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第五部『臆病な騎士の小さな友情』
二章-3
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3
ランドとザルードの諍いから、刻は少し遡る。
ランドたちが出発した翌日――メイオール村でランドたちが住まいとしている神殿で、セラは三階から二階への階段を降りていた。
この神殿の階段や廊下には窓が一つもない。それどころか燭台や松明の一本も灯っていないのに、内部はうっすらと明るかった。
壁や天井が朧気に光っているように見えたが、セラにはどんな石材を使っているか、見当が付かなかった。
不思議な光景だとは思うが、それ以上は考えても仕方が無い。天竜族が竜神に仕える一族ならば、人知の及ばぬ神秘を扱えても不思議ではない。
それは、セラの身体を包んでいる神糸の着物にしても同じことだ。
(少しでも長く、ランドの側にいられたら――と思っていただけなのにな)
とはいえ、嫌悪感や不満があるわけではない。立場的には二番手とはいえ、二人っきりでいるときのランドは、瑠胡と同等のことをしてくれる。
瑠胡の気持ちを知っていたからこそ諦めていた想いが、心から望んだ形ではないにせよ、叶っている状況だ。
セラはそれだけで、充分だった。
「――様、なにを仰有って――っ!!」
言い争いをする声が聞こえてきて、セラは思考に埋没していた意識から我に返った。あの声は、紀伊のものだ。
となれば、口論の相手はおのずと察しが付く。
瑠胡――天竜族の姫君。最初はその立場らしい威厳に満ちた姫だと思っていたが、付き合っているうちに人好きのする可愛らしさが目立ってきた。
ランドはそこに惚れたのか――と思ったものだが、その考えは間違っていた。お互いに外見や表面的な部分ではなく、その性根に関わる言動に惹かれ合ったのだ。
言い争いは、ランドの部屋から聞こえてくる。
(あそこで言い争い――?)
ランドの部屋で瑠胡と紀伊が言い争っている状況は、気にならないといえば嘘になる。
セラはランドの部屋に向かうと、半分ほど開いたドアから、部屋の中を覗き込んだ。ランドの部屋は、前に住んでいた小屋にあった部屋と、内装はほとんど変わっていない。
ベッドに本棚、机に棚――これらは、小屋からそのまま運び込んだものだ。
そのランドのベッドの上に、瑠胡が横たわっていた。紀伊はその横で、腰に両手を当てていた。
「瑠胡姫様、いい加減にして下さい。ランド様が不在のときに、シーツの洗濯を済ませたいだけなんですよ?」
「洗濯なんぞしたら、匂いが消えてしまうではないか」
瑠胡は不満げな顔で紀伊を見ると、枕を抱きしめた。
「神殿に住めば、ランドと毎日一緒にいられると思うたのに。またもや何日も離ればなれになっておる。こうして残り香で寂しさを紛らわせるくらい、させてくれてもよかろう」
「残り香と仰有いますが、それはただの体臭です! 姫ともあろう御方が、そんなものに癒やされないで下さいませ!!」
紀伊は半ば怒鳴りながら、瑠胡が寝転がっているシーツを引っ張り始めた。
セラはそんな様子をマジマジと見つめながら、溜息を吐いた。
(この状況は――わたしが、仲裁をしなくてはいけないのだろうか?)
