112 / 275
第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
幕間
しおりを挟む幕間 ~ その微笑みの意味するものは
人々が暮らす大地の遙か上空に、球状の空間が幾つも浮かんでいる。
常人には見ることが出来ぬ球状の空間は、神界――神々が住まう世界である。とはいえ、すべての神々がこうした球状の神界から、下界を見守っているわけではない。
鬼神たちの世界である神域に似た、異空間を己の領域にしている神も少なくない。
ランドの住むメイオール村から遙か東の海上に浮かぶ、球状の神界の一つが、天竜神安仁羅――地域によっては〝マジラ〟とも呼ばれる――の領域だ。
白い大理石が敷き詰められた広間は、そのまま謁見のための場になっている。
玉座に座っているのは、袴姿の初老の男だ。白髪を後頭部で結い、皺の深い顔には首元まで白髭を伸ばしていた。
黄金の装飾が施された玉座に座る安仁羅に、妻である麟玉がゆったりとした足取りで近寄った。
深紅に白鳥や花の模様をあしらった着物を着て、やや白髪の交じった黒髪を後ろ手に束ねた、柔和な顔つきの麟玉へ、安仁羅は顔を向けた。
「どうした?」
「瑠胡から鱗による便りが届きましたので、お報せに参りました。つがいの方の親族には挨拶を終えたそうで。瑠胡はつがいの方を連れて、近々帰郷するそうです」
「そうか……しかし、なぜ我ではなく、そなたに報せが来るのだ」
「それは、娘と母ですから。男親よりは、話しやすいのでしょう。ともかく、沙羅たちにも報せておきますわね」
恭しく頭を垂れた麟玉が立ち去ると、安仁羅は頬杖を付きながら溜息を吐いた。
「瑠胡が帰ってくるのは良いが……つがいと一緒とはな。ほかの竜族が、騒がしくせねばよいが」
娘の姿を思い出してから、安仁羅は静かに目を閉じた。
*
安仁羅の領域には、眷属たちが住まう侍従寮の建屋がある。大理石で組み上げられた建物は二階建てで、屋根は瓦となっていた。
その侍従寮にいた沙羅は、自室で刀の手入れをしていた。燃えるような赤毛の目立つ、なかなかの美女である。緑の瞳は凛々しく、今は小袖という藍色の着物に身を包んでいた。
そろそろ刀の手入れも終わろうというころに、襖戸の外で誰かが跪く気配がした。
「沙羅殿――少しお話がありますが、宜しいでしょうか?」
「はい。どうぞ、中へお入り下さい」
刀を鞘に収めてから沙羅が答えると、同じく薄水色の小袖を来た若者が、片膝を付いた姿勢で頭を深く垂れていた。
瑠胡姫付きである沙羅は、この侍従寮での身分はかなりの上位である。若頭という立場でありながら、この若者にとって、決して頭の上がらぬ存在であった。
沙羅の自室に入った若者は、僅かに頭を上げると沙羅に告げた。
「沙羅殿。先ほど、麟玉様より通達が御座いまして、近々、瑠胡姫様が御帰郷なさるそうです」
「それは、確かか?」
「はい。鱗の便りが、麟玉様の元に届いたとのことです」
「そうか――ようやく、下界からお戻りになられるのだな」
心から敬愛――ほかの者からは溺愛とも言われているが――している瑠胡が神界に帰ってくると思い、沙羅は口元が緩みそうになる。
しかし、そんな気分も次の言葉までだった。
「はい。つがいとなられた者とともに、天竜神様へ御挨拶をなされるためとのことです。それでその……なぜ瑠胡姫様が、天竜神様に御挨拶をなさるのでしょうか?」
「ご……あいさつ? つがい……ランド・コールと?」
沙羅は脇に置いてあった刀を鞘ごと手に取ると、ゆらゆらと立ち上がった。
「皆を集めよ……姫様はともかく、つがいのほうは追い返さねばならぬ」
「沙羅殿……何故でございますか? お相手は、瑠胡姫様がお決めになられた御方だと聞き及んでおります。なにか、問題があるのでしょうか?」
「……ある。瑠胡姫様とイチャイチャするだけでも許せぬというの――」
と、ここで若者が心から呆れた顔をしたことで、沙羅はやや冷静さを取り戻した。
しかし、振り上げた拳を下ろすどころか、帰郷の内容から瑠胡が考えていることを推し量ると、次の理由を若者に告げた。
「――それ以外にもあるのだ。あの者は、瑠胡姫様を再び下界へと連れて行ってしまうだろう。瑠胡姫様はこの神界ではなく、下界で子を産み、育てることになるのだ。そしてこれ以降、瑠胡姫様が神界に戻ってくることはないやもしれぬ。我々が慈しみ、そして敬愛する瑠胡姫様が、二度と神界に戻らぬことになったら……それだけは防がねばならんだろう」
沙羅の力説を胡散臭そうな顔をして聞いていた若者の顔が、最後には真剣な顔になっていた。
「沙羅殿……確かに、瑠胡姫様がこの神界に戻られぬなど、許すわけには参りません」
「そうであろう? つがいの者は追い返し、瑠胡姫様を神界に戻さねばならぬ――そう思うだろう?」
「仰有る通りです。わたくしも沙羅殿に協力いたしますぞ」
力こぶを固く握る若者の手に、沙羅は手を添えた。
「よくぞ言ってくれた。共につがいの者を追い返そうぞ」
沙羅と若者は互いに頷き合うと、鬨の声を挙げた。
そんな騒ぎを、侍従寮の外で聞いていた者がいた。
灰色の袴を着た、線の細い若者だ。外見だけなら瑠胡よりも少し上といったところだろう。黒髪を後頭部で纏め、穏やかそうな金色の瞳で、騒がしい沙羅の部屋を見上げていた。
「今日も賑やかだなぁ」
のんびりとした口調で呟くと、若者は侍従寮から離れた。
白い石を組み上げられた階段を降りていると、白い小袖に緋袴姿の少女が駆け寄ってきた。
「与二亜様」
少女に名を呼ばれ、若者――与二亜は微笑みながら振り返った。
「やあ、紀伊。どうしたんだい?」
「麟玉様からの伝言に御座います。瑠胡姫様が、つがいの御方を連れて帰郷なさるとのことです」
「へぇ! そうなんだ。報せてくれて、ありがとう。神祇官の君が使い走りとは、ご苦労なことだね」
「いえ。麟玉様から仰せつかっただけですので」
生真面目に答える紀伊に、与二亜は苦笑した。
「そうなんだ。瑠胡が帰ってくるとなると、少し騒動が起きそうだね」
「その一端は、与二亜様にもあるのではないでしょうか」
「うん。そうかもしれないね。ああ、連絡をありがとう。瑠胡を迎える準備をしないといけないなぁ」
「そうですね。それでは、わたくしも準備がありますので。これにて失礼致します」
恭しく頭を下げてから、紀伊は神祇官のお社へと戻っていく。
その後ろ姿を見送った与二亜は、最愛なる妹姫を思い浮かべながら、にこやかな笑みを浮かべていた。
----------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
瑠胡の家族の紹介――の回ですね。新キャラ沢山(汗
今、必死に名前を単語登録しております。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願い致します!
10
お気に入りに追加
126
あなたにおすすめの小説
転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!
小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。
しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。
チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。
研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。
ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。
新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。
しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。
もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。
実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。
結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。
すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。
主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!
あるちゃいる
ファンタジー
山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。
気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。
不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。
どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。
その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。
『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。
が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。
そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。
そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。
⚠️超絶不定期更新⚠️

スマートシステムで異世界革命
小川悟
ファンタジー
/// 毎日19時に投稿する予定です。 ///
★☆★ システム開発の天才!異世界転移して魔法陣構築で生産チート! ★☆★
新道亘《シンドウアタル》は、自分でも気が付かないうちにボッチ人生を歩み始めていた。
それならボッチ卒業の為に、現実世界のしがらみを全て捨て、新たな人生を歩もうとしたら、異世界女神と事故で現実世界のすべてを捨て、やり直すことになってしまった。
異世界に行くために、新たなスキルを神々と作ったら、とんでもなく生産チートなスキルが出来上がる。
スマフォのような便利なスキルで異世界に生産革命を起こします!
序章(全5話)異世界転移までの神々とのお話しです
第1章(全12話+1話)転生した場所での検証と訓練
第2章(全13話+1話)滞在先の街と出会い
第3章(全44話+4話)遺産活用と結婚
第4章(全17話)ダンジョン探索
第5章(執筆中)公的ギルド?
※第3章以降は少し内容が過激になってきます。
上記はあくまで予定です。
カクヨムでも投稿しています。

劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。

異世界で生きていく。
モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。
素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。
魔法と調合スキルを使って成長していく。
小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。
旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。
3/8申し訳ありません。
章の編集をしました。

加護とスキルでチートな異世界生活
どど
ファンタジー
高校1年生の新崎 玲緒(にいざき れお)が学校からの帰宅中にトラックに跳ねられる!?
目を覚ますと真っ白い世界にいた!
そこにやってきた神様に転生か消滅するかの2択に迫られ転生する!
そんな玲緒のチートな異世界生活が始まる
初めての作品なので誤字脱字、ストーリーぐだぐだが多々あると思いますが気に入って頂けると幸いです
ノベルバ様にも公開しております。
※キャラの名前や街の名前は基本的に私が思いついたやつなので特に意味はありません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる