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第五部『臆病な騎士の小さな友情』
一章-1
しおりを挟む一章 王都から来たりし者
いつのまにか高くなった空が、夏から秋への移り変わりを告げていた。
俺――ランド・コールは収穫した最後のキャベツを籠に入れると、ずっと中腰だったために軋んだ背中を思いっきり伸ばした。
ヘーゼルブラウンの髪に、光の加減では紫に見えるらしい目。顔の作りは……平均的なほうだと思う。
今の服装は少し前まで来ていたチェニックではなく、神糸で織られた直垂と呼ばれる、紺色の衣服だ。これは瑠胡の兄である、与二亜から送られてきたもので、前合わせで膨らんだ袖や袴の裾を括り紐で絞る形状のものだ。
これは本来、鎧を着用するためのものらしいが、今では常用している。
もう……十日以上も前のことになる。
俺は瑠胡の両親に挨拶するため、彼女の故郷へと赴いたのだが……そこは竜神・安仁羅の住まう神界で、俺は瑠胡が竜神の眷属だと知ることになった。
そこで諸々あって、両親に俺と瑠胡の仲を認めては貰った――ただし、条件付きで。
神糸の直垂は、俺と瑠胡の仲を認めてくれたという証ということらしい。
ジョンさんが待つ荷馬車にキャベツが敷き詰められた籠を乗せると、これで午前中の仕事は終わりだ。
「ランド、なんか悪いねぇ。今は、色々と大変なんだろ?」
「ええ、まあ。ホントに、色々とですけど。でもまあ、ある程度は稼がないと、あとで大変ですからね」
俺は依頼料である六コパル――銅貨六枚――を受け取ると、新しい我が家へと歩き出した。
瑠胡の故郷から帰って来てから、俺の生活や立場は微妙に変わっている。しかし、俺が商売としてやってきた『手伝い屋』は、今も継続中だ。
食うだけなら瑠胡に使える天竜族が世話をしてくれている。だから村人に混じって働く必要は、あまりない。
俺が『手伝い屋』を続けているのは、村人たちとの関わりとか、そんな理由ではなく――いや、少しはあるけど――、もっと世知辛い事情がある。
瑠胡と同じ天竜族の一族となったり、ただの村人から竜神・安仁羅の御使いへと立場が変わったが、インムナーマ王国に生まれ、インムナーマ王国内で暮らしている以上、逃れられないことがある。
月一で徴収される、税金だ。
こればかりは、俺の立場云々は関係無い。俺が税を払うのは村の代表者である村長だけど、実際に徴収するのは税務官だ。
俺の状況を説明したところで、そんなもの歯牙にもかけないだろう。搾り取れるところからは、規則の名の元に搾り取るのが、役人の仕事だ。
支払わなければ俺だけでなく瑠胡やセラ、それに村の人々にも迷惑がかかるから、納税を拒むことはできない――というわけだ。
俺は東の斜面の上にある小屋を通り過ぎ、隣にある石造りの神殿へと入った。ここが、今の俺の住まいだ。
木製の両扉を開けて中に入ると、二階までの吹き抜けになっていた。左右の壁際に階段があり、壁のない二階部分には柵がある。
一階は、だだっ広い空間だ。奥には竜神・安仁羅の祭壇が鎮座されている。二階は俺たちの寝室と食堂、三階は修行場だ。
俺が左の階段から二階に上がったとき、白い小袖と緋袴姿の女性が近づいて来た。腰まである長い黒髪を白い紙で束ねた少女は、紀伊という。神界にある神祇官に属する巫女で、瑠胡の幼なじみだ。
瑠胡に付き添って下界まで降りてきた今は、俺たちの食事や選択などの世話をしてくれている。
畏まった姿勢の紀伊は、俺へ深々と頭を下げた。
「おかえりなさいませ。御用は終わりましたか」
「ああ、はい。これが、今日の稼ぎです」
俺は答えてから、紀伊に六コパルを手渡した。
両手で銅貨を受け取ってから、紀伊は俺に渋い顔を向けた。
「人々の信頼を得るのは大事だと存じますが……このように気安く使われるというのは、竜神・安仁羅の御使いとして、相応しいとは言いかねます。もう少しだけで構いませんから、御考慮頂くようお願い申し上げます」
「あ……はい」
あまりにも堅苦しい口調で言われ、俺は大人しく頷いた。
畏まった口調とは裏腹に、紀伊の目は険しい。手伝い屋について、余り快く思ってないようだ。
助けを求めるように左右を見回すが、生憎と誰もいなかった。
なんとか紀伊を宥める算段を考えていると、玄関の扉がノックされた。
「――わたくしが出ます。昼食後に、予定通り修行を行います。ランド様はそのご準備をなさって下さい」
俺は安堵と不安という相反する感情を抱きながら、紀伊が一階に降りていく姿を見送った。
紀伊から逃れられたのはいいが、来客が仕事を依頼で来た村人だったら困る。
俺が階下を注視していると、紀伊が扉を開けた。
「突然の訪問ですまない。ランドと会いたいのだが」
来客は、レティシアだった。軽装ではあるが騎士の装備に身を包んだ、俺と同い年だが……確かもう誕生日を迎えて十八歳になったはずだ。
背中まで伸ばした金髪の目立つレティシアは、青い瞳を左右に動かしている。二階にいる俺には、気付いている様子はない。
俺は柵から僅かに身を乗り出すと、小さく手を挙げた。
「レティシア! どうしたんだ?」
「ランド、そこにいたのか」
俺を見上げたレティシアは、紀伊に「失礼をする」と会釈をしてから、神殿の中に入ってきた。
「急な話ですまないが、仕事を頼みたい。恐らく半日もかからぬだろうが、依頼料は満額を支払おう」
さっき、手伝い屋に関して苦言を呈されたばかりだ。
タイミングが悪すぎる――と思ったが、御使い云々はレティシアには関係の無いことだから、文句を言う筋合いはない。
俺は静かに溜息を吐きながら、レティシアに戯けた視線を向けた。
「どんな仕事なんだ?」
「兄上から物資が届いてな。内容を確認している最中なんだが、男手が欲しい。どうやら午後に王都からの客人が来るようなのでな。人手が足りなくなりそうなんだ」
「なるほど」
要するに、人足か。荷物運びなら、確かに俺は適任だ。
修行もあるが知り合いの頼みだし、依頼を受けたいところなんだが……紀伊に反対されるのは、ちょっと面倒だ。
どうやって応じようかと思っていたら、その紀伊がレティシアに頭を下げた。
「それでしたら、昼食後からの派遣で宜しいですね。依頼料は六コパルとなりますが、宜しいでしょう――」
そこまで告げてから、紀伊が「あ」という顔をした。
下界に降りてすぐ、貨幣価値とか理解していなかったころに、紀伊は進んで手伝い屋の受付をしてくれていた。
習慣というには期間は短いが、そのときの流れが出てしまったようだ。
まあ、なんだ。意図してないにしても、こっちの生活に順応してくれているようで、なによりである。
俺が苦笑していると、すぐ左横で衣擦れの音がした。
いつの間に来ていたんだろうか。俺と同じく、与二亜から神糸の着物を送られたセラが、穏やかな微笑みを浮かべていた。
薄桃色の着物の上から重ねた赤い着物を深い緑の帯で束ね、肩の下まで伸びた黒髪を銀糸で編まれた紐で縛っている。
唇に薄い紅を塗ったセラは、俺の左腕に手を添えた。
「ねえ、ランド。もうすぐお昼御飯よ。そのあとは修行をすること、忘れないでね。わたしにとっては、二人っきりになれる貴重な機会なんですから」
そう言いながら、セラはうっすらと頬を染めた。
神界から戻ってきてから、セラはすっかりしおらしくなってしまった。いや、別にいいんだけど……まだ、ちょっと慣れない俺がいる。
俺はセラの様子に照れながら、横目にレティシアを見た。案の定、変わり果てた元副団長の姿に目を丸くしていた。
……その気持ちは、よくわかる。
俺だって、まだ戸惑っているんだ。レティシアの驚き具合は、容易に想像できる。
セラはそんな俺の表情に、少しだけ怪訝そうな顔をした。
「ランド、どうしたんです?」
「いや、その……」
俺は語尾を濁しつつ、階下に指先を向けた。
セラの視線が、俺の指先から一階に移った。
「レ、レティシア!?」
口調が騎士団にいたころに戻ったセラが、俺から離れて姿勢を正した。
「すいません。お恥ずかしいところを見せてしまいました」
「……あ、ああ。なんだその、仲良くやっているようで、なによりだ」
レティシアは、自分でも口にした内容を理解してなさそうな顔をしていた。
俺は軽い罪悪感を抱きながら、セラに告げた。
「そんなわけで、午後から仕事が入ったんだ。修行は、そのあとにしかできないんだよ」
「……あ、ああ。なるほど」
レティシアの前だからか、以前の口調で頷いたセラは、改めて階下へと顔を向けた。
「レティシア、わたしも手伝いに覗います。その……人手不足は、わたしにも責任がありますから」
「そこは気にしなくていい。人員補充の嘆願は、兄上に出している。それまでは、そこにいるヤツに責任を取ってもらうつもりだ」
そこのヤツって――あ、俺のことか。いやまあ……なんでもいいけど、人手不足を俺の責任にするのは、ちょっと乱暴な気がするぞ。
そんなわけで、なんとかレティシアの依頼を受けることができた。瑠胡にも仕事のことを言っておかなきゃな――そう思ったとき、俺はレティシアが言っていた客人のことが気になった。
こんな片田舎に、誰が来るんだろう?
厄介ごとが無ければいいけど――前回、キティラーシア姫たちが来たときのことを思い出し、俺はいい知れない不安を感じていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
というわけで、日常スタートとなりました。
ちょっとキャラ変したセラには、中の人もまだ慣れていません(汗
ただ、あの言動は媚びを売っているわけえはなく、彼女なりの理想の夫婦像が反映されたということで。またあとで、その下りは書くんですが、誤解される前に書いておこうとですね。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
そして、良いお年を!!
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