セラは部屋の中に入ると、手前にいた紀伊に話しかけた。
「紀伊殿――この状況は一体?」
「セラ様……セラ様からも言って下さいませんか? 姫様が抱きかかえているシーツを洗わせて下さいと」
セラがベッドに目を移すと、瑠胡は膨れっ面の顔を上げた。
「セラ――か。セラとて、ここでの生活なら、ランドと過ごせると思っておったのであろう? それなのに数日も離ればなれとなれば、恋しくもなろう」
「それは……まあ。そう思うことはありますが」
セラが同意すると、瑠胡は身体を起こした。
「……と、いうわけだ。仕方なかろう?」
「なにが、仕方なかろう――ですか! 洗濯しますから、早くシーツを寄越して下さい」
紀伊に詰め寄られ、瑠胡は渋々といった表情でシーツを手放した。
(これで諍いは終わりか)
セラが安堵したとき、不意に瑠胡が手招きをした。
その意図が掴めないまま近寄ったセラに、立ち上がった瑠胡は上目遣いに問いかけた。
「……レティシアのところへは、急に出向いても大丈夫かのう?」
「ええ……急ぎの任務がない限りは、問題ないかと」
「左様か。ならば、今から参ろうか。すまぬが、紀伊も来ておくれ」
「え? あの、瑠胡姫様」
「姫様――どうなされたんです?」
歩き出して部屋から出て行く瑠胡を、セラと紀伊は追いかけた。
メイオール村を抜けて《白翼騎士団》の駐屯地に入った瑠胡たちを出迎えたのは、クロースだった。
「レティシアに用があって参った」
そう告げると、クロースは「少し待って下さい」と言い残して、駐屯地の建屋に入っていった。
やがて、クロースに連れられたレティシアは、門の前で待っている瑠胡たちを認めて、僅かに目を見広げた。
「これは瑠胡姫様に、セラも。なにかありましたか?」
「ふむ……レティシアよ。先日話をした情報源であるが、少々厄介でな。ランドでは話をするのに手こずるやもしれぬ。そこで、妾も情報源のところへ行こうと思う」
「待って下さい。それでは、もしものときが――」
不安を露わにするレティシアに、瑠胡は静かに手で続く言葉を制した。
「安心せよ。妾の代わりは、紀伊に任せるでな」
「……はい? そのような話、伺っておりませぬが」
寝耳に水――という顔の紀伊に、瑠胡は澄まし顔で答えた。
「当然であろう。先に話をすれば、即座に拒否されるだろうし」
「当たり前です! 姫様は、単にランド様に会いたいだけなのでしょう!?」
「そ――そんなことは、ない。話し合い……そう、話し合いを、円滑に進めることを考えたまでのこと」
そう答えながら扇子で口元を隠す瑠胡に、セラやレティシア、紀伊は一斉に疑いの目を向けた。
――嘘だ。
三人は遅滞なく、同じ事を考えた。
そんな視線から目を逸らす瑠胡を前にして、クロースだけが苦笑していた。この辺りの差は、立場の違いによるものだろう。
瑠胡は扇子を畳むと、レティシアへと背を向けた。
「話は以上だ。して、セラや。御主はどうする?」
「え? わたしですか――」
問われた瞬間、セラは言葉の真意を掴みかねた。それは村の護りを依頼されていたことと、騎士団に所属していたときの習慣によるものだ。
数秒かけて言葉の意味を理解したセラは、レティシアの顔を一瞥してから、ここに残ることを告げようとして、ぎこちなく口を開いた。
「い、いえ……わたしは、その。村の護りもありますし」
「……ふむ。無理強いはせぬがの」
瑠胡のあっさりとした返答に、セラはどこか拍子抜けしていた。ランドの元へ行きたくないと言えば、嘘になる。しかし、レティシアからの頼みを無視することもできなかった。
そんなセラの肩にレティシアが手を添えたのは、瑠胡の背を見送っていたときだ。振り返ったセラに、レティシアは力なく言った。
「セラ――気持ちは有り難いが、ランドのところに行きたいと顔に出ているぞ。わたしのことは気にせずに、行ってくると良い。宿泊するであろう宿については、おまえなら推測できるだろう」
「いえ、ですが――」
「いいから。紀伊殿がいれば、なんとかなるのだろう? こちらは心配するな」
レティシアに文字通り背中を押されたセラは、「ありがとうございます」と礼を述べてから、森へと向かう瑠胡を追った。
*
「本当に、ランドたちに追いつくのですか?」
言外に「一日遅れの出発なのに」と不安な気配を滲ませたセラの言葉に、瑠胡は頷いた。
「もちろんです。ランドたちは馬車で行ったのでしょう? だく足の馬車になら、夕刻までには追い越せます。あまり意識はないかもしれませんが、飛ぶというのはそれほどの速さなんですから」
首筋からドラゴンの翼を生やした瑠胡とセラは、出発してから一時間ほどでメイオール村のあるハイント領の境界を越えていた。
セラは上空から地表を眺めてから、瑠胡へと視線を戻した。
「ランドたちを追い越すのですか?」
「先も言ったでしょう? 先に情報を確認しておきたいのです」
「ああ……そういえば」
魔物の情報を持っているのは、老ドラゴンだ。
ランドよりも天竜族の姫である瑠胡のほうが、情報を聞き出しやすいというのは、セラにも理解できた。
納得したセラに手で方向を指示しながら、瑠胡は速度を上げた。
瑠胡とセラが老ドラゴンの住む、名も無き岩山に辿り着いたのは、瑠胡が予見したとおり夕暮れ時だった。
岩山の中腹に、高さ数マーロン(一マーロンは約一メートル二五センチ)もある洞穴が、ぽっかりと開いていた。
その中に入った瑠胡とセラは、緩やかに下りの続く洞穴を進んでく。やがて、瑠胡が魔術で作りだした光球を頼りに、徐々に湿り気の出てきた洞穴を下っていくと、突然に前方が明るくなった。
これまでの洞穴とは異なり、乾いた岩肌に囲まれた空間だった。光っているのは、瑠胡の光球の反射している、山のような金貨や宝石だ。
地面を埋め尽くす貴金属の上に、ドラゴンが蹲っていた。鎌首をもたげた赤銅色のドラゴンは、瑠胡とセラの姿に目を細めた。
〝――我を討伐に来たわけではなさそうだ。お主らは、誰ぞ〟
「お初にお目にかかる。妾は天竜族、竜神・安仁羅の娘、瑠胡。隣におるのは、セラ。この度、妾が同胞となった者」
〝ほお――これはこれは。我が名はギランドと申す。用向きは与二亜様に問われた、魔物の件だろうか?〟
老ギランドに頷くと、瑠胡は光球の光量を弱めた。
「突然の訪問、申し訳ない。早速ではあるが、魔物について教えて欲しい」
〝よかろう。あの魔物は、この近くにある――タイラン山におる。人の数倍はあるほどの巨大な魔物でな。まだ悪さはしておらぬようだが、この我の縄張りに侵入した以上、放っておくのも悩みどころでな〟
「それほどに大きな魔物とは――どのような魔獣でしょうか?」
〝魔獣の類いではない〟
セラの問いに答えると、老ギランドは蒸気のような息を吐いた。
〝あれは、人の形をしたおった。だが、巨人族ではない。現世におる巨人どもは、金属の鎧など身につけぬからな〟
「ふむ――その魔物は、鎧を身につけておるのか?」
〝その通りだ、天竜族の姫よ。そして妙なことに、その魔物の近くには人が二人ほどいるようだ。用心せよ――この魔物の討伐は、一筋縄ではいかぬかもしれぬぞ〟
老ギランドからもたらされた情報に、瑠胡とセラは緊張した面持ちで顔を見合わせた。
急いでランドのところへ向かおうと、礼もそこそこに洞穴を戻ろうとした二人の背後から、老ギランドはのんびりと声をかけた。
〝そう慌てるな。今日はもう夜が更けたころであろう。今晩は、ここで泊まっていくとよい。余り多くはないが、食事も用意させよう。おい――〟
……用意させよう?
セラが怪訝そうに振り向くと、広間の奥から腰の高さ程度の白い小人が、わらわらと出てきた。
小トロールと呼ばれる、妖精族である。ここでは従属種として老ドラゴンに仕えているようで、十数匹がかりでなにか液体で満たされた壺を持って来た。
「これは――」
壺の中身はドロドロとした茶色のスープで、微かな刺激臭が漂ってくる。僅かに浮かんでいるのは、芋や何かの卵のようだ。
差し出された料理に顔を引きつらせたセラの横で、瑠胡は慇懃に頭を下げた。
「これはかたじけない。それでは、ご厚意に甘えるとしよう」
「あの、姫様……これを食べる――と?」
「左様。まあ、毒ではあるまい」
小トロールから木製のスプーンを渡されたセラは、料理を前に硬直しながら、瑠胡についてきたことを後悔していた。
ちなみに。
小トロールたちの料理は、瑠胡とセラの予想を超える美味しさだった。
----------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
今回、見事に四千文字オーバー……書いている中の人も、どうしてこうなったという感じです。
今回分のプロットですが、「瑠胡とセラ、紀伊を生け贄にランドを追う」と「老ドラゴンから情報を聞く」の二行でした。
なんでこれで、四千も書いているんでしょう?
