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第五部『臆病な騎士の小さな友情』
三章-7
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どこか遠くから、梟らしい鳴き声が聞こえてくる。
屋根で月明かりや星の煌めきが届かないせいか、松明やランプを消したエルフの小屋は闇に支配されていた。
皆が寝静まった小屋の中は、静寂に包まれて――は、いなかった。
歯軋り混じりのイビキは、どうやらザルードのものらしい。イビキのせいで悪夢でも見ているのか、フレッドは「すいませんすいません、もう覗きませんから――」という寝言を繰り返していた。
そんな中、女子たちは静かに寝息を立てている。
(……よく寝ていられるわね)
二時間ほど寝たふりをしていたエリザベートは、物音を立てないように寝床から起きあがった。眠気はあるが、一晩くらいの徹夜なら慣れていた。
ずっと同じ姿勢で荷物や松明を抱えていたから、下になっていた右腕が痺れている。そのことに顔を顰めながらも、エリザベートの行動は素早かった。
自分の位置から記憶だけを頼りに、リリンやユーキを踏まないよう、部屋を仕切る布に沿って歩くと、重なって垂れ下がっている布を突っ切ろうとした。
布が擦れる音は微かだったはずなのに、背後で誰かが起きる気配がした。
「あれ……エリザベート、さん?」
寝ぼけたようなユーキの声に、エリザベートは心臓が飛び出そうなほど驚いた。
まさか、こんな微かな物音でユーキが起きるなどと、エリザベートは思いもよらなかった。まるで、英雄譚に出てくる凄腕の剣士の如き感覚だ。
エリザベートが振り返ると、ユーキは暗がりの中で顔だけを向けていた。
「そんなところで、どうしたんです……か?」
「どうって……ちょっと用足しよ」
「ああ……」
エリザベートの返答を疑いもせず、ユーキは毛布に頭を預けた。
「それでは、また朝に……」
再び寝息を立てるユーキに、エリザベートは冷や汗を拭いながら、そっと布の外に出た。
用足しというのは、嘘だった。エリザベートはたった一人で、タムランたちを捕らえるつもりだった。
(一人で、あの二人を捕らえれば――わたしが優秀だと、みんな認めざるを得ないわ)
エリザベートは、決意に満ちた顔をしていた。それはリリンへの対抗意識でもなければ、囮役を指示されたことへのやっかみでもない。
その目は、ここにはいない誰かに向けられていた。
小屋から出ると、すぐ前に馬車が停まっていた。その横を通りかかったときに耳を澄ませたが、馬車の中からは寝息しか聞こえてこない。
自分の行動が誰にも悟られてないことに安堵しながら、エリザベートはエルフの結界を出た。
途端、雰囲気が一変した。湿気の含んだ空気に、周囲からは虫の鳴く声が聞こえ始めてきた。枝葉の隙間から月明かりが差し込んでいるが、それで周囲の景色が見えるようになった分、暗い森の中という不安が蘇ってくる。
(大丈夫――怯えちゃ駄目。あたしなら、きっと出来るはず、だから……)
松明を灯すのは、もっと小屋から離れてからだ。それから街道に戻って、ゴーレムの足跡を追うつもりだ。
どこかひんやりとした夜風に、血の気が引きかけたエリザベートは、自分に活を入れてから、森の中を歩き始めた。
*
ユーキがハッと目を覚ましたのは、エリザベートが起きてから十数分後のことだった。
暗がりの中、手探りでエリザベートの寝床に触れた。本人がいないことを確かめると、ユーキは慌てて外へと出た。
便所に使う木の裏を覗いたが、エリザベートの姿はない。
(ど……どうしよう)
さっき起きたときに、ちゃんとエリザベートに確認をするべきだった。そう後悔するが早いか、ユーキは慌てて小屋に戻った。
みんなを起こして――と思ったところで、ユーキは思いとどまった。
明日には、タムランたちを捕らえるための作戦がある。全員でエリザベートを探しに出たために、その作戦が失敗したら……そう考えると、皆を起こすことができなかった。
地面に書き置きを残してから、ユーキは鎧と長剣を身につけると、寝ている馬を起こした。
「ごめんね。手伝ってほしいの」
馬面を撫でながら、繋いであった木の幹から馬を解き放ったユーキは、手綱を引きながらエルフの結界から出た。
小屋からある程度離れてから、ユーキは馬に跨がった。
だく足で馬を進ませながら、ユーキはエリザベートのことを考えていた。
(エリザベートさんは、囮役を嫌がってたから……もしかして、二人組を捕らえに行ったのかな。もし、そうなら――)
ユーキは昼間のことを思い出していた。ゴーレムや二人組を探すために、ユーキたちは商人たちから聞いた大きな足跡を追跡したのだ。
(きっと、街道に戻って足跡を辿るつもりなんじゃ……)
ユーキは馬を急がせて、早々に街道に出た。
早くエリザベートを見つけて、みんなの元へ戻るよう説得を――と、ここでユーキの思考は中断された。
脳裏に蘇るのは、エリザベートが激しく責め立ててくる姿だ。あの剣幕で捲し立てられたら、ユーキは太刀打ち出来ない。
(で、でも……連れ戻さなきゃ)
怯えの浮かんだ表情で街道を進んでいると、馬が首を左右に巡らし始めた。
「ど、どうしたの……?」
ユーキが周囲を見回したとき、辺りに獣脂の燃えた臭いが漂っていることに気付いた。
どうやらこの付近で、なにかを燃やした人物がいるらしい。強風ではないが、穏やかな夜風が流れているから、松明の残り香が長いこと漂っているとは考えられなかった。
(まだ、近くにいる……かも)
ユーキが周囲を見回していたとき、乗っていた馬の耳が、ピクリと右側にある森のほうへと動いた。
(ここから、森に入ったのかな?)
ユーキは松明の臭いを辿るように、馬を森へと近づけた。
森の奥へと目を向け、松明の灯りが見えないか目を凝らしていると、不意に馬が近くにある木の根元へと首を近づけた。
ブルル――という、鼻を鳴らすような嘶きの直後、「ひっ」という少女の小さな悲鳴が聞こえてきた。
馬上から声のした場所を覗き込んだユーキは、木の根元にしゃがみ込んでいるエリザベートを見つけた。すぐ近くの地面に、松明が突き刺さっていた。どうやらユーキの接近に気付いて、地面に先端を埋めて火を消したようだ。
馬の顔が近づいたことで驚いたのか、仰け反るようにして、尻餅をつきかけていた。
「エリザベート……さん」
「あ、あなたは……なにしに来たのよ?」
吐き捨てるように言いながら、エリザベートは僅かに目を逸らした。
「いいわ。言わなくてもわかってる。連れ戻しに来たのよね」
「……はい。エリザベートさんは一人で、タムランさんたちを捕まえようとしてる――んですよね?」
エリザベートはユーキを見ないまま、短く答えた。
「そうよ。囮だなんて……お父様たちに会わせる顔がないわ」
「今回は、たまたま囮役のほうが適任だったってだけで……魔術師ギルドで首席になるくらいの才能があれば、いつだって功績を挙げられるんじゃ――」
ユーキの言葉の途中で、エリザベートは目を剥いた。
「才能――才能ですって?」
立ち上がったエリザベートの顔には、怒りの色が浮かんでいた。
「わたしが、才能だけで、首席を取ったと言いたいの? それじゃあ教えてあげるわ。あたしは暗記は得意じゃないから、魔術の呪文を覚えるのも苦労してるの。〈飛行〉や〈泥土〉の魔術は、唱え終えるのに五分以上もかかるのよ? そんなの、幾つも覚えきれないわ。だから、魔術準備の技術を磨いた。実技試験の内容を予想して、前日から、すべての類題に対応できるだけの魔術準備をしたわ。
あたしの魔力は人並みしかないし、《スキル》の〈遠耳〉だって遠くの音が聞こえるだけ。しかも自分が喋っているあいだは、使えない――」
エリザベートは深呼吸を繰り返してから、ユーキから視線を背けた。
「わたしの持つ魔術の才能なんて、凡庸なものでしかないのよ」
その告白に息を呑んだユーキを一瞥してから、エリザベートは唇を振るわせた。
「わたしが首席を手にするために、どれだけの努力をしたと思って? 朝早くから起きて、魔術の修行をやってきたわ。みんなが寝静まった時間――それこそ、空が白ばむころまで魔術書を読み、講義の予習をしてきた。その積み重ねで、やっと首席になれたの。
過労で倒れかけたことだってある。徹夜中に魔術書を読んでて、吐いたこともあるわ。そのすべてを、才能って言葉で侮辱するの? 馬鹿にするのもいい加減にしてよっ!!」
エリザベートの怒鳴り声に、ユーキは視線が揺らいでいた。
「……なんで、そこまでするんですか?」
「宮廷魔術師に名を連ねるハーキン家の名誉のため――家族に認めて貰うためよ。それが、ハーキン家に生まれた、わたしの責務だからよ」
ユーキに答えたエリザベートは、表情を顰めながら俯いた。
「身勝手なのは承知の上よ。お願いだから、一人で行かせて」
「……駄目です。一人で戦うなんて、そんなの駄目です。あたしの後ろに、乗って下さい」
エリザベートの懇願に対し、ユーキは静かに首を振った。手を差し伸べながら、躊躇うエリザベートにもう一度、同じ言葉で促した。
一度は抗う姿勢を見せて口を開きかけたエリザベートだったが、ユーキが手を引く気配がないことで、自らの主張を曲げた。
ユーキの動きを封じるために魔術を使えば、それはそのまま、家の不名誉になることを理解していたからだ。それに、今はユーキが責任者――隊長格である。
隊長の命令に背いたと報告が上がれば、エリザベートの立場が無くなることも理解していた。
差し出された手を掴んでユーキの後ろに乗ると、馬は街道へと戻っていった。
馬が西へと向かい始めると、エリザベートは怪訝な顔をした。このまま西に行けばエルフの隠れ家ではなく、ゴーレムの足跡がある場所に辿り着く。
「ユーキ、どこへ行くつもりなの?」
「え? だって、タムランさんとかを探すんですよね」
「だから、なんでそっちに行くのって聞いてるの!?」
エリザベートの追求に、ユーキは前を向いたまま答え始めた。
「あたし……エリザベートさんみたいに、家の名誉とかを大事に考えられなくて」
エリザベートの予想に反して、静かな声でユーキは返答を続けた。
「あたしは、剣の修行が怖くなってから、男の人ばかりの騎士団とかイヤだったし、名誉とかそういうのが大事に思えなくなってて。訓練所を卒業するとき、レティシア団長に声をかけてもらって、嬉しかったんです。女性だけの騎士団なら、やっていけそうかなって思って。色々ありましたけど、騎士団のみんなやランドさんや瑠胡姫様にも助けて貰って。
あたし、そんな《白翼騎士団》がいいなって。そんなことしか考えてなくて。だから――その、なにが言いたいかっていうとですね。
そんな自分が、エリザベートさんの邪魔をしちゃいけないって……そう思って」
「だから、一緒に行くってわけ?」
「はい。向こうの兵士は、あたしが抑えます。あとはエリザベートさんが、タムランさんを捕まえれば……って」
逆に問われて、エリザベートは迷いを見せた。ユーキがここまで考えていたことが、意外だったのだ。
少しだけ思案に耽ってから、エリザベートは答えた。
「むしろ逆よ。わたしが兵士を魔術で拘束するわ。そのあいだに、あなたがタムランを取り押さえて。タムランには魔術は効かないけど、剣技なら通用するから」
「なるほど、それなら巧くいけそうな気がします!」
パッと笑顔を見せるユーキだったが、エリザベートの次のひと言で半泣きになる。
「でもこれ、命令違反とかどういう処分になるのかしら?」
「それは――その。セラさんやランドさんたちに、二人で怒られましょう……か?」
エリザベートはそんなユーキを見て、口元を綻ばせた。
「あら。怒られるなら、一人で怒られなさい。わたしは、タムランたちを捕まえて、この件の手柄を独り占めするんだから。そうなったら、あんな人たちに文句なんか言わせないわ」
ふふん――と微笑むエリザベートに、ユーキも知らず顔を綻ばせていた。
エルフの隠れ家を飛び出したときにユーキが感じていた、エリザベートへの恐怖感は、随分と薄れていた。エリザベートも一人で道を進んでいたときより、顔に血の気が戻っていた。
戦い方の相談をしているにも関わらず、ユーキとエリザベートの顔は、その内容にそぐわないほどに明るかった。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、馬の進みもどことなく軽やだ。
月明かりの下、どこか朗らかな表情の彼女たちは、街道を西へ向かって――。
ドスン。
「え?」
「え――?」
ユーキとエリザベートが音のした右側を振り向くと、森の中から大きな影が出てきたところだった。
タムランが操るゴーレムの姿に、ユーキとエリザベートは驚きに目を大きく広げていた。対するゴーレムも、ユーキたちの姿に意表を突かれたのか、上半身をやや仰け反らしていた。
そのゴーレムが金属音を立てながら、姿勢を戻す。
「ひっ――!」
ユーキが手綱を操り、逃げるように馬を駆けさせた。
ドスンドスンドスンドッスン!
「な、なんで追ってくるんですかぁ!?」
「敵対してるんだから、追ってきても不思議じゃないでしょ!」
「でも、なんであんなところに――? っていうか、エリザベートさん!なんであたしのことは気付いて、ゴーレムの接近に気付かなかったんですか!?」
「さっきも言ったでしょ、〈遠耳〉は喋ってると使えないのよ!」
「そ、そんにゃあああああっ!」
ゴーレムはユーキたちが乗る騎馬を追って、大股開きで駆け出していた。馬もかなりの速度を出しているのに、一向に引き離すことができない。
ユーキは半泣きになりながら、叫んでいた。
「ぴきゃ――な、なんでこうなるのぉぉぉぉっ!?」
そんな絶叫を響かせながら、ユーキの駆る馬は街道を走り続けた。
-----------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
またも、本文だけで五千文字オーバー……ううむ。
余談ですが、今回は本来、ユーキとエリザベートが西に向かうところで終わる予定でした。
でも、最後の部分の作業中に、
「なんや綺麗に終わろうとしてはりますなぁ。ここでゴーレムと遭遇したほうが、オチっぽくなりますやろ?」
……と、中の人のゴーストが囁きましたので、こうなりました。
だから五千文字を超えるんやで(汗
元々この二人と遭遇する予定ではありましたが、本来は四章でやる予定でしたので……ちょっと修正する必要がでちゃいました。
こういうのを、自業自得といいます。
なら、止めればいいじゃないかという気もしますが、やっちゃったものは仕方ないんです。
考えたら負けです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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