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第八部『聖者の陰を知る者は』
四章-4
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セラがメイオール村内の旅籠屋や酒場に注文をした翌日の夕刻。神殿のドアが、小さくノックされた。
仕入れた品々を整理していた紀伊が、小さな溜息を吐きながら、ドアの向こう側にいる来訪者に声をかけた。
「――はい。どちらさまでしょうか?」
「《月麦の穂亭》のメレアです。ご注文の品をお届けに参りました」
その旅籠屋と、店の者の名に聞き覚えのあった紀伊は、ドアは薄く開けた。
「えっとぉ……こんにちは。セラさんに頼まれた品なんですけど……」
少し恰幅の良い体型と顔立ちは、紀伊も一度だが見たことがある。
見覚えのある顔であることを確認して、紀伊はドアを開けた。メレアの足元には、二つの小樽が置いてある。
依頼した品は、どの店も同じだ。だから、見るだけで個数はすぐに確認できる。
「二つのうち、どちらがどの品でしょうか?」
「ああ、ええっと……手前が蒸留水、奥がエール酒ですよ」
「……確かに。注文の品ですね」
予め決めてあった内容通りの質問を終えた紀伊は、メレアのためにドアを大きく開けた。
小樽を抱えて入って来るメレアに、紀伊は荷物の置き場所を指示した。
「荷物は、そちらに置いて下さい。あとは、こちらで移動させますので」
「ああ、はい。それじゃあ、こちらに置いておきますね」
メレアは荷物を床の上に置くと、紀伊に顔を向けた。
「そういえば、ランドは大丈夫なんです? なんでも刺客にやられたとかなんとか」
「……ええ。ランド様は今も、二階の自室で治療中です」
「そうですか。お大事にって伝えておいて下さいよ。それじゃあ、あたしはこれで」
メレアがドアを開けて外に出ると、紀伊は深々と頭を垂れた。
バタン、と音がしてから、紀伊は頭を上げた。再び仕入れた品の確認を始めたが、その背後で動く影がいたが、紀伊はそのまま小樽の中身を調べ続けた。
紀伊の背後にある階段を登った先に、二階の通路がある。その先に、ランドや瑠胡、セラの部屋がある。
「ふわぁ……」
欠伸の声が廊下にまで聞こえてくると、声のした部屋のドアが微かに開いた。
部屋の中では、ベッドに寝転んだランドが天井を向いた姿勢で眠っていた。寝息は静かだが、欠伸がしたわりには起きている気配がない。
衣擦れの音がしてドアが開くと、白い小袖に緋袴姿の女性が入って来た。
「ランド……様。もう寝てしまわれましたか? 具合が悪いとは思いますが、少し話がございます」
その女性――紀伊が声をかけたが、ランドからの返答はない。
紀伊は腰の後ろに手をやると、目に見えぬ鞘から短剣を抜いた。独特な艶のある短剣を逆手にすると、両手で持った。
目を閉じたランドの首元に狙いを定めると、勢いよく短剣を振り下ろした!
「――なに?」
しかし短剣は肉に食い込む感触もなく、そのままランドの身体をすり抜け、ベッドに深々と突き刺さった。
その途端、紀伊は横からの衝撃に吹っ飛び、床に横倒しになった。
「あらあら。本当に、本物そっくりに変装するのね」
忽然と姿を現したキャットが、倒れている紀伊――いや、刺客を見て感心したように呟いた。
ベッドの側で幻影を作っていた俺は、〈隠行〉を解いて姿を見せたキャットに遅れて、自身の〈隠行〉を解いた。
それにしても、容赦の無い蹴り――多分蹴りだ――だったな。セラの同性だからできる一撃――というか、俺でも少しは手加減しそうだ。
上半身を起こした紀伊の姿をした刺客は、俺とキャットの顔を交互に見た。
「こ、これは一体。どういうことなのでしょう――いや、これ以上は無駄か」
ジョシアに化けたときの教訓か、刺客はすぐに言いつくろうのを止めた。
紀伊の姿が霧のようにかき消えると、すらっとした体型の女が姿を現した。だぶつきの少ない濃い茶色の上下を着て、革のブーツ。そして気の強そうな顔はまだ若く、後ろ手に結んだ黒髪は、肩の下あたりまである。
女は素早く立ち上がると、俺とキャットを交互に見た。
「ここに来ると、わかっていたなんてね」
「そういうことだ。さて、大人しく縄に付け。村から王都に帰るまで、ユピエル法王と一緒に軟禁して貰うからな」
俺とキャットが近寄ろうとすると、刺客は身構えた。
部屋の出入り口であるドア側は、俺とキャットが塞いでいる。逃走経路はない――ドアと反対側にある、木製の雨戸が閉じた窓以外には。
「くそっ」
刺客は窓まで駆け上がると、閉じられた雨戸を蹴り破った。木片が外に飛び散る中、刺客は蹴り破った開口部から外に飛び出した。
「この――待てっ!」
俺が窓から階下を見たとき、刺客は石壁の出っ張りに捕まりながら、一階へと降りていた。
俺も窓から飛び降りると、首筋の鱗から生やしたドラゴンの翼で地上へと舞い降りた。
逃げていった方角へと駆け出したとき、刺客の前にユーキとクロースが立ちはだかっていた。
二人は訓練用の木剣で、刺客と対峙していた。
しかし、無手だった刺客は腰にある予備らしい短刀も抜かず、二人の剣を避け続けている。
クロースが体勢を崩した隙をついて、刺客は二人のあいだを駆け抜けた。
クロースたちもあとを追いかけるが、鎧を着ている分、足では追いつけそうにない。
「ユーキぃ!」
エリザベートの声が聞こえたと同時に、ユーキが《スキル》を使った。刺客の真下にある地面がいきなり窪み始め、その直後に窪みの中が泥で満たされ始めた。
しかし、刺客のほうが素早かった。
窪みを飛び越えた刺客は、そのまま森の中へと逃げていく。ユーキとエリザベートの合わせ技は見事だが、もうちょっと工夫が必要だ。
俺が三人を追い越したとき、刺客は森の中に足を踏み入れていた。
「待て――不要な危害を与えるつもりはない。大人しく、我らに従えっ!!」
レティシアも刺客を前にして、訓練用の木剣を構えていた。
刺客は右横にある樺の木へと跳ぶと、幹を蹴って方向を変えた。進行方向を惑わすような動きに虚を突かれたレティシアは、木剣を振ったものの、その動きは刺客の動きに大きく遅れていた。
レティシアから随分と距離を離したとき、その前に白い影が躍り出た。
次の瞬間、煌めく白銀が刺客へと伸びた。
「――っ!?」
声もなく飛び退いた刺客の前に、セラがいた。
ミスリルの細剣を片手で構えながら、刺客をまっすぐに見ていた。
「おまえか、ヘラというのは」
「な――っ?」
セラに名を呼ばれ、刺客の顔に初めて驚きの表情が浮かんだ。
「その名を、どこで」
「さて――な」
セラはシラを切りながら、刺客に斬りかかった。セラの執拗な剣撃に、刺客――ヘラはたまらず、短刀を抜いた。
セラの細剣を短刀で受け流しながら、ヘラは少しずつ体勢を整えていった。それとともに、剣で戦うには不利な振り袖姿だからか、セラは徐々に圧され始めていた。
やがてセラの細剣が躱された瞬間、ヘラの短刀が閃いた。
短刀の刃がセラの首元に食い込む――その寸前、俺の手がヘラの腕を叩くように押しとどめていた。
「ランド――」
「セラ、あとは任せて」
セラが戸惑いながら数歩下がると、俺はそのままヘラの腕を掴んだ。
「もう、やめろ。ユピエル法王から、おまえのことは聞いている。さっき戦ったセラは、おまえの姉だ。姉妹で戦うことを、ユピエル法王は悲しんでいた」
「さっきの女が姉だと――嘘を言うな!」
「……嘘じゃない」
「嘘だっ!」
ヘラは短刀を落とすと、左手で受け止めた。
俺はすぐさま手を放すと、後ろに跳んで短刀の一撃を躱した。俺は無手だが、ヘラの剣技――腕の振りや体裁きが、手に取るように把握できた。
短刀を握る手を掌で弾き続ける中、俺の手が再びヘラの腕を掴んだ。それも、今度は両腕だ。
「この――っ!」
「ここまでだ」
腕を掴みながら〈筋力増強〉で握力を増した。
ヘラは足で蹴ってきたが、今の姿勢から繰り出される足技など、たかが知れている。俺はヘラの足蹴りを、足で受け続けた。
「くそっ!」
「だから、諦めろ――」
俺が説得を試みようとしたとき、太鼓の鳴る音が響いてきた。
日が暮れかけていることもあり、森の中はかなり薄暗い。音のする方角からは、なにか大勢が歩くような音まで聞こえてきた。
「ランド――あれは」
薄暗がりの中、木々の向こう側に大勢の影が見える。
木々の隙間から差し込む夕日が、ゴブリンどもの姿を微かに映し出していた。
「セラ……瑠胡やレティシアたちを呼んで来てくれ。ゴブリンの襲撃だ。それから、おまえも手を貸せ。ここでゴブリンを食い止めないと、法王も危険だ」
「なん――」
ヘラは森の奥に見える大軍を見て、顔を引きつらせた。
「多すぎる……」
その意見には同意だが、ここでゴブリンどもを食い止めねば村が襲われる。どうやら、この前に斃したゴブリンは、強行偵察を兼ねていたらしい。あの大軍が、本隊で間違いが無い。
俺は頭の中で戦術の組み立てをしながら、ゴブリンの軍勢へ向かって歩き始めた。
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本作を読んで頂き、誠に有り難う御座います!
わたなべ ゆたか です。
今回出たヘラの《スキル》は、〈変身〉や〈変装〉ではなく、〈擬態〉です。
獣とかにもなれますが、骨格はそのままですので……ちょっと動きがシンドイ、という設定だったりします。
さて、引きの回収をしていきます。回収しきれるか……分の悪い賭は嫌いじゃ(以下略
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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