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第八部『聖者の陰を知る者は』
四章-2
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メイオール村の人々が、それぞれの仕事や家事をし始めたころ。ランドたちが住居としている竜神・安仁羅を奉る神殿のドアを、ウトーが激しく叩いた。
「突然の訪問ですまぬが、家人に会わせてくれ!」
必死の形相で、ウトーはドアを叩き続けた。十数度目の呼びかけを終えたあと、中から鍵と閂が開けられる音が聞こえた。
ウトーが一歩だけ退いて待っていると、ドアが薄く開かれた。黒髪に白装束に緋袴姿の少女――紀伊が、僅かに顔を覗かせた。
どことなく可憐さの残る顔立ちに、ウトーは戸惑いを覚えた。
「朝から、すまない」
「……どなたでしょうか?」
「修道騎士のウトーと申す。ランドが襲われたと聞いた。ヤツ――いや、彼の様子を確かめたいので、会わせて欲しいのだが」
「ランド様は刺客に襲われた傷が元で、未だ伏せっておられます。ウトー様のお気持ちは嬉しいのですが、そのような状態ですので、どうかお引き取り下さいませ」
「ま、まて……待ってくれ。刺客に襲われたというなら、毒の影響があるかもしれん。少なくとも三時間が経過する前に、血を絞り出さねば――」
「襲われてから、もう四時間ほど経過しております」
紀伊の返答を聞いて、ウトーの顔が真っ青になった。毒蛇の種類にもよるが、毒は三時間ほど局部付近に出来た腫れに留まる。そのあいだに毒の混じった血を絞り出す――というのが、基本的な応急処置の初手となる。
四時間も経過していたら、もう毒は心臓に達している可能性が高い。そうなれば、この世界の医学では助かる見込みは皆無だ。
しかし――紀伊は顔色一つ変えずに、淡々と言葉を続けた。
「ご心配は無用です。それほど重篤な症状はありませんので」
「そ――それは、処置を終えているということ……なのだろうか?」
「そう思って頂いて構いません」
「それなら、会うことはできないか?」
ウトーからの再度請われたが、紀伊は僅かに眉を顰めながら、静かに首を振った。
「あなたのお気持ちは、理解出来ます。瑠胡姫様の我がま――いえ、御指示がなければ会うこともできましょうが……残念ながら、その願いにはお応えできません」
「そんな指示を出すとは――御主たちは、なにを考えているのだ?」
紀伊の言動になにかを感じたウトーが、怪訝な顔で問い掛けた。
その内容については口止めされていないのだろう、紀伊は僅かに目を細めながらウトーを見上げた。
「我々の考えは、とても単純です。ランド様への襲撃は、我らへの侮辱そのもの。刺客に対しては、全力で報復を行う所存――これは、瑠胡姫様の御意志でもあります」
可憐な顔立ちから放たれた強烈な殺気に、ウトーは無意識に気圧された。
それでは――と告げてから、紀伊はドアを閉じた。背中に汗をかいたウトーはしばらく立ち尽くしたあと、村に戻っていった。
*
俺がベッドの上で上半身だけを起こしていると、瑠胡が覆い被さるように抱き付いてきた。俺が腕力だけで抱きとめると、なにも言わずに唇を重ねてきた。
そのまま瑠胡の行為を受け入れていると、微かに血の味が口の中に広がった。瑠胡の血は、そのまま回復の《スキル》だ。
唇が離れてから、俺は瑠胡の髪を撫でた。
「あの……瑠胡。もう今朝から六回目ですよ? さすがに、もう毒の影響はないと思いますけど」
「なにを言っているんです。こんな機会――ではなく、毒が身体に入ったかもしれませんから。念には念を入れませんと」
なんか今、ちょっと煩悩が垣間見えた気がするけど……気にするのは、止めたほうがいいんだろうか。
しかも神糸の服を着ていたお陰で、短剣の一撃を受けた腕には、切り傷はない。打撲傷による内出血はあるが、皮膚はむけたりしていない。
神糸の生地のおかげで、短剣の毒は染みこんでない。
あと、革袋も持ってないから、毒心配はないと言って良い。
あの革袋には、八方向に突き出た針が仕込んであった。数十枚の銅貨が重し代わりに使われていて、袋の下を持てば針が刺さるし、上部を持っても上方に突き出た針が刺さる。
毒殺用の罠としては単純だが、それだけに効果も高い。
俺はもう薄くなった右腕の打撲傷を見てから、溜息をついた。
「でも……瑠胡。俺が寝込んでるって嘘を広めなくても、いい気がするんですけど」
「あら。あれは嘘ではありません。戦術や計略というものです」
「戦術や計略?」
「はい。ランドが生きていると広まれば、またあの刺客はここにやって来るはず。そこを返り討ち――と、いう計略なんですよ」
ニコニコとした顔で、なかなかに物騒なことを瑠胡は口にした。
今回の件――特に俺への拷問と刺客の襲撃に関して、瑠胡は静かな怒りを抱き続けている。アムラダ神への配慮からか、ユピエルや修道騎士たちへ危害は加えていない。
割り切ってはいるみたいだけど、精神的な過負荷になっている。それだけに刺客への反撃は、瑠胡が怒りをぶつけることのできる、数少ない存在だ。
鬱憤を晴らす、という感じではなさそう……と思いたいけが、瑠胡だけでなく紀伊や天竜に仕えるワイバーンたちも、どことなく、やる気に満ちている気がする。
それに加えて瑠胡は、前に比べて神殿から出る頻度が減っている気がする。
人間自体を嫌わないで欲しいんだけど……こればかりは感情的なものだから、ゆっくりと宥めていくしかない。
髪を梳くように頭を撫でながら、もう一度だけ口づけをすると、俺は辺ベッドから起きあがった。
「ランド、起きては……」
「いえ、なんていうか、寝てばかりいたら身体が鈍っちゃいますよ」
俺が苦笑すると、ドアが静かにノックされた。
「入っても大丈夫ですよ」
「……ランド」
開かれたドアから、沈んだ顔のセラが入って来た。
俺が起きていることに少し驚きながら、セラは俺と瑠胡の元へと歩いて来た。
「ランド、それに瑠胡姫様……ご相談が」
「どうしたんですか?」
俺が話を促すと、セラは少し辛そうな顔をした。
「ユピエル……法王から訊いてきたのですが、刺客は確かに教会の関係者のようです」
「ああ、やっぱり。どんなヤツなんです?」
対策を講じるためにも聞いておこう――ってだけだったが、セラは躊躇う素振りを見せた。
「それが……わたしの妹、ということです」
「……妹? セラに妹がいたんですか?」
俺の問い掛けに、セラは小さく頷いた。
「わたしも今まで、知りませんでした。ですが、ユピエル……法王が妹を殺すなと言ったのです。あの表情……嘘を言っているようには思えませんでした」
瑠胡は俺と顔を向き合わせてから、小さく息を吐いた。
「それは意外でした……そうなると、流石に酷すぎることはできませんね。少し、計画を修正いたしませんと」
「その計画についても、少し……レティシアたちが、協力をしたいと言っているのです。どうしましょうか」
「あら」
瑠胡は、少し目線を上に向けた。
なにかを考えていたようだが、結論はでなかったようだ。視線を戻すと、形の良い顎に白い指先を添えた。
「紀伊とも相談しませんと、結論が出せませんね。紀伊も今回の件については、かなり真剣になってますから。良い案も出るかもしれません」
「ああ、そういえば……紀伊も瑠胡の案に積極的ですよね」
「あら、あたりまえじゃありませんか」
瑠胡はクスッとした笑みを見せたが、その目には鋭い光を宿らせていた。
「天竜族である、わたくしのつがいを拷問し、刺客に襲わせたんですよ? しかも神殿内で襲われたとなれば、ドラゴン族としての誇りを傷つけられたも同然。となれば、その報復は死を以て償わせるのが普通ですから」
穏やかだが静かな炎を秘めた声に、俺は無意識に息を呑んだ。
二人で暮らし始めてきて、瑠胡が人の生活に合わせていたこともあって、瑠胡がドラゴン族としての価値観を持っていることを忘れかけていた。
こうしたときに垣間見る瑠胡の言動は、たしかにドラゴン族のそれなんだろう。生物の中でも最強の種であるドラゴン族特有の自尊心が、こうした価値観を生み出している――と思う。
静かに吸い込んだ息を吐いてから、俺は瑠胡の肩を抱いた。
「そうなんですね。でも今回は、殺すまではやめましょうか」
「そうですね。ですが、それなりのことはさせて頂きます。今回のこと、心の底から後悔して頂かないと」
意味ありげな笑みを浮かべる瑠胡に、セラは不安げな顔をした。
「瑠胡姫様……どうか、お手柔らかにお願いします」
「もちろん? ああ、そうだ。セラ、村の酒場や旅籠屋を廻って、蒸留水やお酒を注文してきて下さい」
瑠胡からの依頼に、セラは目を瞬かせた。
最初に決めた計画には、なかったものだ。俺とセラは怪訝な顔で、瑠胡を見た。ジョシアの姿になっていたことを踏まえると、恐らく彼女の《スキル》は、他者に成り済ますことができる類いのものだろう。
出入りする人が多くなれば、その誰かに化ける可能性が高くなる。
「瑠胡……姫様? それでは、刺客が侵入し易くなると思いますが……」
「ええ。招き入れるんです。紀伊とも相談しなければいけませんが、これが一番、手っ取り早いと思います」
意味ありげな笑みを浮かべる瑠胡は、俺たちを手招きして、考えた作戦を語り始めた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ランドの傷に対するネタばらしですが、前回の戦いのとき「神糸!」って叫んでいまして。そのときに、服が硬質化してる――という状況だったりします。
神糸についても第一章で、破れないとか説明をしてますので……そんな理由で、ランドは無事でしたということです。
ドラゴン族の価値観――まあ、プライドの高い種ですので、やられたらやり返すというのが基本です。まるでヤ○ザかアーカ○財団かって感じですが、そういう思考ということで。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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