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第八部『聖者の陰を知る者は』
四章-3
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日が暮れ始めると、メイオール村の住人は自宅へと引き籠もり始める。
秋までに蓄えた食材や保存食、それに金銭が残り少なくなってくるころだ。酒場で食事とするのも減り、家で質素な夕食を食べ、春の到来を切望しつつ早めの就寝をする――という生活だ。
そんな日々においても、少しの贅沢を楽しみたいという者は少なくない。
今も酒場で安酒を買った男が、知り合いと談笑していた。新しい酒を買うのが一ヶ月ぶりということもあり、男はかなり上機嫌だった。
さて帰ろうというとき、男はふいに葉の落ちた森を振り返った。
「ん、どうした?」
「いや……なにか聞こえなかったか?」
「なにかって、なにを」
男の知り合いは耳を澄ましてみるが、なにも聞こえなかった。
「なにも聞こえないぞ?」
「おっかしいなぁ。なにか太鼓のような音が、聞こえたと思ったんだがなぁ」
「太鼓って……旅芸人が来る時期でもねぇだろ」
「そうだよなぁ」
男は首を捻りながら、改めて帰途についた。
途中でもう一度だけ森を振り返ったが、もう先ほどの音は聞こえなかった。
*
日暮れ前に旅籠屋《月麦の穂亭》へと訪れたセラは、厨房を切り盛りしているメレアへと声をかけた。
「おかみさん。少しよろしいだろうか?」
「あら、セラさんじゃない! いらっしゃい。なにがご入り用ですか?」
食べに来たと思わない程度には、セラの生活を理解していた。それは手伝い屋をするランドから、世間話として神殿の生活を聞いていたことが大きい。
利益としては食事をしてくれたほうが、有り難い。しかしメレアはこの時期、期待をし過ぎないように心掛けている。
変な期待をしたり、無理に薦めても、お互いにギクシャクしてしまう。冬の厳しい生活を乗り越えるための努力や、節制をしているのは村全体だ。
一人だけだが、今も夕食を食べている女性客がいるだけでも、旅籠屋としては幸運である。
カウンター越しに笑顔をみえたメレアに、セラは少し考えながら告げた。
「明日の午後、神殿へ蒸留水とエール酒を届けてくれないだろうか? 量は……それぞれ、水袋で二つ。代金は、先に支払おう」
「ええ、畏まりました。でも珍しいですねえ。あの神殿で蒸留水の注文なんて」
「そうかもしれませんね。その……ランドの治療に使いますので」
セラの返答に、メレアは声をあげずに、しかし大口を開けながら頷いた。カウンターから身を乗り出すと、囁くような声でセラに話しかけた。
「噂で聞いたんだけどさ。ランドは法王様に拷問されたんだって? 治療っていうのは、その傷かい?」
メレアからの質問に、セラは苦笑した。
それほど広くない村だ。教会から身体を支えられながら出てきたランドの姿は、かなりの村人に目撃されていた。それだけに噂が広まるのは、あっというまだ。
「そうですね……あまり大きな声では、お伝えできませんが。色々とありましたし、まだ治療中ではありますが、ランドは無事です。どうか、ご心配なされませんよう」
「ああ、本当かい? それは良かったよ」
「ええ。あと、あまり他言しないよう願います」
「ああ、もちろんさ。でも、ランドが無事で、本当に良かった」
ホッとするメレアが離れると、セラは数枚の銅貨をカウンターの上に置いた。
「注文した品の代金だ。これで足りるだろうか?」
「ええ、じゅうぶんですよ。明日の夕方くらいに、お持ちしますので」
「……頼みます」
セラは目礼をすると、そのまま《月麦の穂亭》から出た。
瑠胡に頼まれた餌巻きは、これで二件目だ。あと二件で、メイオール村にある旅籠や酒場のすべてを廻ることができる。
急ぐとしよう――と、次の店へ歩き出そうとしたとき、赤毛の女性とぶつかりそうになった。
「失礼した。大丈夫だっただろうか?」
「ぶつかったわけじゃないから平気――ああ、あんた」
薬師のファラが、セラを見て目を丸くしていた。
この前、色々と喋ってしまったことを思い出し、セラはどこか居心地の悪さを覚えていた。会釈をして立ち去ろうとしたが、ファラがセラの二の腕を掴んできた。
「ちょっと待ってよ。噂で聞いたんだけど、ランドが拷問されたんだって?」
「……あなたには、関係のない話です。あまり立ち入らないほうがいいでしょう」
「そんなこと言わないでおくれよ。あたしは薬師だ。治療の手助けをしてあげたくて」
「いえ、それも大丈夫です。まだ治療中ですが、傷は快復に向かっておりますので」
セラの返答を聞いて、ファラは手を放した。
「そう、かい? ならいいんだけど。拷問をしたのは、法王で間違いがないのかい?」
「それも含めて、深く関わらないほうが賢明だと思います」
「……なるほど。否定はしないんだね?」
