227 / 275
第八部『聖者の陰を知る者は』
二章-1
しおりを挟む二章 逸脱する教えが広まる中で
1
ユピエル法王がメイオール村で滞在し始めて四日目の朝。
曇天の空模様の下、メイオール村の広場に、ランドたち神殿の者や《白翼騎士団》を除いた村人たちが集められた。
普段は村長のデモスや、村に来た役人などが立つ二段に重なった石版の上に、ユピエルがいた。
左右に配下の修道騎士を控えさせたユピエルは聖典を片手に、村人たちへと説法を説いていた。
「この世界にあるすべてのものは、アムラダ様の手によって造られました。我らがアムラダ様は、こう仰っております。〝我は驕らず、すべての者たちに、万物の恵みを与えよう〟――と。アムラダ様を主神と崇める皆様がたも、おなじ想いを抱きながら過ごしてることでしょう。慈愛、そして博愛こそ、アムラダ様の教えでもっとも重要な心なのです」
その年齢からは想像もできないほど、明朗とした声音が広場に轟いた。
村人たちは、真剣な眼差しで説法を聞いている。そんな彼らを見回してから、ユピエルは聖典を閉じた。
「しかし、そんな敬虔なる我らから、離れていった者がおります。慈悲深きアムラダ様の嘆きが、わたくしの耳にも届くかのようです」
まるで落胆したかのように、俯き加減で首を振ったユピエルが、両腕を大きく広げた。
「裏切り者だと彼らを責め立てたり、蔑むつもりはありません。ですがアムラダ様のために、我らでもできることはあります。その一つが――できうる限り、その者らと接触しないということです」
このユピエルの発言に、村人たちの過半数からハッと息を呑む気配が広がった。
察しの良い村人たちは法王が遠回しに、『ランドたちを村八分にせよ』と言っていることに気付いた。
「アムラダ様以外の神を、決して崇めぬように。むしろアムラダ様の教えを丁寧に説き、アムラダ様の信徒として改宗を促すのです。その行為こそが、アムラダ様への恩返しとなるでしょう」
ユピエルの説法が終わると、村人たちは早朝からの畑や酪農――もしくは、家の中での仕事へとへと戻って行った。
広場に残っているのはユピエルや修道騎士たちと、デモスだけだ。
デモスはユピエルへ、猫撫で声で擦り寄っていった。
「法王猊下の説法、お見事でございました。このデモス、身の引き締まる思いで聞いておりました」
「ありがとう。あなたは、よい信者のようですね」
「お褒めに預かり、心から恐縮しております。このメイオール村は代々、アムラダ様を主神として、崇め続けておりますので。法王猊下におかれましては、村民のことを家ぞ……いえ、教会に従う僕と、お考え下さい」
平身低頭のデモスを興味なさげに見つめてから、ユピエルは鷹揚に頷いてみせた。
「あなたの信仰、そして忠誠には目を見張る者があります。我々はしばらく、メイオール村に滞在します。そのあいだの食事や雑用などは、あなたがたの御厚意に甘えさせてもらいましょう」
「は、はい! 仰せの……ままに」
深々と頭を垂れるデモスだったが、頭の中では別のことを考えていた。
(おい……法王様は、いつまで滞在なされるんだ?)
夏期であれば多少の無理は利くが、今は冬である。
食料の大半は、保存の利く物か保存触くらいしかない。しかも、大勢の客をもてなすほどの食料を持つ者は、このメイオール村にはいない。
デモスはユピエルたちのために、備蓄の食料を提供し続けていたが、それも限界に近い。
(早く……早く帰ってくれぇぇっ!)
デモスの心の叫びは、口に出していないが故に、誰にも知られることはなかったのである。
そして――そんな彼らを、物陰から見ている影があった。
赤毛に黒い瞳。しなやかそうな足腰をしていて、身じろぎするたびに赤い光沢が波打っている。
そして一際目立っているのは、白いたてがみ。
村の外周を囲う柵の近くにある、納屋の影。そこにいたのは、一頭の赤毛の馬――ジココエルだ。
現在は馬の姿をしているが、元々は赤い鱗を持つワイアームだった。最初はランドと敵対していたが、諸々の経緯を経て眷属神の一柱となり、現在はレティシアの愛馬として、《白翼騎士団》に在籍(?)している。
ジココエルは納屋の縁で、冬眠していた野ねずみを食いながら、ユピエルの演説を聞いていた。
(神を敬う――それだけのことに、なんと仰々しいことか。人間のこういう思想は、未だに理解できぬ。まあ、もっとも理解できぬのは、敬虔や慈愛を謳っておきながら、その最高位を名乗る者が絶対の権力を持っていることだ)
敬虔に慈愛という言葉と、権力。ジココエルにとっては、それらは真逆の存在にしか思えなかった。
(――これが、人の世か)
ジココエルは静かにその場を離れると、だく足で村から出た。
一度は《白翼騎士団》の駐屯地へ向かいかけたが、すぐに馬首を巡らし、ランドや瑠胡のいる神殿へと歩を進めた。
神殿を訪れると、すぐに紀伊が扉を開けて出迎えた。
「ジコエエル様。突然の訪問ですが、いかがなされましたか?」
〝すまぬが、瑠胡姫とランドに至急の用件がある。会うことはできるだろうか?〟
「ランド様は騎士団の駐屯地へ行かれてしまいました。ですが、瑠胡姫様は神殿におります。すぐに呼んで参りますので、お待ち下さいませ」
頭を垂れた紀伊が、二階に戻って行く。それからしばらくして、瑠胡とセラが一階に降りてきた。
「ジココエル、妾たちに至急の用件とは珍しいのう」
〝瑠胡姫、久しいな。先ほど法王を名乗る者が、村人たちを扇動しておった。なにやら神殿のことを言っておったのでな。人間どもが押し寄せたところで、どうこうできる神殿ではないだろうが、念のため用心をしたほうがいいかもしれぬ〟
「扇動とな? 仔細を教えてはくれぬか?」
〝――いいだろう〟
ジココエルがユピエルが行った説法の内容を話すと、瑠胡は憂鬱そうな溜息を吐いた。
「なるほどのう……法王とやら、よほど妾やランドを排除したいとみえる。聖典の一節以外は、アムラダ様の教えとは無関係であるしな」
瑠胡は率直な感想を述べつつ、頭の中では別のことを考えていた。
(あれでは、アムラダ様も御苦労なさっておられるに違いない)
信者が暴走したところで神々が直接、神罰などを下すことはない。それは眷属神などの肉体を持つ神族の役目だ。
ただし、神々の教えから少々逸脱したくらいで、神罰が下ることもないが。
表情を曇らせた瑠胡を見て、セラが俯いた。
「瑠胡姫様……やはり、眷属神として法王猊下を罰せられるおつもりですか?」
「それは、わたくしの仕事ではありませんから。アムラダ様には眷属神はおりませんが、下僕となる御使いのものたちが、その役目を担っているんです」
〝この程度で神罰を下しておっては、全人類の半数は死滅する。アムラダ様も、静観を決め込むしかないのだろうな〟
ジココエルが馬の耳を搾っていた。口では達観したことを述べているが、やはり嫌悪感が拭えないらしい。
〝しかし、これではランドの仕事も減るのではないか?〟
「それでしたら、大丈夫……ということです。冬期である今なら、確実に仕事が舞い込んでくる……と、言っておりましたから」
ジコエエルにセラが答えたとき、神殿の扉が開いた。
「只今、戻りました――うわっ!」
神殿に入ってきたのは、ジョシアだった。最後の「うわっ」は、ジコエエルを見た驚きの言葉だ。
手に小さな革袋を持ったジョシアに、瑠胡は微かに眉を顰めた。
「ジョシア。村に出ずとも、神殿でのんびりとしておれば良かろう。一体全体、村でなにをしておる?」
「あ、その……色々な人を手伝ったりしてました。ほら、お兄ちゃんの仕事が減っちゃったじゃないですか。ですから、わたしが代わりに……といいますか。小銭でも稼げないかな……って」
気まずさと照れとか入り交じった顔のジョシアは、瑠胡とセラに革袋を差し出した。
「銅貨で十数枚しか稼いでませんが、宿代の代わりに……受け取って下さい」
深々と頭を下げたジョシアを見て、瑠胡とセラはほぼ同時に微笑んだ。
「御主……そういう律儀なところは、ランドに似ておるのう」
「ええ。まったく。ジョシア。そのお金は、あなたが持っているといい。生憎と我々は、そこまで貧困に喘いではいない」
「で、でも……」
「気にするでない。ランドの妹から宿泊料を取るなど、妾たちの恥になるからのう。その気持ちだけ、受け取っておく。それよりも、御主がランドのために動いてくれたことのほうが嬉しいぞ」
瑠胡は心から嬉しそうに微笑んだが、当のジョシアは僅かに表情を歪ませた。
「いえ……お兄ちゃんのためとか、精神敵にちょっと無理です。詐欺とかに騙されないよう、気をつけてあげなきゃとは思ってますけど。役に立ちたいとか、ちょっとキモくてイヤです」
「え?」
「え?」
埋めがたい価値観の相違……瑠胡やセラ、ジョシアたちは、この現実に理解が追いつかず、しばらく目を点にしながら、呆然と向かい合っていた。
-------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ジココエル(エエカトル)が冬眠中の野ネズミを食べましたが……現代においてネズミの冬眠は、二通に分かれるようです。
俗に言う家や都会に住み着く家ネズミ(ハツカネズミなど)は、冬眠はしないそうです。家の中が暖かく、食料になるものが豊富……というのが理由ですね。
屋外で暮らす野ネズミは、冬眠をするようです。
ジココエルが食ったのは、後者のほうですね。
