でいらっしゃいますね。わたくしは王都の大聖堂から来ました、修道士のクレイと申します」
「クレイ……さん。今日は、どのような御用でしょうか?」
緊張した俺の声に、クレイさんは手にした包みを解いた。
猫の頭部に獅子の身体――そこにあるのは、大聖堂にあるはずの神像だった。
「このアムラダ様の神像が告げたのです。あなたがたを連れて、ユピエル法王猊下の元へ行けと。アムラダ様の言葉を、届けるために。どうか、我らとともに来て下さいませんか」
やけに丁寧な物言いに、俺は拍子抜けしていた。
もう少し殺伐とした雰囲気かと警戒していただけに、俺たち三人はなんとなく顔を見合わせた。
それから瑠胡が、クレイさんへと告げた。
「あいわかった。そなたらと、共に行こう」
「ありがとうございます。それでは、早速」
俺たちはクレイさんや、他の修道士たちとともに《白翼騎士団》の駐屯地へ向かった。
すでに事情を聞いていたらしい、レティシアたちに出迎えられ、俺たちはユピエルたちを軟禁している修練場へと案内された。
修練場に入ったクレイさんたちを見て、ユピエルたちは喜びを露わにした。
「おお……わたくしたちに会いにきたのですね? わたくしたちの状況は――」
「はい。アムラダ様から、聞き及んでおります」
クレイさんはそう言いながら、アムラダの神像を前に出した。
一様に驚くユピエルたちの前で、アムラダの神像の目が光り始めた。
〝我は万物の神――アムラダなり。我が信徒らの法王たるユピエルよ。我が声を聞くがよい〟
厳かで威厳のある、性別の掴めぬ声が修練場内に響き渡った。
皆が声を発するのを止める中、声は淡々と話し続けた。
〝此度のこと、我はずっと見ておったぞ。我が教義を人々に広めようとする、その姿勢は賞賛に値する〟
「も、勿体ない御言葉に御座います」
〝しかしユピエルよ。汝が審判の名の元に断罪しようとしていた者たちは、神々の系譜に連なる者。我は異なる神々を排除せよとは、教えておらぬ。その伴侶たる者を拷問したことは、決して認められるものではない〟
「それは――っ! それは……」
自らが崇める神には反論、もしくは言い訳もできず、ユピエルはガックリと肩を落とした。
何度も深呼吸をしたあと、ユピエルは縋るような目を神像へと向けた。
「それでは……わたくしはどうすれば、この罪を償えるのでしょうか」
〝それは、我が決めることではない。眷属神たる瑠胡姫の許しがあれば、償えたことにもなるであろう。それまで、神々はそなたの罪を許しはせぬだろう〟
その言葉を最後に、アムラダの声は止んだ。
青ざめた顔のユピエルの指は、わなわなと震えていた。それもそうだろう――崇める神から直接、『てめーは我らを怒らせた』って言われたんだ。
地位は保たれているが、その信用と権威は完全に失墜している。
ユピエルは死んだ魚のような目を瑠胡に向けると、刑務官に慈悲を請う罪人のような声音で訴えた。
「瑠胡姫……様。このたびのことは、わたくしの不徳の致すところでした。深く反省をいたし、今後はこのようなことのないよう、誠心誠意の対応を致します。なにとぞ、わたくしに慈悲をお恵みいただく……」
「なにを言うておる」
冷ややかな目をユピエルに向けた瑠胡は、扇子で口元を隠した。
「拷問されたランドを救った際、妾は御主に申したはず。『御主らのしたこと……永遠に許すつもりはない』と」
瑠胡の返答に顔面蒼白になったユピエルは、膝から崩れ落ちた。
まあ、これはこれで効果的な意趣返しになった……んだろうか? 神に否定された法王っていうのは前代未聞だろうから、立場はかなり悪くなったはずだ。
瑠胡は項垂れるユピエルへ、小さく鼻を鳴らしてみせた。
「御主は妾らにしたことを、アムラダ様の教えを広めるため――そう申すのであろうな。それが教会の正義であるためだと」
「……それがすべてではありませんが、教会としての正義を行ったと、そう認識しております」
「で、あろうな。しかし、他者を排斥し、自己の欲求のままに行う正義は、ただの独善であろう」
瑠胡は顔を強ばらせたユピエルに、一歩だけ近寄った。
「どんな素晴らしい正義とて、他者を蔑ろに、そして排斥するのであれば、それは欲望と変わらぬ。やがて志は失われて権力に傾倒していき、他者を不幸に陥れる力となろう。御主がした正義なぞ、妾は決して認めぬ」
瑠胡の叱責に項垂れるユピエルに背を向けた瑠胡は、俺とセラを交互に見た。これは、ここには用はないから戻ろうってことだろう。
さて帰ろうか……となったとき、クロースが修練場に飛び込んできた。
「レティシア団長っ! あの、怪文書がまたばらまかれて」
「なに?」
クロースから羊皮紙を受け取ったレティシアは、無言で俺に見せてきた。
『ユピエル法王は隠し子だけでなく、教会内で地位を争う者に愛人をけしかけた』
これは――かなりヤバイネタだ。
「怪文書の差し出し人は、まだ村に居るのか?」
「……かもしれん。なんとか見つけ出したいものだがな」
「そうは言ってもなあ。手掛かりが少なすぎるんだよ。今まで一番怪しかったのは、早朝に居たっていう盗人らしいヤ……」
言葉の途中で、馬の嘶きが聞こえてきた。
それでジココエルのことを思い出した瞬間、俺の脳裏にある可能性が浮かび上がった。
「ランド、どうしたんですか?」
途中で押し黙ってしまった俺を心配したのか、セラが声をかけてきた。
素直に答えようと思ったが、近くにいるユピエルたちに話の内容を聞かれたくない。俺はセラや瑠胡と伴って、廊下へと出た。
「怪文書の差し出し人について、ちょっとした可能性に気付いたんです。それは――」
俺の話した推測に、瑠胡とセラは僅かに目を見広げた。
「なるほど……可能性としては、否定できませんね」
「ええ。状況を踏まえれば、いい手はありますけれど。ただ、ランドには抵抗がある手段なのは否定しません。セラ、わたくしたちで考えるとしましょう」
「そうですね。瑠胡姫様、わたくしも協力いたします」
いつの間に来たいたのか、リリンの声に俺たちは三人とも驚いた。
「えっと……リリン、どうしてここに?」
「それはもちろん、ランドさんや瑠胡姫様の手助けをするためです」
相変わらずの無表情だが、小さく掲げた右手の人差し指と中指、親指が伸びている。これはやる気満々という、この地方の所作の一つだ。
セラは苦笑交じりの溜息を吐くと、腰に手を当てた。
「まったく……ぶれないな、おまえは」
「当然です。やってやりましょう、力一杯」
やる気をみなぎらせるリリンは、相も変わらず無表情だった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
とりあえず、ユピエルへの罰があったところで、一段落。あとは怪文書とヘラの件を残すのみ……でしょうか。
っていうか、なんとか文字数を三千台で収め……いえ、なんでもないです(諦め
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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