102 / 276
第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
一章-6
しおりを挟む6
隊商の商売も終わり、当番以外の者は町の宿へと散っていった。
俺と瑠胡、それにキャットの三人は、隊商の長さんから指定された宿に入った――わけだけど。
どうやら野盗を衛兵に引き渡した報奨が、思いの外多かったようだ。その礼を兼ねて、隊商の長さんは質の良い宿を俺たちに宛がったらしい。
魚と野鳥を使った料理で、旅をする者たちには有名な旅籠屋らしい。全員ではないが、宿の中には裕福そうな商人の姿を見ることができた。
食事を終えたあと、瑠胡はまんざらでもない顔をしていたけど――。
「評判――というのでしょうか。それに違わぬ味でしたね。でも、わたくしはランドが作ってくれた料理のほうが好きです。万人ではく、わたくしだけに合わせた味付けって、わかりますから」
とまあ、かなり嬉しいことを言ってくれた。
「こういうところで食べるのは、人にとって安心なんでしょうね」
「まあ、そうですね。ただ一昔前には、宿の客全員が腹痛と嘔吐に襲われた――ってこともあったみたいですから。少しは時の運、なんだと思いますよ」
俺も衛生面は気をつけてるけど……その辺りはやはり、まだ一般的じゃない。特に離村などでは、調理前に手を洗うことすらしていない場合もある。
とりあえず、それはそれとして。
問題は、宛がわれた部屋だ。
俺と瑠胡が同室でキャットが別室というのは、まだ理解できる。
俺と瑠胡の関係性、それに騎士であるキャットという区分から、こうなってもおかしくはない。
だが――部屋に入った俺は、目眩と頭痛の二連撃を喰らうこととなった。
燭台の置かれた棚と小さな丸テーブル、それにベッドが二つ。部屋の隅には湯浴みをするための丸桶と、湯船代わりの大きな木製のタライが置かれていた。
それだけ並べたなら、なんの変哲も無い宿の部屋なんだけど。問題なのは、二つのベッドが、くっついた状態で並んでいることだ。
床の跡を見る限り、部屋の両端に置かれていたものを、わざわざ片側に寄せている。この並びを見るに宿側は、完全に夫婦用の対応をしたみたいだ。隊商の長さんに、俺と瑠胡がまだ正式な夫婦ではないと、伝えるのを忘れていた。
俺は溜息を吐くと、頭を掻いた。
「瑠胡は、ベッドを使って下さい。俺は床で寝ますから」
「あら、どうして? 一緒に寝ればいいじゃありませんか」
「いや、あの……同衾は色々と拙くてですね?
主に、俺の理性が――とまでは、さすがに言わなかった。
「高い宿とはいえ、壁はそんなに厚くないですし。喋ってる声だって、隣や下の階に筒抜けなりますからね?」
「あら。なにもしなければよいのでしょう? わたくしは、ランドの実直さを信じておりますから」
さっさと部屋に入ってしまった瑠胡は、ベッドに腰掛けると、自分の右隣を手でポンポンと叩いた。
少し埃が舞ったが、瑠胡はあまり気にしていないようだ。
「床で寝たら、疲れも癒やせないじゃありませんか。まだ旅は長いのでしょう? 今日はゆっくりと休むべきです」
瑠胡の言葉は正論なんだけれど……俺は多分、ゆっくりは休めないと思う。というか、眠れるかどうかも怪しい。
さて……どうやって俺が床で眠ることを納得させるか、ここが正念場だ。それも、なるべく直接表現を避けながら説得しなくては。
俺は頭をフル回転、しかも〈計算能力〉もフル動員させて、瑠胡を説得するための言葉を探した。
*
宿の部屋で一人佇んでいたキャットは、雨戸を少し開けて町の様子を伺った。
夜もかなり更けてきて、外の人通りもかなり減っている。見回りの衛兵が持つ松明が、町の中に点々と灯っているのが見える。
(そろそろ……ね)
憂鬱な溜息を吐くと、キャットは音を立てないようにドアを開けて廊下に出た。
『ほら、ランド――で、寝ましょう? それとも、わたくしと同じベッド――イヤなのですか?』
『そんなこと――ないですけど! 寝てるときに――ぷっつんとしたら――拙いんですよ』
隣の部屋から聞こえる会話に、キャットは重い溜息を吐いた。
(口調は違うけど、ドラゴンの姫様ね。まったく……隙あらば、イチャイチャとしちゃってからに。もっと緊張感を持てないのかしら?)
そう思ったあと、キャットは首を左右に振った。元々、ランドと瑠胡は、任務や仕事で旅をしているわけではない。
宿で緊張感が薄れても、それは当然のことだ。
キャットは乱暴に頭を掻くと、足音を立てないように廊下を進んだ。二階にある廊下の雨戸を開けて外に出ると、まるで猫のようなしなやかさで地面へと降り立った。
人目に付かないように道を選びながら、サラントの南側へと向かった。壁に囲まれた町では、夜になると門が閉じることが多い。
これは狼などの獣はもちろん、盗賊や山賊などに襲われることを踏まえた措置だ。石壁に囲まれたサラントでも、これは同じだ。
キャットは周囲を見回し、石壁から僅かに出た木製の梁に飛びついた。
指先だけでも引っかかれば、キャットの身軽さを以てすれば、身体を引き上げることができる。
あとは石壁の縁に手をかけさえすれば、壁を乗り越えられる。
壁を乗り越えて町の外に出たキャットは、姿勢を低くしながら、門番から見えない場所まで移動した。
周囲を見回しながら慎重に歩を進めていると、黄色い布が打ち付けてあるの木の幹を見つけた。
懐かしい印に眉を顰めながらも、キャットは次の布を探した。
これは盗賊稼業をしていたときに、仲間内で使っていた合図だ。次は赤、そして青――忘れかけていた記憶を思い出しながら、キャットは順を追って進んでいく。
やがて最後の黒色の布を見つけたキャットは、背後に人の気配を感じ取った。
「ひひっ……久しぶりだなぁ」
「……やはり、ギネルス。あんただったのね」
キャットが振り返ると、鷲鼻の男が立っていた。背丈はやや小柄で、夏期だというのにフード付きのマントを羽織ってる。
猛禽類のように鋭いが、どこか濁った印象のある目つきをしていた。頭髪は剃り上げており、顔の皺でしか年齢を推し量れる箇所が無い。
ギネルスと呼ばれた男は、振り返ったキャットを見て口元に薄い笑みを浮かべた。
「やはり、か。俺だとすぐに理解したっていうのか」
「もちろんよ。暗号にアンキィルンなんて国を使うのは、あんただけだったし」
ミィヤスに『アンキィルン産のレモンバームは置いてあるかい?』と言ったのは、商売の話ではなく、キャットへ向けた暗号だ。
南方にある国外の地――それは、『街から出た南側』という意味になる。これが国内の南にある街や領地なら、街の南側という意味だ。
そのあとに告げた『寝る前』は、街の人が寝静まった頃、『お茶にして飲む』は密会を促す隠語になっている。
キャットはギネルスを警戒しながら、静かな口調で告げた。
「それで、こんなところまで呼び出して、なんの用なわけ?」
「そう話を急ぐなよ。しかし、おまえが騎士とはねぇ。衛兵に捕まった状況から、どんな手を使ったんだか」
「ギネルス……よくも、そんなことが言えたわね。誰の所為で、衛兵に捕まったと思ってるのよ」
「おいおい、俺につっかかるなよ。捕まったのは、おまえがドジだったからだ。俺の所為じゃねぇ」
「……よくもヌケヌケと!」
キャットが睨み付けると、ギネルスは両手を小さく振った。
「怒るなよ。今日は、そんな話をするつもりはねえんだ。ちょいと、いい儲け話があるんだが、王城に忍び込む必要があってな。おまえの手を借りたいんだよ」
「巫山戯ないで。あたしは今、騎士団の一員よ。盗みに手を貸すわけないしょうが」
「いいや。おまえは手を貸すさ。おまえが元盗賊だって話を、騎士団やおまえの暮らす場所に、広めてやってもいいんだぜ?」
「残念ね。うちの騎士団長は、そんなことで驚かないわ」
牢獄にいたキャットを騎士団に招き入れたのは、レティシアだ。そんな話を聞いたところで、なんの影響もない。
キャットにとって、それ以外の者にどう思われているかなど、さしたる問題ではない。
しかし――ギネルスは笑みを増しながら、キャットに近づいた。
「そうかい? それが――おまえが宿にいた全員を殺した話だったとしてもか?」
ギネルスの言葉に、キャットの表情が青ざめた。
それは衛兵に捕まる前に、たった一度だけ犯した殺人だ。騙されて行った罪ではあるが――その事態の大きさに、キャットは半ば自暴自棄になった時期がある。
「あれは、あんたが騙して――」
「だが、やったのはおまえだ、おまえの手が、舌が、宿にいた全員を殺した――それはなぁ、紛れもない事実なんだぜ? こんな大悪党を配下にする騎士団なんか、この世界に存在するのか?」
ギネルスはキャットににやけた顔を近づけると、喉の奥で「ひひっ」と嗤った。
「ラルア……おまえみたいな極悪人は一生涯、俺の道具として生きるしかねぇんだよ」
本名とともに絶望的なことを告げられ、キャットは青ざめた顔を引きつらせた。
そんなキャットから身体を離すと、ギネルスはほとんど足音を立てずに森の中へと歩いて行く。
「王都タイミョンに着いたら、例の酒場に来い。そこで詳細を話す。あと、この件を他のヤツに教えるな。さっきの話を広められたくなかったな。」
騎士であるキャットに命令すると、ギネルスは森の中に消えていった。
あとに残されたキャットは、しばらくのあいだ、地面に座り込んだまま、呆然とギネルスが消えた闇を見つめていた。
-------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にあるがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
隠語とか暗号とか、考えるのって楽しい――と思ったことないですか? 小学生のときとか、友だちなんかと暗号を作っては遊んでいた記憶がありますが。
ファンタジーに限らず、クライム系の話で隠語とか考えるのは、当時の気持ちを思いだして、ちょっと楽しい気分になります。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
10
お気に入りに追加
127
あなたにおすすめの小説

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます
わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。
一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します!
大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。
転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!
小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。
しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。
チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。
研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。
ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。
新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。
しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。
もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。
実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。
結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。
すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。
主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。
彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。
最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。
一種の童話感覚で物語は語られます。
童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

5歳で前世の記憶が混入してきた --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--
ばふぉりん
ファンタジー
「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は
「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」
この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。
剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。
そんな中、この五歳児が得たスキルは
□□□□
もはや文字ですら無かった
~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。
本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!
あるちゃいる
ファンタジー
山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。
気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。
不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。
どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。
その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。
『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。
が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。
そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。
そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。
⚠️超絶不定期更新⚠️

野草から始まる異世界スローライフ
深月カナメ
ファンタジー
花、植物に癒されたキャンプ場からの帰り、事故にあい異世界に転生。気付けば子供の姿で、名前はエルバという。
私ーーエルバはスクスク育ち。
ある日、ふれた薬草の名前、効能が頭の中に聞こえた。
(このスキル使える)
エルバはみたこともない植物をもとめ、魔法のある世界で優しい両親も恵まれ、私の第二の人生はいま異世界ではじまった。
エブリスタ様にて掲載中です。
表紙は表紙メーカー様をお借りいたしました。
プロローグ〜78話までを第一章として、誤字脱字を直したものに変えました。
物語は変わっておりません。
一応、誤字脱字、文章などを直したはずですが、まだまだあると思います。見直しながら第二章を進めたいと思っております。
よろしくお願いします。
魔石と神器の物語 ~アイテムショップの美人姉妹は、史上最強の助っ人です!~
エール
ファンタジー
古代遺跡群攻略都市「イフカ」を訪れた新進気鋭の若き冒険者(ハンター)、ライナス。
彼が立ち寄った「魔法堂 白銀の翼」は、一風変わったアイテムを扱う魔道具専門店だった。
経営者は若い美人姉妹。
妹は自ら作成したアイテムを冒険の実践にて試用する、才能溢れる魔道具製作者。
そして姉の正体は、特定冒険者と契約を交わし、召喚獣として戦う闇の狂戦士だった。
最高純度の「超魔石」と「充魔石」を体内に埋め込まれた不死属性の彼女は、呪われし武具を纏い、補充用の魔石を求めて戦場に向かう。いつの日か、「人間」に戻ることを夢見て――。

農民の少年は混沌竜と契約しました
アルセクト
ファンタジー
極々普通で特にこれといった長所もない少年は、魔法の存在する世界に住む小さな国の小さな村の小さな家の農家の跡取りとして過ごしていた
少年は15の者が皆行う『従魔召喚の儀』で生活に便利な虹亀を願ったはずがなんの間違えか世界最強の生物『竜』、更にその頂点である『混沌竜』が召喚された
これはそんな極々普通の少年と最強の生物である混沌竜が送るノンビリハチャメチャな物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる