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第七部『暗躍の海に舞う竜騎士』
二章-2
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レティシアが意識を取り戻したのは、岩の上だった。
潮の香りが鼻孔に満ちていて、深く息を吸うと胸元あたりに、ムッとした湿気が入って来て、顔を顰めたくなる。
うっすらと目を開けると、頭上から陽光が差し込んでいた。どうやら大きな縦穴の下らしく、冬だというのにあまり寒さは感じなかった。
(ここは、どこだ――?)
レティシアは鈍った頭に手の甲を添えつつ記憶を遡ろうとするが、思考が空回りしてしまい、なかなか思い出すことができなかった。
仕方なく朝起きてから順に、思い出していく。
ベランダで素振りをしていたとき、同じく素振りをしているランドを見た。たまには話をしようと離れへ行ったみたが、すでに姿は見えなかった――。
(ああ、それで海岸へ行ったんだったな)
海岸で海を見ていたときにアハムと会い、話をしている最中に海に泡が出始めた――。
そこまで思い出した途端、ワイアームの姿が脳裏に蘇り、レティシアは勢いよく上半身を起こした。
服は朝に来ていた平服のままだ。所々濡れているのか、肌にくっついている箇所に違和感を覚えた。髪も少しごわごわとしていることから、全身が水――恐らくは海水に浸かったようだ。
腰の長剣はそのままだし、身体には外傷もなさそうだ。
濡れ鼠だったことを除けば、五体満足だ。そのことに違和感を覚えながら周囲を見回したレティシアは、すぐに状況を飲み込んだ。
レティシアがいるのは、どこかの洞穴らしい。高さだけで約五、六マーロン(一マーロンは、約一メートル二五センチ)ほど、全幅はよくわからないが、少なく見積もっても十数マーロンはあるだろう。縦は、もう少し奥行きがありそうだ。
縦穴は直径約三マーロン(約三メートル七五センチ)、ほぼ円形をしていて、高さは一〇マーロン以上はありそうだ。
縦穴の真下には所々、枯れた落ち葉や枝、枯れ草などが落ちていた。それに数は少ないが、自生していたらしい枯れた雑草もあった。
レティシアの居る場所は、洞穴の終端らしい。一番奥の方には、微かに海面が見えることから、レティシアはそこから連れ込まれたらしい。
縦穴ではなく海面から連れ込まれたと思ったのか――その理由は、考えるまでも無く明白だった。
なぜなら海面に近い場所に、五体のワイアームが首を付き合わせていたからだ。
翼が切り刻まれた赤い鱗のワイアームを中心に、深緑、藍色が左側。右側には水色、茶色の鱗が並んでいる。
レティシアが緊張から荒く息を吐いたとき、深緑のワイアームが振り返った。
深緑の鱗を持つワイアームがなにごとかを告げると、ほかのワイアームらも一斉に振り返った。
(く――っ)
これまで数度の実戦を経験してきたレティシアといえど、たった一人で五体のワイアームと向かい合っている状況では、勇気よりも恐怖心が勝った。
長剣を抜くことも忘れ、震える手を互いに包み込むことしかできないレティシアに、藍色の鱗を持つワイアームが近寄った。
〝目を覚ましたか――人間。レティ……レ……レティシ……と言ったか〟
「レティシア……だ。なぜ、わたしの名前を知っている?」
〝ランド・コールという天竜が言っていた〟
「ランドが――!」
レティシアが慌てて周囲を見回すが、ランドの姿はない。〈藍色〉はレティシアに顔を寄せると、蒸気のような息を吐いた。
〝ランド・コールは、ここにはいない。おまえは……我らが最強のジコエエルとランド・コールが戦うための、人質だ〟
「人質――だと?」
〝そうだ。ランド・コールとの再戦は、ジコエエルの傷が癒える一年後を考えている〟
〈藍色〉の言葉に、レティシアは息を飲み込んだ。
それまでのあいだ、ここで監禁されるという絶望感と恐怖。囚われという現実も相まって、目に涙が滲み始めた。
レティシアが目線を下げかけたとき、〈藍色〉が大きく息を吐いた。
〝しかし――それでは、ランド・コールは納得しないだろうという意見もある。待たせるにしても、長すぎだ――とな〟
レティシアがハッと顔を上げると、は虫類に似た目を瞬かせた〈藍色〉は僅かに顔を離した。
〝とはいえ、傷が癒えぬままでは我に不利だ。我らで話し合っても、答えが出ぬ。夕刻まで刻がないというのに〟
「夕刻……なぜ、夕刻なんだ?」
〝ランド・コールが、表まで再戦の日取りを聞きに来る。それまでに答えねば――ヤツはこの周辺を破壊しまくって、我らの住処を探し当てるだろう。それは、防ぎたい。
こういう場合、人間ではどうするのだ?〟
ワイアームの頭部の造りから、目の前にいる〈藍色〉の感情は読み取れない。だがレティシアには、〈藍色〉がランドに対して、畏怖の念を抱いている気がしてならなかった。
気を失っているあいだに、なにがあったのか――レティシアは気になったが、それを聞くのは躊躇いがあった。
呼吸を整えながら気を落ちつかせると、少しでも自分が有利になる答えを探した。
「やはり……せめて十日くらいにしたほうがいいだろうな。長期に渡って人質を取るのは、非常識だと思われても、仕方が無い」
〝む――むぅ。やはり、そうなのか……〟
小さな唸り声をあげながら〈藍色〉が仲間の元へ戻ると、五体のワイアームたちは、先ほどよりも騒々しく話し合いを始めた。
そんな様子を眺めながら、レティシアは思った。
(こやつら……以外と素直だな)
拷問や脅迫もなしに、人質となった者の意見に耳を貸すなど、普通なら有り得ない。こういった交渉ごとには、慣れていないようだ。
最初よりも緊張が解けた途端、腹の虫が鳴った。
(そういえば、朝からなにも食べてないか)
空腹に耐えながら溜息を吐くと、五体のワイアームが一斉にレティシアへと迫った。
〝腹が減ったのか?〟
〝人も空腹になるとは、驚きだ〟
〝飢えさせては拙いのではないか?〟
〝死んでしまっては、人質にならぬぞ――〟
五体がそれぞれに驚き、慌て出した。
「あ、いや――」
気にするなとレティシアが口に出す前に、五体のワイアームは先ほどの場所まで戻って行った。赤い鱗のジコエエル以外の四体が、海中に潜って行った。
ジコエエルはチラチラとレティシアを見ながら、所在なさげに佇んでいた。見るからに酷い傷を受けているから、癒えるまではあまり動けないようだ。
王都で暮らしていたときから、チラチラと見られることには慣れていた。だが、その対象がワイアームとなれば話は変わる。
レティシアは我慢できなくなって、ジコエエルに話しかけた。
「さっきから、なんだ? 言いたいことがあれば、言えばいい。わたしを捉えているのは、おまえたちなのだからな。なにも遠慮することはないだろう」
〝ううむ……正直、おまえの扱いについて、我らは困っておる。おまえがいなければ、ランド・コールは逃げるかもしれぬ。だが――おまえがいるせいで、傷が癒える前に戦わざるを得ない状況になりそうだ〟
相変わらず、ジコエエルの表情は読めない。しかし、今しがた発した言葉には、明らかに怯えが滲み出てた。
レティシアは僅かに目を細めながら、静かな口調で問いかけた。
「ランドは、おまえたちと戦うのを嫌がっているのか?」
〝いいや――聞いた話では、おまえを帰しても勝負はすると言っていたようだ。だが、元人間だった存在の言葉など、信用できぬ〟
「それなら先ほど、わたしが答えた内容も信じてはいないのか?」
〝なぜそう思う? ランド・コールは戦うべき敵だ。おまえは人質であって、敵ではなかろう。敵ではない以上、信用する価値はある〟
ジコエエルの返答に、レティシアは呆気にとられていた。
一見して無茶苦茶だが、嘘を言っているようには思えなかった。
(彼らなりの判断基準があるのか……?)
そう思っていると、海面からワイアームたちが戻って来た。四体のワイアームはレティシアの前で顎を広げると、口の中から海で獲ってきたらしい魚や海藻などを吐き出した。
自分の背丈もある魚の山を前に、レティシアは呆然とした。それと同時に、自分がどうやってここに連れ込まれたのか理解して、少しばかりげんなりとした。
身体を濡らしていたのは海水だけではなく、ワイアームの唾液なんかも原因だったようだ。
心の中で気の重い溜息を吐くレティシアに、四色のワイアームたちは口々に〝食え〟と迫った。
レティシアはぎこちなく両手を胸の高さまで上げると、なるべく丁重な身振りで、やんわりと断りを入れた。
「これだけの食料を獲ってきてもらってたのは、心から感謝している。しかし、だ。わたしは一度の食事で、これだけの量を食べることはできない。ここから……明日の分も含めて一〇尾ばかり貰っておく。あとは、皆で食べて欲しい」
〝明日の分も含めて一〇尾だと……それだけで足りるのか?〟
〝小食だな〟
〝恐ろしいほどに小食だ〟
〝どうりで、そんなにチビなわけだ〟
多く食べたからとて、ワイアームほど大きくなれるわけじゃない――そんな反論をグッと堪えながら、レティシアは周囲を見回した。
手始めに、レティシアは洞穴内にある枯れ草や枝を一箇所に集めた。それから長剣を抜くと、切っ先を集めた枯れ草に向けた。
意識を集中させて力を放出すると、切っ先から放たれた小さな〈火球〉が、枯れ草に火を点けた。
パチパチを燃え出す小さな焚き火に枯れ草を追加してから、レティシアは比較的真っ直ぐな枝を見繕って、手頃な魚の口に突き刺した。
(ランドから、魚料理を習っておけば良かったか)
レティシアは苦笑しながら、焚き火の脇に魚を突き刺した枝を立てた。あとは焼けるのを待つだけ――と思った直後、ざわめいているワイアームたちに気付いた。
「……どうしたのだ?」
〝おまえは……ドラゴン種だったのか?〟
「……は?」
思わず素で返してしまったレティシアに、ジコエエルは唸るように言った。
〝今、炎を吐いた。すなわち、おまえはドラゴン種である可能性が高い〟
「ま、待て……今のは、わたしの《スキル》だ。ドラゴン種というわけでは――」
〝なるほど。噂には聞いたことがある。遠くの地に住むものの中には、火球を吐く種もいるということだ〟
〝おお……そういうことなのか〟
〝だから、天竜とともにいたのか〟
わいのわいのと盛り上がるワイアームたちを眺めながら、レティシアはワイアームたちの価値観について、なんとなく理解できたような気がしていた。
恐らく、根幹となっている部分は恐ろしく単純だ。
つまり『敵』と『それ以外』、『餌』と『それ以外』というような判断基準であるらしい。
その基準からすれば、『ドラゴン種は火を吐く』と『それ以外は火を吐かない』という価ことなのだろう。
魔物の中には、ほかに火を放つモノもいるが、そのあたりは誤差という認識なのかもしれない。
(まあ……命の危険はなくなったか)
人間の姿をしたドラゴン種――もしかしたら、遠くドラゴンの血が混ざっているのでは、などと盛り上がるワイアームらに、ここからどう説明していくか、レティシアは頭を悩ませていた。
焼けた魚はそこそこに旨かったが、下処理を忘れていたため、最初の一口目で口の中が鱗だらけになってしまった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
シリアスっぽいことばかり書いてた反動が……中の人の作品では、よくあることですので、御理解の程、宜しくお願い致します。
魚料理は、知識がないと難しいですよね……鱗が口の中に残るのは、魚料理初心者には、良くある話なんじゃないかと思う訳です。
ええ、中の人も経験あります。ちゃんと取ったつもりだったんですけどね……。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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