117 / 276
第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
三章-5
しおりを挟む5
瑠胡の屋敷は瓦屋根をもつ、石造りの建物だった。二階建てで、横幅は三〇マーロン(約三七メートル五〇センチ)ほどもある。
金属製の扉のある玄関を中心に、窓が左右に三つずつ並んでいる。一人で住むには、かなり大きな屋敷だろう。
瑠胡の部屋は、二階に上がる階段の真正面にある。
ランドの家に持ち込んでいるため、家具は畳と呼ばれる床に、棚が一つ置いてあるだけだ。あとは布団と呼ばれる寝具が二つあるが――これは瑠胡の私物ではなく、帰郷した瑠胡とセラのために用意されたものだ。
下駄を脱いで畳の上に座る瑠胡は、ずっと浮かない顔をしている。同じ部屋に通されたセラは、瑠胡の横に腰を落ち着けた。
「瑠胡姫様、質問をしても宜しいでしょうか。どうして、真実を話しては頂けなかったのですか? いえ、わたしは構いませんが……せめて、ランドには」
「……神の御子神と知られてみよ。ランドは妾への恋慕など、絶対に口にせぬだろう。そのようなこと、妾には耐えきれぬ」
「神の子でも……ですか?」
「神の子とて、耐えきれぬ感情はある」
返答はするが、瑠胡は顔を伏したままだ。セラは次の言葉に迷いながら、ランドが案内された部屋の方角へと目を向けた。
廊下の突き当たりにあるその部屋の前には、ランドを案内した女官が立ち続けている。
どうやらランドが己の選択について考えるのを、瑠胡が邪魔をしないよう見張っているようだ。
瑠胡は膝の腕で組んだ両手を、モジモジと動かしている。ランドがどんな選択をするのか、不安で仕方が無いのだと――セラは表情から、そう読み取った。
「やはり腰をすえて、ランドと話し合うべきかと存じます」
「だが……どのような話をすれば良い? ランドは神になど興味はなかろう。そのような欲求は、かなり薄いように見える」
「そうでしょうね。それでも……今からでも、話をするべきです」
「そなたは――」
瑠胡は僅かに顔を上げると、横目にセラを見た。
「なぜ、そこまで妾を気遣う? ランドが妾から離れれば、そなたが……つがいとなろう」
「かも、しれません。ですが、最初から申しておりますように、お二人の邪魔をする意志は、わたくしには御座いません。お二人の仲を取り持つのが、わたくしの役目だと心得ておりますよ」
セラは立ち上がると、瑠胡に手を差し出した。
「ランドのところに、行きましょう。そして、二人で納得のいくまで、話をなさって下さい」
「セラ――」
瑠胡は躊躇いながら、セラの手を取った。
ゆっくりと立ち上がった瑠胡から手を離すと、セラは部屋の扉を開けた。
「さあ、ランドのところへ」
「……わかった。妾とて、このまま終わらせる気など、毛頭ない」
ようやく目に光が戻った瑠胡に、セラは僅かに微笑んだ。
「それでは、ともに参りましょう」
セラのあとを追うように、瑠胡も自室から出た。
*
女官に案内された部屋は、来客用だったのか……それとも別の用途があるのか、俺にはわからない。
畳という、なにかの植物を編んだ床が敷き詰められた部屋は、土足が禁止ということで、ブーツは脱いで上がっている。普段なら、慣れないことへの違和感で落ち着かないんだろうけど……今の俺は、そんなことよりも瑠胡のことで頭が一杯だった。
竜神の子、神の末裔。そして跡取りとなった以上、ゆくゆくは竜神となる存在。
つがい――俺たちはまだ、正式に夫婦ってわけじゃない。
だけど……麟玉王妃が言うには瑠胡と結ばれるために、俺は瑠胡たちと同じ天竜族にならなくてはいけない。
それは人間であること――親や妹、そして今まで出会ってきた人々との絆を、捨てるということだ。
俺は、神になりたいわけじゃない。
向いてない、柄じゃない、そして興味がない。それに、人間としての生活を捨てるなんて、俺には無理だ。
メイオール村に戻って、前のように生きる。それが俺が俺のままで生きるためには、最良の選択なんだろう。
このまま村に戻ってからの生活――それを考えていると、部屋の扉が静かに開かれた。
扉から入って来た人影に、俺は目を逸らしたい衝動に駆られた。
「セラ……それに、瑠胡」
「ランド――」
互いの名を呼び合ってから、部屋の中に再び沈黙が降りた。
ブーツを脱いだセラが畳に上がりながら、瑠胡に手を差し出していた。
「瑠胡姫様、話し合いをしに来たのですから。ランドも、いいな?」
「話し合い――?」
怪訝な顔をしていると、畳の上に上がってきた瑠胡が俺の前に腰を降ろした。
「ランド、今更……と思うかもしれませんが、すべてをお話致します」
そう前置きをして、瑠胡は話を始めた。長い――天竜族が龍神と呼ばれる、さらに上位の神の眷属であること。そして東の海や河を護りつつ、同族であるドラゴンの衰退に気を揉んでいたこと。
そして、瑠胡の目的――。
「……ドラゴンの衰退を止めるため……他の種の血を混ぜる? なら、俺じゃなくたって」
「いいえ。強き者の血で無ければ意味がありません。少なくとも、わたくしに勝てる強さを持つ者でなければ。でも、あのとき――ランドに負け、そして命を助けられてからは、それも二の次になりました」
「二の次?」
「はい。あなたに……選ばれたいと、そればかりを願っていました。それだけは――どうか信じて下さい」
「そんな、とってつけたような――」
「いや、ランド。メイオール村で暮らし始めた当初から、瑠胡姫様の想いは変わっていない。わたしは直接、話を聞いたからな。間違いはない」
セラの発言に、俺は目を丸くした。
俺だけ蚊帳の外だったのか――と思うよりも先に、瑠胡とセラが親しげなときがあったことを思い出していた。
色々な思い――文句や愚痴も含めて――が頭の中で交錯する中、俺は一番冷静な言葉を探し当てた。
「その気持ちは嬉しいです。でも――俺は、神にはなれません」
「そ――」
絶句した瑠胡の顔は、まるで世界の終末を目の当たりにしたようだった。手が、小刻みに振るえているのが見える。
俺に近寄ろうと立ち上がろうとする気配はあったが、力が入らないのか、結局は四つん這いのような格好で、近寄って来た。
「ランド、そんなこと言わないで下さい。わたしを――拒絶しないで」
「瑠胡を拒絶したわけじゃないです。ただ神の一族には、なるつもりがない。それだけなんですよ」
俺は瑠胡の顔から目を逸らしながら、拳を固く握った。
「瑠胡――瑠胡姫様が神の末裔だって知っていたら、俺は好意を伝えなかったでしょう。俺に、その役割は重すぎる。さっきまで、ずっと村に戻って、元の生活をすることを考えてました。でも――」
「なんで……そんなこと、言わないでっ!!」
恐らく――俺の前では初めてのことかもしれない。俺の言葉を遮り、感情を剥き出しにして叫んだ瑠胡は、俺の両肩を掴んできた。
「切っ掛けは――わたしにとって、すべての切っ掛けはランド――あなたなんです。わたしの心の中を掻き乱し、こんなにも強い欲求を抱かせたのは、あなたなのに! わたしを……今更、わたしを独りにしないで」
瑠胡の瞳からは、涙があふれていた。
まだなにか言おうと、口を開きかけた瑠胡を手で制してから、俺は瑠胡の瞳に目を向けた。
「まだ、話は終わってなくて。神になるのは、俺にとって重すぎる。でも――村で元の生活に戻ろうと、何度も考え続けました。でも……どうしても、その中に瑠胡の姿が出てくるんです」
そう告げながら、俺は瑠胡の肩に頭を預けた。
「もう、頭の中はぐちゃぐちゃですよ。俺は……どうすればいいんでしょうね」
「ランド……ごめんなさい。まさか、兄上が父上の後継になるのを断っていたなんて。わたくしは前にも話したように、あなたと下界で暮らすつもりでしたのに」
「お兄さんは、なんで断ったんでしょうね」
どうして急に、後継を断ったんだろう?
面倒だって言ってたけど、それがすべての理由じゃ無い気がする。
そんなことが、ふと頭に思い浮かんだ俺は、瑠胡の肩から頭を上げた。俺はまだ、与二亜という瑠胡の兄の真意を、なにも知らない。
ふと見れば、似たようなことを思ったのか、瑠胡も似たような顔をしていた。
「……兄上の真意を知りたいです。そして、できることなら」
「説得をしてみたいです。瑠胡のお兄さんが後継になれば――」
「はい。問題はなくなります」
俺と瑠胡は、しばらく見つめ合ったあと、ほぼ同時に立ち上がった。
横で見ていたセラは、苦笑をしながら俺たちを交互に見た。
「二人とも、なにをするか決めたようですね」
「まあな」
「セラ、妾たちは兄上のところへ行く。御主も来るが良い」
それからすぐに、俺たちは瑠胡の屋敷を出た。
玄関から少し進んだところで、白い衣に赤い……袴という衣類を着た少女と出くわした。
「瑠胡姫様っ!? そんな、泣き腫らした顔で、どこへ行かれるのですか!」
「おお、紀伊か。丁度良いところに。兄上がどこにおるか、知らぬか?」
「与二亜様でしたら、お屋敷に戻られました」
「そうか。かたじけない」
紀伊という女性に礼を述べた瑠胡が、俺に目配せをした。
どうやら、屋敷まで案内をするってことみたいだ。俺は無言で頷き返すと、セラと一緒に先を歩く瑠胡のあとをついて歩き出した。
なにもせずに、ただ運命に翻弄されるなんて御免だ。乗り越えられない壁が立ちはだかるなら、ぶっ壊してやろうなじゃいか。
与二亜を必ず説得してみせる――そんな闘志が、俺と瑠胡に満ち始めていた。
そんなとき、後ろから足音が聞こえてきた。
「瑠胡姫様? 姫様! ちょっと――待って下さい!」
背後を振り返ると、俺たちのあとを追いかけてくる紀伊の姿が見えた。
四人となった俺たちは、一〇〇マーロン以上も離れた場所にある、与二亜の屋敷へと向かった。
-------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
実のところ、かなり似たものカップルですよね、な回です。
特に障害を乗り越えるんじゃなく、まずは正面突破をしようとするところ。
余談ですが、中の人の場合、障害は迂回したくなるタイプです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
10
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。
転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!
小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。
しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。
チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。
研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。
ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。
新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。
しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。
もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。
実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。
結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。
すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。
主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。

転生したらスキル転生って・・・!?
ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。
〜あれ?ここは何処?〜
転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。

異世界キャンパー~無敵テントで気ままなキャンプ飯スローライフ?
夢・風魔
ファンタジー
仕事の疲れを癒すためにソロキャンを始めた神楽拓海。
気づけばキャンプグッズ一式と一緒に、見知らぬ森の中へ。
落ち着くためにキャンプ飯を作っていると、そこへ四人の老人が現れた。
彼らはこの世界の神。
キャンプ飯と、見知らぬ老人にも親切にするタクミを気に入った神々は、彼に加護を授ける。
ここに──伝説のドラゴンをもぶん殴れるテントを手に、伝説のドラゴンの牙すら通さない最強の肉体を得たキャンパーが誕生する。
「せっかく異世界に来たんなら、仕事のことも忘れて世界中をキャンプしまくろう!」

スマートシステムで異世界革命
小川悟
ファンタジー
/// 毎日19時に投稿する予定です。 ///
★☆★ システム開発の天才!異世界転移して魔法陣構築で生産チート! ★☆★
新道亘《シンドウアタル》は、自分でも気が付かないうちにボッチ人生を歩み始めていた。
それならボッチ卒業の為に、現実世界のしがらみを全て捨て、新たな人生を歩もうとしたら、異世界女神と事故で現実世界のすべてを捨て、やり直すことになってしまった。
異世界に行くために、新たなスキルを神々と作ったら、とんでもなく生産チートなスキルが出来上がる。
スマフォのような便利なスキルで異世界に生産革命を起こします!
序章(全5話)異世界転移までの神々とのお話しです
第1章(全12話+1話)転生した場所での検証と訓練
第2章(全13話+1話)滞在先の街と出会い
第3章(全44話+4話)遺産活用と結婚
第4章(全17話)ダンジョン探索
第5章(執筆中)公的ギルド?
※第3章以降は少し内容が過激になってきます。
上記はあくまで予定です。
カクヨムでも投稿しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる