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第八部『聖者の陰を知る者は』
二章-6
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「おっはよーございまーす!」
旅籠屋《月麦の穂亭》に入るなり、ジョシアは厨房に駆け寄った。料理の仕込みをしていたメレアは、恰幅の良い身体を揺らしながら、ブルネットの髪を結った頭を向けた。
「おや、ジョシアちゃん。おはよう。それじゃあ早速で悪いけど、頼めるかい?」
「はい!」
小走りに厨房へ入ったジョシアは、メレアと一緒に仕込みを始めた。干し肉を刻み、塩漬けにしてあった野菜を取り出しては、適度な大きさに切り分けていく。
冬期に使える料理の材料は、基本的には保存食だ。
出せる食事もパンとスープ、それにドライフルーツくらいだ。食事の質や量は悪くなってしまうが、冬期は客自体も少ないから、備蓄だけでもやっていけなくはない。
今も、客として泊まっているのは三人だけだ。
そのうちの一人が、酒場を兼ねた食堂へと降りてきた。
黒髪を無造作に後ろで束ねた女性だ。年の頃は、一七、八くらい。どこか線は細いが、華奢という印象がない。
(うわー……美人)
まだ日の出から、そんなに経っていない。そんな時間に食堂へと来る客がいることが珍しくて、ジョシアはつい目を向けてしまった。
女性客がカウンター席に座ると、ジョシアは自分の役割を思い出した。
「あ、あの……おはようございます。食事はできませんけど、飲み物でしたら、御用意できますよ」
ジョシアは女性客に話しかけたが、しばらくは無言のままだった。
もう一度、注文を聞こうとしたとき、女性客が静かに口を開いた。
「あなた……昨晩はいなかったわね」
「え? ええ、あたしは、臨時の手伝い……みたいなものなんですよ。本当は、お兄ちゃんが来るはずなんですけど、ちょっと色々あって。代わりに、あたしが働きに来てるんです。といっても、このメイオール村に住んでるわけじゃ、ないんですけどね」
「ここで暮らしていない……つまり、兄弟で旅をしてるということ?」
「いえ、そうじゃなくて、ですね。お兄ちゃんは村の住人……なんですけど、あたしは王都に住んでるんです。今回は、お兄ちゃんと奥さん……お嫁さんに会いに来てて」
「ふぅん。そうなんだ。お兄さんは、ここの従業員?」
「いえ。手伝い屋……っていうのをやってるんです。あ、でも今は、村外れの神殿に住んでるんですよね。それとは別に、前からの仕事をしてるみたいで」
「ふぅん」
女性客は僅かに目を細めると、頬杖をつきながら微笑んだ。
「あなた、名前は?」
「あたしは……ジョシアっていいます」
「そう。お兄さんとは、仲が良さそうね」
「そうですね……まあ、普通に仲は良いと思いますよ」
ランドが聞いたら首を傾げそうな返答を、ジョシアは平然と口にした。それから思い出したように、改めて注文を尋ねた。
女性客は「ああ、ごめんなさい」と軽い謝罪を口にしてから、カウンターに数枚の銅貨を置いた。
「エール酒を」
「畏まりました。少しお待ち下さいね」
ジョシアがエール酒を持って来ると、女性客は両手で受け取った。
それから女性客はエール酒を飲みながら、ジョシアがパタパタと厨房内を駆け回る姿をジッと見つめていた。
*
刻を同じくして、セラは《白翼騎士団》の駐屯地へと向かっていた。
例によって訓練の指導を頼まれてのことだが、夜襲を撃退し、夜通しの見回りを終えたあとだ。
村人に比べればタフな騎士団の団員たちも、疲労の色が濃いに違いない――そう考えたセラは、歩きながら訓練内容を再考していた。
ふと見れば、まだ山々の影から朝日が顔を覗かせていた。冬期で畑仕事がないから、まだ村人の大半は眠っているか、暖炉に火をくべ始めているかだ。
出歩く者は、見張りくらいしかいない――のだが、駐屯地からやってくる人影があった。
(こんな時間に珍しいな……誰だ?)
無意識に、意識が騎士団に所属していた頃に戻ったセラは、腰帯に指したミスリル製の細剣の柄に手をかけた。
しかし微かに地表を照らし始めた日光が、人影の姿を露わにした。あまり接点はないが、メイオール村に住む鍛冶職人だ。
鍛冶職人はセラに気付くと、目礼だけをして通り過ぎていった。
セラは立ち止まって、鍛冶職人を振り返った。あの鍛冶職人には、騎士団として刀剣や鎧の応急処置を依頼することもある。
ただし、専門の刀剣鍛冶や鎧鍛冶をする職人ではないから、補給が来るまでの繋ぎ、としての処置でしかない。
(昨日の夜襲で、鎧か剣が歪んだか)
そう考えると時間はともかく、鍛冶職人が駐屯地から出てきたことも、なんら不思議ではない気がした。
セラはまた訓練内容のことを考えながら、駐屯地へと歩き始めた。
駐屯地の兵舎へと入った直後、レティシアが廊下の反対側からやってきた。セラがくるのを待ち構えてた――というわけではなく、単なる偶然だったらしい。
薄暗い廊下の一角でセラを見たレティシアは、驚いた顔をして立ち止まった。
「セラ――ああ、そうか。訓練を頼んでいたな」
「どうしたんですか、レティシア。慌てているようでしたが」
少し戸惑うセラの表情を見て、レティシアは軽く周囲を見回してから、顔を寄せた。
「丁度良いところに来てくれた。少し訊きたいことがあるだが……わたしの部屋へ来てくれないか?」
「それは構いませんが……どうしたんですか? 改まって」
「仔細は、部屋で話す。来てくれ」
いつになく神妙なレティシアに従い、セラは彼女の部屋に入った。
僅かに緊張を解いたものの、まだ厳しい顔をしたレティシアは、耳打ちをするような距離で話しかけた。
「法王様の悪評――いや、ある意味では秘密が、村人に出回っているらしい」
「秘密……ですか? そういう噂を聞いたという話は、ランドやジョシアから聞いていませんが」
「……噂などではない。これを見てくれ」
レティシアが差し出したのは、羊皮紙の切れ端だった。手の平よりも少し大きめな羊皮紙を見たセラの目が、僅かに見開かれた。
「これは……誰が」
「セラでは、ないのだな?」
レティシアがした問いの意味を理解するのに、数秒かかった。
内容がゆっくりと頭の中で溶けていくと、セラは引きつった顔で小刻みに首を横に振った。
「まさか――わたくしは、法王猊下の悪評など流しません」
「……本当だな。この内容を流せる者は、それほど多くない――はずだ」
「同感です。レティシアでもない……となれば、この村にいる者で他に誰が」
そこで言葉を切ったセラは、どこか青ざめた表情で、伏せかけた顔を上げた。
「まさか、法王猊下が自ら……という可能性はないでしょうか? ランドやわたくしに罪を被せるために、配下の者たちにやらせているとか」
「その可能性は、低い――と思うが。先ほどリリンにも調べさせたが、法王様はこの悪評については御存知ないようだ」
「……そうだと、いいんですが」
セラは暗い顔で腕を組むと、右の人差し指で左肘を叩きながら溜息を吐いた。
そのまま無言になってしまった彼女に対し、レティシアは心配している様子で顔を覗き込んだ。
「どうした、セラ。なにか不安でもあるのか?」
「そん――いえ、そうですね。少し」
誤魔化すのを諦めたように、セラは俯きながら答え始める。
「わたしは……ランドから離れた方が良いのでしょうか。法王猊下が神殿に固執しているのは、わたしにも一因があるのですから」
「法王様に、なにか言われたのか?」
「……ランドの元を離れ、教会に戻れと。どうやら、教会の権力を強固なものにされたいようで……どこかの貴族との縁組みを考えておられるようです」
「それ――は。そのことをランドたちには……その、諸々のことも含めて」
「まだ、話をしてはいません」
そう答えるセラの声音が、僅かに低くなった。
「すべてを話してしまったら、ランドたちに愛想を尽かされるのではないかと……それが怖いのです」
レティシアは慈しむように、不安に潰されそうな元部下で、友人の肩に手を添えた。
「あの気の強かったセラが、どうしたんだ? そこまで本気に惚れているってことかもしれないが、あまり悩みすぎるな。アレが……ランドが、そんなことでセラを嫌うものか」
「ですが、そのせいで仕事を奪われています。それに、いらぬ口出しや干渉まで……」
「そこも含めて、だ。ランドや、あの姫様は、その程度の障害など屁とも思ってはいまいよ」
レティシアにしては砕けた物言いに、セラは驚いた。
思わず顔を上げたセラに、レティシアは微笑んだ。
「おまえは、自分たちのために出来ることをすればいい。なにが最善か――というのは、悩んでいる当人には見えにくいものだ。ランドや瑠胡姫様に相談し難いのであれば、騎士団の者たちを頼れば良い」
――きっと、我々では想像もつかない案を出してくれるだろう。
冗談ともつかないことを言って、レティシアはセラを送り出した。
廊下を歩きながら、セラはレティシアに言われたことを考えていた。悪評のことも含めて、法王絡みの問題はどれも、かなり根が深い。
相談したところで、簡単には解決できると思えないと、セラの思考は再び負の感情に埋没しかけた。
訓練をする騎士団員を探して食堂に入ったセラは、長テーブルに座って微睡んでいるリリンと目が合った。
「リリン、寝ないのか?」
「まだ……警戒中ですから」
使い魔を使って村の周囲を見張っているのだろう、リリンの手には杖が握られていた。
気遣う様に「無理をし過ぎないようにな」と言って立ち去ろうとしたセラだったが、ふとレティシアの言葉が脳裏を過ぎった。
「リリン、少し相談があるのだが。聞いてくれるか? ことと次第によっては、使い魔を借りることになるかもしれないが……」
「わたしが、セラさんの代わりに神殿に住む――という内容なら、大歓迎です」
ランドや瑠胡の妹になりたい――リリンから、そんな話を聞いた記憶を思い出し、セラは静かな溜息を漏らした。
――まったくブレないな、リリンは。
その執着心に、セラは心から感心した。
「いや、違うが……ランドや瑠胡姫様の助けにはなるかもしれん」
「……聞きましょう」
予想以上に素直な返答が得られたことに、セラは少し驚いた。しかし、二人の役に立つことを優先したと思えば、不可解なことではない。
セラはリリンの隣に座ると、セラは小声で相談をし始めた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
噂というか、悪評の内容を書いていませんが、ちょっと引き延ばしています。俗に言う、「この続きはCMのあとで!」という、テレビ業界が良くやっていた、評判の悪いアレですね。
最近はテレビのバラエティ番組なんて見てませんから、今でもやっているかは、まったく知りませんが。
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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