……野ネズミが納屋の外側で冬眠するのかって疑問はありますが、そこは完全に都合でございます。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
10
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説
転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!
小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。
しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。
チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。
研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。
ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。
新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。
しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。
もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。
実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。
結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。
すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。
主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!
あるちゃいる
ファンタジー
山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。
気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。
不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。
どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。
その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。
『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。
が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。
そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。
そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。
⚠️超絶不定期更新⚠️

スマートシステムで異世界革命
小川悟
ファンタジー
/// 毎日19時に投稿する予定です。 ///
★☆★ システム開発の天才!異世界転移して魔法陣構築で生産チート! ★☆★
新道亘《シンドウアタル》は、自分でも気が付かないうちにボッチ人生を歩み始めていた。
それならボッチ卒業の為に、現実世界のしがらみを全て捨て、新たな人生を歩もうとしたら、異世界女神と事故で現実世界のすべてを捨て、やり直すことになってしまった。
異世界に行くために、新たなスキルを神々と作ったら、とんでもなく生産チートなスキルが出来上がる。
スマフォのような便利なスキルで異世界に生産革命を起こします!
序章(全5話)異世界転移までの神々とのお話しです
第1章(全12話+1話)転生した場所での検証と訓練
第2章(全13話+1話)滞在先の街と出会い
第3章(全44話+4話)遺産活用と結婚
第4章(全17話)ダンジョン探索
第5章(執筆中)公的ギルド?
※第3章以降は少し内容が過激になってきます。
上記はあくまで予定です。
カクヨムでも投稿しています。

劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。

異世界で生きていく。
モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。
素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。
魔法と調合スキルを使って成長していく。
小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。
旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。
3/8申し訳ありません。
章の編集をしました。

加護とスキルでチートな異世界生活
どど
ファンタジー
高校1年生の新崎 玲緒(にいざき れお)が学校からの帰宅中にトラックに跳ねられる!?
目を覚ますと真っ白い世界にいた!
そこにやってきた神様に転生か消滅するかの2択に迫られ転生する!
そんな玲緒のチートな異世界生活が始まる
初めての作品なので誤字脱字、ストーリーぐだぐだが多々あると思いますが気に入って頂けると幸いです
ノベルバ様にも公開しております。
※キャラの名前や街の名前は基本的に私が思いついたやつなので特に意味はありません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる