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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
三章-2
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預かっていた鍵でランドの家に入っていたセラは、布巾でテーブルの水拭きをしていた。
騎士の装い――軽装だが鎧に長剣を下げた格好だ――にも関わらず、中々に身軽な動きをしている。
二十日以上も留守にしていると、埃や虫などが入り込んできて、なにもしていなくても家の中は汚れてしまう。ランドはともかく、瑠胡にとっては辛いだろう――という理由の元、レティシアの許可を得て、セラは朝から家の中の掃除を行っていた。
根が几帳面であるためか、掃除は嫌いではない。
水桶で布巾を洗ってから、セラは椅子を吹き上げ、ドアの取っ手などの埃を丹念に拭った。
ランドの部屋の取っ手を拭い終わったとき、セラはドアの鍵が開いていることに気付いた。
ついでに中の掃除を――と、ドアを開けたセラは、ベッドのシーツが畳まれていないことに気付いた。
「まったく……だらしない」
呆れたように呟いたセラが、シーツに手を伸ばした。出立の前日に洗っていないのか、汗と香が混じった臭いが漂ってきた。
汗はランドのものだ。香の匂いは――瑠胡のもので間違いがないだろう。
(二人は――このベッドで?)
一緒に寝ている――と思うと、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
実のところは、ここでカードをしていたり、瑠胡が一人で昼寝をしているだけなのだが、そんなことをセラは知るよしもない。
一度はシーツに手を伸ばしかけたが、セラは寸前で止めた。
洗濯をしたところで、今からでは乾く確証がない。それに、そろそろ隊商とともにランドと瑠胡が村に帰ってくるころだ。
(それから……また数日後には、瑠胡姫の故郷へ、か)
会えなくなる寂しさはあるが、まだ数日は猶予がある。それまでに、気持ちも落ちつくだろうし、それからランドと瑠胡が村に帰ってくる頃には、心の痛みも癒えているはずだ。
(なにも……問題はない)
気持ちを切り替えたセラは、急いでランドの家から出ると、ドアに鍵をかけてから村へと歩き出した。
出迎えるついでに鍵を返しておこう――このときのセラは、そんな軽い気持ちしかなかったのである。
*
村の中では、瑠胡と沙羅とのあいだで言い争いが起きていた。
今すぐに瑠胡――と俺を、瑠胡の故郷へと連れて行こうという沙羅と、数日は待って欲しいという瑠胡の意見が、平行線を辿っているからだ。
「沙羅――母上の命というのは理解しておると、何度も言うておろうが。しかし、だ。妾たちも旅を終えたばかり。数日の猶予はくれても良かろう」
「旅の疲れは理解しております。ですからお母上は、わたくしに姫様をお迎えに上がるように言われたのでしょう。何卒、御理解を願います、瑠胡姫様」
「妾が言うておるのは、疲れのことだけではない。また村を空けるとなれば、周囲への根回しや挨拶などもせねばならぬ。それに、旅の汚れも落としたい。それらのことを、なぜ考えてはくれぬ」
「それは……申し訳御座いません。わたくしめは、母上様の使いとして参上しておりますので。申しつけられたことに、背くことはできませぬ」
――という感じの会話が、もう七、八回ほど繰り返されている。
俺は立場上、どこまで介入していいのか判断がつかないでいた。なにせ、ドラゴンの一族の問題だ。人間である俺に、口を挟む資格があるかどうか……。
俺が迷っていると、リリンが瑠胡の横に立った。
「沙羅殿。お二人がメイオール村に戻って来られた、そのあとのことも考えて下さい。この村で仕事をして暮らすなら、旅立つ前の根回しだって必要になりますから」
「……いいえ。瑠胡姫様がお戻りになることは、二度とないでしょう」
沙羅の告げた言葉に、場が一瞬で凍り付いた。
寝耳に水――というか、最悪の予想の一つではあったけれど――だったことに驚いていると、瑠胡が固い表情で沙羅を見た。
「そのようなこと、妾は聞いておらぬ」
「瑠胡姫様が地上に降りられてから、決まったことなのです。仔細は……お父上とお母上から伝えられるでしょう」
「アムラダ様が仰有っておられたが、兄上の問題が理由ではあるまいな」
「御存知でしたか……」
驚く沙羅に頷くと、瑠胡は俺を振り返った。
「ランド……予定は変更せねばなるまい。我が故郷へは、妾だけで行く」
「瑠胡、ちょっと待って下さい。一人で戻ったあと、村に戻ってくる可能性は――?」
「ないかもしれぬ。だが、ランド――御主がともに行けば、もう戻って来られぬやもしれぬ。妾は――御主と別れたくはない」
表情は冷静さを保っていたが、瑠胡の瞳には泪が滲んでいた。
間違いなく、別れを覚悟した顔――そのことに気付いた俺は、咄嗟に固く結ばれた瑠胡の左手を掴んでいた。
「瑠胡――帰郷は止めましょう。そうすれば――」
「ランド・コール……最早、手遅れなのですよ。瑠胡姫様のお母上であらせられる麟玉様より、お二人を連れてくるようにと命を受けている以上、わたくしも引き下がるわけには参りませぬ」
そう言いながら立ち上がる沙羅は、腰にある細い剣――刀の柄に手を伸ばした。まさか、こんな村の中で大立ち回りを繰り広げるつもりか? 冗談じゃねぇぞ。
俺は身構えはしたが、腰の長剣には手をかけていない。
互いの睨み合っていると、杖を握ったリリンが、俺たちと沙羅のあいだに割って入ってきた。
「お二人は、どこにも行かせません」
「リリン殿――だったか? そこをどけ。我らに、敵う訳がないのだから」
「ただでは負けません」
沙羅に言い返すや否や、リリンは早口に呪文を唱え始めた。
そこへ、慌てた様子のセラが駆け込んできた。
「双方止め! 一体、なにをしている!?」
セラが沙羅と俺たちのあいだに駆け込むと、睨むような目を双方に向けた。
その目が、俺で止まった。
「……この場で、まだ冷静なのはランドだけのようだな。簡潔でいい……説明を」
「あ、ああ……」
俺が経緯を話すにつれ、セラの表情が様々に変化していった。驚きから、引きつった顔、そして落胆に――最後は怒り。
……怒り?
セラは大きく息を吸うと、素早く長剣の柄に手をかけた。
……って、おい。諍いを止めに来たんじゃないのか!?
驚く俺の前で、セラは姿勢を屈めた。
「沙羅殿。貴殿の言い分は理解出来る。しかし、少々強引ではありませぬか?」
「それも承知の上。皆様、我々に強引な手を……使わせないで頂きたい」
「我々?」
セラが怪訝な顔をした直後、俺たちの周囲で大きな影が幾度となく飛来しはじめた。見上げれば、四体のワイバーンが頭上を飛んでいた。
あれすべてが、沙羅とともに来た天竜族の配下――ということなんだろう。沙羅に四体のワイバーンが相手では、セラとリリンでは太刀打ちできない。
それは俺が助太刀しても同じ――いや、〈断裁の風〉を使えば行けるかもしれないが、それを切っ掛けに、ドラゴンの一族との戦に発展する可能性は否定できない。
この段階になって、レティシアたち《白翼騎士団》の面々も駆けつけてきた。
「これは一体――沙羅殿、いや、瑠胡姫様でもいい。状況を説明頂けますか?」
険しい顔のレティシアに、瑠胡が経緯を語った。
「――というわけでの。ちと村を騒がしてしもうた」
「騒がした……という程度では済まされませぬが」
レティシアが頭上を見上げながら、神妙な顔で俺と瑠胡へと向き直った。
「周囲の安全を考えれば、ランドと瑠胡姫様には、沙羅殿と一緒に行って欲しいところだが……な」
「団長、それは酷い――というか」
「……そうですよぉ。なんか……生け贄にするみたいで、その……」
クロースとユーキからの非難に、レティシアは静かに頷いた。
「そうだな。否定をするつもりはない。だが帰って来られぬとしても、それで殺されるわけではない。余計な犠牲を増やすよりは、随分とマシだろう」
レティシアの意見を聞いて、周囲の人々――騎士団の連中や村人たちだ――の視線が、俺と瑠胡に集まった。
ずっと不安げな顔を向けている瑠胡を一瞥してから、俺は沙羅へと向き直った。
瑠胡は、まだ何かを俺に隠しているんだろう。だけど、それをあえて聞かないまま、俺は沙羅に告げた。
「わかりました。一緒に行きますよ」
俺の返答に、沙羅はどこか複雑そうな顔をした。
俺が素直に従ったことへの安堵感と、俺が一緒に来るのか――という鬱陶しさが、入り交じった顔だ。
俺や瑠胡の近くにいるリリンは、露骨に悲しそうな顔をしていた。それは良いんだが、その横にいたセラも、どこか寂しげな表情をしていたのが、俺にとっては意外だった。
そんなに仲が良かったっけ……瑠胡とセラって。親しげに喋っているところとか、あまり見たことがなかった気がするけど。
俺は二人から沙羅に目を移すと、片手を小さく挙げた。
「ただ、小一時間だけ待って下さい」
「なぜ?」
俺の言動を警戒しているんだろう。険しい表情を崩さない沙羅に、俺は溜息交じりに答えた。
「まだ昼飯を食ってないんで。腹が減ってるんですよ、こっちは」
返答を聞いて目を点にした沙羅を見て、俺は少しだけ溜飲が下った気がしていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
沙羅さんマジモード。
ちなみにワイバーンが四体いる理由ですが……。。
四体のワイバーンで上空制圧中という意味合いですね。沙羅の指示で二体が対地攻撃。遅れてドラゴン化した沙羅が主力への攻撃。
上空制圧中の二体は、先の二体が上空に逃れた後に、生き残りを狙っての対地攻撃――的な。
ええっと……本作はエ○ア88の二次創作ではありません。念のため。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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