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第七部『暗躍の海に舞う竜騎士』
一章-6
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夕方になったころ、手当と風呂を終えた俺は部屋で休んでいた。
俺はぼんやりと、窓から夕日を眺めていた。俺の隣に座っている瑠胡は、セラが煎れた茶を飲みながら、なにかを考えているように視線を足元に落としている。
セラは干してあったリネンを片づけている。このリネンは、俺の傷の手当に使ったものだ。傷口の周囲を拭いたリネンは、綺麗に洗ってある。それを干していたんだけど、風に吹かれていたからか、もう乾いたようだ。
そんなとき、部屋のドアがノックされた。まだ左脚の痛む俺に変わって、セラが薄くドアを開けた。
「休んでいるところすまない。ランドはいるか?」
声からして、ベリット男爵だろう。セラが緊張した顔で戻って来ると、俺は痛みを堪えながら立ち上がった。
「ベリット男爵様ですか?」
「ええ。入って頂いても?」
「断るわけにもいきませんし。瑠胡も、いいですか?」
「ええ。仕方ないでしょう」
ノックの音で思考の底から戻っていたらしい瑠胡は、すぐに立ち上がると部屋に並んでいた椅子に腰掛けた。
俺はドアを開けようとしたが、それをセラが優しく押しとどめた。
「わたしが開けますから、ランドは椅子に座っていて下さい
「セラ、ありがとうございます」
俺が瑠胡の左隣に腰を降ろすと、セラがドアを開けた。
「ベリット様、どうぞ」
「ああ、すまない」
ベリット男爵は、緑色を基調とした衣服を身につけていた。
セラに軽く挨拶をすると、ベリット男爵が俺と瑠胡とを順に見た。セラはベリット男爵を俺の真正面にある椅子へ座るよう勧めると、自分は俺の左隣の椅子に座った。
セラが姿勢を正すのを待って、ベリット男爵は話し始めた。
「ランド。昼間に一騒動あったようだな」
一騒動。
それが昼間に襲いかかってきたワイアームのことだと理解するのに、さほど時間はかからなかった。
「ええ……まあ。赤い鱗のワイアームに襲われました」
「レティシアからは、大体の経緯は聞いている。まあ、災難だったとは思うが……まあ、順番にいこうか。シャルコネ殿から、今後の危険性について問われている」
「それについては……狙われているのは、わたくしですから。今まで襲われなかったのであれば、街に危険が及ぶ可能性は低いと思います」
「そうか……次は、わたしから聞きたいことだが。我々の復路は、安全なのだろうか?」
ベリット男爵の問いに、俺と瑠胡は固まった。セラも俺の隣で、不安そうな表情を浮かべていた。
復路は、また海路になるだろう。海岸で遭遇したワイアームも、水辺の近くに生息するドラゴン種らしい。
船の上で襲われることを、危惧しているんだろう。だけど――復路には俺が同乗する以上、嘘でも安全とはいえない。
「もう狙うなとは言いましたけど、そのまま逃げましたし……安全だとは、言い難いですね」
「そうか……」
表情を曇らせるベリット男爵に、俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。なんとか、俺への襲撃を止めるよう説得するか、それとも半殺しにしたほうがいいのかもしれない。
しかし、ヤツの根城がわからないから……また精霊の声を聞きながら探すしか、方法はないかもしれない。
そんなことを考えていると、瑠胡が僅かに顔を上げた。
「ランド。やはり、海竜族に会ったほうがいいかもしれません。彼らから、せめて帰路のあいだだけでも、襲撃を止めるよう説いてもらうのが確実かと思います」
「瑠胡姫――海竜族とは?」
ベリット男爵の問いに、瑠胡は姫としての表情を取り戻しながら応えた。
「我ら天竜族と同様に、この世界を護る竜族の一つ、といえば分かり易いかもしれぬな。我らは天竜を名乗りはするが、主に山から流れる河川や、海辺を守護する存在。地竜族は陸地を。そして海竜族は、海中を護る存在でな。それぞれ主神たる、同一の竜神様に仕えておるのだが、互いの関わりは薄くてのう。妾らでさえ招かれねば、ほかの竜族の居場所はわからぬ。
あちらから接触してくれるのが、一番の近道ではあるが……望みは薄かろうな」
「一つ質問をいいですかな、瑠胡姫。竜族にも信仰があると仰有いますか?」
「無論。妾は――いや、仔細は語らずとも良かろう。とにかく、天竜、地竜、海竜の三種族だけでなく、ある程度の知能があるドラゴン種にも信仰はある」
……ギリギリのところで誤魔化したけど、自分が竜神・安仁羅様の娘と言いそうになったな、瑠胡は。
こんなこと、人間社会で口外しようものなら……その後の展開が予想できないだけに、ちょっと恐ろしい。
有り難いことにベリット男爵は、それ以上のことを瑠胡に問わなかった。
少し考える素振りをしてから、俺たちに立つよう促しつつ、自分も立ち上がった。
「今の話を、シャルコネ殿にもしてやってくれ。わたしからでは、細かいところで誤りがでるかもしれぬのでな」
「すまぬが、それは少々困難故、明朝で構わぬか?」
「ベリット様、それは無理というものです」
瑠胡とセラが、ほぼ同時にベリット男爵からの頼みを断った。
二人が頼みを断ったのは、俺の怪我が理由だ。左脚の傷は、瑠胡の血を飲んでから出血は止まったが、痛みまでは引いていない。
無理をして動き続ければ、また出血する可能性もあるので、今日一晩は安静にしたいところだ。
しかし、ベリット男爵は俺の左脚を少し眺めたあと、顎に手を添えた。
「ふむ……見たところ、大した傷でもあるまい。痛むのだろうが、ここのシャルコネ殿の機嫌を損ねたくはないのだ。すまぬが、一緒に来てくれ」
ベリット男爵の言葉に、瑠胡はあからさまに不機嫌になった。セラですら、口を固く結んで反論を我慢している。
俺は瑠胡、そしてセラの順に肩や背中に手を添えたあと、ベリット男爵に頷いた。
「わかりました。ただ、二人に支えて貰いながらの移動になりますので、移動に時間がかかりますが、それでも宜しいですか?」
「ああ。それで構わない」
ベリット男爵の承諾を得て、俺は瑠胡とセラに支えられながら離れを出た。
途中、警備の兵士たちの横をすれ違ったんだけど、誰も彼もが皆、俺を見てはヒソヒソと囁き合っていた。
それが両脇に瑠胡とセラに支えられた件についてなのか、それともワイアーム絡みなのか――彼らの表情や仕草だけでは、わからなかった。
移動中の会話で、レティシアとアハムのことを話題に出してみたら、ベリット男爵は複雑そうな顔で弁明した。
「互いの親で考えたことであって、わたしは巻き込まれただけだ。それに帰ってから、わたしが父や母に弁明をすることになってしまったんだ。親とレティシア……双方から、良いように使われている状況なんだ。これ以上は、勘弁してくれ」
……とまあ、こういうことらしい。
シャルコネの部屋で、ワイアームについての報告を終えると、俺たちはすんなりと帰された。
とりあえず、街に被害がでないようなら、問題はないってことなんだろう。
明日からまた、船の旅になる。
今度は船酔いが軽くなればいい――離れに戻る途中で俺は、そんなことを考えていた。
一方で、ランドたちを送り出したベリットは、シャルコネと話を続けていた。
豪奢な椅子とテーブルのある応接間で、二人は向かい合って座っていた。
「海竜族……それは、わたくしたちの土地でも、伝わってはおりません。ドラゴンたちに、そのような種族があるなど、あの瑠胡という姫君が現れなければ、知りようもありませんでした」
「ジャガルートでもですか……なら、こちらから打てる手はないということですな」
ベリットは諦めに似た溜息をつくと、椅子に深く凭れかかった。
地上であれば、戦いようはある。しかし海上では、明らかにワイアームらに分があると言わざるを得ない。
ランドや瑠胡たちの活躍を期待するしかないが、船の損傷次第では、ベリットたちは詰む。
それから二、三の話題を話し合ってから、二人は応接間を出た。
『あそこにいるのって……』
『ああ、ワイアームとやり合ってた剣士か』
近くで二人の兵士が、窓の外を眺めていた。
ランドたちはまだ、屋敷の下にいるのか――と思いながら廊下を歩き始めたベリットの耳に、ジャガルートの言葉で喋る兵士たちの声が聞こえてきた。
『たった一人で、ワイアームを追い払ったんですって』
『まあ、怖い。強いと言っても、ちょっと異常よね。強すぎ――』
ベリットが窓の外を見ると、視線を感じたのかランドが振り返った。
『きゃ。振り返ったわよ』
『こわいわぁ……』
ベリットは兵士たちの声を聞きながら、行儀良く視線を逸らした。
(……彼らは、男のはずだが)
声は勿論、体付きや顔も男性のそれだ。ベリットは一瞬だけ会話の内容を反芻したあと、考えるのを止めた。
ベリットと別れてから、シャルコネは応接間へと戻っていた。
先ほどの兵士たちは、もういない。先ほどの会話のことを思い出したシャルコネは、兵士たちがランドたちへ畏怖の念を抱いているのは、感じていた。
(兵士たちの長になれば、いい感じに統率が執れるだろうな)
ランドを雇えないことが残念だと、シャルコネは溜息を吐いた。
(それにしても……)
女言葉で巫山戯合うのが、兵士たちのあいだで流行っているのを、客人たちに説明するのを忘れていた。
殆どの者はジャガルートの言葉を知らないようなので、問題はないと思っていたが……。
(まあ、いいか)
ベリット男爵らがいるのは、明日までだ。ある意味では恥部ともいえる流行も、大した問題にならないだろう。
シャルコネは気を取り直すと、残した茶菓子を食べに、応接間へと急いだ。
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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
今回、「」はランドたちインムナーマ王国の言葉、『』はジャガルートの言葉になっております。
試験的なものですが、分かり易かったかどうか……。
本作におけるワイアームですが、一般的には一人で追い払っただけでも、周囲からは畏怖の対象になるという……鱗は兵士の剣を通さず、尾の一撃で戦闘不能という強さです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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