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第八部『聖者の陰を知る者は』
二章-2
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レティシアたちとの稽古を終えてから、俺は村へと出た。
朝から空を覆っていた雲は、今では厚みを増し、昼間だというのに村全体に暗い影を落としている。
日差しがないから気温こそ上がらないが、底冷えするほど気温は下がっていない。天竜族の知識では、厚い雲が暖かい空気を上空に逃がさないから――ということだ。
防寒用のマントの前を閉じながら村に入ると、手近なところにある牛小屋を訪ねた。私用というより、手伝い屋としての御用聞きだ。
酪農家の家々、農家、旅籠屋――それらを一通り廻ったけど、結果は散々たるものだった。
「すまないね……今はちょっと、頼める仕事が……なくてね」
「ごめんよ。法王様が村にいるあいだは……ね?」
「すまん! 今は仕事をやれないんだ」
すべて、こんな感じだ。
いままでも仕事がない日はあったが、先行きが読めないというのは、メイオール村で手伝い屋を始めてから初めてのことだ。
仕事がないままに神殿に戻ろうとしたとき、ファラさんが駆け寄ってきた。
「ランド、仕事がないんだって?」
「あの、えーと、ぶっちゃけ、その通りです」
「それじゃあ、ちょっと薬草摘みに付き合って欲しいんだけど。いいかい?」
「もちろんですよ。正直、有り難いです」
ホッと息を吐いた俺に、ファラさんはクスっと笑った。
「なんだい。そんなに生活費がひっ迫してるのかい?」
「いえ、蓄えはありますよ。ただ、春になったときに支払う税とか、結婚式の資金とか、色々と物入りなんですよ」
「ああ、そういうことかい。あんたも大変だねぇ。それじゃあ一応、剣と鎧を用意したら、森に出るとしようか」
「わかりました。用意をしてきますから、待ってて下さいね」
俺は駆け足で神殿に戻ると、愛用の鎧と長剣を身につけた。
昼食は簡素なものだが、騎士団で食べて来ている。瑠胡やセラにひと言だけ告げると、俺は急いでファラさんが待つ村外れへと戻った。
ファラさんが俺を雇った理由は、森の奥深いところへ行きたいから、らしい。森と一括りに言っても、村から近い場所と奥地とでは、自生している木や草が大きく異なっているらしい。
それを裏付けているのかは、わからないけど。村から近い場所では雪も溶けかけていたけど、奥に進むに従って、固く凍った雪が残っている。
革のブーツ越しにザクザクとした感触と、文字通り氷のような冷たさが伝わって来る。
ファラさんはヒイラギに近寄ると、トゲトゲとした葉を採取し始めた。
「ランド、あんた定職に就く気はないのかい? 村でも旅籠屋や職人なんかは、給料の出る仕事なんだろ?」
「一定期間ならともかく、定職となると、メイオール村の規模では難しいんですよ。村に追放になった当初は、俺も定職を考えましたけどね。やっぱり無理だって悟ったから、手伝い屋を始めたもので」
「ああ、そんな経緯だったっけ? あんたも大変だねぇ」
会話をしながら枝一つ分の葉を採取したファラさんは、指を森の奥へと向けた。どうやら、狙っている薬草はさらに奥にあるらしい。
ファラさんに進む方角を聞きつつ、俺が先頭となって森を進む。
警戒すべきなのは主に、獣に山賊、魔物だ。獣も大半は冬眠をしているが、山犬や狼などは冬でも得物を探して、そこらじゅうをウロウロとしている。
森の奥へと進むにつれ、俺は長剣の柄から手を放した。
木々の間隔が、かなり狭くなってきている。こうなると、もう長剣は役に立たない。短剣でもあれば、そっちを使うんだが、生憎と持って来ていない。
その代わり、俺には一〇を超える《スキル》がある。大抵の相手なら、これで充分に渡り合える。
獣の鳴き声どころか、小鳥や鴉の鳴き声すら、ほとんど聞こえない。
耳に入ってくるのは、俺とファラさんの白い息を吐く音だけだ。歩き始めてから、約一時間ほど経ったころ、俺は凍った雪に出来た窪みを見つけた。
点々とついたその窪みから顔を上げると、俺はファラさんを振り返った。
「まだ奥へ行きますか?」
「そうだね……ローズマリーとかも採りたいんだけど。なにかあったかい?」
「ええ、ちょっと。あまり見たくない窪みを見つけて」
この時期、雪に残る窪みは、動物などの足跡である可能性が高い。しかし、目の前にある足跡は兎や鹿といった、草食の獣ではない。
通常の狼にしては大きすぎるし、熊にしては小さい。そういったモノが、ここまで村に近づいて来ていた事実に、俺は周囲の警戒を強めた。
ファラさんは、そんな俺を見ながら少し悩んでいるようだったが……木々の天蓋の色魔から、白い物が舞い降りてきたのを見て、少し残念そうに息を吐いた。
