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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
一章-6
しおりを挟む6
隊商の商売も終わり、当番以外の者は町の宿へと散っていった。
俺と瑠胡、それにキャットの三人は、隊商の長さんから指定された宿に入った――わけだけど。
どうやら野盗を衛兵に引き渡した報奨が、思いの外多かったようだ。その礼を兼ねて、隊商の長さんは質の良い宿を俺たちに宛がったらしい。
魚と野鳥を使った料理で、旅をする者たちには有名な旅籠屋らしい。全員ではないが、宿の中には裕福そうな商人の姿を見ることができた。
食事を終えたあと、瑠胡はまんざらでもない顔をしていたけど――。
「評判――というのでしょうか。それに違わぬ味でしたね。でも、わたくしはランドが作ってくれた料理のほうが好きです。万人ではく、わたくしだけに合わせた味付けって、わかりますから」
とまあ、かなり嬉しいことを言ってくれた。
「こういうところで食べるのは、人にとって安心なんでしょうね」
「まあ、そうですね。ただ一昔前には、宿の客全員が腹痛と嘔吐に襲われた――ってこともあったみたいですから。少しは時の運、なんだと思いますよ」
俺も衛生面は気をつけてるけど……その辺りはやはり、まだ一般的じゃない。特に離村などでは、調理前に手を洗うことすらしていない場合もある。
とりあえず、それはそれとして。
問題は、宛がわれた部屋だ。
俺と瑠胡が同室でキャットが別室というのは、まだ理解できる。
俺と瑠胡の関係性、それに騎士であるキャットという区分から、こうなってもおかしくはない。
だが――部屋に入った俺は、目眩と頭痛の二連撃を喰らうこととなった。
燭台の置かれた棚と小さな丸テーブル、それにベッドが二つ。部屋の隅には湯浴みをするための丸桶と、湯船代わりの大きな木製のタライが置かれていた。
それだけ並べたなら、なんの変哲も無い宿の部屋なんだけど。問題なのは、二つのベッドが、くっついた状態で並んでいることだ。
床の跡を見る限り、部屋の両端に置かれていたものを、わざわざ片側に寄せている。この並びを見るに宿側は、完全に夫婦用の対応をしたみたいだ。隊商の長さんに、俺と瑠胡がまだ正式な夫婦ではないと、伝えるのを忘れていた。
俺は溜息を吐くと、頭を掻いた。
「瑠胡は、ベッドを使って下さい。俺は床で寝ますから」
「あら、どうして? 一緒に寝ればいいじゃありませんか」
「いや、あの……同衾は色々と拙くてですね?
主に、俺の理性が――とまでは、さすがに言わなかった。
「高い宿とはいえ、壁はそんなに厚くないですし。喋ってる声だって、隣や下の階に筒抜けなりますからね?」
「あら。なにもしなければよいのでしょう? わたくしは、ランドの実直さを信じておりますから」
さっさと部屋に入ってしまった瑠胡は、ベッドに腰掛けると、自分の右隣を手でポンポンと叩いた。
少し埃が舞ったが、瑠胡はあまり気にしていないようだ。
「床で寝たら、疲れも癒やせないじゃありませんか。まだ旅は長いのでしょう? 今日はゆっくりと休むべきです」
瑠胡の言葉は正論なんだけれど……俺は多分、ゆっくりは休めないと思う。というか、眠れるかどうかも怪しい。
さて……どうやって俺が床で眠ることを納得させるか、ここが正念場だ。それも、なるべく直接表現を避けながら説得しなくては。
俺は頭をフル回転、しかも〈計算能力〉もフル動員させて、瑠胡を説得するための言葉を探した。
*
宿の部屋で一人佇んでいたキャットは、雨戸を少し開けて町の様子を伺った。
夜もかなり更けてきて、外の人通りもかなり減っている。見回りの衛兵が持つ松明が、町の中に点々と灯っているのが見える。
(そろそろ……ね)
憂鬱な溜息を吐くと、キャットは音を立てないようにドアを開けて廊下に出た。
『ほら、ランド――で、寝ましょう? それとも、わたくしと同じベッド――イヤなのですか?』
『そんなこと――ないですけど! 寝てるときに――ぷっつんとしたら――拙いんですよ』
隣の部屋から聞こえる会話に、キャットは重い溜息を吐いた。
(口調は違うけど、ドラゴンの姫様ね。まったく……隙あらば、イチャイチャとしちゃってからに。もっと緊張感を持てないのかしら?)
そう思ったあと、キャットは首を左右に振った。元々、ランドと瑠胡は、任務や仕事で旅をしているわけではない。
宿で緊張感が薄れても、それは当然のことだ。
キャットは乱暴に頭を掻くと、足音を立てないように廊下を進んだ。二階にある廊下の雨戸を開けて外に出ると、まるで猫のようなしなやかさで地面へと降り立った。
人目に付かないように道を選びながら、サラントの南側へと向かった。壁に囲まれた町では、夜になると門が閉じることが多い。
これは狼などの獣はもちろん、盗賊や山賊などに襲われることを踏まえた措置だ。石壁に囲まれたサラントでも、これは同じだ。
キャットは周囲を見回し、石壁から僅かに出た木製の梁に飛びついた。
指先だけでも引っかかれば、キャットの身軽さを以てすれば、身体を引き上げることができる。
あとは石壁の縁に手をかけさえすれば、壁を乗り越えられる。
壁を乗り越えて町の外に出たキャットは、姿勢を低くしながら、門番から見えない場所まで移動した。
周囲を見回しながら慎重に歩を進めていると、黄色い布が打ち付けてあるの木の幹を見つけた。
懐かしい印に眉を顰めながらも、キャットは次の布を探した。
これは盗賊稼業をしていたときに、仲間内で使っていた合図だ。次は赤、そして青――忘れかけていた記憶を思い出しながら、キャットは順を追って進んでいく。
やがて最後の黒色の布を見つけたキャットは、背後に人の気配を感じ取った。
「ひひっ……久しぶりだなぁ」
「……やはり、ギネルス。あんただったのね」
キャットが振り返ると、鷲鼻の男が立っていた。背丈はやや小柄で、夏期だというのにフード付きのマントを羽織ってる。
猛禽類のように鋭いが、どこか濁った印象のある目つきをしていた。頭髪は剃り上げており、顔の皺でしか年齢を推し量れる箇所が無い。
ギネルスと呼ばれた男は、振り返ったキャットを見て口元に薄い笑みを浮かべた。
「やはり、か。俺だとすぐに理解したっていうのか」
「もちろんよ。暗号にアンキィルンなんて国を使うのは、あんただけだったし」
ミィヤスに『アンキィルン産のレモンバームは置いてあるかい?』と言ったのは、商売の話ではなく、キャットへ向けた暗号だ。
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そのあとに告げた『寝る前』は、街の人が寝静まった頃、『お茶にして飲む』は密会を促す隠語になっている。
キャットはギネルスを警戒しながら、静かな口調で告げた。
「それで、こんなところまで呼び出して、なんの用なわけ?」
「そう話を急ぐなよ。しかし、おまえが騎士とはねぇ。衛兵に捕まった状況から、どんな手を使ったんだか」
「ギネルス……よくも、そんなことが言えたわね。誰の所為で、衛兵に捕まったと思ってるのよ」
「おいおい、俺につっかかるなよ。捕まったのは、おまえがドジだったからだ。俺の所為じゃねぇ」
「……よくもヌケヌケと!」
キャットが睨み付けると、ギネルスは両手を小さく振った。
「怒るなよ。今日は、そんな話をするつもりはねえんだ。ちょいと、いい儲け話があるんだが、王城に忍び込む必要があってな。おまえの手を借りたいんだよ」
「巫山戯ないで。あたしは今、騎士団の一員よ。盗みに手を貸すわけないしょうが」
「いいや。おまえは手を貸すさ。おまえが元盗賊だって話を、騎士団やおまえの暮らす場所に、広めてやってもいいんだぜ?」
「残念ね。うちの騎士団長は、そんなことで驚かないわ」
牢獄にいたキャットを騎士団に招き入れたのは、レティシアだ。そんな話を聞いたところで、なんの影響もない。
キャットにとって、それ以外の者にどう思われているかなど、さしたる問題ではない。
しかし――ギネルスは笑みを増しながら、キャットに近づいた。
「そうかい? それが――おまえが宿にいた全員を殺した話だったとしてもか?」
ギネルスの言葉に、キャットの表情が青ざめた。
それは衛兵に捕まる前に、たった一度だけ犯した殺人だ。騙されて行った罪ではあるが――その事態の大きさに、キャットは半ば自暴自棄になった時期がある。
「あれは、あんたが騙して――」
「だが、やったのはおまえだ、おまえの手が、舌が、宿にいた全員を殺した――それはなぁ、紛れもない事実なんだぜ? こんな大悪党を配下にする騎士団なんか、この世界に存在するのか?」
ギネルスはキャットににやけた顔を近づけると、喉の奥で「ひひっ」と嗤った。
「ラルア……おまえみたいな極悪人は一生涯、俺の道具として生きるしかねぇんだよ」
本名とともに絶望的なことを告げられ、キャットは青ざめた顔を引きつらせた。
そんなキャットから身体を離すと、ギネルスはほとんど足音を立てずに森の中へと歩いて行く。
「王都タイミョンに着いたら、例の酒場に来い。そこで詳細を話す。あと、この件を他のヤツに教えるな。さっきの話を広められたくなかったな。」
騎士であるキャットに命令すると、ギネルスは森の中に消えていった。
あとに残されたキャットは、しばらくのあいだ、地面に座り込んだまま、呆然とギネルスが消えた闇を見つめていた。
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本作を読んで頂き、誠にあるがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
隠語とか暗号とか、考えるのって楽しい――と思ったことないですか? 小学生のときとか、友だちなんかと暗号を作っては遊んでいた記憶がありますが。
ファンタジーに限らず、クライム系の話で隠語とか考えるのは、当時の気持ちを思いだして、ちょっと楽しい気分になります。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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