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第六部『地の底から蠢くは貴き淀み』
一章-7
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謁見を終えた俺たちは、すぐさま領主街クロイスを出た。
領主であるフレシス令室男爵の許可が出た以上、長居は無用ということだ。領主街から一番近い牧場は、キャリンという村にあるらしい。
クロースと相談した結果、俺たちは先ずキャリン村へ向かうことにした。
クロイスからキャリンまで、馬車で五時間ほど。俺たちがキャリン村に到着したころには、もう日が暮れかけていた。
大きな牧場を二つも抱えているだけあって、村の規模は小さくはない。領主街から近いこともあって、旅人も頻繁に訪れているのだろう。ザイケン領で最初に泊まった宿より、旅籠屋の規模は大きかった。
旅籠屋で部屋を確保したあと、クロースが俺たちを集めた。
「部屋も確保しましたし、今から牧場に行きませんか?」
「そうは言うが、もう夜になるぞ?」
「でも家畜が寝る前に、確認したいことがあるんです!」
クロースには珍しく、やる気をみなぎらせている――というか、ことを急いているような気がする。
セラに反論するクロースを見るに、俺たちの反応に焦れているようだ。
砦から出るころから、少し塞ぎ込んでいた気はするが……もう少し落ちついて行動をしないと、大事なものを見落とす可能性だって出てくる。
「クロース、落ちつけって。こんな時間に訊ねたら、相手だって迷惑に思うかもしれないだろ? まずは酒場にいる村人たちに、こっちの目的を説明してからのほうがいい」
「でも……」
「妾もランドの意見が正しいと思うがのう。クロース、ここは御主の故郷やもしれぬが、皆が御主のことを知っておるわけではない。まずは、我らが村民に危害を与えぬ存在だと、知って貰わねばな」
俺と瑠胡の意見を聞いて、クロースは口を閉ざした。
自分の意見が理解されず、それが悔しい――という表情ではあるが、同時に俺たちの意見にも正当性があることを理解しているようだ。
その葛藤は数秒ほどで、収まった。
「……わかりました。まずは酒場で、村人たちと話をしようと思います」
「そうだな。あの領主と話をするよりは、得意だろ?」
俺は場を和ませようと軽口を叩いてみたが、クロースの顔は晴れなかった。
……しまった。
こういうのは失敗すると、場の雰囲気が一気に冷えてしまう。皆の視線が集まる中、俺は背を縮こまらせながら、「ごめん」と小声で謝った。
まずは左にいたセラが、小さく溜息を吐いてから、俺の背中に手を添えた。
「まあ、ランドの努力は買います」
「……ちと、惜しかったのう」
「ホント……自省してます」
そんなやり取りのあと、俺たちは旅籠屋の酒場へと入った。こうした村では、旅籠屋の酒場が憩いの場になっていることが多い。
現に今も、十名ほどの村人たちがちびちびと酒を飲んでいた。
俺たちは六人掛けのテーブルに腰を落ち着けると、まずは夕食を注文した。
「なにを焦っているんだ、クロース?。おまえらしくもない」
窘めるにしては、優しい口調だ。真正面に座ったセラから僅かに目を逸らしながら、クロースはテーブルの上で指を弄んだ。
「そんな風に、見えますか?」
「ああ。なにか、思うところがあったのか?」
セラの質問に、クロースは視線を上げないまま答え始めた。
「あの……昼間の領主さんの言ったことが、どうしても許せなくて。家畜の世話をするのって、とても大変なんです。朝早くから働いて、家畜の出産が迫ると、それこそ夜を徹して世話をしています。周囲の自然にそっぽを向かれたら、それだけで間引きの決断だってしなきゃならなくなる――そういう厳しさがあるんです。それを、みんな村人のせいにして、自分たちは無関係を決め込むなんて……」
言葉の途中で口を噤んでしまうと、セラはテーブルを廻ってクロースの肩を抱いた。
実家が畜産を営んでいるクロースにとって、フレシス令室男爵の発言は、激しい怒りを抱かせたはずだ。
あの場で爆発させず、怒りを堪えただけでも大したものだが――その代わり、クロースは怒りを発端とした衝動に突き動かされるまま、家畜の調査を急ごうとしたようだ。
運ばれてきた食事――相変わらず、肉やチーズなどはない――を平らげたあと、クロースは立ち上がった。
「あたし、村の人たちと話をしてきます。ここの状況も聞きたいですし、目的も伝えて、明日からでも調査させて貰えるよう、お願いしてみます」
「それなら、俺も行くよ。元々は、俺たちが受けた依頼だし……タキって人がどこの村にいるか、知ってる人がいるかもしれないしな」
遅れて俺も立ち上がると、クロースは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
ゆっくりと歩き始めた俺の前で、小走りに駆けていったクロースは、もう三人組の村人たちに話しかけていた。
「すいません! あたしはハイント領《白翼騎士団》に所属している、クロースといいます。家畜のことで、お訊きしたいことがあるんですけど……少し、お時間を頂いても良いでしょうか?」
クロースの村人たちは一様にぽかんと口を開けたまま、なんの反応も示さなかった。
騎士を自称しつつ、聞きたい内容が家畜という娘ッ子――このちぐはぐな存在に、どう対応して良いか判断できず、完全に固まっていた。
そんな状況に苦笑しながら、俺はクロースの横に並んだ。
「えっと、こちらが騎士というのは本当です。ザイケン領の御領主様の許可は頂いておりますので、警戒とかしなくても大丈夫ですよ」
「……あんたは?」
「ハイント領のメイオール村に住んでいる、ランドといいます。ザイケン領に住んでいるタキという女性から、家畜の異臭をなんとかして欲しいって依頼されたんです」
「タキ……?」
三人の村人たちは互いに顔を見合わせると、首を捻った。
のっぽの村人が、最初に怪訝そうな顔を俺に向けた。
「タキって人は、知らねぇなぁ。どこの村の人なんだね?」
「それが、俺もよく知らないんですよ。うちの村を訪ねて来て、住んでいる村も告げずに帰ってしまったんです」
お手上げという手振りをすると、村人たちは困惑の色を濃くしてしまった。
「近隣で畜産や酪農をしてる者なら、大抵は知っているつもりなんだが……タキという名は聞いたことがねぇなぁ」
「そうだなぁ。家畜を買い付けに来る商人から、そういった名は聞いたことがねぇ」
「ここから遠い村なのかなぁ?」
三人ともタキという女性とは面識とどこか、名さえ知らないときた。メイオール村の神殿を出てから、まるで煙のように消えてしまったこともあって、俺の中でタキという女性に対する不可解さが強まっていった。
領主街に着く前に泊まった二ヶ所の村でも、知らないって言われたしな……。どこの誰なんだ、ホントに。
それはともかく、タキという女性の名では、逆に不審感を募らせてしまう。頭に浮かんだ手段はあるが、了承を得ている状況じゃない。
少し罪悪感を覚えながら、俺はクロースへと指先を向けた。
「このクロースは、ザイケンの出身なんですよ。家は畜産をしているので、家畜にも詳しいですし。悪いようにはしないと思いますよ」
「へえ……クロース、ねぇ。クロース……」
「あ、思い出したよ! 確かフローグ村の娘が、どこかの騎士に仕えるとか、任命されたとか……そんな噂を聞いたな。その娘の名が、たしかクロースだったはずだ。仰々しい作り話か、噂が大きくなっただけって思っていたが、本当だったのかい?」
「は――はい! それが、あたしです! フローグ村に住んでいるノートスの娘です」
クロースが父親の名を告げると、三人の村人たちの顔が明るくなった。どうやら、疑心が晴れたらしい。
「なんだ、そうだったのかい。それなら、もっと早く言ってくれたら良かったのに」
「正直、俺たちじゃ家畜の症状はお手上げでなぁ。もしクロースさ――ええっと、騎士様が原因を突き止めてくれるってのなら、大助かりさ」
微妙な敬語が混ざりつつ、それでも村人たちの態度は一変した。協力的な言動に、クロースは嬉しげに、それでいて複雑そうな顔で応じていた。