「どうやら、ここまでのようだね。村に戻るとしようか」
自分たちがつけた足跡を頼りに、ファラさんは村のある方角へと身体の向きを変えた。
俺もそれに倣ったが、歩き始める前に意識を集中させた。天竜族に伝わる技の一つで、こうすることで精霊の声を聞くことができる。
声を拾った大地の精霊から、俺は足跡の正体を教えられた。
「……どうしたんだい、ランド?」
「ああ、いえ。ちょっと急いで帰ったほうが、良さそうです」
俺が無意識に長剣の柄に手を添えたのを見て、ファラさんの顔にも緊張の色が浮かんだ。
「……そんなに、ヤバイやつなのかい?」
「近くには、いなさそうですけどね。この雪が夜に吹雪いたら、ちょっとイヤな展開になる可能性はありそうで」
俺が溜息をつくと、白くなった息が視界を覆った。デモス村長に相談したいところだけど、今はちょっと無理だしな。
なにせ、あのユピエル法王は今、デモス村長の家に滞在している。信者の好意と奉仕により――と言っているが、一日だけならともかく、長期的な滞在の世話を善意と奉仕という言葉で強いるのは、俺の意見でしかないけど、かなり図々しいと思う。
いくら村長とはいえ他者に施せる量の保存食なんか、蓄えていないだろうし。
俺が困った顔をしていると、諸々を察してくれたらしい。ファラさんが腕を組みながら、森の奥から俺へと目を向けてきた。
「なんなら、村長に警告をしに言ってもいいけど。あんたの名を出さなきゃ、法王猊下だって無碍にはしないでしょうよ」
「正直、助かります。お願いできますか?」
「ああ、もちろん。でも、これでランドも仕事が一つ出来るじゃないか」
「それはそうですけど……村の危険と引き替えじゃ、素直に喜べませんね」
二度目の溜息を吐く俺に、ファラさんは苦笑してみせた。
「なんていうか……他人事ながら、ランドも苦労してるのねぇ」
……やっとわかってくれましたか。
ちょっとばかり、のどかな空気が流れかけたけど、今はそれに浸っている余裕はない。
俺とファラさんは早足で、メイオール村へ戻る道を進んだ。
*
メイオール村にある村長の家には、小さな庭園がある。春になれば、奥方が手をかけている花壇には、花々が咲き乱れる。
チラチラと雪が舞い降りてくる中、黒い修道服を着た細身の男が、その庭園で佇んでいた。単独でランドに挑んで、あっさりと返り討ちにあった修道騎士だ。
雪が降り出してきたこともあって、村の通りからは人の姿が消えている。その修道騎士は念入りに周囲を見回したあと、『ビュイ、ピュピュイ!』と、指笛を鳴らした。
「お呼びでしょうか」
いつの間に現れたのか――黒いマントで全身を覆い隠した小柄な影が、修道騎士の右横で跪いた。
影へと向き直った修道騎士は、左手に握っていたコインを影に差し出した。
「貴様に命を与える。この村で暮らす、ランド・コールという男を殺せ」
「それは……ユピエル法王猊下の勅命でしょうか」
影の問いに、修道騎士は表情を険しくした。
「それは貴様には関係がない。我々の手足となることが、貴様の使命である。それ以外の思考など、必要がない。それを忘れるな」
「申し訳ありませんでした。使命遂行の前に、情報を集める時間を頂きますが……お許しは頂けますでしょうか?」
「貴様の《スキル》に必要なことだったな。いいだろう、許可しよう。だが、急げよ」
「――畏まりました」
そう言いながら四肢を屈めると、影はまるで飛び上がるように踵を返し、まるで一陣の黒風のような素早さで庭園から出ていった。
そのまま村を囲う柵をも跳び越えた影に目をやっていた修道騎士は、その名に似つかわしくない、残忍な笑みを浮かべていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
冬に採れる薬草やハーブは、かなり少なくなりますね。ローズマリーなんかは、越冬も楽にできる多年草ですので、比較的採りやすいでしょう……多分。採りすぎると、さすがに弱るっぽいですが。
そして相変わらず宗教関係者をみそっかすに書いてますが……別に嫌っているわけでは、あまりないですよ?
中世期の宗教家とかを鑑みるに、こんな感じなんだろうなっていう気もしています。魔女裁判とかやっていたわけですしね。悲鳴を聞きながらワインを飲んでいた司教(司祭だったか……)もいたようですし、ほんとに血は何色だ――って思います。
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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よろしくお願いします。
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