その問いには答えず、セラは「失礼。先を急ぎますので」と言って、立ち去っていった。
一人、旅籠屋の前に残されたファラは、腕を組みながら嘆息した。
「まったく……反省する気配はなし、か。まったく……それならこっちも、本腰をあげなきゃいけないかねぇ」
ふわっと白い息を吐いたファラは、《月麦の穂亭》へと入って行った。
セラが去った《月麦の穂亭》では、女性客――ジョシアの友人である、黒髪の少女だ――が厨房にいたメレアに話しかけていた。
「おかみさん。あの人、珍しい服を着てましたね」
「ああ。セラさんはね、神殿にいるランドに嫁いだ……ああ、まだ婚礼の式はしてないんだけどね。まあ、嫁いでいるみたいなものなんですよ。今の……なんて言ったけね、あの服だって、神殿の装束みたいなんですよ」
「へぇ……じゃあ、この村では手に入らないんですね」
「あたりまえさね。そもそも、あんな高価な……高価なんだろうけど、そんな生地なんか手に入らないよ」
苦笑しながらも、メレアは少し遠い目をしていた。
瑠胡やセラの着ている晴れ着のような、綺麗な衣服で着飾ってみたい――そんな羨望に似た気持ちが、その表情から滲み出ていた。
少女はそれに気付かぬフリをして、カウンターに頬杖をついた。
「そっか。残念だなぁ。あたしも着てみたかったんだけど」
「残念だけどねぇ。なんでもランドに嫁いだもう一人の女の子――瑠胡って名前なんだけどね。その子、どこか遠方のお姫様なんだって。村で暮らしていたランドに惚れたらしくてさぁ。そのまま、この村に嫁いできたんだよ。そのお姫様の国の衣装だと思うんだけど、煌びやかだよねぇ」
「……そうですね」
少女はセラが去ったほうを一瞥してから、メレアが手にした小銭を覗き込んだ。
「それで、そのセラって人は、なにしに来たんです?」
「ああ、蒸留水と酒の注文をね。なんでも、旦那――さっきも言ったランドの治療に必要なんだって」
「え……へぇ。病気かなにか?」
「ああ、そうだねぇ……」
メレアはセラとの約束を思い出したものの、あまり深刻には考えていなかった。噂話の延長上という感覚で、耳打ちをするような声で少女に言った。
「色々と大怪我をしたようなんだけどね。でも、命には別状がないらしくてね。一先ずは良かったよ」
「……ああ、そうなんですか」
少女は数秒の沈黙を経て、メレアに頷いた。
そしてなにを思ったのか、少し身を乗り出しながら、自分の胸に手を添えた。
「おかみさん。良かったら、あたしが注文の品を届けて来ますよ。暇つぶし……ってわけじゃないんですけど」
「お客さんに、仕事を手伝ってもらうわけにはいかないよ」
「手伝いとか、そんなわけじゃなくてですね……その、神殿の中とか見てみたいんですよ。話を聞いてたら、ちょっと興味が沸いちゃって」
「観光する場所じゃないと思うんだけどね」
メレアは苦笑すると、溜息交じりに頷いた。
「まあ、害のある場所じゃないからね。問題はないと思うけど……」
「それじゃあ、いいんですか? いいですよね?」
やや強引に了承を得ようとする少女の必死な表情に、メレアは苦笑した。
「それじゃあ、お願いしましょうかね。明日の夕方だけど、時間を空けておいてくれるかい?」
「もちろんです!」
少女が顔を綻ばしたとき、旅籠屋に薬師のファラが入って来た。
ファラは笑顔になっている少女を横目に見ながら、メレアに話しかけた。
「こんばんわ。えっと、なにかあったのかい?」
「ああ、大したことじゃないですよ。このお客さんが、神殿を見たいから注文の品を届けてくれるって言ってくれてね」
「へえ……そうなの。まあ、楽しんでおいで」
「はい」
ファラは笑顔で頷く少女に手を振ると、エールを注文してから、カウンター席の一つに腰を落ち着けた。
そこから少女とメレアが喋る様子を横目に、ファラはチビチビとエール酒を飲み始めた。
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本作を呼んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
セラを中心に話が進むと、ボケが少ない不具合が……いや、別にいいんですけど。
冬における村々の生活ですが、農家は三園制のおかげか作物の収穫が少ないだけで、仕事はしっかりとあるわけです。
ちなみに三園制は、畑を一年ごとのサイクルで春、秋、休耕と切り替えていくやりかたですね。実際に中世期では、このやり方が一般的だったようです。
これによって収穫量も増えた……ということらしいです。秋用の畑では、秋に種まき、春に収穫……ということですので、冬に収穫がないわけです。
まあ、農業が主体の作品ではありませんので、本文中はそこまで詳しくは書きませんけど。
少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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