244 / 276
第八部『聖者の陰を知る者は』
四章-3
しおりを挟む3
日が暮れ始めると、メイオール村の住人は自宅へと引き籠もり始める。
秋までに蓄えた食材や保存食、それに金銭が残り少なくなってくるころだ。酒場で食事とするのも減り、家で質素な夕食を食べ、春の到来を切望しつつ早めの就寝をする――という生活だ。
そんな日々においても、少しの贅沢を楽しみたいという者は少なくない。
今も酒場で安酒を買った男が、知り合いと談笑していた。新しい酒を買うのが一ヶ月ぶりということもあり、男はかなり上機嫌だった。
さて帰ろうというとき、男はふいに葉の落ちた森を振り返った。
「ん、どうした?」
「いや……なにか聞こえなかったか?」
「なにかって、なにを」
男の知り合いは耳を澄ましてみるが、なにも聞こえなかった。
「なにも聞こえないぞ?」
「おっかしいなぁ。なにか太鼓のような音が、聞こえたと思ったんだがなぁ」
「太鼓って……旅芸人が来る時期でもねぇだろ」
「そうだよなぁ」
男は首を捻りながら、改めて帰途についた。
途中でもう一度だけ森を振り返ったが、もう先ほどの音は聞こえなかった。
*
日暮れ前に旅籠屋《月麦の穂亭》へと訪れたセラは、厨房を切り盛りしているメレアへと声をかけた。
「おかみさん。少しよろしいだろうか?」
「あら、セラさんじゃない! いらっしゃい。なにがご入り用ですか?」
食べに来たと思わない程度には、セラの生活を理解していた。それは手伝い屋をするランドから、世間話として神殿の生活を聞いていたことが大きい。
利益としては食事をしてくれたほうが、有り難い。しかしメレアはこの時期、期待をし過ぎないように心掛けている。
変な期待をしたり、無理に薦めても、お互いにギクシャクしてしまう。冬の厳しい生活を乗り越えるための努力や、節制をしているのは村全体だ。
一人だけだが、今も夕食を食べている女性客がいるだけでも、旅籠屋としては幸運である。
カウンター越しに笑顔をみえたメレアに、セラは少し考えながら告げた。
「明日の午後、神殿へ蒸留水とエール酒を届けてくれないだろうか? 量は……それぞれ、水袋で二つ。代金は、先に支払おう」
「ええ、畏まりました。でも珍しいですねえ。あの神殿で蒸留水の注文なんて」
「そうかもしれませんね。その……ランドの治療に使いますので」
セラの返答に、メレアは声をあげずに、しかし大口を開けながら頷いた。カウンターから身を乗り出すと、囁くような声でセラに話しかけた。
「噂で聞いたんだけどさ。ランドは法王様に拷問されたんだって? 治療っていうのは、その傷かい?」
メレアからの質問に、セラは苦笑した。
それほど広くない村だ。教会から身体を支えられながら出てきたランドの姿は、かなりの村人に目撃されていた。それだけに噂が広まるのは、あっというまだ。
「そうですね……あまり大きな声では、お伝えできませんが。色々とありましたし、まだ治療中ではありますが、ランドは無事です。どうか、ご心配なされませんよう」
「ああ、本当かい? それは良かったよ」
「ええ。あと、あまり他言しないよう願います」
「ああ、もちろんさ。でも、ランドが無事で、本当に良かった」
ホッとするメレアが離れると、セラは数枚の銅貨をカウンターの上に置いた。
「注文した品の代金だ。これで足りるだろうか?」
「ええ、じゅうぶんですよ。明日の夕方くらいに、お持ちしますので」
「……頼みます」
セラは目礼をすると、そのまま《月麦の穂亭》から出た。
瑠胡に頼まれた餌巻きは、これで二件目だ。あと二件で、メイオール村にある旅籠や酒場のすべてを廻ることができる。
急ぐとしよう――と、次の店へ歩き出そうとしたとき、赤毛の女性とぶつかりそうになった。
「失礼した。大丈夫だっただろうか?」
「ぶつかったわけじゃないから平気――ああ、あんた」
薬師のファラが、セラを見て目を丸くしていた。
この前、色々と喋ってしまったことを思い出し、セラはどこか居心地の悪さを覚えていた。会釈をして立ち去ろうとしたが、ファラがセラの二の腕を掴んできた。
「ちょっと待ってよ。噂で聞いたんだけど、ランドが拷問されたんだって?」
「……あなたには、関係のない話です。あまり立ち入らないほうがいいでしょう」
「そんなこと言わないでおくれよ。あたしは薬師だ。治療の手助けをしてあげたくて」
「いえ、それも大丈夫です。まだ治療中ですが、傷は快復に向かっておりますので」
セラの返答を聞いて、ファラは手を放した。
「そう、かい? ならいいんだけど。拷問をしたのは、法王で間違いがないのかい?」
「それも含めて、深く関わらないほうが賢明だと思います」
「……なるほど。否定はしないんだね?」
その問いには答えず、セラは「失礼。先を急ぎますので」と言って、立ち去っていった。
一人、旅籠屋の前に残されたファラは、腕を組みながら嘆息した。
「まったく……反省する気配はなし、か。まったく……それならこっちも、本腰をあげなきゃいけないかねぇ」
ふわっと白い息を吐いたファラは、《月麦の穂亭》へと入って行った。
セラが去った《月麦の穂亭》では、女性客――ジョシアの友人である、黒髪の少女だ――が厨房にいたメレアに話しかけていた。
「おかみさん。あの人、珍しい服を着てましたね」
「ああ。セラさんはね、神殿にいるランドに嫁いだ……ああ、まだ婚礼の式はしてないんだけどね。まあ、嫁いでいるみたいなものなんですよ。今の……なんて言ったけね、あの服だって、神殿の装束みたいなんですよ」
「へぇ……じゃあ、この村では手に入らないんですね」
「あたりまえさね。そもそも、あんな高価な……高価なんだろうけど、そんな生地なんか手に入らないよ」
苦笑しながらも、メレアは少し遠い目をしていた。
瑠胡やセラの着ている晴れ着のような、綺麗な衣服で着飾ってみたい――そんな羨望に似た気持ちが、その表情から滲み出ていた。
少女はそれに気付かぬフリをして、カウンターに頬杖をついた。
「そっか。残念だなぁ。あたしも着てみたかったんだけど」
「残念だけどねぇ。なんでもランドに嫁いだもう一人の女の子――瑠胡って名前なんだけどね。その子、どこか遠方のお姫様なんだって。村で暮らしていたランドに惚れたらしくてさぁ。そのまま、この村に嫁いできたんだよ。そのお姫様の国の衣装だと思うんだけど、煌びやかだよねぇ」
「……そうですね」
少女はセラが去ったほうを一瞥してから、メレアが手にした小銭を覗き込んだ。
「それで、そのセラって人は、なにしに来たんです?」
「ああ、蒸留水と酒の注文をね。なんでも、旦那――さっきも言ったランドの治療に必要なんだって」
「え……へぇ。病気かなにか?」
「ああ、そうだねぇ……」
メレアはセラとの約束を思い出したものの、あまり深刻には考えていなかった。噂話の延長上という感覚で、耳打ちをするような声で少女に言った。
「色々と大怪我をしたようなんだけどね。でも、命には別状がないらしくてね。一先ずは良かったよ」
「……ああ、そうなんですか」
少女は数秒の沈黙を経て、メレアに頷いた。
そしてなにを思ったのか、少し身を乗り出しながら、自分の胸に手を添えた。
「おかみさん。良かったら、あたしが注文の品を届けて来ますよ。暇つぶし……ってわけじゃないんですけど」
「お客さんに、仕事を手伝ってもらうわけにはいかないよ」
「手伝いとか、そんなわけじゃなくてですね……その、神殿の中とか見てみたいんですよ。話を聞いてたら、ちょっと興味が沸いちゃって」
「観光する場所じゃないと思うんだけどね」
メレアは苦笑すると、溜息交じりに頷いた。
「まあ、害のある場所じゃないからね。問題はないと思うけど……」
「それじゃあ、いいんですか? いいですよね?」
やや強引に了承を得ようとする少女の必死な表情に、メレアは苦笑した。
「それじゃあ、お願いしましょうかね。明日の夕方だけど、時間を空けておいてくれるかい?」
「もちろんです!」
少女が顔を綻ばしたとき、旅籠屋に薬師のファラが入って来た。
ファラは笑顔になっている少女を横目に見ながら、メレアに話しかけた。
「こんばんわ。えっと、なにかあったのかい?」
「ああ、大したことじゃないですよ。このお客さんが、神殿を見たいから注文の品を届けてくれるって言ってくれてね」
「へえ……そうなの。まあ、楽しんでおいで」
「はい」
ファラは笑顔で頷く少女に手を振ると、エールを注文してから、カウンター席の一つに腰を落ち着けた。
そこから少女とメレアが喋る様子を横目に、ファラはチビチビとエール酒を飲み始めた。
---------------------------------------------------------------------------------------
本作を呼んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
セラを中心に話が進むと、ボケが少ない不具合が……いや、別にいいんですけど。
冬における村々の生活ですが、農家は三園制のおかげか作物の収穫が少ないだけで、仕事はしっかりとあるわけです。
ちなみに三園制は、畑を一年ごとのサイクルで春、秋、休耕と切り替えていくやりかたですね。実際に中世期では、このやり方が一般的だったようです。
これによって収穫量も増えた……ということらしいです。秋用の畑では、秋に種まき、春に収穫……ということですので、冬に収穫がないわけです。
まあ、農業が主体の作品ではありませんので、本文中はそこまで詳しくは書きませんけど。
少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
次回も宜しくお願いします!
10
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。
転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!
小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。
しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。
チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。
研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。
ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。
新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。
しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。
もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。
実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。
結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。
すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。
主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

セリオン共和国再興記 もしくは宇宙刑事が召喚されてしまったので・・・
今卓&
ファンタジー
地球での任務が終わった銀河連合所属の刑事二人は帰途の途中原因不明のワームホールに巻き込まれる、彼が気が付くと可住惑星上に居た。
その頃会議中の皇帝の元へ伯爵から使者が送られる、彼等は捕らえられ教会の地下へと送られた。
皇帝は日課の教会へ向かう途中でタイスと名乗る少女を”宮”へ招待するという、タイスは不安ながらも両親と周囲の反応から招待を断る事はできず”宮”へ向かう事となる。
刑事は離別したパートナーの捜索と惑星の調査の為、巡視艇から下船する事とした、そこで彼は4人の知性体を救出し獣人二人とエルフを連れてエルフの住む土地へ彼等を届ける旅にでる事となる。

異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。

Sランクパーティを引退したおっさんは故郷でスローライフがしたい。~王都に残した仲間が事あるごとに呼び出してくる~
味のないお茶
ファンタジー
Sランクパーティのリーダーだったベルフォードは、冒険者歴二十年のベテランだった。
しかし、加齢による衰えを感じていた彼は後人に愛弟子のエリックを指名し一年間見守っていた。
彼のリーダー能力に安心したベルフォードは、冒険者家業の引退を決意する。
故郷に帰ってゆっくりと日々を過しながら、剣術道場を開いて結婚相手を探そう。
そう考えていたベルフォードだったが、周りは彼をほっておいてはくれなかった。
これはスローライフがしたい凄腕のおっさんと、彼を慕う人達が織り成す物語。

転生したらスキル転生って・・・!?
ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。
〜あれ?ここは何処?〜
転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。

異世界キャンパー~無敵テントで気ままなキャンプ飯スローライフ?
夢・風魔
ファンタジー
仕事の疲れを癒すためにソロキャンを始めた神楽拓海。
気づけばキャンプグッズ一式と一緒に、見知らぬ森の中へ。
落ち着くためにキャンプ飯を作っていると、そこへ四人の老人が現れた。
彼らはこの世界の神。
キャンプ飯と、見知らぬ老人にも親切にするタクミを気に入った神々は、彼に加護を授ける。
ここに──伝説のドラゴンをもぶん殴れるテントを手に、伝説のドラゴンの牙すら通さない最強の肉体を得たキャンパーが誕生する。
「せっかく異世界に来たんなら、仕事のことも忘れて世界中をキャンプしまくろう!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる