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第六部『地の底から蠢くは貴き淀み』
二章-2
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ランドとアイン、それに商人というラニーは十数分ほどで、牛舎のすぐ外に牛糞を運び終えた。
そして今、クロースが山と積まれた牛糞を少しずつ選り分けていた。
牛革の長手袋に、厚手の布巾で口と鼻までを覆っていたクロースは、牛糞の中から消化しきれなかった草や、一緒に食べてしまった小石などを選別していた。
消化しきれていないといっても、ほぼ原型は留めていない。牧草一緒に飲み込んだらしい、砂程度の小石などは、そのまま出てきている。
飼い葉などは消化しきっているのだろうが、消化不良で出てきたとしても牧草とは見分けがつかない。
ただ、この牧場ではトウモロコシも与えているのか、未消化の子実も見つかっていた。
消化できていない草の名残を手に、クロースは眉を顰めた。
(変なものは、食べてなさそうなんだけどなぁ。牛や山羊たちの声を聞いてると、牧草が美味しくないって言ってるんだけど……牧草も見る限りじゃ、変なところはないし)
顔を上げたクロースは、目の端に金髪の青年を見た。
臭いが来ないよう、風上にある柵に凭れながら、ラニーは好奇の目でクロースの作業を眺めていた。
ランドとアインは、水場で手足を洗っている。たった十数分の作業だったが、それでもかなりの臭いがこびり付いたようだ。
それに対して、ラニーは身体を洗いもせずに、平然としている。どうしてだろう――と考えたユーキは、牛糞を集めているあいだ、ラニーは牛の世話をする女性たちと喋ってばかりだったことを思い出した。
協力したい、なんでもやるから――そう言っていたわりには、ほとんど作業をしていない。
クロースはラニーへと、睨むような目を向けた。
「……さっきから、なんですか?」
「ああ、失礼。少し興味があって」
「……興味って、なんですか」
軽薄な物言いに、クロースは口調がきつくなっていた。
そんな表情の変化も含めて興味がそそられたのか、ラニーの口元に笑みが浮かんだ。
「いや、貴女は騎士なのでしょう? それなのに、牛の糞なんかを調べている。地位と言動が、噛み合ってないように思ったんですよ。なんで騎士様が家畜のとなんかに、真剣になってるんですか?」
「な――」
ラニーの問いかけを聞いて、クロースが愕然とした表情になっていた。
わなわなと口を振るわせた様子にラニーが目を瞬かせた直後、クロースの感情が爆発した。
「な――なんかって、なんですか!」
「え? あの、なんで怒ってるんですか? だって、今の家畜たちが売り物にならないから、さっさと野に放すなり捨てるなりして、ほかの土地から新たに、家畜を仕入れさせればいいだけのことでしょう? そんなこと、子どもでもわかる理屈だ」
その弁明に、クロースの顔が怒りで真っ赤になっていく。
握り拳が怒りで震えるのを見て笑みが消えたラニーに、クロースは目に涙を浮かべながら怒鳴り声をあげた。
「――家畜を、命をなんだと思ってるんですかっ!!」
周囲に生えている草花が揺れるほどの一喝に、ラニーは身を竦ませながらも精一杯の抵抗をしようと、小さく手を挙げた。
「ま、待って下さい。命って言いますけど、いずれは肉になるんです。それなら、手放したあとのことなんて、どうだっていいじゃないですか」
「どうでもよくありません!!」
クロースは立ち上がってから、ラニーを真正面から睨んだ。
「家畜は――産まれたときから人の手で育てられたんです。野に放ったら、長く生きてはいけません。馬ならともかく、牛や山羊では狼や野犬から逃げることもできない、冬だって越せない。そういう、野生の世界では最弱の存在なんです。だから人は、家畜の命が尽きるまで、できる限りの愛情を注ぎながら飼育してるし、しなければならないんです」
そう話す途中から、クロースの声が震え始めていた。
「命を物みたいに捨てろ、殺せだなんて。人の心が無いんですか、あなたは……」
最後のほうは、嗚咽混じりだった。
クロースの目から、涙が滴となって地面に落ちる。涙を拭いもせず、俯きながら嗚咽を漏らすのを、ラニーは呆然と見つめていた。
言い訳か、謝罪か――ラニーが口を開きかけたとき。クロースは右の人差し指を牧場の外へと向けた。
「……あ、あなたなんかの手伝いなんか、いりません。出てって下さい」
「あ、いや……その、ちょっと待って――」
「今すぐ、出てけっ!!」
今までで一番の怒鳴り声をあげたクロースは、力尽きたように地面にしゃがみ込んだ。
表情の失せたラニーは呆けたように、嗚咽を漏らすクロースを眺めていた。なにかを言うでもなく、柵に凭れかかっていたラニーが身動ぎをしたとき、騒ぎを聞きつけたランドや瑠胡、セラが駆けつけてきた。
クロースの怒声を聞いて俺と瑠胡、それにセラの三人は、牛舎の西側へと向かった。
西側の壁に集めた牛糞の側で、クロースがしゃがみ込んでいた。微かに嗚咽が聞こえるから――泣いてる、のか。
そこからすぐ側にある柵の側に、ラニーがいた。地べたに座り込み、柵に凭れかかった姿勢で、クロースを見つめていた。
「瑠胡にセラ、クロースをお願いします」
俺は二人にクロースを任せると、ラニーに近寄った。
「おい、なにがあった?」
「え?」
ラニーはどこか呆けていたようだが、俺の顔を見るとハッとした顔をした。前髪で隠れた視線を左右に彷徨わせ、クロースを一瞥してから、改めて俺を見た。
「あ、いや、その……ちょっと、接し方を間違えてしまったようで。女性の騎士様というのは、今まで会ったことがないので、つい興味本位で余計なことを言ってしまったと……」
「……ちょっとこい」
俺は腕を引っ張りながら、ラニーを牛舎の反対側へと連れて行った。
そこで腕を放すと、俺は改めて質問を投げかけた。
「クロースに、なにを言った?」
「大したことを言ったつもりはなかったんだ。なんで騎士が、真剣に家畜の調査なんてしてるのかって聞いただけで。売り物にならなければ、野に放って……その、新しいのを躱せればいいって」
「……マジか」
俺は思わず、天を仰いだ。
先の発言は、考えられる中でも最悪の部類だ。これ以上に最悪なものは、俺には思いつかない。
俺は顔を戻すと、ラニーを軽く睨んだ。
「……クロースは《スキル》で、動物たちの声を聞くことができる。そのせいか、家畜の世話とかしてるときは、ものすごく楽しそうなんだよ。友だちみたいな関係って、そう思うんだろうな。それに両親はこのザイケン領で畜産――だったかな? 家畜の売り買いをしてるんだよ。家族のためにも、なんとかしたいって、そう思ってるんだろ」
「え――そんなの、知るわけがない」
「……ああ、だろうな。なら言うが、真剣に家畜を調べてるクロースのことを知らないのに、おまえの常識だけで身勝手なことが言えるんだよ。そんなの、ただ喧嘩を売ってるだけじゃないか」
俺の意見は少し飛躍し過ぎてる――かもしれない。だが、俺もラニーの発言に、少なからず怒りを覚えていたからな。これくらいは、仕方が無いと思っておこう。
ラニーはここにきて、ようやくことの重大さに気付いたらしい。その表情に、後悔の念が深く浮き出ていた。
「そうか。騎士様には、申し訳ないことをしてしまった。今すぐ、彼女に謝って――」
「どうした?」
言葉を詰まらせたラニーに問うと、答えの代わりに沈痛な溜息が返ってきた。
「さきほど、わたしの協力なんかいらないから、帰れって言われてしまった。ランド――さん、わたしは、どうすればいいのだろう?」
まるで懇願するような顔のラニーに、俺は二回目の溜息を吐いた。
ラニーに救いの手を差し伸べるのは気が進まないが、このまま放っておくのも目覚めが悪い。俺は顎で付いてくるよう促した。
「これから、山羊にメイオール村から持って来た飼い葉を食べさせる。牧場の人と相談しなきゃならんが、餌で症状が変わるか試すってことらしい。もし――クロースに申し訳ない気持ちがあるなら、山羊の餌やりはおまえがやれ。少しくらいなら、俺も教えてやれるしな」
「……わかりました。でも、あなたも畜産を?」
「いや。前の家で、山羊を一頭だけ飼ってたことがある。今は、アインたちに譲渡したから、俺の家畜じゃなくなったけどな」
俺は歩きながら、そう説明をした。
今頃はアインが、樽に入った飼い葉を山羊舎へと運んでいるところだろう。一人でやらせたから、文句の一つも言われるかもしれない。
とりあえずその相手は、ラニーにさせることにしよう。そのあいだ、俺は牧場主と飼い葉について相談をしよう――そんな手を考えながら、俺はラニーを連れて、山羊舎へと向かった。
山羊舎に到着した早々、アインが文句を言ってきた。
もちろん俺――も逃げることはできず、しばらくはラニーと一緒に、アインの小言に付き合うこととなった。
……完全に逃げ損ねたな、これ。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
牛糞の調査ですが、今では専用の機械が存在します。今の牛舎では、小石はない気がします……本作中では、草に付いていた砂程度の小さな小石が、消化できずに出てきたイメージです。
本来は化学薬品なんかを使ったりするみたいですが……本作の世界観では無理なので、目視程度しかできてない状況です。
あと実際の中世で、家畜に愛情があったかは……ちょっと調べきれてません(汗
この辺りは、この時代の日本っぽい感じになってます。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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