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第六部『地の底から蠢くは貴き淀み』
三章-1
しおりを挟む三章 地下に淀む魔
1
ランドたちが領主の騎士が率いる馬車列と遭遇したころ、キャリン村に残っていたクロースは、牧草が生い茂る牧場の放牧地を歩いていた。
牧草は生えているが、もう秋も深まりかけている時期だ。夏期に比べると葉にみずみずしさは無く、穂や花のあるものは、ほとんど見かけない。
大半は多年草で、根さえ残っていれば年に二、三回は生えてくるから、飼い葉代わりに食べさせても問題はない。
クロースはそんな牧草に顔を寄せると、匂いを嗅いでみた。
(故郷の牧草と、同じかなぁ……)
腰から短剣を抜いたクローズは、目の前の牧草の根元を掘り始めた。
多年草で干ばつにも強い種であるためか、根っこは予想よりも深いところまで伸びていた。流石にすべては無理と諦めて、途中で根を切断した。
付いていた土を払ってから、根っこの切断面に目をやった。
「……なに、これ」
根っこの断面は白いものが多いが、これは中心部に黒い部分がある。根っこを搾ってみると透明の水と一緒に、ドロッとした黒い液体も染み出てきた。
「なに、これ?」
黒い液体に触れた指先を鼻に近づけたクロースは、眉を顰めた。その臭いは、異変の影響を受けてる山羊や牛の乳から漂う異臭によく似ていた。
クロースは指先を露出していた土で拭うと、抜き取った牧草を手に立ち上がった。
「おーい、クロース!」
自分を呼ぶアインの声に、クロースは振り返った。
傭兵としての装備はそのままに、アインが放牧地をゆっくりと歩いてくる。
「飼い葉を譲って貰ったが、どうすればいいんだ?」
「ありがとうございます。どこにあるんですか?」
「山羊舎の外だ。出入り口の近くに置いてある」
「わかりました。すぐ行きますね」
クロースが山羊舎へと歩き出すと、アインもそれに続いた。
柵で囲まれた放牧地では、数頭の牛が草を食んだり、ひなたぼっこをしている。もちろん、排出的行為をする場合もあるので、放牧地を歩くときは、進行方向への注意も必要になる。
山羊舎まで戻ったクロースは、出入り口の側に積まれた飼い葉に近寄った。
燻してあるらしい麦の茎や葉の前でしゃがみ込むと、熱心に茎の断面や葉脈を熱心に調べ始めた。
そんな様子をぼんやりと眺めていたアインは、横腹を掻きながら少し呆れ顔になっていた。
「家畜の調査だと思ったんだが、飼い葉や草を調べる意味はあるのかい?」
「もちろん。メイオール村から持って来た飼い葉を食べさせた山羊は、乳の異臭が弱くなりましたから。家畜が食べているものが原因かも――なんですよ」
しゃがんだまま振り返ったクロースは、持っていた飼い葉をアインに振ってみせた。
「普通なら麦の葉っぱとかは……あまり飼い葉にしないんですけどね。ザイケンは農耕地も限られますから、麦わらも飼い葉にしているところが多いんです」
「いや、そういう説明をされてもなあ。俺には、よくわからん」
頭を掻きながら、アインは口をへの字に曲げた。
「麦でも草でも、食べているものは、ずっと変わっていないんだろ?」
「はい。だから、問題なんですよ」
飼い葉を調べるために地面に置いた、採取したばかりの牧草を手にしたクロースは立ち上がった。
牧草の根っこの断面をアインに向けつつ、手招きをする。
「臭いを嗅いでみてください」
「んん……?」
言われるままに顔を寄せたアインは、顔を顰めながら牧草の根っこから離れた。
「――この臭い、あの乳と似てねぇか?」
「そうなんです。この草は多年草ですから、根っこは去年から地面に埋まっていたと思うんです。だから同じ草がここまで変わった原因が、どこかにあると……ええっと、つまりですね。この草を食べた家畜に異臭が出始めたなら、牧草を変えてしまった原因を突き止めなきゃだと思うんですよ」
「いや、その理屈はわかるよ。だが、それは託宣で助言を得たんだろ? なんで牧草なんかを調べるんだってことなんだが」
アインの疑問に、クロースは合点のいった顔をした。
牧草を持ったままポンと手を打つと、左右に巡らせた視線をアインへ戻した。
「ああ、なーるほど。確かに、託宣は聞きました。抽象的でしたけど、その通りにやれば原因は掴めるかもしれませんよね。でも解決するためには、出来ることはやっておく必要があると思うんです。これは、お婆ちゃんの口癖だったんですけどね」
照れ笑いのような表情を浮かべるクロースに、アインは微笑を浮かべた。
「そういうことかい。それにしても、いい婆さんじゃないか」
「はい! そういうわけで、あたしの調べ物にお付き合い下さい」
ニカッと歯を見せながら笑顔になったクロースに、アインは頷いた。
それじゃあ調査再開――とクロースが気合いを入れたとき、小さな籠を抱えた牧場主がやってきた。
「クロースさんに、アインさん。少し休憩をしたらどうかね。今、行商人が村に来ていてね。いいタマネギが手に入ったんだよ」
「ホントですか? じゃあ、早速戴きます!」
満面の笑みでクロースが籠を覗き込むと、鉄製のフォークが二つと、茹で上がったタマネギが二つあった。ヘタとヒゲが切り落とされ、水分を吸ったせいで鱗茎が浮いている部分がある。
それでもほのかに湯気の立つタマネギの玉に、クロースは懐かしさを覚えていた。
「これ、うちでも仕事中の休憩で食べてましたよ」
クロースは、手にしたフォークをタマネギに突き刺した。
じっくりと煮込まれているらしく、フォークは大した抵抗もなく突き刺さったが、途中で一度だけ、なにか固い物を突き破った感触があった。
微かに聞こえた枯れ葉を踏むような音に、クロースや牧場主は「ん?」と、顔を見合わせた。
「なんだろうな……さっきの」
クロースはフォークから手を放すと、籠を支えながら腰の短剣を抜いた。
そしてフォークが刺さったままのタマネギを、ヘタを斬り落とした部分から半分に切り分けた。
コロン、と二つに割れたタマネギの断面を見て、クローズは目を見張った。
乳白色であるはずの断面に、鱗茎の境目に沿うように黒い筋が入っていた。指で触れてみると、薄氷のような硬さがあった。
しかし髪の毛よりも薄いこともあって、指先で削れる程度には脆い。
「なに……これ」
黒い欠片は、石のようでもあったが、こんなに薄い石というのを、クロースは見たことがない。
なにが、という確証はない。だけど、この地――故郷であるザイケン領で、なにかとんでもないことが起きているのは、紛れもない事実だ。
問題はすでに、家畜だけに留まらない。
(大変だ――)
タマネギや麦の主な産地は、ここから領主街を挟んだ、領地の反対側だ。異変の影響は、思っていたよりも広範囲に及んでいるようだ。
これはもう、自分一人で調査できる状況じゃない。
しかし《白翼騎士団》の仲間がもちろん、ランドたちもここにはいない。アインは腕っ節は立つようだが、家畜や農作物については素人だ。
クローズ自身も農作物に関しては素人同然だが、実家の裏で菜園をやっていた祖母のおかげで、僅かだが知識はある。
(で、出来るところまでやるしかない……よね)
クロースは牧場主に、購入したタマネギや野菜を調べるよう指示を出した。そして自分はアインを促しながら、牛舎へと駆け出した。
*
ホウル山から歩いて二時間のところに、ホーウという小さな村があった。
騎士と兵士に護られながら村に到着した職人頭は、仲間の職人たちへ馬車に積んだ資材を降ろすよう指示を出した。
ここからは馬車で通れる道が減るため、馬で資材を牽きながら山を登るしかない。
「頭殿」
荷馬に縄を固定していた職人頭は、自分を呼ぶ大柄な騎士を振り返った。
作業の手を止めて腰を折った職人頭に、騎士は尊大に告げた。
「先ほどの件だが、勝手に同行者を増やそうとするのは、止めて頂こう」
「申し訳ございません。ランドたちは腕が立ちますから、きっと我々の役に立つと思ったもので……」
「言い訳など要らぬ。我々は御領主の命で、ザイケンの地の命運をかけた仕事をしに来ているのだ。不用意に、他者に知られるような真似は慎め」
「……かしこまりました」
職人頭が畏怖を込めて腰を折ったとき、横から呑気そうな声がした。
「あんれまあ……騎士クイラロス様。お戻りになられましたかぁ」
声の主は、痩せこけた中年の男だ。チェニックに長ズボンだが、元の色がわからないほどに泥や砂で汚れている。
顔や露出している手も汚れが酷く、ほぼ真っ黒になっていた。
その隣にいる中肉中背の男も、同様の姿だ。手には木製のスコップやロープが握られている。
クイラロスは汚れきった二人を振り返ると、目礼をした。
「鉱夫――殿。貴殿らは、今まで何処に?」
「土砂が崩れた場所を掘っておりましたよぉ。そこの職人さんたちが作ってくれた、支保って言うんか。あれのお陰で、安全に土砂が掘れますからねぇ」
痩せこけた男が感心したように喋る横で、もう一人の男は頷くだけだ。
そんな二人に、クイラロスは面白くなさそうな顔で、村へと戻るよう左手で促した。
「これからまた、工事に入る。二人は村に戻れ」
「ああ、そうですかい。それじゃあ、まあ……あっしらはこれで」
あっさりと命令に従った鉱夫たちは、ホーウにある小屋へと歩き始めた。
クイラロスは鉱夫から職人頭に目を戻すと、作業を開始するよう指示を出す。それから兵士たちに周辺の警備を任せると、宿代わりにしている村長の家へと入っていった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
やっと三章突入です。
最後のほうで出てきた支保ですが、あれは鉱山なんかで、坑道の横壁や天井を抑える、枠とかのことです。
そろそろ引きを回収しないと――と考えつつ、引きを増した今回ですが。
投げっぱなしって素敵やん――とも言ってられませんので、なんとか回収していこうと思います。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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