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第八部『聖者の陰を知る者は』
三章-2
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ランドたちが去ったあと、ユピエルは教会の地下室に籠もっていた。一辺が五マーロン(約六メートル二五センチほどの部屋にある調度類は、椅子と机しか無い。机の上に置かれた燭台だけが、机の周囲だけを照らしている。
椅子に座ったユピエルが虚空を睨むように考え事をしていると、部屋のドアがノックされた。
「……入りなさい」
「失礼致します」
部屋に入ってきたのは、修道騎士の一人だ。右手に包帯を巻いているのは、神殿への侵入に失敗したときの傷だ。
修道騎士はユピエルから二歩ほど離れた場所で立ち止まると、静かに片膝をついた。
「法王猊下、お呼びでしょうか」
「……あなたに、頼みたいことがあります」
「はっ――なんなりと、お申しつけ下さいませ」
深々と頭を垂れる修道騎士に、ユピエルは固い表情を崩さない。数秒の沈黙を経て、顔を上げるべきか悩み始めた修道騎士の耳に、普段よりも低いユピエルの声が届いた。
「怪文書を広めた犯人として、ランド・コールを捕らえなさい」
「――」
顔を上げた修道騎士は、燭台の灯りに照らされたユピエルを見た。燭台が斜め後方にあるため、その顔の大半は影となり、はっきりと表情が見えない。
アムラダを崇拝する教会一派の法王が、するような命ではない。『犯人を探し出せ』や『犯人かどうか調べろ』ではなく、まだ嫌疑すらかかっていない相手を、犯人として捉えろと言ったのだ。
これほどまでに怨嗟を孕んだ命令など、法王がするべきものではない。
しかし、この修道騎士は胸中に湧き上がった歓喜を押し殺しながら、「畏まりました」と返した。
「ランド・コールが犯人だと、そう判断なされた法王猊下の御意志、必ずや果たして見せましょう」
「彼が犯人かどうか、それは問題ではありません。ですが、このままでは教会の威厳が損なわれます。そのための尊い犠牲として、ランド以上の存在はおりません」
ユピエルの口調が暗さを増したが、それに気付かぬ修道騎士の口元に笑みが浮かんだ。
「なるほど! しかし、それでしたら捕らえるよりも暗殺のほうが良いのではありませんか?」
「それはいけません。形だけでも尋問だけはしませんと。この部屋で審問をすれば、それほど時間もかからずに、己の罪を白状することでしょう」
「おお、そうですな。村人たちへの配慮を忘れておりました」
「ランドを捕らえるのは、村人たちには内密にして下さい」
「はっ――心得ております。機会を伺うため、数日ほどかかると予想されますが」
「仕方ありません。わたくしは、先に王都へ戻ることにしましょう」
そう言って立ち上がるユピエルに、修道騎士は少し慌てて頭を下げた。
「法王猊下、お待ち下さい。今の状況で法王猊下が王都に戻られますと、心ない村人から逃げたと思われるやもしれませぬ。恐らく、ランドもそれが狙いなのでしょう」
二人のあいだでは、すでにランドが犯人という体裁での会話になっていた。
修道騎士の忠告に、ユピエルは再び椅子に腰を降ろした。
「この件が解決するまで、王都には戻らぬほうが賢明だと……確かに、そうかもしれません。犯人としての処罰を終えるまで、村に滞在することにしましょう」
「……御理解頂き、わたくしは最上級の至福を感じております」
法王に微笑みながら、修道騎士は部屋の中を見回した。
普段は荷物置き場として使っている、教会の地下室だ。ここなら、それだけ大きな声が挙がろうとも、外に漏れることはない。
尋問をするための道具は持ち運んでいないが、縄とナイフ、それに松明があれば事足りる。
「法王猊下、わたくしはこれにて。村でランドについて探って参ります」
「吉報を待っていますよ」
「御意」
ユピエルに一礼をした修道騎士は、教会を出て村の通りへの道へと出た。
表向きは、怪文書の犯人捜しをしていると見せかけている。しかしその実、会話の流れを微妙に変えて、ランドについての内容を聞きだしている。
(村での評判は……総合的に判断すれば、良好のようだ。手伝い屋も、信頼されている――か。犯人とするためには、それを覆す証言が必要か)
晴れ間の無い村の通りを歩いていた修道騎士は、旅籠屋の前で立ち止まった。
この宿で働く者からも、ランドのことを聞くつもりだった。旅籠屋の中に入ると、酒場兼食堂で二人の女性が話をしている最中だった。
「この筆跡、見覚えありませんか?」
「そうねぇ。文字は、どれも一緒に見えるから。よくわからないね」
羊皮紙を手にしたジョシアは、宿の奥方からの返答に溜息を吐いた。
酒場を横切る修道騎士に気付いたのか、奥方は立ち上がって、満面の笑みを浮かべた。
「まあ、法王様のお付きの方ではありませんか。なにか飲んでいかれますか?」
「いえ、結構です。ここへは、怪文書を出した犯人を捜索する一環として参りました」
修道騎士が一礼をすると、奥方は「あら!」と大袈裟な声をあげた。
「そこのジョシアちゃんも、そうなんですよ。なんでも王都の図書館でお勤めで、文字の書き方っていうんですか? そこから犯人を捜そうとしてるんですって!」
「……ほお?」
筆跡という着眼点の無かった修道騎士は、ジョシアのやっていることに興味が沸いた。
ジョシアが手にしている羊皮紙は、怪文書が書かれた一枚のようだ。奥方の注意が逸れた隙に、奥方が書いていたらしい帳簿と、筆跡を照らし合わせているあたり、なかなかに度胸のある娘だと、修道騎士はジョシアに興味を抱いた。
「君は……この一緒に村へと来たお嬢さんだね。犯人捜しをしてくれているのかな?」
「えっと、そうです」
ジョシアの返答を聞いて、修道騎士は鷹揚に頷いた。
(皆が、この娘と同じくらい教会に従順であればよいのに)
感慨深げに明後日のほうを見上げた修道騎士へ、ジョシアが話しかけた。
「修道士様も、大変ですね。犯人捜しまでされているなんて」
「いや……教会と法王猊下のためとあれば、この程度など苦労に入らぬよ。それに犯人捜しは、神殿の者たちにも協力してくれるらしい」
そんなことを言いながら、修道騎士は心の中で(一刻も早く、ランドという宿敵を捕らえねばならんのだがな)と付け足した。
ジョシアはジョシアで、「そうなんですか? 法王様の人徳があればこそですね」などと、呑気に言葉を返している。
――あっはっは。
互いに笑顔になっているという、端から見ればのどかな光景ではあるが、片や宿敵と銘打った者の妹、片や兄を狙う者である。
互いに互いのことを知らぬとはいえ、少しでも状況が違えば、瞬時に修羅場へと突入しかねない状況である。
修道騎士は何気ない素振りで、奥方へと話しかけた。
「そういえば、神殿の者……たとえば、ランド殿はよく食事をしに来たりするのですかな?」
「そうねぇ……ちょっと前までは、たまに来てくれたんですけどね。あの瑠胡って姫様と暮らすようになってからは、来なくなっちゃいましたねぇ。まあ、食費とかの兼ね合いもあったんでしょうけど」
「それはそれは。折角のお客が減ってしまって、大変でしょう」
「それは、まあ。ああ、だけどランドさんは、酒類を頼まないですからね。売り上げ的には、ささやかなものですねぇ」
「ほお? それは珍しいですな。こういう店に来たなら、酒くらい飲むものでしょうに」
「それがねぇ。どうやらお酒が苦手みたいで。一杯飲んだだけで寝ちゃうって、そんな話なんですよ」
そう言って笑う奥方の話に、修道騎士の目に光が宿った。
「ほお……それは、本当に珍しい」
「なんか、すごく弱いみたいですよ。一杯どころか、一口で寝ちゃうんですって」
前に、瑠胡から聞いたことを、ジョシアは得意げに話した。
修道騎士は愛想の良い笑みを浮かべて笑いながら、(これは使えるかもしれぬな)と、静かな興奮が全身に満ちていくのを感じていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
大賞に投票して頂いた方々、ありがとうございました。ただ、感謝の念の一杯でございます。
本編、特に後半は「知らないって、幸せですねぇ」……な展開になっております。いやあ、平和っていいですね(棒
実際、宗教関係者がこんなこと考えないでしょ……と、思っている方々もいらっしゃることと存じますが。魔女狩りだの、奴隷の輸出をしたり、東南アジアなどの国々を植民地化するための工作活動まで手を染めてきた某宗教ですからね。
このくらい、まだ可愛いものなんだろうなーと、勝手に思ってます。
いや、せめて本編は平和が続くといいなぁ……と思ってます(棒
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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