書いている最中、現場で貰った都コンブを食べていたんですが……もしかしたら、そのせいかもしれません。今回、昆布臭がしているかもしれませんが、そこは御了承をお願いします。
それは余談として。
本文中、瑠胡がランドを追い越せると言った根拠ですが。
今回、馬車の移動速度を時速10キロ以下としました。これは、だく足よりも少し遅めのイメージなんですが、客車を牽引している分、馬単体よりは移動速度が落ちるから――と考えたためです。
ちなみに飛行速度ですが、参考にしたカラスは時速五〇から六〇キロくらいということで。
馬車で一日八時間、それを二日でも一六〇キロは進めないだろうと。
対する飛行は、二時間ちょっとで一六〇キロはいける。それも蛇行した街道や河川なども無視して直進できるわけで。
かなりあっさりと追い越せちゃいます。
もう一つ。
瑠胡とセラが最後に食べたのは、カレーです。
なんでカレーかと言われれば、あまり意味はないんですが。本文を書いている最中、スマホのchromeを起動したら、記事一覧にカレーのレシピが出てきまして。
「あ、カレー美味しそう」
と思ったのが理由です。たまには、こういうのもいいかなと。
小トロールは、御伽噺や童話、北欧などの伝承にある小人の妖精んぽイメージです。
トトロでメイやサツキが言っていたのは、こっちのトロールですね。
最後に、お気に入りをして下さった方が、増えてきています。ありがとうございます。モチベの元です。
昆布臭も含め、楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
ランドとザルードの諍いから、刻は少し遡る。
ランドたちが出発した翌日――メイオール村でランドたちが住まいとしている神殿で、セラは三階から二階への階段を降りていた。
この神殿の階段や廊下には窓が一つもない。それどころか燭台や松明の一本も灯っていないのに、内部はうっすらと明るかった。
壁や天井が朧気に光っているように見えたが、セラにはどんな石材を使っているか、見当が付かなかった。
不思議な光景だとは思うが、それ以上は考えても仕方が無い。天竜族が竜神に仕える一族ならば、人知の及ばぬ神秘を扱えても不思議ではない。
それは、セラの身体を包んでいる神糸の着物にしても同じことだ。
(少しでも長く、ランドの側にいられたら――と思っていただけなのにな)
とはいえ、嫌悪感や不満があるわけではない。立場的には二番手とはいえ、二人っきりでいるときのランドは、瑠胡と同等のことをしてくれる。
瑠胡の気持ちを知っていたからこそ諦めていた想いが、心から望んだ形ではないにせよ、叶っている状況だ。
セラはそれだけで、充分だった。
「――様、なにを仰有って――っ!!」
言い争いをする声が聞こえてきて、セラは思考に埋没していた意識から我に返った。あの声は、紀伊のものだ。
となれば、口論の相手はおのずと察しが付く。
瑠胡――天竜族の姫君。最初はその立場らしい威厳に満ちた姫だと思っていたが、付き合っているうちに人好きのする可愛らしさが目立ってきた。
ランドはそこに惚れたのか――と思ったものだが、その考えは間違っていた。お互いに外見や表面的な部分ではなく、その性根に関わる言動に惹かれ合ったのだ。
言い争いは、ランドの部屋から聞こえてくる。
(あそこで言い争い――?)
ランドの部屋で瑠胡と紀伊が言い争っている状況は、気にならないといえば嘘になる。
セラはランドの部屋に向かうと、半分ほど開いたドアから、部屋の中を覗き込んだ。ランドの部屋は、前に住んでいた小屋にあった部屋と、内装はほとんど変わっていない。
ベッドに本棚、机に棚――これらは、小屋からそのまま運び込んだものだ。
そのランドのベッドの上に、瑠胡が横たわっていた。紀伊はその横で、腰に両手を当てていた。
「瑠胡姫様、いい加減にして下さい。ランド様が不在のときに、シーツの洗濯を済ませたいだけなんですよ?」
「洗濯なんぞしたら、匂いが消えてしまうではないか」
瑠胡は不満げな顔で紀伊を見ると、枕を抱きしめた。
「神殿に住めば、ランドと毎日一緒にいられると思うたのに。またもや何日も離ればなれになっておる。こうして残り香で寂しさを紛らわせるくらい、させてくれてもよかろう」
「残り香と仰有いますが、それはただの体臭です! 姫ともあろう御方が、そんなものに癒やされないで下さいませ!!」
紀伊は半ば怒鳴りながら、瑠胡が寝転がっているシーツを引っ張り始めた。
セラはそんな様子をマジマジと見つめながら、溜息を吐いた。
(この状況は――わたしが、仲裁をしなくてはいけないのだろうか?)