ただ、小声で「ランド君、相談もなしに酷いよ?」という苦情を言ってきたんだけど――この件は元のテーブルに戻ったら、ちゃんと謝るとしよう。
「家畜を調べたいなら、今からでも構わないが……明日からのほうがいいかね?」
「本当ですか? 是非、お願いします!!」
両手を握りながら、クロースが満面の笑みを見せた。そして俺、そして瑠胡たちを振り返ってから、家畜を調べても良いと言った、垂れ目で茶色い口髭を生やした村人へと向き直る。
「早速、お願いします。少し荷物を取りに行きますから、ここで待っていて下さい」
村人たちが了承すると、クロースは俺と一緒に瑠胡たちのいるテーブルへと戻った。
しかし椅子には座らず、俺たちを見回してから自分の胸元に手を添えた。
「あたし、牧場に行ってきます。ええっと……アインさん、お手伝いをお願いします」
「俺はいいのか?」
元々は、俺たちが請け負った仕事だ。それなのに、クロースだけにやらせておくのは、申し訳ない気がする。
そう告げた俺に、クロースは苦笑しながら首を振った。
「いやあ、ランド君はいいよ。もう夜だし、ちょっと汚れると思うから……瑠胡姫様やセラさんに申し訳ないからね」
「おいおい、嬢ちゃん。俺はいいのかよ」
渋面になったアインに、クロースはしれっと告げた。
「ほら、独り身同士ですからね。臭い仕事は、率先してやりましょうよ」
「おいおい。俺は護衛で雇われたはずなんだがなぁ……」
嘆息しながらも、アインは諦めたように立ち上がった。
なんか、その……申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。あとで、酒の一杯でも奢ることにしようか。先ほどの件で、クロースに謝る余裕もなかったし。
ただ、クロースの機嫌が回復したのは、ありがたかった。村人たちとの交流と、やることができて領主への怒りも幾分、和らいだのかもしれない。
そんなことを考えながら、クロースとアインを見送ったとき、酒場の隅にいる男が視界に入った。
金髪で質の良い衣服に身を包んだ男だ。前髪がやや長く、俯き加減だと目が見えない。
確かザイケン領に入ってすぐのころに、旅籠屋で話しかけてきた男だ。
「ランド君、姫様にセラさん、行ってくるね!」
荷物を持って戻って来たクロースに、俺は小さく手を挙げた。
視線を先ほどの男に戻したが、そのときにはすでに、酒場の隅には誰もいなかった。
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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
月曜日から土曜までの作り置き(晩ご飯分)が、予想より早く終われましたので、いつもより早いアップとなりました。これから昼飯のついでに携帯ショップへ行ってきます。
前回書き忘れたのですが……物見の塔について、色々と書きましたが。
塔の高さが権威になるのか――と疑問に思うかもしれません。
昔のイタリアでは、領主だか首長だか忘れましたが……その街の長が造った塔よりも、高い塔を造ってはいけないという法律があったようです。
現実は小説よりも奇なりとは言いますけど……煙となんとかではないですが、こんなことで競い合う時代があったんですね。
ちなみに、この法律に対抗すべく、高さではなく塔の本数で対抗した貴族もいたそうで。色々と思うところはありますが、本人が満足してたならいっか……という感想です。
そしてこれはまったくの余談ですが、鳴門大橋にはガラスの床がありまして。そこから見える鳴門海峡はスリル満点で楽しいです。
あと、浜松にあるアクトタワーやスカイツリーの展望デッキからの街並みは絶景です。こういう観光地は楽しいですね。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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