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第五部『臆病な騎士の小さな友情』

二章-3

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   3

 ランドとザルードの諍いから、刻は少し遡る。
 ランドたちが出発した翌日――メイオール村でランドたちが住まいとしている神殿で、セラは三階から二階への階段を降りていた。
 この神殿の階段や廊下には窓が一つもない。それどころか燭台や松明の一本も灯っていないのに、内部はうっすらと明るかった。
 壁や天井が朧気に光っているように見えたが、セラにはどんな石材を使っているか、見当が付かなかった。
 不思議な光景だとは思うが、それ以上は考えても仕方が無い。天竜族が竜神に仕える一族ならば、人知の及ばぬ神秘を扱えても不思議ではない。
 それは、セラの身体を包んでいる神糸の着物にしても同じことだ。


(少しでも長く、ランドの側にいられたら――と思っていただけなのにな)


 とはいえ、嫌悪感や不満があるわけではない。立場的には二番手とはいえ、二人っきりでいるときのランドは、瑠胡と同等のことをしてくれる。
 瑠胡の気持ちを知っていたからこそ諦めていた想いが、心から望んだ形ではないにせよ、叶っている状況だ。
 セラはそれだけで、充分だった。


「――様、なにを仰有って――っ!!」


 言い争いをする声が聞こえてきて、セラは思考に埋没していた意識から我に返った。あの声は、紀伊のものだ。
 となれば、口論の相手はおのずと察しが付く。
 瑠胡――天竜族の姫君。最初はその立場らしい威厳に満ちた姫だと思っていたが、付き合っているうちに人好きのする可愛らしさが目立ってきた。
 ランドはそこに惚れたのか――と思ったものだが、その考えは間違っていた。お互いに外見や表面的な部分ではなく、その性根に関わる言動に惹かれ合ったのだ。
 言い争いは、ランドの部屋から聞こえてくる。


(あそこで言い争い――?)


 ランドの部屋で瑠胡と紀伊が言い争っている状況は、気にならないといえば嘘になる。
 セラはランドの部屋に向かうと、半分ほど開いたドアから、部屋の中を覗き込んだ。ランドの部屋は、前に住んでいた小屋にあった部屋と、内装はほとんど変わっていない。
 ベッドに本棚、机に棚――これらは、小屋からそのまま運び込んだものだ。
 そのランドのベッドの上に、瑠胡が横たわっていた。紀伊はその横で、腰に両手を当てていた。


「瑠胡姫様、いい加減にして下さい。ランド様が不在のときに、シーツの洗濯を済ませたいだけなんですよ?」


「洗濯なんぞしたら、匂いが消えてしまうではないか」


 瑠胡は不満げな顔で紀伊を見ると、枕を抱きしめた。


「神殿に住めば、ランドと毎日一緒にいられると思うたのに。またもや何日も離ればなれになっておる。こうして残り香で寂しさを紛らわせるくらい、させてくれてもよかろう」


「残り香と仰有いますが、それはただの体臭です! 姫ともあろう御方が、そんなものに癒やされないで下さいませ!!」


 紀伊は半ば怒鳴りながら、瑠胡が寝転がっているシーツを引っ張り始めた。
 セラはそんな様子をマジマジと見つめながら、溜息を吐いた。


(この状況は――わたしが、仲裁をしなくてはいけないのだろうか?)


 セラは部屋の中に入ると、手前にいた紀伊に話しかけた。


「紀伊殿――この状況は一体?」


「セラ様……セラ様からも言って下さいませんか? 姫様が抱きかかえているシーツを洗わせて下さいと」


 セラがベッドに目を移すと、瑠胡は膨れっ面の顔を上げた。


「セラ――か。セラとて、ここでの生活なら、ランドと過ごせると思っておったのであろう? それなのに数日も離ればなれとなれば、恋しくもなろう」


「それは……まあ。そう思うことはありますが」


 セラが同意すると、瑠胡は身体を起こした。


「……と、いうわけだ。仕方なかろう?」


「なにが、仕方なかろう――ですか! 洗濯しますから、早くシーツを寄越して下さい」


 紀伊に詰め寄られ、瑠胡は渋々といった表情でシーツを手放した。


(これで諍いは終わりか)


 セラが安堵したとき、不意に瑠胡が手招きをした。
 その意図が掴めないまま近寄ったセラに、立ち上がった瑠胡は上目遣いに問いかけた。


「……レティシアのところへは、急に出向いても大丈夫かのう?」


「ええ……急ぎの任務がない限りは、問題ないかと」


「左様か。ならば、今から参ろうか。すまぬが、紀伊も来ておくれ」


「え? あの、瑠胡姫様」


「姫様――どうなされたんです?」


 歩き出して部屋から出て行く瑠胡を、セラと紀伊は追いかけた。
 メイオール村を抜けて《白翼騎士団》の駐屯地に入った瑠胡たちを出迎えたのは、クロースだった。


「レティシアに用があって参った」


 そう告げると、クロースは「少し待って下さい」と言い残して、駐屯地の建屋に入っていった。
 やがて、クロースに連れられたレティシアは、門の前で待っている瑠胡たちを認めて、僅かに目を見広げた。


「これは瑠胡姫様に、セラも。なにかありましたか?」


「ふむ……レティシアよ。先日話をした情報源であるが、少々厄介でな。ランドでは話をするのに手こずるやもしれぬ。そこで、妾も情報源のところへ行こうと思う」


「待って下さい。それでは、もしものときが――」


 不安を露わにするレティシアに、瑠胡は静かに手で続く言葉を制した。


「安心せよ。妾の代わりは、紀伊に任せるでな」


「……はい? そのような話、伺っておりませぬが」


 寝耳に水――という顔の紀伊に、瑠胡は澄まし顔で答えた。


「当然であろう。先に話をすれば、即座に拒否されるだろうし」


「当たり前です! 姫様は、単にランド様に会いたいだけなのでしょう!?」


「そ――そんなことは、ない。話し合い……そう、話し合いを、円滑に進めることを考えたまでのこと」


 そう答えながら扇子で口元を隠す瑠胡に、セラやレティシア、紀伊は一斉に疑いの目を向けた。

 ――嘘だ。

 三人は遅滞なく、同じ事を考えた。
 そんな視線から目を逸らす瑠胡を前にして、クロースだけが苦笑していた。この辺りの差は、立場の違いによるものだろう。
 瑠胡は扇子を畳むと、レティシアへと背を向けた。


「話は以上だ。して、セラや。御主はどうする?」


「え? わたしですか――」


 問われた瞬間、セラは言葉の真意を掴みかねた。それは村の護りを依頼されていたことと、騎士団に所属していたときの習慣によるものだ。
 数秒かけて言葉の意味を理解したセラは、レティシアの顔を一瞥してから、ここに残ることを告げようとして、ぎこちなく口を開いた。


「い、いえ……わたしは、その。村の護りもありますし」


「……ふむ。無理強いはせぬがの」


 瑠胡のあっさりとした返答に、セラはどこか拍子抜けしていた。ランドの元へ行きたくないと言えば、嘘になる。しかし、レティシアからの頼みを無視することもできなかった。
 そんなセラの肩にレティシアが手を添えたのは、瑠胡の背を見送っていたときだ。振り返ったセラに、レティシアは力なく言った。


「セラ――気持ちは有り難いが、ランドのところに行きたいと顔に出ているぞ。わたしのことは気にせずに、行ってくると良い。宿泊するであろう宿については、おまえなら推測できるだろう」


「いえ、ですが――」


「いいから。紀伊殿がいれば、なんとかなるのだろう? こちらは心配するな」


 レティシアに文字通り背中を押されたセラは、「ありがとうございます」と礼を述べてから、森へと向かう瑠胡を追った。

   *

「本当に、ランドたちに追いつくのですか?」


 言外に「一日遅れの出発なのに」と不安な気配を滲ませたセラの言葉に、瑠胡は頷いた。


「もちろんです。ランドたちは馬車で行ったのでしょう? だく足の馬車になら、夕刻までには追い越せます。あまり意識はないかもしれませんが、飛ぶというのはそれほどの速さなんですから」


 首筋からドラゴンの翼を生やした瑠胡とセラは、出発してから一時間ほどでメイオール村のあるハイント領の境界を越えていた。
 セラは上空から地表を眺めてから、瑠胡へと視線を戻した。


「ランドたちを追い越すのですか?」


「先も言ったでしょう? 先に情報を確認しておきたいのです」


「ああ……そういえば」


 魔物の情報を持っているのは、老ドラゴンだ。
 ランドよりも天竜族の姫である瑠胡のほうが、情報を聞き出しやすいというのは、セラにも理解できた。
 納得したセラに手で方向を指示しながら、瑠胡は速度を上げた。
 瑠胡とセラが老ドラゴンの住む、名も無き岩山に辿り着いたのは、瑠胡が予見したとおり夕暮れ時だった。
 岩山の中腹に、高さ数マーロン(一マーロンは約一メートル二五センチ)もある洞穴が、ぽっかりと開いていた。
 その中に入った瑠胡とセラは、緩やかに下りの続く洞穴を進んでく。やがて、瑠胡が魔術で作りだした光球を頼りに、徐々に湿り気の出てきた洞穴を下っていくと、突然に前方が明るくなった。
 これまでの洞穴とは異なり、乾いた岩肌に囲まれた空間だった。光っているのは、瑠胡の光球の反射している、山のような金貨や宝石だ。
 地面を埋め尽くす貴金属の上に、ドラゴンが蹲っていた。鎌首をもたげた赤銅色のドラゴンは、瑠胡とセラの姿に目を細めた。


〝――我を討伐に来たわけではなさそうだ。お主らは、誰ぞ〟


「お初にお目にかかる。妾は天竜族、竜神・安仁羅の娘、瑠胡。隣におるのは、セラ。この度、妾が同胞となった者」


〝ほお――これはこれは。我が名はギランドと申す。用向きは与二亜様に問われた、魔物の件だろうか?〟


 老ギランドに頷くと、瑠胡は光球の光量を弱めた。


「突然の訪問、申し訳ない。早速ではあるが、魔物について教えて欲しい」


〝よかろう。あの魔物は、この近くにある――タイラン山におる。人の数倍はあるほどの巨大な魔物でな。まだ悪さはしておらぬようだが、この我の縄張りに侵入した以上、放っておくのも悩みどころでな〟


「それほどに大きな魔物とは――どのような魔獣でしょうか?」


〝魔獣の類いではない〟


 セラの問いに答えると、老ギランドは蒸気のような息を吐いた。


〝あれは、人の形をしたおった。だが、巨人族ではない。現世におる巨人どもは、金属の鎧など身につけぬからな〟


「ふむ――その魔物は、鎧を身につけておるのか?」


〝その通りだ、天竜族の姫よ。そして妙なことに、その魔物の近くには人が二人ほどいるようだ。用心せよ――この魔物の討伐は、一筋縄ではいかぬかもしれぬぞ〟


 老ギランドからもたらされた情報に、瑠胡とセラは緊張した面持ちで顔を見合わせた。
 急いでランドのところへ向かおうと、礼もそこそこに洞穴を戻ろうとした二人の背後から、老ギランドはのんびりと声をかけた。


〝そう慌てるな。今日はもう夜が更けたころであろう。今晩は、ここで泊まっていくとよい。余り多くはないが、食事も用意させよう。おい――〟


 ……用意させよう?


 セラが怪訝そうに振り向くと、広間の奥から腰の高さ程度の白い小人が、わらわらと出てきた。
 小トロールと呼ばれる、妖精族である。ここでは従属種として老ドラゴンに仕えているようで、十数匹がかりでなにか液体で満たされた壺を持って来た。


「これは――」


 壺の中身はドロドロとした茶色のスープで、微かな刺激臭が漂ってくる。僅かに浮かんでいるのは、芋や何かの卵のようだ。
 差し出された料理に顔を引きつらせたセラの横で、瑠胡は慇懃に頭を下げた。


「これはかたじけない。それでは、ご厚意に甘えるとしよう」


「あの、姫様……これを食べる――と?」


「左様。まあ、毒ではあるまい」


 小トロールから木製のスプーンを渡されたセラは、料理を前に硬直しながら、瑠胡についてきたことを後悔していた。


 ちなみに。
 小トロールたちの料理は、瑠胡とセラの予想を超える美味しさだった。

----------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

今回、見事に四千文字オーバー……書いている中の人も、どうしてこうなったという感じです。

今回分のプロットですが、「瑠胡とセラ、紀伊を生け贄にランドを追う」と「老ドラゴンから情報を聞く」の二行でした。

なんでこれで、四千も書いているんでしょう?

書いている最中、現場で貰った都コンブを食べていたんですが……もしかしたら、そのせいかもしれません。今回、昆布臭がしているかもしれませんが、そこは御了承をお願いします。

それは余談として。

本文中、瑠胡がランドを追い越せると言った根拠ですが。

今回、馬車の移動速度を時速10キロ以下としました。これは、だく足よりも少し遅めのイメージなんですが、客車を牽引している分、馬単体よりは移動速度が落ちるから――と考えたためです。

ちなみに飛行速度ですが、参考にしたカラスは時速五〇から六〇キロくらいということで。

馬車で一日八時間、それを二日でも一六〇キロは進めないだろうと。
対する飛行は、二時間ちょっとで一六〇キロはいける。それも蛇行した街道や河川なども無視して直進できるわけで。

かなりあっさりと追い越せちゃいます。

もう一つ。

瑠胡とセラが最後に食べたのは、カレーです。

なんでカレーかと言われれば、あまり意味はないんですが。本文を書いている最中、スマホのchromeを起動したら、記事一覧にカレーのレシピが出てきまして。

「あ、カレー美味しそう」

と思ったのが理由です。たまには、こういうのもいいかなと。

小トロールは、御伽噺や童話、北欧などの伝承にある小人の妖精んぽイメージです。
トトロでメイやサツキが言っていたのは、こっちのトロールですね。

最後に、お気に入りをして下さった方が、増えてきています。ありがとうございます。モチベの元です。

昆布臭も含め、楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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