セラは部屋の中に入ると、手前にいた紀伊に話しかけた。
「紀伊殿――この状況は一体?」
「セラ様……セラ様からも言って下さいませんか? 姫様が抱きかかえているシーツを洗わせて下さいと」
セラがベッドに目を移すと、瑠胡は膨れっ面の顔を上げた。
「セラ――か。セラとて、ここでの生活なら、ランドと過ごせると思っておったのであろう? それなのに数日も離ればなれとなれば、恋しくもなろう」
「それは……まあ。そう思うことはありますが」
セラが同意すると、瑠胡は身体を起こした。
「……と、いうわけだ。仕方なかろう?」
「なにが、仕方なかろう――ですか! 洗濯しますから、早くシーツを寄越して下さい」
紀伊に詰め寄られ、瑠胡は渋々といった表情でシーツを手放した。
(これで諍いは終わりか)
セラが安堵したとき、不意に瑠胡が手招きをした。
その意図が掴めないまま近寄ったセラに、立ち上がった瑠胡は上目遣いに問いかけた。
「……レティシアのところへは、急に出向いても大丈夫かのう?」
「ええ……急ぎの任務がない限りは、問題ないかと」
「左様か。ならば、今から参ろうか。すまぬが、紀伊も来ておくれ」
「え? あの、瑠胡姫様」
「姫様――どうなされたんです?」
歩き出して部屋から出て行く瑠胡を、セラと紀伊は追いかけた。
メイオール村を抜けて《白翼騎士団》の駐屯地に入った瑠胡たちを出迎えたのは、クロースだった。
「レティシアに用があって参った」
そう告げると、クロースは「少し待って下さい」と言い残して、駐屯地の建屋に入っていった。
やがて、クロースに連れられたレティシアは、門の前で待っている瑠胡たちを認めて、僅かに目を見広げた。
「これは瑠胡姫様に、セラも。なにかありましたか?」
「ふむ……レティシアよ。先日話をした情報源であるが、少々厄介でな。ランドでは話をするのに手こずるやもしれぬ。そこで、妾も情報源のところへ行こうと思う」
「待って下さい。それでは、もしものときが――」
不安を露わにするレティシアに、瑠胡は静かに手で続く言葉を制した。
「安心せよ。妾の代わりは、紀伊に任せるでな」
「……はい? そのような話、伺っておりませぬが」
寝耳に水――という顔の紀伊に、瑠胡は澄まし顔で答えた。
「当然であろう。先に話をすれば、即座に拒否されるだろうし」
「当たり前です! 姫様は、単にランド様に会いたいだけなのでしょう!?」
「そ――そんなことは、ない。話し合い……そう、話し合いを、円滑に進めることを考えたまでのこと」
そう答えながら扇子で口元を隠す瑠胡に、セラやレティシア、紀伊は一斉に疑いの目を向けた。
――嘘だ。
三人は遅滞なく、同じ事を考えた。
そんな視線から目を逸らす瑠胡を前にして、クロースだけが苦笑していた。この辺りの差は、立場の違いによるものだろう。
瑠胡は扇子を畳むと、レティシアへと背を向けた。
「話は以上だ。して、セラや。御主はどうする?」
「え? わたしですか――」
問われた瞬間、セラは言葉の真意を掴みかねた。それは村の護りを依頼されていたことと、騎士団に所属していたときの習慣によるものだ。
数秒かけて言葉の意味を理解したセラは、レティシアの顔を一瞥してから、ここに残ることを告げようとして、ぎこちなく口を開いた。
「い、いえ……わたしは、その。村の護りもありますし」
「……ふむ。無理強いはせぬがの」
瑠胡のあっさりとした返答に、セラはどこか拍子抜けしていた。ランドの元へ行きたくないと言えば、嘘になる。しかし、レティシアからの頼みを無視することもできなかった。
そんなセラの肩にレティシアが手を添えたのは、瑠胡の背を見送っていたときだ。振り返ったセラに、レティシアは力なく言った。
「セラ――気持ちは有り難いが、ランドのところに行きたいと顔に出ているぞ。わたしのことは気にせずに、行ってくると良い。宿泊するであろう宿については、おまえなら推測できるだろう」
「いえ、ですが――」
「いいから。紀伊殿がいれば、なんとかなるのだろう? こちらは心配するな」
レティシアに文字通り背中を押されたセラは、「ありがとうございます」と礼を述べてから、森へと向かう瑠胡を追った。
*
「本当に、ランドたちに追いつくのですか?」
言外に「一日遅れの出発なのに」と不安な気配を滲ませたセラの言葉に、瑠胡は頷いた。
「もちろんです。ランドたちは馬車で行ったのでしょう? だく足の馬車になら、夕刻までには追い越せます。あまり意識はないかもしれませんが、飛ぶというのはそれほどの速さなんですから」
首筋からドラゴンの翼を生やした瑠胡とセラは、出発してから一時間ほどでメイオール村のあるハイント領の境界を越えていた。
セラは上空から地表を眺めてから、瑠胡へと視線を戻した。
「ランドたちを追い越すのですか?」
「先も言ったでしょう? 先に情報を確認しておきたいのです」
「ああ……そういえば」
魔物の情報を持っているのは、老ドラゴンだ。
ランドよりも天竜族の姫である瑠胡のほうが、情報を聞き出しやすいというのは、セラにも理解できた。
納得したセラに手で方向を指示しながら、瑠胡は速度を上げた。
瑠胡とセラが老ドラゴンの住む、名も無き岩山に辿り着いたのは、瑠胡が予見したとおり夕暮れ時だった。
岩山の中腹に、高さ数マーロン(一マーロンは約一メートル二五センチ)もある洞穴が、ぽっかりと開いていた。
その中に入った瑠胡とセラは、緩やかに下りの続く洞穴を進んでく。やがて、瑠胡が魔術で作りだした光球を頼りに、徐々に湿り気の出てきた洞穴を下っていくと、突然に前方が明るくなった。
これまでの洞穴とは異なり、乾いた岩肌に囲まれた空間だった。光っているのは、瑠胡の光球の反射している、山のような金貨や宝石だ。
地面を埋め尽くす貴金属の上に、ドラゴンが蹲っていた。鎌首をもたげた赤銅色のドラゴンは、瑠胡とセラの姿に目を細めた。
〝――我を討伐に来たわけではなさそうだ。お主らは、誰ぞ〟
「お初にお目にかかる。妾は天竜族、竜神・安仁羅の娘、瑠胡。隣におるのは、セラ。この度、妾が同胞となった者」
〝ほお――これはこれは。我が名はギランドと申す。用向きは与二亜様に問われた、魔物の件だろうか?〟
老ギランドに頷くと、瑠胡は光球の光量を弱めた。
「突然の訪問、申し訳ない。早速ではあるが、魔物について教えて欲しい」
〝よかろう。あの魔物は、この近くにある――タイラン山におる。人の数倍はあるほどの巨大な魔物でな。まだ悪さはしておらぬようだが、この我の縄張りに侵入した以上、放っておくのも悩みどころでな〟
「それほどに大きな魔物とは――どのような魔獣でしょうか?」
〝魔獣の類いではない〟
セラの問いに答えると、老ギランドは蒸気のような息を吐いた。
〝あれは、人の形をしたおった。だが、巨人族ではない。現世におる巨人どもは、金属の鎧など身につけぬからな〟
「ふむ――その魔物は、鎧を身につけておるのか?」
〝その通りだ、天竜族の姫よ。そして妙なことに、その魔物の近くには人が二人ほどいるようだ。用心せよ――この魔物の討伐は、一筋縄ではいかぬかもしれぬぞ〟
老ギランドからもたらされた情報に、瑠胡とセラは緊張した面持ちで顔を見合わせた。
急いでランドのところへ向かおうと、礼もそこそこに洞穴を戻ろうとした二人の背後から、老ギランドはのんびりと声をかけた。
〝そう慌てるな。今日はもう夜が更けたころであろう。今晩は、ここで泊まっていくとよい。余り多くはないが、食事も用意させよう。おい――〟
……用意させよう?
セラが怪訝そうに振り向くと、広間の奥から腰の高さ程度の白い小人が、わらわらと出てきた。
小トロールと呼ばれる、妖精族である。ここでは従属種として老ドラゴンに仕えているようで、十数匹がかりでなにか液体で満たされた壺を持って来た。
「これは――」
壺の中身はドロドロとした茶色のスープで、微かな刺激臭が漂ってくる。僅かに浮かんでいるのは、芋や何かの卵のようだ。
差し出された料理に顔を引きつらせたセラの横で、瑠胡は慇懃に頭を下げた。
「これはかたじけない。それでは、ご厚意に甘えるとしよう」
「あの、姫様……これを食べる――と?」
「左様。まあ、毒ではあるまい」
小トロールから木製のスプーンを渡されたセラは、料理を前に硬直しながら、瑠胡についてきたことを後悔していた。
ちなみに。
小トロールたちの料理は、瑠胡とセラの予想を超える美味しさだった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
今回、見事に四千文字オーバー……書いている中の人も、どうしてこうなったという感じです。
今回分のプロットですが、「瑠胡とセラ、紀伊を生け贄にランドを追う」と「老ドラゴンから情報を聞く」の二行でした。
なんでこれで、四千も書いているんでしょう?
書いている最中、現場で貰った都コンブを食べていたんですが……もしかしたら、そのせいかもしれません。今回、昆布臭がしているかもしれませんが、そこは御了承をお願いします。
それは余談として。
本文中、瑠胡がランドを追い越せると言った根拠ですが。
今回、馬車の移動速度を時速10キロ以下としました。これは、だく足よりも少し遅めのイメージなんですが、客車を牽引している分、馬単体よりは移動速度が落ちるから――と考えたためです。
ちなみに飛行速度ですが、参考にしたカラスは時速五〇から六〇キロくらいということで。
馬車で一日八時間、それを二日でも一六〇キロは進めないだろうと。
対する飛行は、二時間ちょっとで一六〇キロはいける。それも蛇行した街道や河川なども無視して直進できるわけで。
かなりあっさりと追い越せちゃいます。
もう一つ。
瑠胡とセラが最後に食べたのは、カレーです。
なんでカレーかと言われれば、あまり意味はないんですが。本文を書いている最中、スマホのchromeを起動したら、記事一覧にカレーのレシピが出てきまして。
「あ、カレー美味しそう」
と思ったのが理由です。たまには、こういうのもいいかなと。
小トロールは、御伽噺や童話、北欧などの伝承にある小人の妖精んぽイメージです。
トトロでメイやサツキが言っていたのは、こっちのトロールですね。
最後に、お気に入りをして下さった方が、増えてきています。ありがとうございます。モチベの元です。
昆布臭も含め、楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
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高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。
農民レベル99 天候と大地を操り世界最強
九頭七尾
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【農民】という天職を授かり、憧れていた戦士の夢を断念した少年ルイス。
仕方なく故郷の村で農業に従事し、十二年が経ったある日のこと、新しく就任したばかりの代官が訊ねてきて――
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「片手で抜けますけど? こんな感じで」
「200キロはありそうな大根を片手で……?」
「小麦の方も収穫しますね。えい」
「一帯の小麦が一瞬で刈り取られた!? 何をしたのだ!?」
「手刀で真空波を起こしただけですけど?」
その代官の勧めで、ルイスは冒険者になることに。
日々の農作業(?)を通し、最強の戦士に成長していた彼は、最年長ルーキーとして次々と規格外の戦果を挙げていくのだった。
「これは投擲用大根だ」
「「「投擲用大根???」」」
転生貴族のスローライフ
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現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた
しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった
これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である
*基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします
拝啓、お父様お母様 勇者パーティをクビになりました。
ちくわ feat. 亜鳳
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弱い、使えないと勇者パーティをクビになった
16歳の少年【カン】
しかし彼は転生者であり、勇者パーティに配属される前は【無冠の帝王】とまで謳われた最強の武・剣道者だ
これで魔導まで極めているのだが
王国より勇者の尊厳とレベルが上がるまではその実力を隠せと言われ
渋々それに付き合っていた…
だが、勘違いした勇者にパーティを追い出されてしまう
この物語はそんな最強の少年【カン】が「もう知るか!王命何かくそ食らえ!!」と実力解放して好き勝手に過ごすだけのストーリーである
※タイトルは思い付かなかったので適当です
※5話【ギルド長との対談】を持って前書きを廃止致しました
以降はあとがきに変更になります
※現在執筆に集中させて頂くべく
必要最低限の感想しか返信できません、ご理解のほどよろしくお願いいたします
※現在書き溜め中、もうしばらくお待ちください
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